イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

義姉の訃報を、お世話になった

全ての人に報告するために

Facebookにお知らせの投稿をしました。

 

そして、私のイタリアでの

20年間を振り返っていました。

 

 

こちらのブログでは

 

なぜ私が同居するに至る気付きを得たのか?とか

 

 

当時はみんなに言えなかった「声」を聞いた事件のこととか

 

余すことなくお伝えしていたのですが

もし、お時間がございましたら

是非リンクを辿って読んでみて下さいね。

 

 

私は、超現実主義者なのですが

モロッコ人と同居することによって

夫がナチュラルに天と繋がっちゃっている人なので

 

どうしてもスピリチュアルな視点がないと

目の前に起きる現実を説明出来なくなってきましてね。

 

 

 

だから、たまにFacebookで繋がった

スピリチュアルマスターさん達に

投稿して問いかけると

とても明確な回答を得られたりして助かっているんですね。

 

 

そして、私が何も考えずにブログに言語化していることを

YouTube動画で再確認して、これ、私が思っていたことと同じだ〜!

って動画に出逢うと、喜びで溢れるんですね。

 

 

それが、この動画。
↑すごいよ!絶対に見て頂きたいスター

 

まさに、私があの「声」を聞いた時に

ハイヤーセルフから「やれ!」と強制されたことは

お前のエゴを捨て去れ!同居しろ!ってことだったのね。

 

 

それは大変なことだって

誰が考えたって解ることだけど

もう、それは天からの命令だったのね。

 

 

そして、私もモロッコで見せつけられた

「愛の世界」の後に突きつけられた現実だったから

私は断ってはいけないんだ、って確信していたんだ。

 

 

だから、もう、絶対にイヤだったけれど

イヤ過ぎて逃げ出したかったけれど

今から結婚する人を置いてどこ行くの?って感じじゃない??

 

 

この天からの声は

エゴまみれだった私に

 

エゴを脱ぎ捨てろ!

脱ぎ捨てて成長しろ!

 

ってメッセージだったんだ。

 

 

私は、何だかよく解らないけれど

絶対断れない状況でのメッセージに

「同居する」ことで応えてみた。






そして20年後に気がついたのは

エゴ(自分の思い込み)を脱ぎ捨てて

「嫌いな人を愛する」ことが

一番簡単な次元上昇の方法だったんだ。

 

 

さとうみつろうさんと

ひすいこうたろうさんが動画でお話しされていることが

ピタッと、私の経験と結びついたんだ。

 

 

コレから逃げて、逃げて、今生を終えることもできる。

 

 

きっと私は今生は、絶対に逃げないように

生まれる前に決めてやってきて

あの状況に放り込まれたんだ。

 

 

そして、今まで十二単(じゅうにひとえ)のように

何枚も重くのしかかっていたエゴという着物を

一枚ずつ脱ぎ捨てていく旅をしたんだ。

 

 

その後に私と夫がみたものは

まるで地球にいるのに天国のような

素晴らしい世界だった。

 

 

私達は覚醒して、低俗なエゴまみれな世界から

ツルリと、ひと皮剥けた

次元上昇した世界を見れたんだ。

 

 

今、悶々と悩んでいる人は

「嫌いな人を愛する」ための行動を起こしてみて。

 

それはもう、すごいブロックがあると思うけれど

私も震えながら試みたんだ。

 

とっても時間がかかるかもしれない。

だけど、乗り越えて「愛する」ことができた時

世界から祝福を受ける日がやって来るよお願い乙女のトキメキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、トルコの話になって

新婚旅行の時の思い出で

頭の中がいっぱいになってしまった。

 

 

私達の新婚旅行は、イタリア人の

グループツアーに参加して

全てバスでトルコ周遊できるプランに乗ってみた。

 

 

イタリア各地からみんなそれぞれ

イスタンブールの空港に到着し

そこからみんなでバスに乗り込んで

全てお任せで周ってもらう感じだった。

 

 

このバスツアー、バスだからラクだと思いきや

早朝から朝食を食べて

8時半には出発とかいう

 

全然朝寝坊が出来ないツアー

 

で、かなりスケジュール的にきつかった。







 

 

モロッコも大きいけれど

トルコも同じくらい見どころの都市間が離れている。

だからバスで移動となると、

大部分の時間をバスで過ごすことになるんだ。

 

 

 

イスタンブールからトロイの遺跡を周って

その後カッパドキアやパムッカレ、コンヤ、アンカラまで

周るツアーは途中、マジへこたれそうになった。

 

 

 

私は朝、ボーッとドライブインによって

美味しいチャイを頂いてホッとして

長椅子の横に置いた一眼レフカメラを

置いたまんまバスに乗り込んで出発してしまったことがあった滝汗

 

 

まるで、昨日のIKEAで

セルフレジの上に薄っぺらな商品2点を

置き忘れてきてしまったかのようにガーン


私達、親子3人もいたのに

誰も気が付かなかったって…どういうこと??

