イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住栄養士ritzcoが美味しいモロッコ料理情報を綴ります。
ず~っとやりたかったフランス語の勉強を再開!充実の勉強ライフも一緒にお届けいたします☆

皆様、お久しぶりです。
お元気でお過ごしですか??




先週辺りから娘の中学校は
先生が全員揃って本格的に授業が始まり
やっと夏休み気分が抜けた感があります
って遅いよーっ!!!もう本格秋だよー!!!


このイタリアゆったり時間に振り回されながら
ふと自分の生活を見直したら
こちらのブログは更新していないし
内容はブログタイトルからかけ離れているし…で

新ブログを立ち上げました。


義姉系ネタは全てこちらに書いていきます。
これでこちらのブログも少し爽やかになるかとてへぺろ


過去の回想から書きまくり
同居当初からの義姉の荒れっぷりをお届けドクロ


今だから書ける数珠のエピソードを
新ブログでどうぞお楽しみ下さい♪


昨日モロッコから無事帰国しました。





今年の1月に義母が亡くなって
初めての義母不在の帰国は
夫には相当辛かったらしく
モロッコにやってきた彼の精神状態は
とても不安定でした。


いつもお母さんに会うことを目的に帰国していたのに
自分の直系の家族が誰もいない実家に帰るのは
とても心が痛むらしく、
カサブランカにいても
あてもなく古い友人を求めてカフェに行ったり

今日は何する予定なの?

という私の質問が
とても辛いらしく…
(何しても心が晴れず、途方に暮れているのです)

彼の心を休めるためにも
カサブランカから離れて
マラケシュの友人宅に遊びに行くことにして
色んなお誘いもキャンセルして
カサブランカから逃避しました。


私は既にこの夏、
夫無しで友人宅に遊びに来ていたのですが
真夏のマラケシュは暑すぎて
外に遊びに行くどころではなかったので

今回のマラケシュは
秋風が吹く涼しさのもと
生まれて初めて!マラケシュで大汗かかず
優雅に散歩を楽しめました。


夫のご近所出身の友人は
夫家族の事情もよぉくご存知なので
夫の近況や想いを色々聞いてくれて
また彼女の近況報告を聞きながら一緒にお料理したり
いつものように、こちらではリラックスして過ごせました。



そして子供を置いて二人でカフェに行ってきなさい!
と私達を無理やり追い出してくれるので
街中のカフェでゆっくりするのが好きな夫は
やっといつもの笑顔が戻ってきたのを見受けられ
私もホッと致しました。



そしてそんな中、マラケシュ在住の
随分会っていない親戚に電話で連絡を取っていて
彼らに会いに行くことになりました。



義母の母方の親戚で
義母の従兄の家族だそうで。

この従兄は幼い頃に母親を亡くし
私の義母とカサブランカで一緒に育ったそうで
その後、事業でモロッコ中を巡る中
カサブランカの彼女を訪問する時には

素晴らしくエレガントな装いで
羊1頭をお土産に
1週間ほど彼女の為だけに滞在し
子供達にも何でも買ってくれて

幼い頃に父親を亡くしている私の夫には
彼が滞在する1週間は
まるで天国にいるような輝かしい時間だったとのこと。



初めて訪問する彼の家に入ると
相当お年を召した義母の従兄は
ベッドに座って私達を迎えてくれました。


長身で、若かりし頃は
相当の美男子だったであろう義母の従兄は
彼を見てワッと泣き伏してしまった夫に
仕切りにティッシュをあげながら抱きしめていました。



何十年振りの再会だったのでしょうか??
私も挨拶して彼の手の甲にキスしようとすると
その手が義母の手と同じ形なのを見た途端
ボロボロと涙が溢れてきてしまいました。

長い指、形の整った爪。
義母の手は、リウマチで指の関節が曲がっていましたが
彼の指は、長く真っ直ぐと伸びていて
美しい手に見惚れてしまいました。


ふと彼の足に目をやると
義母とほぼ同じように指の関節が曲がっていて
血の繋がりをヒシヒシと感じさせられました。


お茶を飲みにサロンに移動すると
食べなさい、飲みなさい、と
仕切りに客人にすすめる様子が
これまた義母そっくりなのです。


自分の事はさておき
他人の事を先ずは思いやる生き方。


その健気な姿を見ると
私は義母の生き写しを見ているようで
彼の存在自体が愛おしくて涙が止まらないのでした。


義母が他界して
あの気品溢れる血筋の親戚は
もう他にいないのかとガッカリしていた矢先の
未知の親戚との出逢いは、
私にまた家族の絆を深めていく勇気を与えてくれました。


