●忍城~吉見百穴 @埼玉県 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

忍城はさきたま古墳から車で5分くらい。
石田三成の忍城攻めで、この辺り
全部水浸しだったんだなぁ。



城の中は展示室になっていて、
隣の郷土博物館から見学し、
この通路で繋がって、中に入れる。




忍城グッズとか、ほとんど無かったなぁ。
他の城とはエライ違いだ。
のぼう様グッズとか、エレカシコラボグッズ
とか、あったら絶対買うのになぁ。。
徹底的に商魂は無い。のね。





ということで、お隣鴻巣市の名物、
川幅うどんを食べに、GO!!
鴻巣市を流れる荒川の川幅は日本一なのだ!




一番人気だという「久良一」さんで
川幅2357mにかけた「川幅2357うどん」

「鴻巣」にかけて、巣に見立てたうずらの卵も
乗って、たいへん美味しゅうございました。



川幅ってこんな感じ。収まりきらない。
ほぼ川じゃないけど、一応、川なのだ。

そして、近くの吉見百穴を見に行く!



吉見百穴はよしみ「ひゃくあな」と読むのが
地元的には正しいのだ。
これはナンダ? 
古墳時代後期のお墓です。



本当は穴は開いてなくて、全部蓋となる
石が嵌まっていた!
ても江戸時代には幾つか穴が発見されていて
なんだろう?と思われていたみたい。





その穴を全部開け、中を発掘し、
勾玉や土器、埴輪、沢山の出土品を発見、
研究したのが坪井正五郎。
有名な蘭医で、緒方洪庵や川内幸民の師匠
でもある坪井信道の、お孫さんなのだ!



↑明治20年の発掘の様子。
二つあるお土産屋さんのうち、入口正面の
大澤さんが、ここの地主さんで
店内に貴重な写真が飾ってある。

坪井正五郎が最後の蓋を開ける前の写真は
胸アツだったな~。。
そして、それを説明してくれるご主人は
もっとアツかったよ!




◆ヒカリゴケの自生も有名で
一つの穴に、ちょこっとだけ見えた。。

◆戦争中に幾つか穴が壊され、巨大な
トンネルを造り、軍需工場とされたけど、
修復中で中に入れなかった。。
なので共に、パンフレットの写真から。

被災した中島飛行機がここに移動して
零戦の部品を作っていたんだ。泣ける。。



百穴は頂上まで登って見学できる。
今、穴は全部で219個。
幾つか入れる穴もあるんだよ。
家族など数人を、一つの穴に追葬したそう。
今のお墓と同じだね。






今日はお墓を沢山見たなぁ。
私達は歴史の上に生きている。

古代の王者である丸墓山古墳の上に、
石田三成は忍城攻めの本陣を作り、
そこで私はのんびり花見を楽しんだ。

もうすぐ時代は、令和へ。
元号、古墳、万葉集・・誇らしい日本の歴史。




「のぼうの城」のエンディングテーマ
エレカシの「ズレてるほうがいい」
セピア色の忍城兵と一体化してて素敵。
大好きな歌だ。



「のぼうの城」
野村萬斎の成田長親、良かったよねー。
映画の最後に、現在の町の様子が写るのも
感無量なのだ。


◆◆埼玉県深谷市出身の渋沢栄一が
新一万円札になるそうで、
埼玉は今、激アツなんじゃないだろか。
埼玉は「幸魂」です。いいんじゃないの!?



渋沢栄一の人生はジェットコースター!
でも、秀吉クラスのサクセスストーリーは
縁起良し。人間力も素晴らしい。
ちょっと笑えて、誇れる日本の偉人だよね。