 

(今朝、IKEAのコールセンターに電話してみたけれど

 まだ忘れ物箱に届いておらず、 

 パソコン上に登録されてもいないので

 お店に取りに行っても無駄だという.....

 

   パソコン上に忘れ物として登録されたら

 取りに行って受け取ってくださいとのこと。

 無ければ、買い直すみたいえーんえーんえーん

 

 

私はトルコのバスが軽快に走り出した時に

カメラを持っていないことに気が付いたびっくり

 

流暢なイタリア語を喋るガイドさんに

そのことを伝えると

 

「今日は次のツアーのガイドが

 あのドライブインに寄るハズだから電話してみるわ!」

 

とのことで、連絡を取ってくれた。

 

 

 

 

 

こんなに疲れているのだから

仕方がないよ、そんなに落ち込まないでよニコニコ

 

と、夫に慰められながら

車窓の風景を眺めていると、ガイドさんが

 

「リツコ、あなたのカメラ、次のツアーのガイドさんが

 見つけて中継地点で私達、落ち合えることになったわよ乙女のトキメキ

 

と言ったのだお願い

 

 

おーーーー!トルコ、凄いじゃんちゅー

 

モロッコだったら、一瞬にして失くなって

もう、売り払われているかもよニヤニヤ

 

 

 

信じられないことに

私のカメラは返ってきたのよーーーー、奥様おいで

 

 

そういえば、私は失くしものを

完全に失くしたことって

殆どないかも知れないなーうーんと、今気が付いたよ。

 

 

以前、ローマでの財布スリ事件も

中のお金、盗まれずに財布は放り投げてあったし。

 

 

こういう時に、神様に守られているって感じるよねーオーナメント

 

だから、いつも私は小さなことに感謝しているんだニコニコ

 

 

ただ、IKEAの場合はイタリアでイタリア人相手だから

解りません。全く想像出来ません。

 

私達の裏に並んでいたお客さんが

良い人であることを祈るわ〜お願い

 

 

久しぶりにIKEAに行ってきましたよ。

 

娘が何やら色々欲しいものがあるらしく。

 

今日はイタリアは祝日なので

結構混んでいましたね。

 

 

娘が欲しいものを

好きなだけカゴに入れて歩いていて

メッチャ楽しそうだったのですが

 

私は人混みに疲れてしまったのか?

途中でグッタリガーン

 

 

カフェテリアに行ったら

レジがセルフレジになっていて

みんなノロノロニコタッチパネルを押していて

私の前の人、5分くらい掛かっていてね昇天

 

ここでまたグッタリガーン

 

 

私の後ろの人が文句言っていて

私は後ろを向いて

「難しいのかしらね?」と言うと

 

「そうじゃないことを祈るわね。」

と後ろの人も返してきた。

 

 

なんてことはない。

前の人の彼女のカードが支払えなかっただけで

彼のカードで支払いを試したら通っていたわウインク







 

 

こういうカフェテリアでも

これからだんだん無人化していくんだろうね。

 

 

私がイタリアに来ていいなぁと思っていたのは

こういうレジに並んで支払いすることは

コミュニケーションの場であって

人と人の関わり合える場所なんだよね。

 

 

こんなレジでの支払い途中だって

レジ係のイタリア人は日によって

怒っていたり、ご機嫌だったり、

ちょっと冗談言ってきたり面白いんだよね。

 

 

それに突っ込んでちょっとお喋りしたり

言葉を交わすことって、小さな喜びなんだよね。

 

 

想像してみてくださいよ。

独り暮らしのお爺さんが

家からバールに散歩しに来て

無人レジでカフェの代金支払って、バリスタも忙しくて喋れなかったら

このお爺さんはコミュニケーションの場を失うでしょ?

 

 

これって寂しくない?

 

どこ行っても無人AIが待っていたら虚しくない?

 

なんか、病む人が増えそうになる予感を感じてしまったのは

私だけかな??

 

 

誰かと喋らずにはいられない夫は

無人レジだと解ったら、つまらない!って感じで

並ばなかったもんね。

 

↑こういう人が、これから一番打撃を受けるんだよ真顔

 

夫は必ず店員さんと喋るので

すぐにお店の人も夫の事を記憶して忘れないし

そうすると、ちょっと突っ込んだ話も出来て

そのお店に行くのが面白くなるんだよね。

 

 

夫は絶対に一見さんでは終わらせないので

どこの店に行っても店員さんから挨拶してきてくれるタイプ。

 

これが楽しくていつも行きつけの店を決めて

そこに行っては楽しんでいる人が

無人レジとか、耐えられないんだよねチーン

 

利便性ばかり追求すると

絶対病んでいく人が増えると思うワケ。

 

 

ま、時流がこうなっているのだから

仕方ないのかもしれないけれど。

だけど、そこで余った人員で

メンタルサポートする人を増やさないと

これからは大変なことになるわよ、奥様おいで

 

 