こちらへの訪問が
私の夫の心の癒やしにも繋がり
本当に来て良かった!と思ったと同時に

何故今まで一度も来なかったの??
こんな素敵な家族がいるなんて知らなかったし。
と夫に聞いてみると

今まではお母さんに会うだけで大満足で
他の親戚の事など考えられなかったのだそう。


義母の従兄の息子さんが
マラケシュ中心地から、お父さんの家、
次は自分の自宅まで車で連れて行ってくれました。


お父さんと同じく
モロッコ中で事業を繰り広げる彼は
マラケシュ郊外の、まだ建設中の大きな自宅に
私達を昼食にご招待して下さいました。


こちらの息子さんも
小さい頃は夫の家で夏を一緒に過ごしていたらしく
こちらも何十年振りの再会に、相当嬉しそうでした。


同い年位の彼の子供達も
うちの子供達とすぐに意気投合し
ずっと一緒に遊んでいました。


サウジアラビアのメッカ巡礼から
帰ってきたばかりらしく
美味しいナツメヤシの実やら
メッカの聖水なども頂きました。


彼も顔の雰囲気がよくお父さんに似ていて
隣に座る夫とも口元が、またフランス在住の義兄にも鼻筋がよく似ていて微笑ましく思いました。



犠牲祭で羊は屠ったけれど
先日のメッカ巡礼を祝して
もう一頭羊を明日屠るから
今日泊まって明日帰ればいいじゃないか!

と盛んに勧められましたが
それ程時間に余裕が無いから…とお断り。


ランチには、素晴らしく美味しい
羊肉のタジンをご馳走になりました。
こんなに美味しいのは初めてで
調理法を聞いてみると、

圧力鍋でほんの少しの水とスパイスで調理しただけと聞いて
これまた驚きでした!!



お昼寝して、お茶をご馳走になり

毎年、いつでも、好きなだけ滞在しに来なさい!
君達の訪問は大歓迎だよ!

と、温かいお言葉を頂きました♪

なんて嬉しい、素敵な親戚の発見でしょう!
今年のマラケシュ訪問は
今までの何倍も価値のある、
素晴らしい滞在となりました。


夫の心の癒やしに繋がる親戚訪問。

遠いイタリアからやってきて
貴重なモロッコでの時間を
彼等のような親戚と過ごす事にこそ価値があるのだと
私も心から思いました。
































皆様お久しぶりです。

今年のモロッコ滞在は旅の連続で
しかも毎日が衝撃的な体験なので
頭の中も心もお腹も一杯で消化しきれず
ブログも書けずにおりました。


海での10日間滞在の最後には
夫がイタリアからカサブランカに到着していて
海から帰った私と子供達は夫に迎えられました。


そして久しぶりに家族揃ってマラケシュに遊びに来ております。
ブログが追い付かない分
インスタで写真をUPしておりますので
是非遊びにいらして下さいね。
(インスタID ritzfirenze)


ところで、私は毎年
何もしない事を目的にモロッコに来ているのですが
何やら今年も思いがけず
激動の滞在となってしまいました。


特に私が計画して動いているのでは無く
動かされていると言った方がシックリくる
不思議な体験です。


モロッコでは、何も望まず
何も求めず、成り行きに任せると
滞在がとても穏やかで楽しいものなります。


彼らが言う、
インシャアッラー(神がお望みであれば)の世界です。


5分後には何が起こるか解らない。
もしかして行き先を妨げられるかもしれない。
その時は、またそこから体制を整え直せばよいのです。


逆に「私はこうしたいんだ!」
と我を通そうとすると
自分が想像した通り動かない周りのモロッコ人にイライラして
目的地に向かうことすら出来なかったりします。


諦めの境地?特に何も求めない
ニュートラルな状態でいると
色んな楽しいイベントが自然と舞い込んで来るのです。


さて、バタバタとマラケシュの友人宅に着いて
ご挨拶してお茶を頂いて
スーツケースを開けようとすると…開きません。


今回の旅の直前に買って、
3桁のダイヤルロック式の鍵の設定もせず
000で開くハズだったのに何故?

子供が遊びながら閉めたので
途中で設定を変えながら閉めてしまったようです。


何度試しても開かないので
ネットで開け方を調べ始めました。

皆さんはこんな経験ありますか??


私はマラケシュに小さなスーツケースを
2つ持ってきたのですが
1つはサムソナイト製で
開かなくなったのはノーブランドの物でした。


サムソナイトのだったら
数字の設定を外から変えるやり方があるようでしたが
ノーブランドの物は、

ダイヤオレンジボールペンをファスナーにぶっ刺してこじ開ける

又は

ダイヤオレンジ001から順番に数字を試す

と書いてあります。



私は途方に暮れ、脱力しました。
現在夜10時。


少し考えて、Facebookの
海外在住者限定のコミュニティーに
旅のエキスパートが沢山いらっしゃるから
そこで状況を説明して解決方法があるかどうか
質問を投稿してみました。







そして皆さんからの回答を待つ間、
勇気を振り絞って001から数字を試し始めました。


コレが開かないことには
今夜私はパジャマに着替えられないのですガーン

私と子供達の全ての着替えがココに入っているのですアセアセ


サムソナイトのスーツケースを開けて
すでにパジャマに着替えて
リラックスして茶を飲んでいる夫を横目に
私は覚悟を決めてダイヤル数字3桁に挑み始めました。



すると、海外のあらゆる国在住の皆様から
コメント欄に回答が届き始めました。


ダイヤグリーンファスナーにボールペンを刺して開けられると聞いたことがあります。

ダイヤグリーン001から順番にに試しました。

ダイヤグリーン私も001から試しました。頑張ってください!

