大阪ヘイトハラスメント裁判
今年の9月に関東大震災の虐殺事件が起きて100年を迎えましたが、ちょうど3年前のブログに、「関東大震災の虐殺事件と現代」という記事を2回投稿しました。今回は再編集した記事の2回目を掲載しますが、その前に、今回のブログで少し触れている、「大阪ヘイトハラスメント裁判」について解説しておきます。
この裁判は、職場で民族差別的な文書を繰り返し配布し、社員の在日朝鮮人の女性に精神的苦痛を与えた大手不動産会社「フジ住宅」(大阪府岸和田市)に対する損害賠償を求めた訴訟で、2020年7月の第一審判決では、「職場で差別的取り扱いを受けるおそれがないという労働者の内心の静穏が保護されるべきだ」との判断を示し、「中傷文書を反復継続した大量配布するのは会社側が差別的取り扱いを受けるのではないかという危惧感を女性に抱かせ、女性の内心の静穏を害するものだ」と指摘、女性の人格的利益を侵害する恐れを発生させており、違法と判断しました。
また、第二審では、民族的出自等に関わる差別的思想を醸成する行為が行われていない職場またはそのような差別的思想が放置されない職場において、就労する労働者の人格的利益を認めたうえで、使用者がそのような差別的思想を醸成しないように配慮する義務があることを認めました。そして、一審判決後も、差別的図書や資料が配布され続けたことに付いて、その差し止めも認め、名指しをされていない場合でも、人種・民族差別行為についての違法性も認めました。2022年9月8日、最高裁は会社側の上告を退け、この二審の判決を確定しました。
現在の状況について、ヘイトハラスメント裁判を支える会の共同代表であった寺木伸明氏は「この画期的判決にもかかわらず、会社・会長は反省するどころか、依然として同じような状況が続いているとのことです。この点が、刑事罰を科すような差別禁止法のない国の弱いところだと思います。」と語り、日本における人権を守るための法整備の問題点を指摘しています。
他者の痛みに対する想像的理解と共感
前回のブログで、関東大震災における朝鮮人虐殺について、「人々に恐怖を一方的にあたえる側が、恐怖をあたえられる側に恐怖する」(1)という民衆の意識と「帝国的国民主義」との関連について触れたが、太平洋戦争の敗北によって植民地を喪失した戦後日本における「帝国的国民主義」の問題について、コーネル大学教授で歴史学者の酒井直樹氏は次のように述べている(2)。
戦前の「満州国」は、建前上は独立国でしたが国家経営や経済運営においてまぎれもなく日本の属国であり植民地であった。ちょうど同じように、連合国による占領の後の1952年以降の日本も建前上は独立国だったが、軍事・外交等の面では「合衆国の満州国」であり今もそうあり続けている。そうしたなかで、合衆国は東アジアの管理を、植民地支配のノウハウを知っている日本を通じて間接的に行おうとして、「下請けの帝国」の地位を日本に与えた。こうして、東アジアや東南アジアの人々に対して植民地宗主国の立場を依然としてとることを許された日本は、アジアでかつて日本が占領した地域やその住民に対して傲慢で見下す態度で臨み、あたかも日本と近隣諸国との間に未だに植民地統治の位階が存続しているかのように、傲慢な帝国主義者として振る舞うことを厭わない。
このように、戦後の日本は、パックス・アメリカーナ(「アメリカの支配の下の平和」の意味)の下で「下請けの帝国」の位置を与えられることによって、戦争に負け植民地を喪失したにもかかわらず、「帝国的国民主義」を温存してきたのだった。そのような戦後日本における「帝国的国民主義」の問題を顕著に表したものとして、東証一部上場の不動産大手『フジ住宅』(大阪府岸和田市)」において『社員教育』として、2013年2月~2015年9月に従業員に対し、中国人や韓国人などを『嘘つき』『野生動物』などと侮蔑する雑誌やインターネット上の記事などの文書を職場で配布するなどとした」(『朝日新聞』2020年7月3日』)、という事件をあげることができる。
私の住む三重県松阪市でも次のようなことがあった。今から20年ほど前に、私の友人である具志アンデルソン飛雄馬さんに起きた事で、彼は次のように語っている。
夜の11時に、松阪市内のある交差点を右折しようとした時のことです。仕事帰りで僕の車には4人乗っていました。たまたま同じ方向から、暴走族のバイクが10台ほど通過しました。すると、交差点のガソリンスタンドに隠れていた警察官が写真を撮り始めたのです。警察官はバイクが通過した後、なぜか僕の乗っていた車を撮り始めました。