最後のセルフレジで全部自分でバーコードで読み込んで

夫と娘と3人で全部買ったもの持ったと思ったのに

家に帰ってきたら薄い額縁と
これまた薄く折り畳んであった布製のボックスを
レジに置いてきちゃってね不安
 
 
私はヘトヘトに疲れていてボーッとしていたけれど
みんな同じように疲れていたのか?
結構大きめのレジの台の上に置いてきちゃったのを
夕飯後に気がついてさ。
 
明日IKEAに電話してみるーえーん
面倒臭ーーーーーーーーー魂
 
娘が買った机と、棚の箱が巨大なので
配達頼んであるんだけど、
それと一緒に忘れ物、持ってきてくれないかな〜キョロキョロ
 
ボーッとしていると
無人レジでも間違えるよ〜笑い泣き

 

 

はい、本日のフィレンツェのIKEA

現場からのレポートは以上ですキメてる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィレンツェ近郊の山では雪が降って

明日から連休に入るイタリアは

スキー場が開くらしいですよ滝汗

 

通りで寒いと思ったわよ〜不安

 

温かいスープとか飲みたくなっちゃうわよねー。

お野菜が足りないわね〜と

スーパーに買い物に行って

 

ボーッと目を落とした先に

出来合いのサラダコーナーがあったのね。

 

 

職場でのランチとかに

こういうサラダ持って行くのかしらね〜うーん

と、どんなサラダがあるのかな〜?

と見ていたらさ、

 

 

あれ?






 

 

これ、カエサルサラダ......

 

 

あ、そっか、シーザーサラダだよね〜真顔

 

ハッびっくり

 

この英語読みがシーザーなのか凝視

 

 

 

ちょっと待てよ、私、もうカエサルサラダとしか読めないな。

 

 

 

すみません、私、英語のシーザーサラダのスペルが

CAESAR だったこと、初めて知りましたわ真顔

 

 

 

これって、普通にみんなシーザーって読めるもの??

 

 

私、もう頭の中、イタリア語みたいに

書いてあるまま発音しちゃうから

英語の発音テストとかあったら

絶対にカエサルとか答えて間違っちゃうなガーン

 

 

フランス語の数字の2って書く時も

DEUX って書かなくちゃいけないのに 

イタリア語の DUE って書いて間違うし

 

 

シーザーサラダはユリウス・カエサルとは関係ないけれど

これはラテン語に近い発音で

 

英語では ジュリアス・シーザー

 

だけどイタリア語では ジュリオ・チェーザレ なんですけどニヤニヤ

しかもスペルもきちんと Giulio Cesare

 

ちょっと解らなくなってきました笑い泣き

イタリア語だったらチェーザレサラダ(インサラータ チェーザレ)?

いや、だけど、イタリアでもインサラータ シーザーって言うよね指差し

 

 

なんでイタリア語は人名のスペルまで

独自のものにしちゃうんだろうね?

 

 

 

はい、私はこんな事を考えながら

もうワケわからなくなって

サラダーコーナーの前で悶々と考えて

 

私にはカエサルサラダとしか読めない

ってことで、その場を立ち去りましたよ無気力

 

 

 

しかも、今回調べていて初めて知ったんだけど

シーザーサラダってGoogle先生によると

シーザーサラダ(西: Ensalada César)は、ロメインレタス、
またはレタスを主体にしたサラダ
名前の「シーザー」は、メキシコのレストラン
「シーザーズ・プレイス」(Caesar's Place)のオーナーであった
イタリア系移民の料理人であるシーザー・カルディーニに由来する

 

って書いてあるではないですか。

 

 

イタリア系移民のシーザーさんだから

やっぱりチェーザレさんだよね。


イタリア系だから

チーズ、アンチョビ、ニンニクとかを

ドレッシングに使ったんだね。

 

だけど、スペイン語では エンサラーダ セーザル

って発音するんだ。

 

じゃぁ、セーザルサラダだチュー

 

 

いや、もういい。

英語でシーザーって読めなくても

カエサルって覚えておけば、なんとか書けそうよバレエ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒ーい無気力雨降るフィレンツェです。

 

あれ?先日、私、海入ってたよね指差し

とうとう、身体おかしくなって節々が痛いです…。


 

もう、ずっと雨続きだし

ヤボ用で中心街まで行くのにも

バスで出かけて行きましたよ。

 

 

用事を済ませて

中心街で働くLちゃんのところにご挨拶。

 

 

今日は上司もおらず

Lちゃんと自由にお喋りできる〜ハートのバルーンイェ〜イスター

 

ってことで、長々とお喋り。

 

先日、私の夫とすれ違った時に

義姉が亡くなったことは聞いていたらしいけれど

詳しいことを彼にズケズケ聞けなかったとのことで

私が詳しく説明してあげましたよ。







 

 

Lちゃんは、義姉が足を切断したばかりの時に

私がLちゃんの家の近くに引っ越してきたので

私達の最悪な日々を実際に目撃した数少ない人間だ。

 

 

ニコもうさ〜、お義姉さん、とんでもない態度を取っていたよね!

