吉野ヶ里遺跡展示室より、衣装について。
弥生の衣装の素材。
上層人の衣装に絹、庶民の衣装には麻が使われていたと考えられている。
吉野ヶ里遺跡からは、弥生時代中期から後期初めの甕棺の中から絹や大麻の布片が発見され、分析の結果、絹は中国を原産とした日本産の絹糸だと分かったらしい。
という事は、山口県の忌宮神社「蚕種渡来之地」❗️
「いまから約千八百年のむかし中国より秦の始皇十一世の子孫 功満王が来朝帰化しここ豊浦宮にご滞在の仲哀天皇に蚕種(カイコの卵)を献上したのが、わが国養蚕の始まりと伝えられる。」
これが信憑性を帯びてくるわけだ👚
吉野ヶ里遺跡内に再現してあった「大人の家」。
仲哀天皇の時代もこんなだったかも、とワクワク。
甕棺からは、縫い目のある絹織物が出て来た。
魏志倭人伝には「衣は幅広い布をただ結び重ねるだけで、縫うことはない」とあるけれど、そもそもあれはいつの時期の日本の事を書いているのか。
一般的に、3世紀(弥生時代の次の古墳時代)の日本を知る史料とされているけれど、情報が古いか色々な時代のことがごちゃ混ぜになっているか、間違っているかしている。
左側が「貫頭衣」。
魏志倭人伝の記載を参考にしたもの。
右側は、上層人の衣装。
古事記や古墳時代の埴輪、奈良時代の壁画、中国・朝鮮の絵や像を参考にしたもの。
紫貝で、こんなに綺麗な紫色に染まるらしい。
弥生時代の衣装、なかなか綺麗だったみたい👘