ダイヤグリーン大変ですね、早く開きますように♪

ダイヤグリーンサムソナイトならこちらの説明付きビデオに開け方が解説されていますタラー



私は無心にダイヤルを回してはカチッと開ける作業を続けながら
心温かい皆さんからの回答を読み

ふーん、へー!と関心しながら
皆さんにコメントに対するお礼を書き込みました。


そして私のコメントに
今300です!と実況を加えていくと
皆さん応援してくださり、
次第にコメント欄が盛り上がっていきました。


私のその地道な作業を
横からモロッコ人2人が
信じられない様子で見守っております。


よくもまあ、こんなダイヤル回す辛抱があるね!
私達モロッコ人だったら
今すぐにでも此のナイフぶっ刺してこじ開けてやるわ!

と、ナイフを振り回しながら
呆れた顔で友人が茶を飲んでおります。


黙ってて!
今作業もノリ出したところだから。
意外と速く進んでいるし
最後まで試させてっ!


試して開くものなら開けてみたい。
開かなかったらこじ開けるしかないし。


Facebookの海外在住に皆さんからのコメントに
勇気付けられながら
私は作業にハマって面白くなってきて

今500です!
と回答しながら
夫と友人の会話に時々参加して

とうとうカチャッ!っと

ダイヤル式ロックから解放された
2つのファスナーが飛び上がり
それと同時に皆から歓声があがりました拍手拍手拍手


開いた数字は780ムカムカ


120とか近い数字だったら余裕でしたのに
1時間程掛かりました。


それでも、孤独な作業も
皆さんからの応援や励ましを頂きながら
何とも楽しい体験になりました。


とうとう開けられた報告をすると
皆さん喜んで下さりました。



こちらのコミュニティーは
海外在住者限定で入会可能なのですが
これ以外にも、コメント欄が活発なコミュニティーは沢山あると思います。


いつも困った事や、専門的な質問や
私みたいな困ったちゃんが投稿すると
沢山の経験者が気軽に回答して下さるので
自分に興味があるコミュニティーに参加してみる事をオススメします。


リアルタイムで困った時に
これだけの人が助けの手を差し伸べてくれる…
これぞネット上で世界と繋がる醍醐味ではないでしょうか?


この時代に生きている事に感謝ですねラブラブ


そして私は、念願のパジャマに着替えて安眠できる事に
この上ない幸せを感じながら
夜更けまで友人と尽きないお喋りを続けました。












 

モロッコの怒涛の犠牲祭も落ち着いてきた。

今年は羊は要らないって言ったのに
モロッコ人は一家に1頭の羊を
用意しなければ気が済まないらしく
結局私の分まで1頭用意されていた。

B氏の羊2頭を買った時に
1頭サービスでくれたとか。
真偽の程は定かではないが
私の羊まで3頭目の前で屠られた。


犠牲祭から暫くの間
殺人的ならぬ殺羊的
モーレツ羊食週間が続く。


私は3度目の犠牲祭参加となるが
初年度は精神的ショックが大きく
心が不安定になってしまった。


羊を屠る事にショックを受けたのではない。

このお祭りに伴い
街がどういう状態に陥るのか知らなかったからだ。


犠牲祭前日から魚屋は
最低2週間閉まってしまうので
魚は食べられないえーん


商店は1週間ほぼ全て閉まってしまう。
小さなスーパーマーケットが翌日から開いているだけ。


どこの家に招かれても1ヶ月間
羊料理ばかり出される。


私は食生活の乱れから心も乱れ
魚料理屋が開いている海辺の街へ逃げ出した。



2年目以降はモロッコ人のように動くようにした。
犠牲祭の羊肉に飽きた頃から
海辺に旅行に行くのだ。


すると長期休暇中のモロッコ人が
海辺の街に溢れていた。


こうしてなんとか
魚をゲット出来る海辺の街へ出ては
息抜きできれば少しは落ち着けるように。




こんな羊肉で切羽詰まっている状態でいた
犠牲祭後3日目の朝、
私は涙をボロボロ流して泣きながら夢から目覚めた。


どこか解らない異国で
空手を習っているという日本好きの現地人が

日本のお餅屋さんがあって
僕はそこによく食べに行くんだ!

と、夢で教えてくれたのだ。
彼について行ってみると
なんと!

つきたて餅のお店で
ウィンドーには、つきたてのデロンとした姿の
きな粉餅、あんころ餅、納豆餅
その他にも色んな種類のお餅が並んでいるではないか!


私はそれを見て、喜びでワッと泣き伏したのだ。

ウェンウェン泣いて
涙を拭いながら目を覚ました。

衝撃的だった。

私は和食を欲していたのだろう。

でも、何故 餅??

天ぷらザル蕎麦とかが食べたくね??

ま、いいや。

今年も身体が辛いと言っているのだろう。






その日の午後、娘から写真付きでメッセージが届いた。









ママ、だんごが食べたい!