 

と、まるで昨日のことのように

義姉が信じられない態度を私にとっていたことをなじる。



 

ニコ私さ〜、一応お客さんとしてあなたの家に夕食食べに行ったのに

そんな客より私が先だろ!早く来い!って感じで

あなたのことを呼んでいたのよもやもや

やきもち焼くのはお客じゃない誰かにしてよね!って感じよね銃

 

 



いや、お客さんがいなければ

「両足あって歩ける私」にやきもち焼いていたんだって不安

とにかく目の前にいる人、すべてが気にくわないから攻撃していたのよ。

 



 

ニコリツコ、解放されて、本当に良かったわねお願い

しかしよく今まで耐えてきたわよね!

 

 



あなただって、職場の上司に耐えているでしょ。

私は職場ではムカつかないけれど

家で耐えていただけよ。

 



 

ニコいや、それにしたって限度があるわよ。

狂った人を前にして、耐え抜いたあなたの辛抱と

私が上司に耐えるのは、レベルにしたら雲泥の差よ。

しかも私が耐えるのは、ここにいる6時間だけだし!

 

 

(私はもしかして長年の同居で

感覚が麻痺していたのかもしれなかった。

Lちゃんが外から来て感じたことが

本来感じるべきもので、私は怒ることにも疲れていたのだ)

 

 

 

もう終わったのよ〜!

これからは、必要な時はいつでも電話してね。

仕事じゃない限り、あなたの子供に何かあったら

すぐに駆けつけられるから。

 

 

Lちゃんは、私が過去に話した

信じられないお話を克明に覚えていて

 

あんなこともした!

こんなことも言った!

親戚もグルになってリツコを苦しめた!

 

と、まぁ、私より怒っていたニヤニヤ

 

 

そして子供達の話になって

 

ニコそういえば、あなたの子供達、見たわよ!

すっかり大人っぽくなってラブ

娘ちゃんは落ち着いたし、息子君も背が伸びたわよね♪

 

 

えぇ、娘は、生まれた時から反抗期みたいだったからね。

モロッコ人の血を受け入れるのは本当に大変だったよ。

 

イヤイヤ期とか関係なく

何を言ってもNO!と言って、私の言うことは聞かなかったからね。

 

あと、やきもち焼く時には

ボッと炎が燃え上がる炎かのように

怒りが頂点に達するんだよね。

 

あれ、モロッコの血だよね。

義姉も相当やきもち焼きだったからね。

 

もう、3歳くらいの時は、手におえなくて

ほとほと疲れていたけれど

6歳の時に少し静かになって

その後、16歳になってからやっと脳みそ落ち着いたよね。

 

 

ニコあぁ、いいな〜!

うちの子供達も早く落ち着かないかしら!

 

 

いや〜、まだ子供達と楽しみなよ。

うちなんて、もう誰もついてきてくれやしないしえーん


モロッコの血は、本当に大騒ぎだ。

 

だけど、モロッコで生まれれば

その国の人々が子供に寛大なので

大騒ぎしていても全く問題ない。

 

 

イタリアは、まぁまぁ寛大。

 

日本は、大騒ぎな子供への目は厳しすぎるガーン

 

つまり、モロッコの血をひく子供が

日本に行くと、最悪な結果に陥る。

 

まずは、私の母親が卒倒しそうになり

公共の場所では、母親は冷たい目線を受けて死にそうになっていた。

 

 

つまり

公共の場所で寛大なのは

モロッコ→イタリア→日本

 

子供がうるさいのは

モロッコ→ イタリア→ 日本

 

この矢印をクロスさせるほど肩身が狭い思いをすることにショック

 

もし、街中でモロッコ人が大騒ぎしていたら

「血だなキョロキョロ」と見逃してあげてねニヤニヤ

ある程度の年齢になるまで

どうしても落ち着けない

モロッコの、ほとばしる熱い血潮を感じるわ滝汗アセアセ

 

 

 

 

 

 

 

結婚して20年!

 

ってことは、結婚式の直前から同居したから

義姉との同居も20年目で終了したことになりますね。

 

 

私達は2001年のニューヨークのテロ後の

2002年に知り合いました。

 

それはもう、世界でのイスラム教徒への

ジャーナリズムからの攻撃は最悪で大変でした。

 

 

今でもイスラム=テロリスト

などと思っている人がいるのかな?

 

残念ながら世の中の報道をただ聞いていたら

そう思っちゃうのも仕方ないと思うけれど

一つ、良いことを教えてあげる。

 

 

アラビア語でチャオ!はサラーム!って言うのだけど

サラーム=平和って意味だからウインク

 

 

いつも、ヤッホー!平和!

