手持王女より、鏡山に葬られた河内王への歌達 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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お寺や神社に行ったりしています。

鏡山大神社から100mの場所に、河内王の墓とされる場所があるらしいので向かう。



途中、レンゲが沢山咲いていた。


勾金陵墓参考地(河内王陵)

福岡県田川郡香春町鏡山


これは、宮内庁により「勾金陵墓参考地」とされている古墳。

被葬候補者は、第40代天武天皇の四男 長皇子の子(天武天皇の孫)、河内王)。


なぜそう考えられているかというと、万葉集巻第三の417~419前文に「河内王を豊前国鏡山に葬る時、手持女王の作る歌三首」とあるから。


ちなみに、手持女王(たもちのおおきみ)がどういう人物かってのは伝わってなくて、万葉集でしか確認出来ないみたい。


河内王のお墓からそう遠くない場所に417〜419の歌碑があったので、順に載せる。


【417】


王の親魄逢へや豊国の鏡の山を宮と定むる


訳に「あの遠い豊国の」ってあるのだけど、手持女王にとって遠い国だったかは不明。
ただ、河内王は太宰府の長官として九州に赴任して来ていたらしい。
故郷ではなく赴任先に埋葬されたって事で、この訳になったと思われる。

当時、亡くなった人は故郷で埋葬されるのが一般的だったのかな。
それとも、亡くなった場所で埋葬されてしまうもの?
鏡山に葬られる事を本人が希望したんだとも取れるけど、「逢へや」って「だろうか?」って書き方だから、運命がそうさせた、って風にもとれるから、この歌だけじゃななんとも分からない。


【418】


豊国の鏡の山の石戸立て 隠りにけらし待てど来まさず


イメージとしては、天の岩戸に引きこもったアマテラスだね。


【419】


石戸破る手力もがも手弱き女にしあれば術の知らなく


そして、天の岩戸をこじ開けた手力男のイメージ。
手力男が岩戸を開き世の中に光が戻ってくるような、そんな風には出来ない自分の無力さを嘆く。そんな感じ。





河内王、手持女王とはまた別件。
万葉集には、こちらから京に帰っていく人が詠んだ歌もあるのでご紹介。

鏡山大神社の前にあった歌碑。

梓弓引き豊国の鏡山 見ず久ならば恋しけむかも  鞍作村主益人 ※「くら」の正式漢字が出ない


「梓弓引き」が分からなくて調べたら、「豊」の枕詞だそうな。

なんで?

鳴り響かせることを古語で「とよもす」と言うそうな。

うーむ、そりゃ分からん。


枕詞って、今でいうダジャレだと思うのだけど、「枕詞」っていうと途端に風流な感じするよね。



こんな風に歌に詠まれるという事は、「鏡山」は重要な場所だったのかなぁという感じする。

さすが、神功皇后が鏡を奉納するだけの場所である。か。