志摩歴史資料館の貨泉・半両銭など | 筑前由紀のプチトリップ

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志摩歴史資料館

福岡県糸島市志摩初1番地3


ここで私が特に興味を持ったのは、お金とお墓。



以下、日本大百科全書(ニッポニカ)「貨泉」の解説


貨泉(かせん)

中国、王莽(おうもう)の新(しん)代の銭貨の一種。天鳳1年(紀元14)の初鋳。円形方口の銅銭で、右に「貨」、左に「泉」の字を鋳出する。

日本では福岡県糸島(いとしま)市志摩御床松原(しまみとこまつばら)の砂丘地で、中山平次郎博士によって採集され、弥生(やよい)式土器に伴出するものと認定され、弥生時代の年代決定の有力な手掛りとされた。

その後、しだいに発見例が増え、弥生時代の遺跡で貨泉が出土した場所は現在では10余か所に達する。

このうち大阪府亀井(かめい)遺跡では一土坑内から畿内(きない)第Ⅳ~第Ⅴ様式の土器片とともに貨泉1枚が発見され、長崎県壱岐(いき)の原の辻(はるのつじ)遺跡では上層(九州の弥生後期前半)から貨泉1枚が発見されている。

弥生時代中期末ないし後期初頭が、1世紀中ごろから後半にかけての時期であったことを示す資料である。



日本初の通貨といえば、和同開珎(わどうかいちん)。

これは、708年=8世紀に出来たもの。

それよりもずっとずっと前の海外のお金が糸島にはあった❗️



半両銭は、前漢の時代=紀元前175年〜前118年のもの。



紀元前だよ!

日本にはその頃に書かれた書物とかってないから、ほとんど神話の世界なんだよねーその頃って。



他にも色々、海外のお金が糸島から出土しているとのこと。



糸島は、それらしき地名が魏志倭人伝にも出る位、古代日本において海外との交易が盛んだったんだなあって思う。


意外と、現代の私よりも古代の糸島の人達というのはグローバルで、国の境ってのがなかったかも知れない。

てか、「日本」って国が固まってない時代だと考えたら、今の感覚でいう日本ではなくもっと外国っぽい場所だったかも知れないよね、なんて。

それは言い過ぎか。


日本はかなり単一民族みのある国だから、人種のるつぼ的な状況まではなかったんだろうけど、何にせよ、古代の糸島は比較的グローバルな場所だったんだなぁと強く思ったのでした。




ここで見たお墓については、後々関連して、新町遺跡展示館や志登支石墓群とともに上げる事にする。


他、製鉄関連の展示物も価値がありそうではあったけど、私が理解出来てないので割愛。



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