って言っている国民はテロリストじゃないからニヤニヤ

 

 

20年前の我が家でも結婚は大反対されたんだけど

今や、家族からの信用度は

私より夫の方が高くなってしまったので悔しいよねびっくり

 





 

先日、とある夕食会があって

初めて会う人に私と夫の出逢いについて聞かれて

その方が夫に

 

「奥さんの第一印象はどうだったんですか?」

 

と聞くと夫は

 

グラサン初めて見た時に、僕の妻になる人だと解りました。

 

と答えておりましたよ滝汗

 

「そんなにすぐに解るものなんですか!?ポーン

 

グラサン僕は直感で解るんです。

 

 

 

夫は友人(日本人×モロッコ人)の結婚式で

私の真向かいに座っていたのですが

コカコーラがぶ飲みしながら

エディーマーフィーのように笑っていてうーん

 

私はとても、このエディーマーフィーが

自分の将来の夫になるとは、結びつきませんでしたけどねチーン

 

 

 

とにかく結婚式に参加していたモロッコ人は

みんなお酒を一滴も飲んでいないのに

ずっとゲラゲラ笑いっぱなしで

明るい国民だなーバレエって印象でしたね。

 

 

 

 

私はイタリアに来て

とても居心地が良い国だな〜と思って

できることなら日本に帰りたくなかったけれど

 

お金が無くなったら帰ろう、と

他の帰国していく日本人の友人達のように

自分は日本に帰るもの、と思い込んでいました。

 

 

それを覆したのが、このモロッコ人の

突然の「結婚してください!」でした滝汗

 

 

いや、フツー「付き合ってください」だろう!?

 

って感じでしたが

モロッコでは「付き合って」=「結婚して」と言うので

彼はモロッコ風に「僕と本気で付き合ってください」の意味で

結婚してくださいと言ってきたんですね。

 

 

その時、私は

「次は遊びの恋愛ではなく、結婚を前提としたお付き合いをしよう」

と心に決めていたのですが

 

このエディーマーフィーが

本当に信用できるオトコなのかうーん

そんなこと、解らないじゃないですか真顔

 

 

だから、私はかなり用心深く

エディーが「日本に行きたい」など言い出さないか?と

私でなく「日本目的」で近付いてきたのではないか?

 

そうだったら、すぐ別れようと、それだけ決めて

彼の「結婚してください」にのってみました。

 

 

エディーは、イタリアとイタリア人を愛していたので

「日本に行きたい」など言い出しませんでした。

 

 

その後、私は鬱でニートで引きこもりに陥るのですが

そんなボロボロの私にエディーは

「君は家でゆっくりしていなさい!僕が養ってあげるからニコニコ

と言って、自由にさせてくれました。

 

 

なんて良い人なんだろうお願い

と、1年後、結婚を決めたら....

 

その後ろの方でエディーの姉が脳梗塞で倒れていたんですけどね昇天

 

 

あれから20年。

 

彼は若い時ほど笑わなくなりましたが

それは色んな責任を背負ったからで

義姉に潰されないか、ハラハラしましたが

無事乗り切って、身体をボロボロにしながら頑張ってくれました。

 

 

2人でラスボスも無事天国に送ったし

あの20年前に味わえなかった静かな2人の時間を

 

若かりし頃の「不安」と共に送るのではなく

達成感と共に味わえる幸せを噛み締めようと思いますオーナメント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の記事を書いていて思い出していたのだけど

私と夫の世界は、娘の誕生と共に驚くほど広がりました。

 

 

私はイタリア語が話せないまま

母親になるのが怖くて怖くてガーン

 

イタリアの社会に適応するために

語学のレベルをなんとか上げようと

あらゆることを試していました。

 

 

うちの夫はイタリア人じゃないし

私の酷いイタリア語よりも

さらにヤバいイタリア語を話していた夫。

 

これはどうやっても

語学に関しては頼れないでしょニヤニヤ

 

私は勉強することから逃げて逃げて

逃げまくって逃避ばかりしていたので

何か好きなことを学びに行けば続くのでは?と

料理学校に行ってみました。

 

 

料理はきちんと学びましたが

まだまだ喋ることへのブロックがあって

言いたいことの20%くらいしか伝えられずにいました。

 

 

だけど、そこで学んだことが

食物栄養学科で習ったことと

ほぼ同じだったことから

 

栄養士の勉強をできる学校はないのかな??

と探し始めたら、フィレンツェ大学の医学部の下に

栄養士コースというのを見つけました。

 

私は試しに情報を聞きに行ってから

必要な書類を集めて用意して提出して

それから入学できるまで1年くらいかかりました。


入れるのか?入れないのか?

