《自己紹介》笑えなくなった暗黒の小学生時代 | 出産したけど働きたい!駐妻→現地採用→タイで出産→3月末本帰国予定☺︎

出産したけど働きたい!駐妻→現地採用→タイで出産→3月末本帰国予定☺︎

約11年間勤めた会社を辞めて主人の赴任先バンコクに行くことを決めた2017年末。
有り余る時間を満喫した結果やっぱり働きたい思いが爆発し、不妊治療の傍ら就職活動中。子供もキャリアも諦めたくない!そんな欲張りな私の奮闘記です。

私の今までの人生を振り返ると
沢山の挫折が私を強くしてくれたと思う。


何か予期せぬ辛いことがあっても
これ以上落ちる事はないと思えば
ポジティブになれるし、


それを乗り越える力が自分にはあるはずと
過信しているところもある(笑)

そんな自分を自己分析をしてみると


丸レッド好奇心旺盛
丸レッド感情が豊か
丸レッド根は真面目
丸レッド我慢強い
丸レッド一度決めたことはやり切る根性と体力がある


ちょっと涙もろいガテン系ニヤニヤ


これはきっと幼い頃の苦い経験や
様々な習い事をやり切った経験と
鬼厳しかった母親の影響が大きい。


そんな私のツールである小学生時代を
サラリと振り返ってみようと思います。

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生まれつきアトピーと喘息持ちだった私は
少しでも改善できたらと願う母の考えで
3歳からスイミングスクールに通っていた。


当時の私のアトピーの症状は最悪で、
頭以外ほぼ全身血だらけ。


掻き傷でボロボロだった。


毎晩痒みにうずく体にイライラして
「痒い」「痛い」と泣き叫びながら
眠りに就いていたらしい滝汗ひぇー


両親もきっと辛かっただろうな…


そんな私に
父は毎晩薬を塗って、全身に包帯を巻いて
痒みが紛れるように
私が寝るまで体をさすってくれたよう。
(有難すぎて泣けてくる笑い泣き


アトピーは全身に広がってるから
水着になるともちろん傷が目立つ訳で。


しかもプールに入ると傷が滲みて痛い


それでも泳ぐのが好きだったのと
辞めたくても辞めれない事情があり
その後中学を卒業するまで水泳は続けた。


そんな私の小学校時代は
一言で言うと《暗黒時代》だった。


6年間ずーっと習い事の毎日。


スイミング以外にも
週末3のそろばんにはじまり
エレクトーン、ピアノ、公文式etc.


日曜日もたまに大会や検定が入るけど
それ以外の平日はすべて
両親の送り迎えで習い事に通っていた。


今では過去の習い事は無駄ではなかったと
色んな経験をさせてくれた両親に
とっても感謝してるけど


遊びたい盛りの当時の私は
窮屈な毎日がストレスでしかなかった。


乱視のため
入学式から1人だけメガネちゃんだった私。


アトピーの肌を隠すように長袖ばかりを着て
更にメガネをかけてた私は
まずは《見た目》が違うからか
シカトされたり、影で笑われたりした。


クラスで浮いてる自分に気付いてる自分。


自分の娘が学校でいじめられてるなんて知ったら
きっと両親は悲しむだろうと思うと
申し訳なさすぎて


絶対に知られないよう大丈夫なフリをし
勉強や習い事を頑張ることで
母が期待する《良い子》でいた。


もとはよく笑い明るかった性格が
だんだん暗くなっていったのはこの頃。


そんな私に追い討ちをかけるように
母が毎日のように私に言った言葉。


「歯医者の娘として
恥ずかしくないようにしなさい」


父は町の歯医者さん。
母は歯科衛生士。


小さな田舎の町だから
家はみんなに知られてたし


母は私以上に自分に厳しく、
周りの目を気にする人だった。


母の期待に応えるべく
学級委員に立候補したり、
テストで100点は当たり前。


通信簿の成績は3段階評価のオール3。
習字を書けば金賞。
水泳記録会は新記録。


田舎の学校では
表面上は真面目な優等生だったと思う。


でも心の中は
アトピーにメガネという
見た目のコンプレックスと
母からのプレッシャーで爆発寸前だった。

私は長女だから
弟と妹の面倒もよく見て、
歯医者の娘として恥ずかしくないよう
勉強も努力した。


自慢の娘であるよう
本当に良く頑張っていたと思う。


でも人間関係だけは
どうしようもなかった。


辛くて途中で辞めたかった習い事も
「自分で決めた事は最後までやり遂げる」
という徹底した教育信念のもとに
母が許すまではずーっと通い続けた。


本当は泣き言を言いたくて、
逃げ出したくて
誰かにすがりついて甘えたかったのに


絶対的地位にいる母親の言うことに従い
我慢して我慢して毎日を過ごす内に


親に甘えるということを忘れ
笑えなくなり
感情を出すことが
だんだんできなくなっていった。


「なんで私ばっかり塾に行かなきゃいけないんだろ。」
「なんで私ばっかりやりたくないのにやらなきゃ行けないんだろ。」
「なんで私ばっかりこんな身体に産まれたんだろう。」

その頃から
髪の毛を抜くという変な癖が出たり
自分の体を傷つけるようなことをしたり
ちょっと危ない子になっていった。


アトピーでメガネで髪の毛を抜く
笑わない女子真顔


ついたあだ名は「禿げのメガネザル」


運動神経は良かったからサルなのか?
それにしてもハゲって…酷すぎるチーン


でももしそんな子が近くにいたら
小学生じゃなくとも戸惑うと思う


だからもう仕方がない。


しかもそういう風に影で呼ばれて
授業で私とペアを組みたがる子もいなくても


悲しいを通り越して無の境地。
何にも感じませんでした。


どこにもぶつけられない感情を
授業中、ブチブチと髪を抜きながら
無意識に発散してた。


そしてまた髪がなくなる…
気持ち悪いですよね笑い泣き


たぶん、いやきっと
心を病んでたんです真顔


それでも何かを学ぶ事は大好きで


現実逃避できる読書も
ドロドロした感情を浄化してくれる音楽も
水の中で1人になれる水泳も

私には必要な大事な時間で熱中した。


母親に反発しながらも続けた習い事は
ある程度結果を残すことができたので
本当にやって良かったと思う。


そろばんでは珠算検定参段、暗算検定参段
エレクトーンでは地区大会入賞
水泳大会では新記録やリレーでの入賞


でもそういった目に
見える成果だけじゃなくて


細かく指を使うそろばんは
集中力や計算力を鍛えてくれたし

ピアノやエレクトーンのお陰で
絶対音感が身につき

水泳を続けることで
喘息が治り、体力と根性がついた。


こういった小学時代の踏ん張りがあったから
私の知的好奇心は強くて
人一倍負けん気が強いんだと思う


私の小学校6年間は
アトピーと戦いながらも
早い段階で人間関係のストレスを経験し悩み
夢中になれる習い事に時間を費やした時期。


その一方で、
私が心の中の闇から抜け出すには
まだ時間がかかるのでした真顔



なんだか暗くて重い話になってしまいましたが
今の私はとってもポジティブで幸せですので
ご安心を(笑)!!


つづく。