その車は、友だちから借りていた車だったので、万が一、友だちに迷惑がかかるといけないので、Uターンして、閉まっていた真っ暗なガソリンスタンドの前に車を止め、「俺は暴走族とは何の関係もない。なぜ、車の写真を撮るんだ。」と警察官に聞きました。
すると、警察官は「お前ら、車から降りてこい。お前、免許書見せろ!なんだ、お前、外人?」と言い、次の瞬間、暗いガソリンスタンドの奥から、怖そうな警官が二人出てきました。
「おい、外人の運転手、こっちこい!」と言って、4人のうち、僕だけが掴まれて奥へ連れて行かれました。そして、「なんか、文句あるのか!」と言われて、腹を三発殴られました。
「今から、留置所に入れてやろうか!それが嫌なら、土下座しろ!」と言われ、なんで土下座しなければならないのか、意味もわからないまま、ただ怖くて土下座しました。
「警察舐めんなよ、さっさと帰れ!」
車に乗った時、後輩たちが「何かあったんですか?」と聞きましたが、僕はひたすら「くそー!」と言って、叫びました。
今思い出しても、あの時の警察官の顔と屈辱は忘れられません。
2020年5月25日に米国のミネアポリスで黒人男性・ジョージ・フロイドさんが警察官によって殺害され、黒人に対する暴力と構造的な人種差別の撤廃を訴える「ブラック・ライヴズ・マタ―」運動が世界中に広がった。しかし、日本では人種差別の問題が隠蔽されていることもあり、多くの日本人はこの問題に鈍感である。現実には米国で起きたのと同じような事件が日本でも起きているのであり、こうした行為が警察官個人による特殊な事例ではないことは、次のことからも明らかである。
2005年12月22日、松阪市内の殿町中学校の「防犯教室」の講師として招かれていた松阪警察署生活安全課課長が生徒の前で「みなさん、広島県でペルー人の男性が小学校一年生の女の子を殺害した事件を知っていると思います。犯人は鈴鹿市の平田町で逮捕されました。そういった不良外国人が増加しています。近いうち、松阪市にも不良外国人が押し寄せて来ると思いますので、決して近づかないようにしてください。もし、不良外国人がいた場合、すぐに逃げてください。」と発言した。その後、この発言を知った私たちは、松阪警察署に対して厳重に抗議し、松阪警察署は「署としての責任を認め、署員の人権意識の向上のための取り組みを行う」ということを約束したが、この発言がその場限りの思いつきではなく、警察としての考え方や方針を反映したものであることは、まず間違いないだろう。
このように、日本においても、「為政者が少数者の叛乱の潜在性に強迫的な恐怖を持っていて、その恐怖に促されて様々な政策を案出」し(3)、「人々に恐怖を一方的にあたえる側が、恐怖をあたえられる側に恐怖する」(4)という状況は継続している。関東大震災の虐殺事件は、今から100年前のことだが、このような一人ひとりの人格や命が無視される状況が存在している限り、それは今でも起こり得る危険性をはらんでいるといえるだろう。
戦後文学を代表する長編小説『神聖喜劇』の作者・大西巨人は、『朝日ジャーナル』1988年8月5日号に「部落解放を『国民的課題』にする一つの有力有効不可欠な道」という批評を発表し、その冒頭に詩人表棹影の短歌「日は紅しひとにはひとの悲しみの厳かなるに泪は落つれ」を引用して、「『ひとにはひとの悲しみの厳かなる』を、私は、“各人各様の哀苦の感情移入的な相互了解尊重”というふうに解する。」と述べている。私たちが「帝国的国民主義」や「人々に恐怖を一方的にあたえる側が、恐怖をあたえられる側に恐怖する」という意識を克服するためには、大西が述べているように、困難な課題ではあるが、“各人各様の哀苦の感情移入的な相互了解尊重”、すなわち、他者の痛みに対する想像的理解と共感的連帯の感覚を絶えず研ぎ澄ますことが求められているといえるだろう。
注
(1)八木晃介『〈癒し〉としての差別』(批評社、2004年、255頁)。
(2)酒井直樹「帝国の喪失とパックス・アメリカーナの終焉―東アジア共生
の条件」(『新潟国際大学 国際学部 紀要』創刊準備号、2015年7
月)。
(3) 同 「レイシズム・スタディーズへの視座」(鵜飼哲、酒井直樹、テッ
サ・モーリス=スズキ、李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、
2012年、55頁)。
(4)前掲注(1)。