そこに執着するのはやめて、

忘れることにして生活していました。








 

その間に私は妊娠して

大学から入学許可が出た時には

妊娠6ヶ月になっていました。

 

 

続けられるだけやってみよう!と

ほぼ語学学校のノリで大学の部授業に通ってみたら

難し過ぎたけれど笑い泣き

 

もう、逃げるのはやめよう真顔

と、母親になる前に覚悟を決めて

周りの若い学生仲間についていけるように

必死に勉強しました。

 

 

その頃私は、大学病院のすぐ裏に住んでいたので

出産も破水してから夜の散歩のように徒歩で行き

娘は驚きの速さでこの世に誕生しましたポーン

 

 

生まれた時から凄い勢いでしたアセアセ

 

生後間もない娘は、ネアンデルタール系の濃い顔で

平たい顔族の私は、一瞬ひるみましたが

だんだん顔は薄くなっていきましたニコニコ




その頃、義姉が半身不随から復活していたので

娘が生まれた喜びでハイになってくれて

なんと、大学に通っていた3年間、娘を家でみてくれたのです。

 


 

 

そして、娘のアイドル時代到来ハートのバルーン

人間には超チヤホヤされる可愛い2年間があるものです。

 

大きな目が顔の3分の1くらいあった娘は

あなたは天皇一家ですか?ってくらい

外に出ればチャオ〜パーと民衆に手を振り続けました。

 

 

この超社交的な娘のおかげで

中国人?とキューバ人?かと不審に思われていた夫婦に

用心深く構えていたご近所のみんなが

やっと挨拶するきっかけができたワケです。

 

 

広い敷地内のアパルタメントの一番奥に住んでいた私達は

その敷地を出るまで、いつも色んな人に挨拶され

バス停に着くまで、随分と時間がかかりました。

 

 

時には3階からチョコレートを投げてもらったり

飴が沢山入った紙袋を2階から投げてくれるオジサンもいました。

隣の棟のお婆さんは、うちの娘が可愛いからと

いつもアイスクリームの箱を届けてくれました。

 

 

こんな風に、娘の誕生と共に

私達夫婦の生活は

結婚前から半身不随の義姉と同居という白黒の世界から

突然カラフルな色味を帯びたものに変化したのでしたオーナメント

 

 

夫は子供を産む前から

「子供が幸せをもたらしてくれるんだよ流れ星

 全然怖がらなくて大丈夫だよウインク

と言っていました。

 

 

私は産む前は半信半疑でしたが

赤ちゃんの誕生と共に義姉も良い方向に豹変して

私の前の世界はガラリと変わりました。

 

 

それは、当時の私には信じられないことでしたびっくり

何か、違うエネルギーが渦巻く別世界に

一瞬でワープしてしまったかのようでしたハートのバルーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事は、実は義姉が亡くなった日に

UPする予定だったのですが

突然モロッコから訃報が入ったので

ずっと先延ばしになっていた記事です。

 

まだラマダンが終わる前の会話なので

時期的に前後しております。

 

 

いつだか書いていた

モロッコの出身地による信用度

という記事に「続く」と書いてあった

その続編です。

 

 

日本でも出身地方ごとに

人間のタイプを容易に想像しますよね。

モロッコでも出身地による人間特性があるというお話しです。

 

 





 

 

先日、病院の医療通訳の事務所に入っていくと

中国語通訳の子と、

アラビア語通訳のモロッコ人マダムがいたので

2人に挨拶しました。

 

 

モロッコ人マダムには

「もうすぐラマダン終了ですね。」と言うと

 

 

あぁ、そうなのよ。よくご存知ね。

って感じで話が始まったので

 

 

「私の夫がモロッコ人なんです。」と言うと

 

 

えっ!びっくりそうなのね!

どちら出身の方?と聞かれて

 

 

「カサブランカ出身です。」と言うと

ちょっと怪訝そうな顔をしているので

 

「オリジナルはザゴラ出身です。」と言うと

彼女の顔がパッと晴れて

 

 

あぁ、砂漠の人々は本当に良い人が多いわねニコニコ

と、こんな感じで砂漠の人の信用は厚いのですよニコニコ

 

 

 

彼女はフェズの少し上、ターザ出身のベルベル人顔。

かなり律儀で、カサブランカの洋服屋さんで働いていたことがあるのだけど

カサブランカ人は、みんな過剰なサービスをしてチップを欲しがっていて

 

自分は、チップは要らないと言うと

彼らと同じ色に染めようと必死だったチーン

と、カサブサンカ人のガメツさにホトホト疲れたという思い出を

私に話してくれました。

 

 

その人達が、本当にカサブランカ出身なのか?

出稼ぎ人なのか?で態度も違ってくるだろうけれど

モロッコ人が「カサブランカ人」と言うのだから

その土地出身の人なのでしょう。

 

 

夫に、ターザ出身の人とお話したよ、と言うと

 

「ターザの人達は、お堅いよね!」

 

と、彼らの特徴を言い当てていました。

 

 

そしてベルベルの人達は、とても堅実だとも。

 

(夫のように湯水のようにお金を使う人からしたら

 みんな堅実だと思うけれどね真顔

 

 

 

マラケシュの人は商人気質の人が多いとか

みんなコメディアンのように冗談ばかり言っている、とか

 

モロッコの中でも大阪人のような立ち位置な人々がいたりウインク

 

 

イタリア人も大阪の人とはすごくウマが合うみたいで

きっとこういう面白い性格の

イタリア人とかモロッコ人は

大阪に移住すると、ノリが一緒で楽しく過ごせるとか言いますね。

 

 

 

フィレンツェ人は、非常に警戒心が強くて

心を開いてくれるまで3年かかります。

 

