「お母さん、公園についてきて。」

 

と、息子に頼まれることがあった。

彼がまだ小学校低学年だった頃のことである。

 

友人と公園で遊ぶ約束をしても、時間通りに来なかったり、約束を反故にされたりして一人待ちぼうけとなることがあったからだ。


 

公園は我が家から少し遠い場所にあって、そこへ一人で行き、一人で友人を待ち、誰も来なければ一人でまた帰る、というこれが幼い息子には不安だったらしい。

 

こういう時にサッと付いて行けるように、私はヒマな専業主婦をしていると言っても過言ではなかったから、 息子に希望されたときには必ず付き添って行った。

 

 

 

一人行動も、留守番も、一人寝もなんでも、早くできたらすごいみたいなところがあるが、別にあれらは、子に急かすべきものでもないと思っている。

 

本人のスピードで、心に充分な安心を蓄えてから、本人のタイミングで何でも進めていけばいい。

 

息子の中にあった公園行きへの不安もじきに無くなり、今ではどこまでも一人で行くようになった。

 

 

 

 

 

 

「不安なときは遠慮せずに、なんでも母に言え」と、当時息子にはいつも伝えていた。

 

その通りに息子は私を頼り、ときに公園へも一緒に向かった。


ただしそれは、万が一公園で一人になったときのためだったから、現地にちゃんとお友だちがいた瞬間、母の私はお役御免となる。

 

「お母さん、もういいよ!バイバイ!」と、そこそこの距離を自転車で来たのに、間髪を入れずお暇を言い渡される。


 

その様子はさながら、不要になったらポイッと捨てられる使い捨てカイロの如く…

であったが、このあっさりとした息子の去り際を見るのが、実は私は大好きだった。

 

「親への遠慮」みたいなものが、彼の言動からはみじんも感じられなかったからだ。

 

 

 

私自身は幼い頃、母というのは頼る対象ではなかった。


片耳があまり聞こえず、人前で字を書くことも苦手で、知らない人とうまく会話ができない母を、一人でポンッと置き去りにするようなことは、絶対にできないと思っていた。

 

スーパー 併設の服屋に行けば私は、自分の服を見るよりも、母のところへ店員が声かけしてこないかと目を光らせていた。

 

店の人が何を言っているか、私が仲介役として母へ伝えなければと思っていたからだ。

もし強めに売り込みをかけられていたら、母の代わりに私が断ってやらねばとも思っていた。

 

 

実際、店員に話しかけられたときの母は、店員ではなく私のことをジッと見ていた。

 

なんとかしてくれ、と言わんばかりの不安気な様子で母は、まだ中学生くらいだった私のことをずっと目で追っていたのである。

 

 

 

 

 

だから、幼い頃の私が「母に保護してもらった」という意識はあまりない。

 

母を頼っても共倒れになるだけだと思って、とにかく自分がしっかりしなければと、そんな強い気持ちがあった。

 

成長してからの塾の面談や、高校の三者面談等でも同様であった。

先生に何を言われるかなんて心配したことはない。

 

耳の聞こえにくい母と、それを知らない先生との間で、いかにスムーズに会話を進めさせるか、そのためにひたすら自分の役目を果たす時間であった。

 

先生が母へ大事なことを伝えても、母は覚えていられないので、全て私が自分の頭に入れて帰った。

 


その結果、傍目には早い内から「しっかりした娘さん」として育った私ではあるが、母子としてはやはり、不均衡な何かがあった。


「何でもしてくれる優しいお母さん」は私にとってお伽話だったし、今でもそう思っている。

 

 

 

 

 

それに引きかえ、息子のなんと自由なことか。 

不安なときにはくっ付いて、要らなくなったらあっさりと離れる。

 

母への遠慮というものがちっとも見られず、私へ最大限に気を許している彼の様子が本当に子どもらしく、可愛かった。

 

私もきっとこんなふうに、何も考えずに単純に、母に保護されたかったはずだ。

 

公園で勝手気ままに「お暇」を言い渡す息子を見るたびに、まるで真逆な幼少期の自分の気持ちが今さらに呼び起こされて、ちょっと泣きたくなっていた。

 

そして、のびのびと過ごす様子の息子がとても誇らしかったのである。

 

 

 

尚、息子の名誉のために付け加えておくが、彼は唯一 公園へ行くときだけはあんな様子だったけれど、他の面ではいつも、私の気持ちをおもんぱかってくれる子だ。

 

また、特性のあった母も母なりに、一生けん命私を育ててくれたと思う。

 

私は私で、あのドライな母の存在を今大切に思っている。

 

 

今後、老いていく母を保護していくことで、私は、母のお腹から産まれた私のことをも丸ごと全部引っくるめて、自分で温かく保護していく。

 

母に保護してほしかった、という自分の気持ちも、母によってではなく自分自身で、癒していくのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

いい母は天国に行ける。

悪い母はどこでへも行ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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