《自己紹介》プライドだけは高かった中学時代 | 出産したけど働きたい!駐妻→現地採用→タイで出産→3月末本帰国予定☺︎

出産したけど働きたい!駐妻→現地採用→タイで出産→3月末本帰国予定☺︎

約11年間勤めた会社を辞めて主人の赴任先バンコクに行くことを決めた2017年末。
有り余る時間を満喫した結果やっぱり働きたい思いが爆発し、不妊治療の傍ら就職活動中。子供もキャリアも諦めたくない!そんな欲張りな私の奮闘記です。

みなさんこんにちは。

徐々にブルーな時期から脱出し
そしてしれっと引越しも終えたYukiです。


ここ最近連続してダークな記事をアップしましたが、
ようやく活動する元気が出てきました。


やっぱりホルモンバランスの乱れは恐ろしい…


この世の終わりとばかりに凹んでたのに、
今ではもうすっかり元気です真顔


どういうこっちゃ笑い泣き


…ということで今日から新生活スタート!
そして自己紹介の続きです。





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中学時代は水泳に明け暮れる日々。
1時間かけてスイミングスクールに通い、
選手コースで週5で泳いでました。


小学時代の苦い経験から
中学からはメガネをはずして通うことにした私。
(成長と共に目が良くなったらしい)


その一方で私のメガネをからかってた子が
中学に入ってメガネをかけ出した!


でもその頃にはメガネ男子&メガネ女子が増え
何も珍しいものでもなくなってた。


きっと私は流行りを先取りしすぎたんだね真顔


同級生がお化粧し出したり
彼氏ができたり
可愛くなっていく一方で


私は塩素で傷んだ茶髪をショートカットにし
真っ黒に日焼けした私はまるで男子真顔


小学時代から6年間
ずーっと同じ人を好きだったけど、
話したくても恥ずかしくて話すことができず。


今思えばなんてもったいない事をしていたんだ!


水泳のお陰で根性と体力はついたけど
自分の全てに自信がなく
好きな男の子に話しかけるなんて全く無理。


そんな歯がゆい中学時代を過ごしてました滝汗


この頃の私は本当に臆病で
自分の得意分野以外は
ひっそりと息を潜めて生きていたかったくらい。


でも相変わらず母親からのプレッシャーは強く


生徒会に立候補したり
学級委員になったり
合唱コンクールの伴奏をしたり。


きっと担任の先生にいい印象を与えようと
母も必死だったんだろう。


中学校では高校受験も控え
テストの成績もそこそこ良く
親の期待に応えようといい子を演じてた。


そうしている内に
自然と母親が求めるいい子を
自然と装えるようになってきた。


自分が何をしたいかよりも
何をすれば母親が喜ぶかを基準に
物事を選ぶようになった。


更に親の顔色ばかり伺っていたからか
空気を読むのが得意で、
察する能力が身についた(笑)


逆にできない自分を見られるのが嫌で
見えないところでは多少の努力はしたけど。


それでもいつしか、
塾に通いだした同級生が
ぐんぐん成績を伸ばしてきて
一方私の成績は伸び悩む。


そして迎えた高校受験。






父や叔父が通った高校に
私が通えるようになることを心待ちにする家族。


そこそこ勉強ができてたはずの私。

 



だがしかし!!
第一志望校に落ちましたチーン





周りからは大丈夫だろうと、
絶対受かるよ!と言われてたのを鵜呑みに
余裕こいてたらまさかの私だけ不合格真顔





人生ではじめての挫折とはこの事だろうか…


ショックすぎて
一日中泣いて。


でも友人は第一志望校に受かってるから
「おめでとう」って言うべきなのに
心のちっちゃな自分は言えなかった。


自分の弱みを見られたくない
プライドの塊みたいな自分は

高校に落ちたなんて恥ずかしすぎて
学校に行けるわけもなかった。



小学生時代に勉強ができるのは要領のいい子。
ちょっとでも勉強する習慣がついてたら、
テストなんてすぐいい点取れるんだと思う。


でも中学生時代に勉強ができるのは
勉強を継続する忍耐力がある子なんだろう。


私は大丈夫だろうと
高を括っていた自分が恥ずかしかった。


それと同時に悔しかった。
悔しくて悔しくて…また涙が出た。



結局私が通うことになったのは
家から1時間離れた私立大学付属の高校。



ここから私のリベンジは始まります(笑)



勉強に燃える高校時代に続く