私の実家は、ちょっと特殊な自営業をしている。年収は低い。

父がダブルワークをしなければ、うちは非課税世帯だった。

 

自宅を離れられない職種だったので、家族そろって泊まりがけの旅行をしたことがない。

どんな土地にどんなものがあるのか、私が直接触れるような機会はなかった。

 

 

遊園地とか、美術館とか、海水浴とか、そういう場所へも物心ついてからは行ったことがない。

お出かけ中に父の仕事が入ってしまうと大変なので、出かけたところで親もゆっくり楽しめはしなかったろう。

 

そんな生活で特に不満は無かったし、不便も無かった。

 

 

 

 

 

今の教育では、「幼い頃には体験を」とよく言われるらしい。

泥んこ遊びとか、遊具遊びとか、魚釣りとか、キャンプとか。

 

私自身が幼い頃は、毎日家でテレビを見るか、漫画を読むかしていたら日が暮れた。平日はもちろん、夏休みもそうだった。

 

近所の友達と遊ぶこともあったけれど、友達にだって都合がある。

 

だから夏休みは、毎日毎日朝から晩まで、テレビをみていた。

 

 

朝9時頃までは面白い番組があるが、10時を過ぎたら中高生向けの番組になって、正午を回ると主婦や老人向けの番組になる。

 

夕方5時辺りからまた子ども向けになるんだけど、それまでずっと、何か面白そうな番組は無いかとチャンネルをくるくる変えていた。

 

母が一緒に遊んでくれることはなかった。

 

 

 

 

 

旅行は勿論、動物園にも博物館にも行かないし、海にも山にも一切行かない。

 

大きな遊具で体いっぱい遊ぶとかいう機会も無い子供だったから、親から与えられる知育的な「体験」というものはゼロに近かった。

 

ただし、小学生の時にはスーパーファミコンを買ってもらえたし、中学からは塾に行かせてもらった。スイミングやサッカーの習い事をしていたこともある。

 

だから、いわゆる「体験貧困」ではない。家族でのレジャー機会が無かったというだけだ。

 

家族では行かなくても学校で社会科見学をした。美術館や植物園に行く機会もあった。

 

そういう子供時代だったので、別に休日の、家族とのお出かけで、知育的な「体験」や「経験」なんて少々無くても…と思わなくもない。

 

 

 

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ただ、私自身が小学生だった頃、「経験格差」というものについて、ちょっと考えたことがある。

 

それは、大昔、家族で焼肉を食べに行った時のこと。

 

 

当時私は小学3年生くらいだったと思う。

焼肉屋さんで肉を焼いていたら、脂でボウッと上がってしまった火を抑えるために、父がコンロの火を自分で小さくした。

 

そのとき私は、幼い頭でこんなことを考えていた。

 

 

「焼肉屋さんのコンロの火は、(少なくともその店舗では)当たり前に客が調整することを、私は知っている。

だから大人になっても、焼肉屋で困ることはないだろう。自分で火を強くしたり、食べ終えたら消すなどしてきっとスムーズに過ごせる。

 

でも、小さい時に一度も家族で焼肉屋に行ったことがないと、そのまま大人になったら焼肉の火をどうするべきか迷ってしまいそうだ。

 

火の調整をできずに肉を焦がしてしまうかもしれないし、もしかしたらそういうことが分からないのが不安で、ずっと焼肉屋に行かないという人もいるかもしれない。

 

幼いうちにとりあえずでも経験しておくって、結構大事なことなのかな」

 

 

 

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経験・体験格差というものについて、私が人生で初めてちゃんと考えたのは、おそらくあの焼肉店でだと思う。

 

経験がないまま大きくなると、機会損失につながりかねない、そのことが子どもながらに体感で分かった。

 

 

ただこれにも続きがあって、幼い頃の(ライトな)経験格差は、成長してからの友人の存在が結構埋めてくれるのだ。

 

例えば私は、実家で鍋料理をしたことがなかった。

だから何を用意すれば良いのかさっぱり分からなかったが、そういうことは大学時代の友人たちが全て私に教えてくれた。

 

マクドナルドでの注文の仕方とか、ファミレスでのドリンクバーの使い方とか、旅行先での動き方とか、ディズニーランドの歩き方とか、海での遊び方、キャンプ場での、ご飯の炊き方まで。

もっと小さなところなら、自分に合う洋服の選び方とか。

 

 

私の母は少し特性のある人だったためか、私の服を直接に選んでもらったことがない。

いとこのお下がりか、私が自分で、スーパーの二階やなんかで「これを買って」と選んでいた。

 

だから、どんなお店に行けば手頃で可愛い服が手に入るかも分からなかったし、ブラジャーにサイズがあるなんてことも知らなかった。

 

 

けれど、母の代わりに大学時代の友人が、いろんなことを教えてくれた。海水浴に使う水着の選び方も、友人が教えてくれた。

 

経験は親に与えられなくても、その後に友人が与えてくれるんだと私はあの頃感じていた。

 

大学時代の友人と関わることは少なくなったが、それでも彼ら彼女らは、今の私の宝だ。

 

 

 

 

家計や家庭環境のせいで経験格差を生むことは確かにあるとは思うが、そう極端なものでなければ大体、友人との関わりの中で巻き返せる。

 

「今の時代に私たちが考えるような」体験や経験の不足は、多分大した差じゃない。

 

基本的な生活を整えさえしてあげていれば、忙しい父母が更に「子供に良い体験をさせてあげられなくて…」なんて思い悩む必要はないし、夏休みにどこにも行かなくたって安全な家があれば充分だと思う。

 

いかに経験させるかよりも、自分が経験していないことを「分からないから教えて欲しい」と他人に聞ける、そういう素直さみたいなものを育てることのほうが、後の人生では生きると思っている。

 

 

親が教えてあげられることは少ないし、家庭ごとの格差もある。

でも、多分どこかで、巻き返せる。

 

僅か20年にも満たないうちに子どもは巣立っていって、そこから先の人生のほうがはるかに長い。

幼少期に経験できなかったことも、いつかどこかで経験できる。友達がいれば。自分以外の人間と、ちゃんと関わることができれば。

 

「親が積ませる経験」よりも、大事なのはそこだと思っている。

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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