冬休み、年末近くなっても仕事を休めないママ友の子を、我が家で一日預かった。
いきなり長い注釈を付けるが、
一日預かったといってもそう長い時間ではなく、子ども同士で遊ぶのを私は後ろから見ているだけで、お昼ごはんもお友だちの分はママが弁当を持たせてくれていたから私の仕事は特になにも…。
この日、午前中は我が家でテレビゲームをし、午後からは公園へ行った。
平時なら付き添いも不要であるが、最近公園利用者間での暴力トラブルが多く、よそ様の子をおあずかりした身として念のため付いて行くことにした。
3時間の公園遊びでは結局何の問題も起こらなかったが、ひとつ困り事があったとすれば極度に寒かったことである。
強風も手伝って、体感気温は3℃といったところか。
耳あてをして、ユニクロのウルトラライトダウンを着て、その上からひざ丈のダウンコートを着て、暖パンを履き、さらにキルティングスカートも重ね、足元は数cmの積書でも水が染み込まない寒冷地仕様のボアブーツまで履いていたのにまだ
寒い。
昼食を済ませて来たにも関わらず、ほどなくして空腹まで感じ始めた。この寒さに耐えるべく、自分の体が爆発的なカロリー消費をしているとみた。
似たような寒さでも、子が幼児だった頃はもうちょっと頑張れていた気がする。
サムイサムイと言いながらも、子の後ろを追いかけることで体を暖めながらそれなりに過ごしていた、それが今はどうだ。
年々着々と齢を重ねていることと、子をいちいち追いかけなくても済むほどに彼らがすっかり成長したことと、そういう現実をいっぺんに感じる極寒の公園であった。
一人寒さにふるえていたら、ふと思い出したことがある。
私が幼い頃、実家で大雪が降り、父が庭にかまくらを作ってくれたときのことだ。
人が二人入れるくらいのかまくらを、スコップひとつで作ってくれた。
私が頼んだわけではない。
父がおもしろがって勝手に作ったのだ。
そして見事に完成し、中に入ってみろと勧められたが私は入りたくなかった。
素人仕事のかまくら、いつ崩れるか分かったもんじゃない。中に入ったとたんに天井から潰れたら私は圧死してしまうじゃないか、と。
見当違いな恐怖から入るのを渋る私に代わって、母が入った。
当時母は30代半ば、今の私より少し若いくらいだった。
かまくらの中でただニコニコしているだけの彼女の方が、子どもの頃の、そして、今の私よりもはるかに無邪気であった。
母が寒くて死にそうにしている姿も、暑さでイラついているような様子もこれまでに見たことがない。
自然のまま、あるがままを受け入れるあの人から、なぜ私みたいに神経質なのが産まれたかいまだに分からない。
そんな昔話をつらつらと思い出していた平和な真冬の公園であったが、お友だちを家まで送り、帰宅した直後私は床に倒れ込んだ。
自分でも前触れなく、突然立てなくなったのだ。
疲労かと思いきや徐々に熱っぽさまで感じてきて、体温を測るといきなり38℃になっていた。
翌朝には一旦平熱に戻るも、その夜には再び39℃を超えた。
これは絶対なんかアカンやつや
慌てて検査に行ったところ、インフルエンザもコロナも陰性。ただのキツめの風邪とのこと。
寒いというだけで高熱を出すのが神経質な私の、 まもなく四十の肉体である。
この話には続きがあって、次回仮タイトル「ヤブ医者と呼ばれる医者へ年末駆け込むの巻」。
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