
私の実家は、ちょっと特殊な自営業をしている。
なかなか家を空けることができず、母は大体、自宅にいた。
自営業の仕事をしたり、家事をしたりしていたのだけど、そういうものがないとき、母はいつもテレビを見ていた。
厳密に言うと「趣味の裁縫をしながらテレビを見て」いて、見ている番組というのが大抵、海外の政治情勢を伝える衛星放送番組だった。
海外アナウンサーの中継が、日本語の同時通訳で流れる。
難しいことを早口で言うので、集中して聞かないと、いや、集中して聞いても何を言っているのか分からないことがある。
各国の位置関係とか、歴史とか、文化みたいなものが頭に入っていないと、理解するには難しいような報道番組だった。
そういうものを、母はいつも好んでつけていた。じっと集中して見ていることもあった。
母は特性のある人で、人前で字を書くのが難しい。銀行のATMも使えない。
漢字を読むのも苦手だし、知能テストの結果をおして入学した小学校では、通常学級の授業に付いていけずに、大変苦労したと聞いた。
そして、片耳がほとんど聞こえない。
そんな母がなぜ、あんなに難しい報道番組を好んで見ているのかと、不思議に思っていた。
その後私は、大学進学を機に実家を離れ、一人暮らしを始めた。
母との生活は終わり、母という人間について一歩離れたところから眺めるようになってから、見えてきたことがあった。
母は、学生時代に学べなかったことを、すっかり大人になった今、もう一度学ぼうとしていたのではないかと。
四字熟語の本や、漢字の書き取りの本や、小学生向けにまとめられた古典文学の本が、わずかながら母の部屋にあったことを思い出した。
私には、母と遊んだ記憶がほとんどない。
母はずっと、部屋で裁縫をし、テレビを見ていて、私が来るとちょっと迷惑そうにしていた。
わが子どころじゃなさそうだった母の様子は、いまだによく覚えている。
寂しい記憶ではあるけれども、母も母なりに、受験期の高校生みたいに、必死に何かを吸収しようと集中していたのかもしれない。
今でもたまに実家に帰ると、やはり母はテレビを見ている。
でも、昔ほど私を邪魔にしている様子はなくて、私が同じ部屋にいてもあっちいけという感じではない。
私を産んでからの38年という月日の中で、母はある程度のものを、取り戻せたのかもしれない。
難しい報道番組で見聞きしたことを、家族に披露することもある。「あの社会問題って、あの国のせいなんだって」、みたいなことをボソッと発する母。
それを父が、「へ〜!」と相槌打ちながら聞いている。
そんなの当たり前だろとか、そんなことも知らなかったのかなんて言わない。
または父も、本当に知らないだけかもしれない。
母の母、私から見れば祖母もまたおそらく特性のある人だったから、母はきっと、「ねえねえお母さん、聞いて聞いて」と、自分の話を実母に聞いてもらった経験が極端に少なかったはずだ。
それを今、実母ではなく、自身の夫である私の父に向けて、「ねえねえ聞いて聞いて」と、控えめにしているようだった。
母としての母ではなく、一人の人間としての母について考えると、自分の子どもにも増してまずは自分自身を取り戻したいという、その衝動はなんだか分かる気がする。
私と喋らず、じっと一人でテレビを見ていた母が、あの時間のおかげで人生を取り戻せたのであれば。
そんな母の人生の、途中を通過していった者として私は、子として母からの愛情を求めるよりも、お母さん良かったねと、一人の人間として言ってあげたい気がしている。
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