●永田鉄山~「昭和陸軍」運命の男 @早坂隆 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

永田の前に永田なく、永田の後に永田なし
と言われた「陸軍の至宝」、永田鉄山は
陸軍内で執務中、反対派の将校に襲われ
命を落とす。昭和10年、51才。


昭和6年(1931)の満州事変後、
国益を守りつつ、どう幕引きするか、、
分析をしてきた永田の死により、関東軍は
タガが外れたようになってしまったという。


永田が生きていれば、戦時の陸軍大臣は
東條英機ではなく、東條が尊崇してやまぬ
先輩、永田鉄山であったろう。
そしたら日本は・・どう変わっていただろう。





読めば読むほど永田鉄山は立派な人だなー


諏訪の出身なんだけど、父親の実家はなんと
諏訪神長官の守矢氏!!先日読んで感動した
縄文以来二千年の由緒正しすぎる血統だよ。


士官学校時代から成績は突出していて
皆が机の前に集まり質問攻め、それでも
偉ぶること無く、俊敏抜群の器で崇敬の的。
もちろん恩賜の軍刀も頂いた。


しかも酒豪。飲んで乱れず、かと思えば
素っ裸に腹ダルマの隠し芸で、爆笑を取る!
でもって子煩悩の良き家庭人。素敵だわぁ。


「陸軍随一の名連隊長」
「建軍以来の頭脳」
「軍人らしからぬ紳士」
「大学教授のよう」

知的キャッチフレーズの嵐を見よ!






満州事変以降、よく言われる陸軍の
統制派VS皇道派の対立は、思想もあるけど
具体的には「対ソ政策」なんだなぁ。


皇道派は、共産主義が天皇制打倒を掲げる事
から、ソ連は必ず戦争を仕掛けてくる!ので
早めに先手をとって一撃するべし!
統制派は、中国との軋轢の解決なくして
対ソ連など無理、軍内規律の乱れを正す!

同期で親友の小畑敏四郎も皇道派となり
メディアは「永田と小畑の対立」を書き立てた





ただ、現実に満州で激化する反日排日運動に
曝されている関東軍、皇道派としては、
行動するしかない!といきり立つ訳で、


こちらから安易に手を出すような武力衝突は
日本に何の利益ももたらさない、、
な~んて永田鉄山は単なる「軟弱者」。


専横だの、私腹を肥やしただの、誹謗中傷の
ヒステリックな怪文書は後を絶たず、
暗殺者相沢三郎はそれを信じ込んだんだ。
「伊勢の大神が天誅を下し給うた。」
正気の沙汰でないが、相沢は神格化された。

半年後に2・26事件、翌年日本の命とりと
言われる支那事変。陸軍の統制は失われた。





当時から、陸軍内に漂う独特の精神主義に
違和感を持っていた永田鉄山だけど、
実は、生涯一度も実戦経験が無く、
それも問題だったのかも知れないなぁ。


代わりにドイツ、スウェーデン、ウィーン
スイス・・・欧州勤務で先進の知見を養う。
その一番が第一次世界大戦の教訓として
ヨーロッパで始まった、総動員体制だ。


これからの戦争は軍人だけではできない。
工業生産、交通、財政、教育、全ての国力を
結集し、国民全員で戦わねば勝てないし、
国防も国民全員で行う。これが近代戦。

永田の先輩で、公私ともに親密だったが
皇道派の中心人物となり、決裂。





国家総動員=軍国主義という悪いイメージ
があるけれど、永田の意図は全然違う!


軍人の責務は平和を維持することであり、
平時における普段からの備えこそが
国民の平穏な生活を守る
というのが永田の信念。
戦争になってから慌てたのでは遅いのだ。


それなのに日本では、日露戦後の解放感から
伝統や規律を軽視する個人主義、物質主義が
闊歩する、大正デモクラシー。

特に「軍人アレルギー」、「軍人軽視」は強烈で
軍服で町中を歩くと暴言を吐かれるので
背広で出勤する軍人も多かった、
というから驚く。知らなかったなぁ。


林陸軍大臣は皇道派の真崎甚三郎を罷免、
「林・永田体制」で統制派が盛り返す。
真崎は永田を「恩知らず」と憎悪した。





国民の国防意識を如何に高めるか?
どうしたら国民と共にある陸軍になれるか?


永田の軍隊改善は、人員をを有効に配置し
女性の労働力活用の為、託児所を設立する、
軍用自動車の増産と国産化を進める、
大量生産の為に規格を統一する、
など、どれもとても具体的で現実的だ。


徹底した合理主義者として名を馳せた思考は
至極真っ当だし、現代にも通用するよね。






2010年の「世界価値観調査」で
「もし戦争が起こったら国の為に戦うか」の
問に、世界78ヶ国中、日本は僅か15.2%で
ダントツぶっちぎりの最下位だったという。


国民の健全なる国防意識を高めることに
身命を堵した永田鉄山さんは、
泣いているだろうか。