やりたくないのにやってしまう理由




昨日は仲良しのショコちゃんの家に行ってきた。

ショコちゃん、ただいま妊娠中。
ついに臨月になり、足のむくみがやばかった😱


自分の妊娠中は、むくみで悩まされたことがなかったので、つらさは分からないのだけど、

あまりにもむくんでパンパンの足を見て、
痛そうで、かわいそうで、
フットマッサージしてあげた。


https://ameblo.jp/greenside-0720/entry-12910310815.html






別に私はマッサージするが好きなわけじゃない。

でも、やってあげたくなった。



これは無償の愛❤️



頼まれてもないのに、やっちゃうこと。

やってあげちゃうことって、みんなにもあるよね?


見返りを欲しかったわけじゃないし。

ただ私がしてあげたかっただけ。



その行為自体は好きじゃなくても、

やりたくなることはやればいい。



でも!!



私にはやりたくないのに、やってしまうことがある。




それは、期待されている時だ。



あぁ、こうして欲しいんだろうな。

こう言って欲しいんだろうな。



って思うと、やってしまう😑




今ね、頼まれてることがあるんだけど、

正直、全然やりたくないんだよね・・・。

でも、断ったら悪いかなってモヤモヤしてることを、抱えてる。



その話をショコちゃんと話してて、

深掘りしてもらって、

帰りの車の中でも自分で考えてて、


行き着いた答え。




あぁ、私、、、


期待に応えなきゃいけないって思ってる。

期待に応えないと失望されると思ってる。

失望されて、見放されるのが怖いんだ。



そうか。

結局根っこには「見放される恐怖」があったんだ。




ここまで気づいたのなら、

やることは一つ。





\断る/

だね。




断っても失望されない。

やらなくても、見放されない。


それを体感するには、まず断ること(やらないこと)を

しないと始まらんもんね。




こうやって、自分の前提に気づく事で、

より軽やかに生きていける気がする。



最初はさ、、、


相手に嫌な思いをさせたくない。

嫌な思いをさせてはいけない。


っていう気持ちが強いのかと思ってたの。



でも、

「期待に応えないと失望されて、見放される」

っていうほうが、ずっと本音に近かった。




つまり、相手を思いやってるようで、

結局、自分が怖かっただけwww



やっぱ自分www



みんなは、期待に応えなきゃ!って思うことない?


それってホントに「相手のため」?


それとも私みたいに、「自分が見捨てられるのが怖い」から?笑










こんにちは、ユキコです。


今日は、「罪悪感」についてのお話。

最近ふと思ったんです。

私、なんでこんなに罪悪感を抱えてるんだろう?って。

たとえば、
夫が働いてるのに、
私は自分の時間を楽しんでるとき。

「なんか申し訳ないなぁ…」  
「私ばっかり遊んでるみたいで悪いなぁ…」

そんな罪悪感を感じることがあります。

でも実はね。

私は「遊ぶのをやめる気」はないの笑い泣き
つまり、こういうこと。

\ 遊びはやめない。でも罪悪感は感じてる /

……これって何なんだろう?って思ったんです。

罪悪感を感じてるってことは、  
行動を変える気があるからじゃないの?  
でも私は、行動を変えるつもりはない。

じゃあ罪悪感って、なんのためにあるの?

答えはこうでした。

\ 罪悪感は「いい人でいたい自分」のためにある! /







そう。
本当は“遊ぶ自分”を正当化したくて、  
でも“いい人”でいたいから、  
罪悪感を抱えてバランスをとってたんです。

たとえば…

● 罪悪感を感じておけば、「悪いと思ってるから許して」ってアピールできる  
● 「私だって心は優しい人間なんだ」って、自分の良心を守れる  
● もし誰かに責められても「私は反省してるし!」って言える“保険”になる

……ね?  
罪悪感って、意外と便利だったりする(笑)

でも、これって結局“自分のための罪悪感”。

誰かのためでもないし、  
自分が本当に変わりたいと思ってるわけでもない。

だったら、もうこう言っちゃおう!

「私は遊びたい!自分の時間を楽しみたい!  
 そして、それを“悪いこと”って思いたくない!」

——そう、自分に素直になる。

罪悪感という“いい人アピール”をやめて、  
「私は、私の人生を楽しむ」って、堂々と宣言しよう✨

罪悪感って、感じてもいいけど、  
ずーっと持ち続ける必要はないもんね!




こんにちは、ユキコです。

実は私、小学生の通学の見守りボランティアをしてるの☺️

今朝はね、子どもたちが楽しそうに即興ソングを歌っていて、私もすごく元気をもらったの。

みんなで歌ってる姿が可愛いし、
小学生らしくて、いいじゃーーーん😍😍😍






って思ってたのに!!!

通りすがりの自転車の男性が一言。

「うるせーな💢」



・・・・

・・・・


はぁぁぁ!?!?💢  

なんなの!?  
ムカつくーーー!!

一応ね、心のことを学んできた私は、その人の背景を想像してみたよ。

「きっと、これまで色々あったのかもしれない…」
「大人になるまでに、心が閉じてしまうような体験があったのかも…」

そうやって理解しようとしてみた。

でもね、イライラはおさまらなかった!

むしろ、ますますムカついてきた!!


というわけで、"逆に"こうしてみた。

「哀れな奴め!」  
「かわいそうな人!」  
「ダサすぎ!」  

って、全力で見下してみたら……
めっちゃスッキリした🤣


そう。  
時に、人を見下したっていいじゃないか!

もちろん、常にそれでいいとは思ってない。  
だけど、自分の中の“ゲスい”部分を否定しすぎるのも違うと思う。

心が優しい人ほど、ちゃんとしようとしすぎて、そういう感情を無理やり抑え込みがち。

でもさ。

いい人・優しい人ほど、自分のゲスな面を許してあげよ。

ゲスな面なんて、あって当たり前。

だって人間だもの😉

というわけで。

\6月の目標/  
「ゲス野郎になる」

なんてね😎笑