と…。


どうやら、共通した日本人魂を持ち合わせているらしい。


ママは真ん中のみたらし団子がいいな。

と返事すると

どうしても食べたい!
と言うので、

イタリア帰るまで暫し待て!
と返事した。

外の商店は閉まっているし
家にはコーンスターチしかないからね。


こうして辛くなると
日本から送られてくる
貴重な半田麺や半田素麺が食卓に登場する。


そしてそれをありがたく頂く度
あぁ、日本人に生まれて良かったなぁ
と再確認するおねがい











昨年の夏、私は今は亡き義母とお茶を飲んでいた。

義母の住む地区は庶民的で
歩いている女性は皆ジュラバという民族衣装を着ている。


親戚が私が泥棒に会わないかと心配するので
私もジュラバを着て歩いている。
ジュラバの下にはTシャツにワイドパンツなど
涼しくて動きやすいラフな洋服を着ている。


その日、突然夫と夫の親友のB氏から電話があり
B氏の22歳の娘さんの誕生会があるから
今夜8時に迎えに行くからとのことだった。


突然でプレゼントが用意出来ないなぁ
でも後日改めて渡せばいいか、と
お気楽にお迎えを待った。


B氏の家族とは、先月彼らの
親戚の結婚式に一緒に参加して
朝までみんなで楽しんできたばかり。
また一緒に時を過ごせる事を嬉しく思った。



8時に予定通りお迎えが来て
B氏のお家に入り、私はジュラバを脱ぐと
B氏の奥様は一瞬ギョッとした様子だった。


私は意味が解らず、
お茶を飲むようサロンに招かれた。


その後、誕生会会場の階下の大きなサロンに招かれた時
私はとんでもなく場違いな所に招かれた事を
一瞬にしてさとった。



招待客の皆様は、先日の結婚式と同様のカフタンか
それに準じるカジュアルドレスを身にまとって
サロンにズラリと美しい女性達が座っていたのである。



私だけ部屋着や〜んっ!!!



これで先程の奥様のギョッとした顔の意味が解った。


何故もっと事前に
どんなフェスタなのか連絡してくれなかったのか?


私は恥ずかしさでクラクラしながら
夫に怒りの電話を掛けたが
掛けたところで、
夫も何も知らなかったのだから仕方がない。



しばらくして、結婚式の時と同じ
ミュージシャンが到着して
巨大スピーカーなど機材を組み立て始めた。


これはもしかして…
朝までディスコ踊りまくりコースだぁ〜!



結局私以外に、B氏宅のお手伝いさんで
パジャマのまま参加している
メッチャ愉快なオバチャンがいて

私は彼女に救われながら
部屋着のまま、この豪華な誕生会で相当楽しんだ。


モロッコ人女性は、人目を気にする。
結婚式と違って身内の女性だけの参加だと
誰の目も気にする事なく
皆さん本領発揮してくれるのだ。


パジャマのオバチャンは
きっと1番年配なのに
朝までハッチャケて踊り続け
皆を笑いの渦に巻き込んだ。


途中歌手の若い女性が
「今から撮影禁止ねーっ!」
と言って、女性だけだから披露出来る
激しいダンスも披露してくれた。



参加者全員、会場の一体感を感じながら
この日は夜明けに皆とサヨナラした。





さて、今年は昨年誕生会をやった娘さんの
婚約パーティーがあるとのご招待を受けた。



ぬぬぬ!
今年は同じ間違いをおかさないわよー!


今年はB氏にどんなドレスで参加すべきなのか
きちんと事前に説明してもらって
昨年のように恥ずかしい思いをしないよう取り計らってもらう。



B氏の奥様はドレスレンタルショップまで
一緒に行って、私と娘のドレスを選んでくれた。
やはり、カフタンというドレスだった。



そしていつもと同じメンバーと
婚約パーティーでまた顔を合わせる。


またまた誕生会の時と同じミュージシャン登場。



こちらのミュージシャンとは違う楽隊が
将来のお婿さん家族からの貢ぎ物を持ちながら
ご近所を練り歩いてお婿さんと共にメッチャ賑やかにご到着。



婚約者の到着前にB氏の娘さんには
手足に祝福のヘナが施され…。





結婚式並みの豪華さで
家族の手作りのお食事が
プロのケータリングによって招待客にサービス。


うーん、私の大好きな魚介類のパスティッラ登場で嬉しーぃ!

中身は魚介類と春雨のフィリングで
巨大春巻きのような1品。

B氏のお宅ではコレの調理がお得意でとっても美味。






メインは羊半身のロースト!
驚くほどに柔らかく、トロけるような美味しさ♪


食卓が6卓あったってことは、羊3頭分だな!


アイスケーキとお茶菓子で締め
食後はダンスパーティー。



でも婚約者の家族を前に
いつものメンバーはハッチャケられず
前回パジャマ参加だったお手伝いさんも
綺麗なジュラバを着て参加していたのに
本領発揮出来ず、今回は不発弾抱えて帰るようだった。



今思えば、あの誕生会は
娘さんの結婚前の最後のお楽しみとして
家族の皆と最高に盛り上がりたかったんだろうなぁと
娘を送り出す家族を思うとホロリとした…。



イタリアの夫から電話があり

昨夜、実家近所の親友の女性の
お母様が亡くなったから
お悔やみの挨拶に行ってきて!

とのこと。

夫の仲良しの彼女とは
一緒に海に行ったこともある
とても感じのいい女性だ。



彼女の家の前には
晩餐用の巨大テントがふたつ設置されていた。

そこをくぐり抜けて彼女の家に入り
中にいる皆さんにご挨拶。

屋上まで上がっていくと

あれ!?

