勾金陵墓参考地(河内王陵)
福岡県田川郡香春町鏡山
これは、宮内庁により「勾金陵墓参考地」とされている古墳。
被葬候補者は、第40代天武天皇の四男 長皇子の子(天武天皇の孫)、河内王)。
ちなみに、手持女王(たもちのおおきみ)がどういう人物かってのは伝わってなくて、万葉集でしか確認出来ないみたい。
河内王のお墓からそう遠くない場所に417〜419の歌碑があったので、順に載せる。
【417】
訳に「あの遠い豊国の」ってあるのだけど、手持女王にとって遠い国だったかは不明。
ただ、河内王は太宰府の長官として九州に赴任して来ていたらしい。
故郷ではなく赴任先に埋葬されたって事で、この訳になったと思われる。
当時、亡くなった人は故郷で埋葬されるのが一般的だったのかな。
それとも、亡くなった場所で埋葬されてしまうもの?
鏡山に葬られる事を本人が希望したんだとも取れるけど、「逢へや」って「だろうか?」って書き方だから、運命がそうさせた、って風にもとれるから、この歌だけじゃななんとも分からない。
【418】
イメージとしては、天の岩戸に引きこもったアマテラスだね。
【419】
そして、天の岩戸をこじ開けた手力男のイメージ。
手力男が岩戸を開き世の中に光が戻ってくるような、そんな風には出来ない自分の無力さを嘆く。そんな感じ。
河内王、手持女王とはまた別件。
万葉集には、こちらから京に帰っていく人が詠んだ歌もあるのでご紹介。
鏡山大神社の前にあった歌碑。
梓弓引き豊国の鏡山 見ず久ならば恋しけむかも 鞍作村主益人 ※「くら」の正式漢字が出ない
「梓弓引き」が分からなくて調べたら、「豊」の枕詞だそうな。
なんで?
鳴り響かせることを古語で「とよもす」と言うそうな。
うーむ、そりゃ分からん。
枕詞って、今でいうダジャレだと思うのだけど、「枕詞」っていうと途端に風流な感じするよね。
こんな風に歌に詠まれるという事は、「鏡山」は重要な場所だったのかなぁという感じする。
さすが、神功皇后が鏡を奉納するだけの場所である。か。