私が幼い頃によく遊んでいたのが、リカちゃん人形です。小学生になってからも、10歳頃まで遊んでいたと思います。
 
小さな衣装をチマチマと着せ替え、こじんまりしたリカちゃんハウスにセッティングするのが楽しくて大好きでした。
 
 
 
 
中学生になり自室を持った私は、思い出のリカちゃんをオブジェとして飾ろうと、母にありかを尋ねました。
 
ところが、あれはもうない、とのこと。
お隣さんにあげた、と母はなんでも無いことのように言いました。
 
 
リカちゃん人形よりほかの、要らないから捨ててくれと母に散々伝えてあった私の古い教科書や、工作作品類は、すべて山ほど残っていました。
 
しかし、あのリカちゃんだけがもう無いのです。
 
 
私がどうでも良いと思っているものは自分の気持ち一つでいつまでも置いておくくせに、私の大事なリカちゃんはなぜ勝手に処分したかと私は激怒しました。
 
 
あれから私も成長し、母の「特性」を知った今となっては、一連の事柄もよくある昔話のひとつとなりました。
 
それでも、結婚して私が産んだのが息子ではなくもし娘であったらば、あのリカちゃんで我が子と遊びたかったといつまでも思ったろう気がしています。
 
 
 
 
そんな経験のある私が自分の育児で非常に気をつけているのが、「息子のおもちゃを私の独断で処分しないこと」です。
 
 
おもちゃを整理するとき、息子がまだ幼いうちから私は、彼に直接いるかいらないかを聞いてから手放すようにしていました。
 
お察しかと思いますがこのやり方だと、部屋のものはなかなか減りません。
 
しかし、大事なものが知らぬ間に消えた結果手に入る整頓よりも、自分の気持ちがきちんと汲まれた上での散らかりの方が、息子の心にとってはよほど望ましいと思い、ずっとそのようにしてきました。
 
 
 
それが影響したかは分かりませんが、幸いにも息子は物への過剰な執着を持たずに、比較的冷静に要不要を判断できる子になりました。
 
私のように、「いつ失うか分からない不安」から判断力が鈍るようなことはありません。
 
 
 
 
 
さて先日、息子が自分で整理したのが、おもちゃのミニカーです。
もらったものが沢山あり箱に収まらなくなっていたのを、遊ぶ・遊ばないで分別していきました。
 
 
息子が要らないと言ったものについて、この後どうするかを私は彼に聞きました。
 
リサイクルショップでお金に換えることもできるし、車好きのお隣さんの子にあげることもできるが、どうしたいか。と尋ねたところ、彼は是非お隣さんへ、と言いました。
 
「僕が使っていたおもちゃを、またお隣さんが使ってくれたら嬉しい!」
 
ミニカーの第二の人生って感じがする、と前向きに語る息子を見ているうちに私は、私のリカちゃん人形がお隣さんのものとなり、母に怒った昔のことを思い出しました。
 
 
目と鼻の先にある私のリカちゃんは、もう二度と私のものにはならない。
悲しい気持ちが渦巻いた幼い頃の私と、自分のおもちゃが他人の手に渡るのを喜んで見守る息子と。
 
私も彼のように、自分で決めたかったのです。
母に勝手に処分されるのではなく、もう遊ばないリカちゃんはお隣さんにあげて良いよと、自分でちゃんと決めたかったと思います。
 
 
 
 
 
 

 

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