大祖神社と芥屋の大門神窟 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

糸島で有名な所の上位に、二見ヶ浦と芥屋の大門があると思う。

芥屋の穴門に向かう人達沢山。

しかし我らは一旦、そのすぐ近くにある大祖神社へと向かう。



バスを降りてちょっと歩いたところに沢山の紫の花。



ホテイアオイ🌸



大祖神社

福岡県糸島市志摩芥屋675-1



(糸島郡誌より)

村社大祖神社

幣帛料供進指定社。大字芥屋大門崎に連れる大門奇勝の背景地域字久保地にあり。

祭神はもと天照皇大神,伊邪那岐大神,伊邪那美大神の三神なりしが明治四十四年八月無格社綿積神社,無格社産屋神社を合祀せしを以て,産瀲波武鸕鷀草葺不合尊,玉依姫命,草野姫命,底津綿津見神,中津綿津見神,上津綿津見神,底筒之男神,中筒之男神,上筒之男神,神直日命,大直日命,八十抂津日命を加へ奉齋せり。祭日は九月二十三日なり。

此地は朕の山と云ひ又其隣接の海岸を(はらひど)と言ふ地名を存し口碑に伊弉諾命の禊祓の靈跡にして其當時より鎮座ありしものと言い傳へ,昔時は宮殿も廣大にして國主領主等の崇敬篤かりしと云ふ。其證として文明十二年大檀那甲斐秀久再興天正十二年原田了榮再興の棟札今に存せり。嘉永七年八月神殿神庫焼失して寶物古文書等烏有に歸したりしは惜む可し。又舊記に聖武帝のとき宮殿の左右に大日寺善福寺の二堂を置けりと云ふ。大日寺は建治中泊村に移し,善福寺は大字芥屋の中央に移す。今の建治寺即是なりと云ふ。



(福岡県神社誌より)

祭 神

伊邪那岐大神,天照皇大神,伊邪那美大神,彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊,玉依姫命,草野姫命,底津綿津見神,中津綿津見神,上津綿津見神,底筒之男命,中筒之男命,上筒之男命,神直日命,大直日命,八十抂津日命


由 緒

創立年代詳ならず,社伝に祭神伊邪諾尊,伊弉册尊,天照大神,月讀尊,蛭子尊,素盞嗚尊にして神代よりの鎮座と傳ふれども今其沿革詳ならず又一説に伊邪那岐神,伊邪那美神,天照大神,月讀神,蛭兒尊,素盞嗚命を奉祀すと云へり,然ども今齋祭する所は三座なり。

往昔本社に奉仕寺院二ヶ寺あり大日寺善福寺と云へり然ども建治年中大日寺は當郡泊村に善福寺は岐志村に移れり,其後今社邊に残れり,而して大日寺は既に廃絶して今僅かに一小堂宇を存せり善福寺は後又芥屋村の字東に移り建治寺と称し曹洞宗に属し現存す。

文明十三年社伝再興す棟札に大檀那甲斐秀久とあり。

天正十二年七月社伝再興す棟札に大檀那大藏朝臣原田了榮再建すとあり。

其他慶安四年(附記,慶安四年は所謂北朝の年代なり,吉野朝の建徳二年に當る)以来代々相継て改造の棟札を存す文久三年社殿改築す,現今の社殿是なり従前境内五百六十坪宮山凡方三丁ありしも地租改正の際境内二百七十七坪のみとなれり,明治五年十一月三日村社に被定。

彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊,玉依姫命,草野姫命,底津綿津見神,中津綿津見神,上津綿津見神,底筒之男命,中筒之男命,上筒之男命,神直日命,大直日命,八十抂津日命の十二祭神は同大字濱無格社,綿積神社として祭祀ありしを明治四十四年八月十七日合併許可同大字々西無格社産屋神社として祭祀ありしを同年同月同日合併許可祭神彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊にして同一祭神に合靈せり。

社説に曰く,舊記に此の地は伊弉諾神禊祓の靈跡にして當時より鎮座し給しと伝え,國主領主の崇敬篤かりしと云ふ。文明j十二年(附記,明細帳には十三年と記す)大檀那甲斐秀久再興の棟札今に存せり。嘉永七年八月神殿神庫焼失して寳物古文書等皆烏有に歸したりしは惜しむべし。承和元年(千百年餘前)奉獻になる石灯籠現存せり。

聖武帝のとき宮殿の左右に大日寺善福寺の二堂を置けりと云ふ大日寺は泊村に遷し,善福寺は建治年中村中に遷せしより建治寺と改称す。

社の北に當りて亘厳海中に突出し,北方に口を向けて一洞あり,此て即芥屋大門にして大門神社を祀れり。



祭神が多い。


まずはイザナギ・イザナミ夫婦とアマテラス。

そして後から、ウガヤフキアエズ・玉依姫夫婦と草野姫命、それから、イザナミが禊した時に生まれた神直日命・大直日命・八十抂津日命、綿津見三神、住吉三神が合祀されたそうな。


しかし、最初は三神だけでなく、ツクヨミ、ヒルコ、スサノオも祀られていたとか?

イザナギ・イザナミが最初に生んだというか産み損なったというかなヒルコと、アマテラス三兄弟の残り2人…なんか、熱いね(?)

(って、ヒルコじゃなくてこれ、エビスか⁉︎)


後から合祀されただけだからなんとも言えないけど、草野姫はだいぶ浮いているような…。

誰?って思ったら大山咋の妻と言われる神様だって。何故いるんだろ。


これ、どこの家紋だろ。


不思議な形の手水。


社殿。


柱にかぶりついたこの感じが好き☺️








さて、芥屋の穴門を見に行きましょう。

穴門神窟の祭神は綿津見大神と、大戸之道尊、大苫邊之尊。


ワダツミは海の神様。

オオトノヂ・オオトノベは兄妹もしくは夫婦の神様で、オオト(=狭い通路)=洞窟、ヂが男性、ベが女性を表しているとか。

うむ、とてもとてもまんまその通りって感じの祭神で安心感がある。

私達が二見ヶ浦に着いた時はまだ午前中だったからそこまで人が多くはなかったけれど、昼過ぎの芥屋の穴門は多かった。

さすが観光スポット。

(って、都会に比べたら少ないっちゃぁ少ないが、このバスハイクの行き先は人の少ない場所が多いから、珍しい。)

「大門神窟」の鳥居あり。

ここに神社はない。

洞窟を祀るのみ。

でも、鳥居からまっすぐ先は海が広がるのみ。


左手の方にそれはある。


神窟…まあ、こっからじゃ穴が見えないんだけどさ。

洞窟なのよ!



日本三大玄武洞の中でも最大のもので、

六角形や八角形の玄武岩が柱状節理(ちゅうじょうせつり)をなして、

玄界灘の荒波にそそり立ち、海蝕(かいしょく)によってできた洞窟

(高さ64m、開口10m、奥行き90m)は

黒々と玄界灘に向かって口を開き神秘的な景観を呈しています。


遊覧船乗って、いつかそのうち見てみたいところ。


洞窟もだけど、あの上の方もなんかすごいね、良いね🪨


鳥居の脇に階段があり、登る人あり。


展望台に向かっている。


狭いらしく、人が並んでいた。

どうやらここ、「トトロの森」と呼ばれているインスタ映えスポットらしい。

気にはなったけど、今回は行かず。

また、別の機会に!


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