夏羽の祟りを鎮める若八幡神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

 

バイクで30分ほど走って田川市の神功皇后ゆかりの地へ🏍💨

 

若八幡神社

福岡県田川市夏吉1636

 

御祭神  仁徳天皇・応神天皇・神功皇后

地主神  神夏磯媛命


輝徳霊神 小笠原忠真公

 

 

若八幡神社由緒

 

人皇第十二代景行天皇の熊襲征伐に際し天皇を周防の佐波(今の防府市)迄出迎え、九州平定に寄与されたのが我が 夏吉地域開発の祖神、神夏磯姫でした。

「榊の枝に八握剣 八咫鏡、八尺瓊をとりかけ、船の舳先に素幡をたて、参向した」と日本書記には記されています。

 

年代は下がって姫の後裔夏羽は朝廷に恨みを持ち、神功皇后の暗殺を企てた妹、田油津姫を援けんと軍勢を催してかけつける途中で妹の敗戦を知り逃げ帰って館に立て篭もったところを追って来た皇后の軍勢に焼き殺されました。(岩屋須佐社横の洞庭との説もある)それ以来夏羽焼―夏焼と此の村が呼ばれる事になったのです。

 

後に、夏羽の亡霊の祟りを鎮める為に宇佐より八幡宮が勧請されましたが(光仁年中一一七三 ~四年前)今の大宮司屋敷から現在地に鎮座されたのは慶長十三年二月三日(三七五年前)の事です。現在は仁徳天皇(応神天皇の若宮)を合わせ祭る為に若八幡と、となえますが、これは平清盛が香春岳鬼ヶ城の守護神として平家の氏神、仁徳天皇の神霊を京都の平野神社より香春岳の中腹に祭り、その後いかなる理由でが当社に鎮座されたのです。

 

江戸時代小笠原藩祖忠真公巡國の折り当社に参詣され困窮のどん底にあった村民を救うため色々の施政をされると共に、不吉な夏焼の村名を夏吉と、改称されました。

村民は以後の繁栄を感謝し、公の逝去の後若八幡宮の相殿に公の神霊をお祭りして来ましたが、亨和元年(一八二年 朝廷に願い出て、輝徳霊神の神号と霊璽とを頂いたのです。

当社の神紋が、小笠原家の家紋と同じ三階菱であるのは以上の理由によります。

 

「八幡神」が応神天皇。

「若八幡」となっている場合は基本的に、応神天皇の息子である仁徳天皇が主祭神。

 

どうやら、平清盛がここの近くの香春岳鬼ヶ城の守護神として、平家の氏神である仁徳天皇を持込んだらしい。

 

小笠原忠真はまた後々の人で、良い政治をしたのだろう。

亡くなってしばらく後、村民が朝廷に願い出て輝徳霊神っていう神号を貰ったのだそうな。

 

しかし、私が注目したのは地主神「神夏磯姫(かんなつそひめ)」と、その子孫「夏羽(なつは)」。

 

神夏磯姫の話は日本書紀にも出て来る。

 

 

 

 

景行天皇がやって来た際に神夏磯姫は「私は貴方に従うけど、他に従わない人達がいるからやっつけて!」と言ったという。

 

なんというか…これ、神夏磯姫は上手いことやった感じ?

景行天皇の支配の手や監視の目を自分から逸らす為に、他の者達を生贄にしたような、そんな感じもする。

 

いやもしかしたら、実際は景行天皇が神夏磯姫に「お前の事は悪いようにしないから云々」とかって上手いこと言いくるめて、それ以外のこの近くを治めていた人達を倒すのに神夏磯姫を協力させたとか。

 

なんにせよ神夏磯姫は、朝廷に従う姿勢でもって、この辺りを治めていたらしい。

 

しかし、そこから二代後の仲哀天皇の時代。

夏羽と妹の田油津姫(たぶらつひめ)は朝廷に背く。

 

この辺りの事も、日本書紀に書かれている。

 

 

 

 

日本書紀には、神功皇后が土蜘蛛である田油津姫を殺したってだけ書かれているけれど、田油津姫が神功皇后を暗殺しようとしたんだってよ。

暗殺を企てる程の、一体何があったのか。

 

夏羽は、妹の敗北を知り逃げ帰って来たという事だけど、逃げたってニュアンスなのかな。

田油津姫がいた場所より、かつて神夏磯姫の治めていたこの辺りの場所の方が彼らにとって本当に守るべき場所であり、それを守る為に戻って来たという事なのかなーと、思ったりする。

 

それにしても。

夏羽の祟りを鎮める為に連れて来られたのが(応神天皇と)神功皇后って、良いのかなそれ。

夏羽が恨んでる相手じゃん…。

 

神夏磯姫は朝廷と上手くやってた人で、そっちを祀る事で上手く調整出来てる感覚なのかな。

 

夏羽は祀られた神様の名前にはないけれど、地名の「夏吉」が夏羽を焼いた「夏羽焼」→「夏焼」→「夏吉」になったという風に、地名に残っているってのが素晴らしい。

大変ドラマチックな地名。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿と本殿の間にも建物(幣殿)があるタイプ。

 

 

 

素朴な感じの木鼻の漠。

 

 

 

隣には天満宮と比叡社。

 

 

 

 

 

境内には稲荷社もありました。

 

 

 

 

 

 

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