私達が義姉の家で同居を始めてから

みんな私達の姿を不思議そうに眺めておりました。

 

近所の人達は、興味はありそうなのですが

挨拶するまでの関係ではないので

いつも特に挨拶することもなく通り過ぎておりました。

 

時は経ち、3年後に娘が生まれて

私達はベビーカーを押して歩くようになりました。

 

 

その時です!ご近所の人達は

娘の誕生をきっかけに

みんな挨拶をしてくれるようになりました。

 

関係性を築くまで、ピッタリ3年かかりましたニヤニヤ

 

これは京都の一見さんお断りな精神とも似ていて

フィレンツェと京都は姉妹都市であるのも

偶然の一致とは思えないほど似ています。

 

 

モロッコでは青い街シャウエンなど北部の人々は

非常に警戒心が強いことが多く

信用という強い絆がない場合、心を開かないと言います。

 

北部の人は、ドイツやオランダに移住することが多く

移住先の人々の性格とも合っているのだとか。

 

 

やはり、南に行くほど、人々はオープンな性格になりますからね。

温暖な気候は、心をも弛緩させますからね。

 

 

私の経験上、カサブランカの人々は

かなり都会なのでサバサバしていて

一緒に過ごしやすいですね。

 

 

砂漠の人々は、温かな性格の人が多くて

日本から来た私など冷たく感じさせてしまうのでは?

という、後ろめたさを感じてしまうくらい

本当によくしてくれます。

 

 

何はともあれ、モロッコ人は

世界各地に移民が散らばっておりますし

外国に住んでいる人であれば

関わった人も多いかと思います

 

 

全般的に愛情深い人が多くて

お節介なくらい面倒見が良い人も多いです。

 

あなたのモロッコ人とのエピソードがあれば

どんな印象を持ったのか??

是非聞かせてくださいねお願い飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の記事の続きです。

 

義姉と同居する時

どうにも逃げられない状況だったことは

何度もお話ししたかと思いますが

 

私はイタリアに来て

日本人3人で同居を始めた時から

もう既にこのストーリーは仕組まれていたよな!と

振り返るたび思います。

 

 

どうしようもない自己中でサイコパスな私は

自分でも、このままじゃヤバいよな....

だけど、どうしたら良いか解らない状態で

 

そんな中、最初に送りつけられたのがモロッコという国。

 

その次に夫となる男性。

 

そして逃げられない状況になってから

半身不随になって現れる義姉です。

 

 

 

色んな意味でモロッコという国は

今まで私が訪れたどの国よりも強烈でした。

 

色々、個性が強すぎるポーン

 

愛が強過ぎるお願い

 

よって、濃過ぎるグラサン

 

 

 

そんな国で育った2人を

天から送りつけられた意味を

一度あなたも考えてみて頂けますか??






 

 

 

それはガチガチのサイコパスを

成長させるためでしかなかったのですよおいで奥様びっくりマーク


そして夫の裏からノッソリ登場したラスボスは

私のサイコパス性を活かさないと

立ち向かうことができない

凶暴さを持ち合わせていたんでございますよ看板持ち

 

 

それを、先日電話で私の父親の「義姉は神様だった説」を聞いた時と

昨日、サイコパスについて読んでいたページで

ガチッと一致したってお話しです。

 

 

昨日、こちらの

一次的サイコパスの能力の身に付け方
という記事を読んでいて

 

これ、まさに私がラスボスに立ち向かっていた

まんまの姿じゃん!って思ったのね凝視


この記事の場合、職場のウザイ上司に

どう立ち向かうか?という想定なのですが

私の場合、会社のようにやめられない

逃げられない場所で半永久的に戦う術を身につけたワケ。

 

 

私はもちろん、どこの会社でも

かなりの個性を発揮しちゃって目立って

叩かれて辞めるよね指差し

 

だけど、モロッコのラスボスは逃げられないのよ。

もうね、究極のテクニックを屈指しても難しいのよ。

既にサイコパスの私でも大変だったのよ。

 

 

そんな最強のラスボスを送りつけられたのだから

私は「選ばれた」としか思えないよね魂

 

 

だけどこの経験は、私を物凄く成長させてくれたのです。

 

 

だから、

「成長させてくれて、ありがとう神様お願い流れ星

ってお話しですわバレエ



神様は、時にすごい役柄に扮して

地上に降りてくるそうです。

 

それはもう、あり得ない悪者の姿でガーン銃

 

 

 

いくら私の夫が

「あの人は本当は良い人なんだ。

 病気で人格が変わってしまっただけなんだ。」

 

と義姉の本当の姿を知っていても

私はそんな「良い人」な義姉を見たことなかったし

そんな中、毎日の攻撃に立ち向かうのは私なの。

 

 

一次的サイコパス→感情の切り離しが上手い

私はこれを「シャッターを降ろす」という表現で

長年使っているのですが
 

同居していても、シャッターを降ろすことで

瞬時にココロを「閉店中」の状態にして図書館に逃げるとか

していたの......長年の読者様は覚えていらっしゃるかしら??