何だか見覚えがあるメンツが勢揃い。

伯母様方〜!!!

あの結婚式裏方でひたすら調理していた
伯母様方3人が、またあの大鍋を前に調理していた。

私は知らなかったのだが
夫の親友のお姉さんと
伯母様方の弟さんがご夫婦で親戚なのだとか。


えー、そこで繋がっていたの!?
世間は狭いですな!



昨日亡くなったお母様は
今朝方、速攻お墓に運ばれて
今夜はご近所の方々を招いて
夕食を振る舞うのがこちらの習慣。


と言う訳で、また大鍋登場爆笑


出た〜っ!
コレって彼女達にとっては
当たり前の量だったのね!

こうして、親戚が結婚したり
亡くなったりする度に
大鍋が登場するのですから、慣れたものなのね。


メニューはいつもと同じ
鶏のタジンと牛肉とプルーンのタジン。




奥のお鍋(小さく見えてもかなりの大鍋)は
翌朝用のハリラ(トマト味ミネストローネ)。

お葬式のために働いている人や
寝泊まりしていく親戚に振る舞われるのだそう。

そういえば、結婚式の翌朝
朝食にハリラがサービスされましたっけ。



さて、このふる舞われる夕食、
すっごく遅くなるのは知っていたので
出来ることなら逃げ帰りたかったのですが

屋上で調理している伯母様方に

アナタ、夕食の時に戻ってくるようにね!

と念を押されて
でも伯母様達は表に出てこないから
もしかして彼女達の目に触れず
逃げ帰れるかも…と思いきや

親友の彼女にも帰りにバッタリ会ってしまい
夕飯を食べていくように、と念を押されてしまった。


うーん、コレは逃げられないな。


仕方なく残る決意をして
22時頃、晩餐用テントに顔を出してみた。


10卓ほどあるテーブルは
2卓に人が座っていて、残りはガラガラ。


これは長丁場となりそうだ。


22時半頃コーランが唱えられ始める。


結局人々が集まりだしたのは、23時過ぎ。


やっとお料理が出てきたのが23時半!

ザッと女性用テントに100人。
男性用テントに80人。

また伯母様達は200人前の調理をやってのけたのだ。

親戚+ご近所さんが集まるテントには
もちろんあの結婚式のいつもの親戚20人様もいらして、ここでもご挨拶。

他のご近所さんは
故人を偲んでいるのか、ただ食べに来ているのか?
私が観察する限り泣いているお年寄りは1人だけだった。


てことは、親戚以外の
私を含める80人は、ただ食べに来ている感じ爆笑


お金が無い人は別として
どこのお家でも人が亡くなれば
この振る舞いは当たり前なので
昼はクスクス、夜は肉系タジンを
親戚+ご近所に振る舞うモロッコの大変な習慣。


もちろん1月に義母が亡くなった時にも振る舞ったそう。

長年ヨーロッパの生活に慣れている夫は
面倒だから、こんな振る舞いしなくていいだろう
とほざいた結果

親戚一同から恥ずかしい!とボコボコにされ
各親戚から何万円も送られてきて
意地でもやれ!と強制的に大量の肉を買わされたそう。

モロッコに住んでいるモロッコ人の収入で
一体皆さんどうやって乗り切っているの??
ってくらい、モロッコではお金がかかる。

イタリアの収入でイタリアで住んでいると
ヘンに形式張る場面が非常に少なく
収入と支出の割合が丁度よい感じがする。


例えば入学式とか無いし学校無料だし
冠婚葬祭の服装もかなり自由だし
色んな事に自由なので非常にお気楽。


モロッコの中流家庭は
学校はプライベートの有料の学校に行かせるし
(子供1人当たり月1万5千円〜3万円程)
結婚式は自分の衣装整えるだけでも相当お金使うし
犠牲祭だと羊1頭3万円以上するもの買うし
お肉はイタリアと同じ値段するし
スーパーマーケットはイタリアより高いし
スマホ通信費もイタリアの方が断然お得ですし!


一体皆さん、どこからそのお金出てくるの??
ってくらいお金が必要な国。


なんか、この収入と支出のバランスの悪さが
モロッコ人を海外に飛び出させる
原動力になっているのかな?と思う。


モロッコで問題なく幸せに暮らせる家庭は
ずっとモロッコでヌクヌク居られるけれど
問題は収入の低い家庭。

このお金が掛かる国で
いつも格差を見せつけられ
もっとより良い生活を求めた時に
海外に飛び出す力になるのかな〜?と。


モロッコ人移民の多さは
どこの国でも感じると思いますが
彼らは本当にどこの国でも順応出来る頭の良い国民。

いつかその事についても書こうと思う。



話は大幅に反れてスミマセン。
お葬式晩餐が終わったのは深夜1時半。
リズムが狂いまくっているモロッコ生活…。

















今年の1月、義母が亡くなってから
初めての義母のいないモロッコ。


嬉しそうに私の事を「娘よ♪」と
優しい微笑みで迎えてくれる彼女はもういない。


この夏休みに初めて夫の実家に帰った時
3階の最上階の義母の家は閉まっていた。



義弟も亡くなっているし
彼の若い奥さんと小さな二人の子供達は
たまにここに帰ってくる程度で
彼女の実家の方に滞在しているらしい。



2階に住む、やはり未亡人の義兄の奥さんと
1階に住むイタリアの義姉の息子とその奥さん
この3人の女衆は1、2、3階と分かれて住んでいるのに
義母が亡くなってから、てんでバラバラ
各階で喧嘩が勃発するので皆口を聞いていないという。


