私の辞書に「後悔」の二文字はありません。体を壊した時も、夫を恨んだ時も、別の選択肢を取ればよかったということは思いませんでした。
常に最善を選んだけれど、それでもうまくいかないことはある、と自分の選択には自信を持って人生を歩んできましたが、人生に無かったはずの「後悔」を初めて感じたのが育児についてです。
 
私は息子がまだ幼かった頃、自分がどんな風に育児していたかという記憶がありません。覚えているのは、眠れなかった、苦しかった、乳が詰まって痛かった、そういう自分の負の感情ばかりで、子がいつ寝返りしたとか、初めて立ったとか、親として嬉しかったとか、そういった好ましい記憶が全くありません。
 
「自分の子が可愛い」ということは一切感じずにひたすら義務感で育てるという育児をしてきましたが、出産前の友人のアドバイスがあったおかげで私はそんな中でも子の動画を撮りまくっており、それを今振り返って、幼い頃の息子はこんなに可愛かったということを何年も経ってからやっと知りました。
育児は大変だけど、我が子は可愛いなあ。とそんな気持ちで育児をしたことがなく、苦しい、苦しい、苦しい、その連続だけで乳幼児期が終わってしまいました。
 
人が何かを「忘れる」のは健康に生きていく為の立派な脳の機能だそうです。「忘れる」機能が無く全てを覚えてしまっていたら、幸せな記憶と同様に痛みや苦しみまでも忘れられずにいたら、人は苦しくて生きていけません。
 
女性は出産の痛みを忘れると言いますが、私は出産の傷みどころか子を育てた記憶まで無くしてしまいました。「ただ苦しいだけの日々だった」というボヤっとした悲しい空気が、私に唯一残る子育ての記憶です。
 
 
仲良しのお隣さんの子が先日2歳になりました。これがとても可愛く、大人がしたことすべてに一生懸命笑い返してくれます。
人の子でこれだけ可愛いのに、私は何故、自分の子が可愛く笑う様子を全く覚えていないのだろうかと悲しくなりました。
息子が幼かった頃のケタケタ言っている笑い声や表情が、動画の中には確かにあるのに私の頭の中にはありません。あの頃は可愛かったなあと振り返るだけの記憶が私から出てこないのです。
 
それでもこれが私の人生だ、と堂々と言えるような気持ちは無く、苦しいだけで終わった育児をひたすらに後悔しています。もう一度やり直せたら今度は絶対に間違えないと思いますが、やり直せる日は一生ありません。
ワンオペでさえなければ、夫と育児を共有できてさえいれば、そういう憎々しい思いが渦巻いて、この思いはいつになったら消えるだろうかと、育児への後悔が自分の人生に影を落としています。
 
 

 

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