 

 

つまり、どんなに難しい状況でも

感情を切り離して「俯瞰」して見ることで

私は乗り切ってきたのです。

 

同じく介護を経験して

逃げられない状況にいた人に

 

「一体あなたはどうやって乗り切ったのですか?」

 

とよく聞かれるのですが

  シャッターを降ろすんですよニヤニヤ

と言っても

 

「は?そう簡単に出来ませんよ滝汗

と言われるだけで埒が明かないんですねチーン

 

 

 

もしかして、これは誰もが出来ることではないのかもしれません。

あの一次的サイコパスの記事を読んで思いました。

 

 

私が自分を冷酷だと思うのは

コレが容易に出来るからです。

 

 

だから、医療通訳で苦しんでいる患者さんを前にしても

そこに感情移入しないから疲れずに仕事を進められるんですね。

 

これってHSPの繊細さんとかには

絶対に出来ないと思うのです。

 

 

というワケで、

サイコパスだから出来た

ラスボスのお世話うんちガーン

 

 

半身不随→左足切断→頭狂う→呆ける

→オムツ星人→膵臓癌→最期脳梗塞(血圧330無気力

 

こんな神様、絶対嫌だ〜笑い泣き

 

って、誰もが猛ダッシュで逃げる中

私は強烈なサイコパス性を活かしながら

オムツ姿の神様に成長させてもらったのでしたオーナメント

 

義姉の最期は、とても良い笑顔の写真ばかり。

それを見て、私達は大満足でしたし

これが本来の義姉の姿だったのです。

 

「膵臓癌」という名目で

ふくよかなまま、天に帰っていった神様。

本当に強烈な個性で爆走されておりました。

 

来世は、暴れないで欲しいですお願い

 

 

 

私は小学生の頃からオバサンのような

ワケわからない生き物でした。

 

外見は11歳でも

精神年齢は25、6歳。

 

なので、無邪気さなど全くなく

何も考えずに無邪気に遊べる周りの子供達は

幸せそうだなぁ〜と眺めておりました。(←自分も子供なのにニヤニヤ

 

何でも器用にこなしてしまうので

先生達からは、手のかからない子として賞賛され

周りの子供達からは複雑な目で見られていました。

 

 

日本の社会では?→出る杭は打たれる真顔

だからそのうち私は、いじめっ子によって

集団無視の刑に遭いました。

 

 

最初はショックで声が出なくなったり

身体は反応しましたが

 

頭の中では、もう、その現象がくだらなくて

早くこの、恐ろしく退屈な、小・中学生を終えて

この9年間変わらないメンツから離れたいと思っていました。

 

私は独り、小説を読みながら過ごしました。

 

その後も、周りの12歳の子と、26歳の精神の私は

全く話が合わず、きっと周りの子供達からすると

非常に冷めた人間と思われていたことでしょう。

 

 

自分でも、本当に冷酷な人間だと自覚していました。

周りに合わせるとか、空気を読むとか、阿吽の呼吸とか

そういうことを一切無視してマイペースを貫きました。

 

 

そして周りとコミュニケーション取ることすら面倒臭くなり

1匹狼でいることに徹しました。

 

ただ、見た目が柔和で

私の中身がそんなに冷め切っているなど想像もできないようで

よく「あなたは達観しているよね!」と言われました。

 

 

こうして、私は小さな頃から

ホテルの部屋で掃除係が入ってこないように

「Don't disturb」の札をドアにかけるように

 

お願いだから構ってくれるな!と

自分の世界に没頭することで独り楽しんでおりました。

 






 

いや、本当に周りの人間と違いすぎる自分は

オカシイと思っておりましたよ。

 

 

そうは見せないけれど

考え方が超自己中心的だし

共感力低いし

他人の事、どーでもいーし

無駄なこと嫌いだからバッサバッサ斬るし

周りの空気は敢えて読まないし

 

 

そして自分の実年齢が精神年齢に近づいてきた頃に

やっと「自分らしく生きる」ことを受け入れられて

やはり、このままで行こう!と決めたんですね。

 

 

そしてイタリアに来たら

なーんだ!

 

イタリア人、超自己中だしびっくり

 

他人の事?考えている人いないし真顔

 

空気読むなんて、そんな文化ないし。

 

 

私、やっぱりこのままで良かったんだ。

なんか、故郷に帰ってきた?

とか思っちゃったよねイタリアハート

 

 

何よりも私を救ったのは

自分のこの特徴は「一次的サイコパス」だという

カテゴリーにピッタリ当てはまった時だったんですよ。

 

 

二次的サイコパスは

大嘘つきだったり、殺人鬼になっちゃったりするけれど

それではなくて、合理主義で社交性のある方のタイプね。

 

 

この特徴が、医療通訳という仕事にピッタリでしてね。

病んだ人を前にしても

共感力低すぎて感情移入しないから

淡々と仕事をこなせるという.....キメてる

 

 

明日は、私のサイコパス性が

最高に活かされた事例をお話しますねスター