義母に会いに来るという名目で
私は今まで、この低レベルな争いを
見てみぬ振りをしてきたが
今年からはソレしか目に付かなくなった。



彼女達にとっては
義母の死は、とっくに過去の事らしく
誰も一緒に涙するとか
そういう雰囲気ではなかった。



あの崇高な精神の持ち主の義母の存在が
今では嘘だったかのように
酷く荒れ果てた魂が彷徨う
直系の親戚が存在しない建物だけが、
私の前に残骸のようにそびえ立っていた。





この3人の女衆と私の関係は至ってフツーで
三人三様、私に他の二人の悪口を愚痴ってきた。

私はフーン、へー、それは大変!と聞き流し
何のエネルギー交換もない
一方通行の無意味な時間を耐え抜いては

義母と過ごした温かな愛溢れる時間を思い出し
深い溜め息をつくしかなかった。


そして夫に
ここはもう、私やアナタが帰ってくるところではない
とやるせない気持ちで報告した。



子供達がいとこ達と遊びたいというので
私は仕方なく実家に子供等を連れて行くけれど
ココでは、虚しさしか感じられなかった。



残念ながら、親戚は選べない。
親戚という関係で繋がってはいるけれど
一緒にいて心地が良いかは別問題だ。



昔から夫の実家に遊びに来ても
何故か私は、ご近所の夫の親友家族との方が
一緒にいて心から楽しめた。


そして今、それが明らかに
親戚以上の関係となって
私のモロッコ滞在は周りの皆さんが楽しませてくれている♪


彼等がいなかったら
私は実家しか頼るところがなく
お先真っ暗なモロッコ滞在となっていたことだろう。



コミュニケーションの根本に
言葉は必要ない。
人の心なんて相手の目を見ればすぐに解る。


私には人を一瞬でどんな人間か嗅ぎ分ける特技がある。
これはとても野生的な勘で
自分の魂が喜ぶ人としかお近付きにならない。


私は言葉が出来なくても
一緒にいたい人には、いつも自分から近付いていった。


寛大なモロッコ人は
そんな私をいつも受け入れてくれた。

少しずつ言葉も解るようになり
毎年モロッコで彼らに会うことが
ますます楽しくなっていった。


やはり私の嗅覚は間違っていなかったようだ。


もう、夫の実家は帰るところではなくても
親戚以上の家族が杵築上がっていた☆



たまにお茶飲みに行かなければ
ボコボコにされそうだけれど
義母がいない実家には、もうさほど用事はない。


私は今年、ますます解放された感覚を味わった。

そして天の神様も、やっと義母を
彼女が存在するにふさわしい
天国のお家に返してくださったんだ、と確信した。


義母に会えないのはとても寂しいけれど
私にこんな素晴らしい義母と出逢わせて下さった
ご縁に感謝しながら
私も彼女のような素敵な女性になれるよう精進していきたいと思う。











長い長いモロッコの結婚式の
親戚一同の働きっぷりを目の当たりにし
伯母様達が帰った夜も
私は自宅帰宅禁止令を出され、お泊りとなった…。


明日は花嫁のお祖母さんの故郷の
田舎に連れて行ってあげる!と、ご招待され
1日田舎で過ごして癒やされて帰ってきて
泊まって、翌日やっとの事で解放された。



ハーッ、長かったなぁと思っていたのも束の間、
1週間後の土曜日にまた花嫁実家に招集が掛かった。

メンツは極親しい例の親戚20人メンバー。
何故か私もずっと親戚扱い照れ



サッパリ訳解らずに
夏用の薄手の普段着仕様のジュラバを着て行くと
周りの皆は、よそ行き用のステキなジュラバを着てきている。
アクセサリーもゴージャスな金を装っているし!


私はこうして何度も場違いな装いで
明らかに「やっちまった感満載」で
現場に到着することが
こちらモロッコでは多々ある。


昨年も酷く「やっちまった」場面があり
もう、こんな恥ずかしい思いはしたくない!
と、その時は撃沈するのだが
私の人生、全てネタなので
そのうちまた昨年の話もブログに書こうと思う。


