●石原莞爾 @青江舜二郎 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

石原莞爾は満州事変を起こした首謀者。
相当悪いヤツなんだろう、、と思うけど、
いまいち、いいもんか悪者か判らなかった。


本を読めばバンカラで茶目っ気溢れる性格。
部下に慕われ、女にはモテモテ、
古今東西の戦争史を研究する学者であり
日蓮宗に深く帰依する宗教家、
優秀で、論理的で、人情にも篤い。
・・・なんだ、普通に立派な人か?


昭和天皇は、戦後の述懐(独白録)で
「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、
よく分からない、満洲事件の張本人で
あり乍ら、この時の態度は(2・26事件)
正当なものであった」と仰った。




一番の特徴は、上司にもズケズケ物申す事。
型破りと罵倒癖のエピソードには事欠かず、
特に、「暴走する陸軍」の首魁である
皇道派・真崎甚三郎は大嫌い。

かといって、統制派の東條英機とも水と油。
無能呼ばわりし、徹底的に馬鹿にした。
孤高の天才はエキセントリックなのかー

陸大30期生。前列中央




満州には石原が行く前から
「満州青年連盟」があり、明治維新の
草莽の志士の如く、夢と使命感に燃え
捨石覚悟の労力奉仕をしていたという。


満州事変以降は、関東軍と共に民族協和へ
邁進するんだけど、中心の小沢開作さんは
高名な指揮者・小澤征爾のお父様。

子供の名前を、満州のツートップ
板垣征四郎と石原莞爾から取ったのは、
それほど尊敬する存在だったのかな。
ちなみに小沢開作さんは、満州の国造りに
純粋な情熱を傾けた、人格者なのです。

満州青年連盟は満州協和会へ発展する。




満州事変は確かに「暴走」だった。
でも飛行機も戦車も無い関東軍が
作戦参謀石原により、敵の10分の1の寡兵で
張学良の東北軍を全滅させる大戦果。


その後、本当に「国造り」まで実現させると
板垣征四郎は天皇に拝謁を許され、
関東軍に「お誉めの勅語」まで頂くことに。

関東軍高級参謀・板垣征四郎大佐




石原は、「事変を起こしたときは違勅暴挙の
罪は免れんぞ、と脅しやがったくせに
うまくいけばこの調子だ。」と冷笑し、、


間もなく転任で満州を去ってしまうんだ。
人事が変わり、企業の思惑も絡み、どんどん
日本の傀儡化が露骨になって、、、
満人の民心は日本軍から離れていくんだなぁ

関東軍作戦参謀・石原莞爾中佐






満州関連や日中戦争は、ちゃんと伝えられて
ない事も多いみたいで、正しく理解するのは
私にはまだ難しい。

郭松齢事件、張作霖爆殺事件、万宝山事件、
柳条溝事件( 満州事変の始まり)、十月事件、
第一次上海事変、満州建国、リットン調査団
熱河作戦、華北工作、西安事件、盧溝橋から
通州事件、綏遠事件、
「国民政府を相手にせず」、徐州攻略・・
あーもーわからない!勉強しよう。

柳条溝事件の現場。
日中戦争従軍した作者は、一般的な「柳条湖」
ではなく「柳条溝」が正しいとする。





昭和10年には、林銑十郎陸軍大臣の下、
永田鉄山軍政局長&石原参謀本部作戦課長が
実現する運びとなった。これは
巨人の王&長嶋みたいな理想的なコンビと
思われたが、、、なんと石原着任の日に
永田鉄山が斬殺される。なんてことだ。


永田鉄山は国家総動員を提唱し
「民と共にある陸軍」を目指してた。そして
石原が仙台の連隊長時代にやっていた事は
正しくそれを実践するものだったんだよ!



石原連隊長は、兵が入隊した後も小作地が
地主に取り上げられないよう善処したり、
農事研究家に依頼して、水稲栽培法や肥料の
農業講習会を開いたり、、


軍隊が社会と隔絶しない為の、斬新な試みだ。  むむ石原莞爾、悪者ではないらしい!
てか、やってること宮沢賢治と一緒ですし。
(ちなみに宮沢賢治は岩手、石原莞爾は
山形の鶴岡市出身。共に日蓮宗の国柱会員)

歩兵第四連隊は現在、仙台市歴史民俗資料館




軍閥嫌いの永田や石原が中央にいれば、
日本陸軍はもっと良かったのかも。。
永田の死後は東條英機が台頭し、その東條に
石原は軍を追われてしまう。太平洋開戦前。


石原は、昭和17年に東條と面会して
「戦争は君では勝てない。このままいけば
日本を滅ぼしてしまう。即刻総理大臣を
やめなさい。」って言ったんだ!   
で、以後行動を逐一監視されるようになる。
。。粘着質東條英機め。('ε'*)






敗戦後は健康を害していたので
極東軍事裁判の検事が病院まで訪ねてきた。

が、石原はヨーロッパ勤務が長く
外人にも強い。罵倒癖も健在だった!


イギリス人検事の無礼な態度を叱責し、
アメリカ人検事には、「今度の戦争の
戦犯第一号は原爆を落としたトルーマンだ」
って言ってやった!   いーぞいーぞ!

昭和24年、62才で死去




石原莞爾は満州事変で「下克上と独断専行」の
先鞭をつけてしまったばかりに、その後
部下の同じ行動に悩まされてしまったなぁ。


軍隊で下克上は致命的にダメだけど、
こんな強力な人がトップにいてくれたら、、
とも思っちゃうよね。