我が家は毎冬、インフルエンザの予防接種を家族で受けています。
 
10月の結構早い段階で接種を済ませてしまうので、私は息子に聞くでもなく聞いてみました。
「クラスの他の子も、もう予防接種受けてるのかな。それともまだなのかな。」
 
それに対して、息子からは思わぬセリフが返ってきました。
 
「そういう話は、しないようにしているから分からない」、と。
 
 
なぜそうしているのか息子に聞いたところ、彼はこのように言いました。
 
「インフルエンザの注射をするとかしないとか、視力検査の結果が良いとか悪いとか、身体測定がどうだったとかそういう話は、自分の弱いところを話さないといけない人もいる。だから僕は、聞かないようにしている。」
 
先生から、このような指導が特にあったわけでは無いそうです。
まだ8歳の息子が自分で考え、そのような配慮をしていたと知って私は本当に驚きました。
 
 
 
例えば私は、コロナのワクチンを打ったかどうかはあんまり話題にしない方が良いかもしれないね、と家庭内で話したことがあります。
 
また学校では先生が、誰がコロナになったとかなってないとか、そういう噂話はやめようと生徒に指導しています。
 
女が学校制服でズボンを選んでも良いし、男がピンク色の荷物袋を持っても良いことになっています。
 
おそらく彼は、僅か8年間の人生で、こういった経験から様々なことを学んだのだろうと思います。
 
 
現在37歳の私は大人になってからの付け焼き刃で「多様性」や「マイノリティー」などを語るわけですが、8歳の息子は違います。
 
彼が物心ついた頃にはすでに、LGBTQや、外からは分からない障害についてなどを考えたり、話したり、教えてもらったりする機会が沢山ありました。
 
息子は、心がまだ真っ白な時からそういったものを当然に受け止めていて、深い意識の層を作っています。
偏見という濁った水もその層で濾して、自分で綺麗な水にしてから飲むことができます。
 
 
 
 
人は、幼い頃からの教育でいかようにも変わるということが、この度の息子の自然な発言からよく分かりました。
 
幼かった昔の私が生きた事のない「多様性の時代」を、彼は今生きているのだと思いました。
 
 
多様性多様性と、一部の大人が何を声高に叫んだところで、と感じる人もいるかもしれません。
 
しかし、昔は女性に参政権が無かっただなんて今の私にはとても信じられないように、古い人間には形だけだったものが、その後の人間にとっては決して形だけではないものにいずれ変わっていくのだろうと思います。
 
たとえ上部だけだったとしても「大人の建前」が変われば、それを見つめる子供たちはごくごく自然な形で「内面から」変わっていくという事実を、私は目の当たりにしました。
 
 
 

 

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