ま、今回の件は昨年のやらかし度に比べたら
大した事ないレベルなのでご愛嬌。



お昼に集合とのことで、13時過ぎに向かうと
お邪魔した花嫁実家では
まるでおやつの時間のように
パンやらミントティーがテーブルに並んでいる。


ぬぬ!コレは一体どういうこったい。


ここで花嫁とご対面ランチかと
勝手に想定していたら
まだランチが出てくる様子すらない。


しかも私と同時に到着した従兄が
今パンを食べ始まったということは
ランチはしばらく出てこないって事だな…。



私達が座っているサロンの脇には
膨大な数の贈り物らしき
キラキラな食器類が山のように積まれている。



そして14時半頃
一斉にお祭りや祝福の時にかける掛け声がかかり
皆が外に出ると、大型ワゴン車が到着しており

キラキラにラッピングされた贈り物の食器類やら
膨大な数の料理やお菓子の大皿が
ワゴン車に積み込まれ
他5台の車に皆乗り込んで
花嫁の新居に向かうようだった。


ここでやっと本日のイベントの詳細が解明!
花嫁の新居お披露目フェスタだったらしい☆

言葉が思うように通じない国では
説明不十分なために
私の理解が及ばないイベント満載グラサン


根がテキトーな私は
テキトーに観察しながら様子見に徹するが
神経質で全てを把握したい性格の方は
きっとキリキリと胃が痛くなってしまうだろう。



てなわけで、親戚一同大騒ぎで花嫁新居に向かう。
結構遠いのでビックリ。
この時点で15時はとっくに過ぎている。


一体私達はランチを食べに来たのか?
おやつを食べに来たのか?
もう、いちいち意味不明。


とにかく、従兄弟さんが
何故あの時パンに齧り付いていたのか
今やっと解ったカンジ。


花嫁の新居に、また祝福の掛け声と共に
続々と皆で贈り物を手に入っていく。

それはキラキラの茶器や鍋類、食器類など
生活必需品の嫁入り道具ばかり。

あぁ、なんか「嫁入り」ってカンジ♪
(私は書類にサインだけの結婚だったので)

旦那様のご家族も勢揃いでお出迎え。
男性は別のサロンに収まり
私達は女性用サロンに、
仏のように穏やかなお顔の姑さんと収まった。



さて、新居のさほど大きくないサロンに
豊満な女性20人がギュウギュウ詰めに座ると
エアコンの無いサロンはサウナ状態に。


私は汗ダラダラになり
この時密かに、薄手の普段着ジュラバで救われた!と思った。
よそ行きジュラバは厚手のシッカリした生地でできているので、夏の室内では暑くて死にそうだ。



みんな暑さに苦しんだまま
第1ラウンドのゴングが鳴った。

アツアツの巨大クスクスが運ばれてきた!
(写真撮り忘れ)

うーっ、やっとランチ。
16時半開始!
なんとハチャメチャな時間設定!

この1品だけは旦那様家族が用意したらしい。
これ以降はお嫁さん家族からの差し入れ品。


第2ラウンド
タジン バルコク(牛肉とプルーンのタジン)。




お祝い時は飽きずにいつもコレ。
フルーツの甘みと八角などのスパイスで
日本や中国のお肉の角煮の味によく似ている。


1品ずつガッツリ食べてしまうと
次の品が食べられないので
いつも程々に食べて手をとめるのがポイント。


昔はコレしか出てこないと思って
ゆっくり味わって食べていたら
その後も続いて食べきれず苦しんだ事多々あり。




第3ラウンド、パスティッラ。



こちらは鶏肉とアーモンドが甘めに味付けてあるフィリング。
魚介類と春雨バージョンも存在する。(私は断然魚介類バージョンが好き)


巨大春巻きの皮にハチミツを塗って
砕いたアーモンドを散らしてオーブン焼きにしてあり
パリパリの皮をちぎりながら
中の具を包みながら頂く。

モロッコでは大皿料理を手で食べるので
潔癖症の方はドン引きしてしまうと思う。

遠慮していたりすると
隣のオバちゃんが手でちぎってくれて
それを食べなさい!と渡されたりするので
最初はビビったけれど、すぐに慣れた。


ここでひとまずお食事は終わり、小休止。



ハイ、第4ラウンド!ティータイム。


て言うか、もう食べられないんですけど…。

とミントティーを啜りながら
周りを観察すると、取り敢えず皆自分のお皿に
すべての種類のお菓子を取り分けている。


そしてその後、驚きの光景が私の前に広がった!



私以外のすべての女衆が
バッグに潜ませていた
食品用ビニール袋をおもむろに取り出し
そこにお持ち帰り用にお菓子を入れ始めたのだ!!


なぬーっ!?
何という、満腹想定内の用意の良さ!
そして私だけビニール袋無いし…。


山盛りのお菓子は
とても食べ切れる量ではないので
お嫁さんに頼んでビニール袋を頂いて
私もありがたくお持ち帰りした。



暑い中の激しい食い倒れバトル。
サウナに3時間いたかのように
クタクタに疲れてしまった。


これにて結婚式騒動は終了。
花嫁さんもとても幸せそうで親戚一同ひと安心。


皆様、長編にお付き合い頂き
ありがとうございました♪
















さて、夜中まで騒いだ結婚式翌日、
そのままお泊まりした親戚20人は
ゆっくり起きて、またバゲットを頬張って
ミントティーを頂いて、バラバラと帰り始めました。


若者は掃除をし始め
20人で撒き散らしたバゲットのかけらも
瞬く間にキレイにして、その後床掃除!

