●東條英機と天皇の時代 @保阪正康 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

東條英機といえば、日本を泥沼の戦争に
駆り立てた問題の戦犯人、、、の象徴的な
イメージ。でも、実はよく知らない。


大平洋戦争を始めた首相。兼陸軍大臣。

2年10ヶ月、同地位を継続し戦争を主導

ラスト6ヶ月は参謀総長も兼ねる前代未聞
の強行で政治、統帥を一手に握る。
昭和19年7月まで。


小磯内閣~鈴木貫太郎内閣で、一年後終戦
東京裁判で絞首刑となる。64才。



あの戦争は、ほぼ陸軍の戦争だという。
そのトップにずーーっといたんだから、
鬼のような悪人かと思ったけど、
実はそうばかりとも、言えないような、、
言えるような、、、






とにかく、性格的に凄く問題のあるのが
特徴。非常に偏っていて、
琴線に触れられると激昂してしまう。


極度の几帳面、極度の粘着質、極度の感情
過多、極度の負けず嫌い、極度の自己本位、
極度の真面目、極度の天皇崇拝、、
そして小心、小細、狭量、狭視。メモ魔。


でもね、良い面もあるんだ。

親切でサービス精神旺盛、よく気がつき、
律儀で、正直で、真面目。単純で純真。
身内や仲間には慕われる。少数だけど。


町内会だったら、懇切丁寧な頼れる
おじさん、、だったろうが、、
一国の首相の器では全く・・なかったんだな


じゃあ、なんでこんな人がこんなにも
大事な局面で、首相兼陸軍大臣に??







これが驚き。

東條英機は戦争突入を阻止するため!
最後のストッパーとして、昭和16年10月
天皇と穏健派により、首相を託された。


本人が一番驚いた。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だね」
と天皇は仰った。


当時すでに開戦だ!と高まる国論、世論。

沸騰する陸軍を押さえ、和平に転じるには
陸軍大臣であり、天皇への絶対的忠誠心を
持つ東條に賭けるしかない。逆転の発想。



感激した東條は、国策も自身も180度の転換! 「本日より陸軍の代表者ではない」 
司法権も押さえようと、内相も兼任した。


天子様の意に沿い、ご安心頂くため、、
必死に和平への道を模索したんだ。


1941年10月18日、東條内閣。




努力虚しく、50日後に開戦してしまう。。
ハル・ノートは日本に一撃させるための
策略だろうし、もう仕方なかったかも。


開戦前の深夜、東條は布団に正座し
号泣していたという。


*~*~*~*~*~*~*~*



しかし国策が戦争に決定し、元の戦争派に
戻ってからは、、、(^_^;)


真珠湾の大戦果に、喜ぶ国民が私邸にも
押し寄せ、一気に英雄となる!
すると、性格上の悪い肌地が次々と・・。


周辺を東條閥の人物で固め、憲兵を重用
する。「天皇の意を受けた政府を批判する者は
天皇への反逆者」という、理屈。


大局を観る眼なし、国際法律的知識なし、
目の前の些事に執拗に拘り、極端に抽象的な
弁舌と、精神論に終始するのみで、
まともな会話にならなかった、ようだ。


妻カツもかなり強烈キャラだった。





作者の保阪正康さんは昭和14年生れ、
戦争に詳しいノンフィクションライター。
東條英機に「嘔吐感を覚える」という世代。


だが、戦争~陸軍~大日本帝国は東條の存在
に集約される、、5年をかけて東條夫人を
始め、徹底的に周辺を取材した。
(書いたらもっと嫌いになった、と。。)


東條の父は陸大一期の首席で、能力優秀者
一号という陸軍不滅の金字塔を持つ。
だが長州閥のせいで、出世を阻まれた人物だ。


東條英機の恨みと報復が、そのまま陸軍の
歴史でもある。皇道派VS統制派、永田鉄山
などなど、、派閥や人間関係が解りやすく
書かれているので、メモしつつ、今まで
知らなかった陸軍・・・とても勉強になった。