宮本正人の「ゆめネットみえ通信」

「差別と抑圧に対して芸術は武器になりうるか」への応答

 はじめまして、三重県松阪市に住んでいる宮本正人と言います。私は、1979年から今日に至るまで、人権運動と何らかの形で関わってきましたが、この「ゆめネットみえ通信」の「ゆめネットみえ」というのは、1996年11月に松阪市で私たちが立ち上げた人権NPOの名前です。(なお、私の詳しい「歩み」については、宮本正人『未来へつなぐ解放運動 絶望から再生への〈光芒のきざし〉』明石書店に書いています。)

 さて、二年ほど前から「反差別、人間解放の理念を踏まえた作品・文章掲載を第一義とする文学雑誌」『革』に評論を連載しています。友人の稲垣有一さんが『餓鬼通信』第102号(2020.6.20)で、それらの評論のうち、「戦後部落の開発と文学者たち」(上)(下)(『革』第30号、第32号、2019年2月、2020年3月)、「解放運動としての中上健次」(『革』第31号、2019年8月)を取りあげ、「忘れられた主題の再生 差別と抑圧に対して芸術は武器になりうるか」というタイトルで、次のように書いています。

 

 文芸誌『革』に掲載されていた宮本正人さんの評論をゆっくり読ませてもらった。これらの評論を読んで思ったことは、人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする(水平社宣言)の趣意での「差別と抑圧に対して芸術は武器になりうるか」という問いかけでないのかということ。この問いかけは、差別とたたかう文化会議(1975年1月に結成。代表は作家の野間宏―宮本)が結成された初期の頃、私の周囲で語られていた主題で会った。いま、この主題を再生しなければ・・・と思った。宮本さんの評論は、そのことを歴史的に明らかにしようとしているのではないか。

 

 稲垣さんによれば、「差別と抑圧に対して芸術は武器になりうるか」という主題は、稲垣さんと私の共通の友人でもある沖縄出身の彫刻家・金城実さんの言葉だそうです。たしかに稲垣さんが推測しているとおり、私の意図は、「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする(水平社宣言)の趣意での『差別と抑圧に対して芸術は武器になりうるか』という問いかけ」であるとともに、「書くこと」(この場合、文学批評)を通してそれを実践しようというものでした。

 一般的には、部落解放運動などの人権運動に関しては、当事者による組織的な運動と思われがちですが、このように私は、「差別と抑圧に対して芸術は(文学も―宮本)武器になりうる」と考えていました。その場合、たった一人でも差別や不正義と闘う覚悟があるか否かが問われますが・・・。 最近、このことに関して、戦後文学を代表する長編小説『神聖喜劇』の作者である大西巨人氏が次のような発言を行っていることを知りました。

 

 部落解放運動が現実的に部落解放同盟によって主に中心的に担当推進せられてきた、という事実と、しかし部落解放運動と部落解放同盟とは、まったくの同一物ではない、という事実を確認することが、「部落解放の課題を名実ともに『国民的課題』に高める」ために決定的な当為でなければならない。(大西巨人「『同和こわい考』論議の渦中から」『朝日ジャーナル』1988年8月5日号。『大西巨人文選』4遼遠、みすず書房、1996年に収録)。

 

 大西氏のこうした考え方は、部落解放運動を当事者たちによる組織的な闘いに限定するのではなく、部落差別と闘うことを目的とした個人のあらゆる活動にも視野を広げる重要な問題提起だと思います。もともと大西氏は、戦後すぐに、彼自身の「文学上の最初の発言」であった評論「『あけぼのの道』を開け」(『文化展望』1946年9月号。『大西巨人文選』1新生、みすず書房、1996年に収録)で、部落差別を固定化または助長するような「意識および無意識の打破」が文学の重要な役割であると強調しています。そうしたことからすると、大西氏は、文学を武器にして「差別と抑圧に対して」闘い続けたと言えるでしょう(注1)。

 今日、新型コロナ禍の中で、「経済的・政治的・文化的可能をはがれ、たえがたい侮辱にさらされている当の人たち」(注2)がより一層苦しい状況に追い込まれている社会の仕組みが顕わになっています。決して容易なことではありませんが、私の残り少なくなりつつある人生、「人間の尊厳を書くこと」を「武器」にして、「差別と抑圧に対して」闘っていこうと思っています。このブログではそうした「趣意」からの人権に関する時事問題の批評や書籍の紹介、私の近況等をつづってゆきたいと思います。

 

注1 評論「大西巨人と部落差別問題」(上)(下)を『革』第33号、第34号に掲載する予定です。『革』の申込先は、〒651―2202神戸市西区押部谷町西盛584―1善野 烺 方 「革の会事務局」 郵便振替0090―3―76245です。

 2 この表現は、文学者の中野重治が「文学作品に出てくる歴史的呼び名について」(『歴史科学』1935年1月号。『中野重治全集』第10巻、筑摩書房、1979年に収録)の中で、「被差別部落民」を定義したものですが、今日では、「経済的・政治的・文化的可能をはがれ、たえがたい侮辱にさらされている当の人たち」は、「被差別部落民」だけでなく、さまざまな人たちに拡がっています。