ササッとほうきで掃いて
水を撒いて雑巾とモップで
これまた驚きの速さで掃除して
彼女達も帰り支度。


私もお掃除を手伝って帰り支度を始めて
花嫁のお母さんに
あなたも疲れたでしょうから
いい加減休んで下さいね、と
挨拶しに行くと

「何してるのよっ!
 あなたは私の妹のようなものなんだから
 帰ったら許さないわよっ!」


う〜ん、今夜も帰れない模様…。




花嫁さんは遅くに起きてきて、みんなにご挨拶。
伯母様達にハグしながら

「伯母様、沢山働かせちゃってゴメンナサイね…。
 本当にありがとう。」

とウルウルしながら感謝の言葉をかけていて
あぁ、この一言で伯母さんの労働も報われるのね☆

なんか、家族の関係って、コレよね!
と、とてもシンプルな愛の関係を
感じさせてもらいました。


伯母様達も、まだ帰る気配はありません。


無心に掃除をしていた花嫁のお姉さんが
突然座って泣き出しました。

どどど、どうしたの?

妹が遠くに行ってしまうから…。

彼女もお嫁に行って
こちらの実家にはもう住んでいないのですが
帰ってくればいつも迎えてくれた妹が居なくなるのは
とても寂しいご様子。メッチャ沈んでおります。



お昼ご飯を食べて、また皆様お昼寝。




昨年中庭に完成したガゼッボ(屋根付き休憩所)
がサイコーに気持ち良く
今年の私の居場所はココ!

心地良い風に吹かれながら
本を読んだり、ウトウトしたり
物書きしたり…。





おやつタイムの後、
花嫁さんは綺麗なジュラバに着替えて
お婿さん家族のお迎えが到着して
家族に最後のお別れの挨拶。


みんなで泣いてしまいました…。





彼女を送り出すために
伯母様達も皆帰らずに待っていたんですね。


カサブランカ近郊にお嫁に行くだけで
こんなに寂しいのに
私がイタリアで結婚するなんて言い出した時
うちの家族は、一体どういう心境だったのかしら??

と自分の事と重ね合わせて考えてしまいました。

私がイスラム教徒と結婚すると伝えた時
ちょうど9.11のテロの直後だったので
日本でのイスラムに対する酷い報道のお陰で
きっと私の両親は気が気じゃなかったと思います。

こんなにイスラムの家庭は愛情溢れた
平和のために毎日5回も祈りを捧げている国民ですのにね…。
最初の挨拶からサラーム(平和)なのにね!

間違った報道による間違った解釈が
これ以上広まらないように
私も出来る限り、こちらでの当たり前の日常を
伝えていければと思っておりますが…。

皆様に上手く伝えられているかしら??



皆でお嫁さんを送り出した後は
なんだかシュンとしてしまって
そんな雰囲気を持ち直すかのように
結婚式で残ったケーキがみんなに振る舞われ

結局食べて解決かよ!?

と、ツッコミ入れたくなるような
いつも食べては、陽気に冗談を言い合っている
モロッコ人家族でした。


この夜は、ごく親しい家族だけ
またお泊まりとなりました。

もう、私は、この伯母様達を休ませてあげたい!!一心でしたが、まだ働く!


伯母様達は翌日昼ごはんに
また大量のタジンを調理してくれて
キッカ(ケーキ)も3台焼いていて
お茶の時間まで皆で一緒に過ごして
その後帰って行きました。



ここまでずーっと一緒に過ごした私達は
もう本当に家族のようで
伯母様達は、ギューッとハグしてくださり
また会いましょうね!と
ブチューッとキスしてくださいましたラブ



実は、まだ続きがあったとは
この日は露知らず…。

つづく
結婚式は一応終了した深夜0時。

しばらく皆さんサロンで待っていて
その後、ぞろぞろと家の前に出ていきました。

そこで待っていたのは〜、
砂漠の民のスペクタクル☆




花嫁のお父さんが1番楽しみにしていたイベントです♪
これは砂漠の結婚式では欠かせない踊りなのです。

長男の結婚式でも
長女の結婚式でも
この楽団を招いてお父さんは一緒に踊り
そのビデオを、何度も何度も
それは何度も何度も私に繰り返し見せてくれてたのでした。


とにかくこの楽団と踊るのが
お父さんは大大大好きなのですラブ


しかし私はこの楽団のスペクタクルが
この時間帯に設けられているとは露知らず。


太鼓を叩いて、歌手のオジサンが声を張り上げて
みんなゲラゲラ笑っての大騒ぎ。

あの〜、深夜1時なんですけどぉ〜。


イタリアだったら警察沙汰の大騒ぎも
こちらモロッコでは寛大に受け入れ
一緒に楽しんじゃうのがモロッコ流。


実際お隣の邸宅の奥様も
ベランダからビデオ撮って楽しんでおりました爆笑


こうしてお隣のドンチャン騒ぎは受け入れ
次に自分がドンチャン騒ぎする時は受け入れてもらうという
受容のシステムで成り立っているんですね。


イタリアだったら怒りの生卵が
飛んできそうな気がしますが…。



こうして皆で楽しんで、
深夜2時にはお開きとなりました。

普通夜10時から朝方までの結婚式なのですが
こちらの結婚式は早目に終わってめでたし、めでたし。


そしてまた私と20人の親戚は
この家にそのままお泊まりとなりました。