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ブログにアンチコメントが来た、という話を昔、知り合いから立て続けに聞くことがあった。
アンチコメントはなぜ無くならないんだろうかと考えてみた。
あるテレビ番組で知ったのだが、説教とは快楽であるらしい。
確かアメリカの研究チームが発表した論文に寄る情報だったと思う。
他人に正論(らしきもの)をぶつけるとき、つまり説教をしている時、説教している人の脳内には快楽感情に関わる「ドーパミン」というホルモン物質がドバッと出る。
SEKAI NO OWARIの歌詞にもある。
説教は、快楽。
アンチコメントが無くならない一番の理由は、これだろうか。
上司が部下に説教をするとか、夫が妻に説教をするとかいうとき、それが行き過ぎてパワハラ・モラハラとなることがある。
加害者がその状態からなかなか抜け出せないのは、中毒状態になっているからだという。
薬物中毒や、アルコール中毒と同じ状態である。たとえやめたいと思っても、簡単にはやめられない状態。説教をし続けてしまう状態。
アンチコメントも似たような感じだろうかと番組を見ながら考えた。
アンチコメントというものにもいくつか種類がある様子。
記事の中身にかかわらず、とにかく罵詈雑言を並べ立てる系のものもあれば、理路整然と正しい主張をし続ける系のものも広く、「アンチ」と呼ばれることがある。
後者をアンチと思うかどうかは受け取り側の心情で変わるわけだが、これについて本当にたまたま、とある方のブログにお邪魔したら、「過去に厳しいコメントを書いてばかりいた時期がある」という話を書いていらした。
読みやすい文章に乗せて、アンチコメントをする側の心理状態を冷静に、しかし赤裸々に書かれていた。
記事本文と共に大変印象深かったのが、その方が記事終わりに、コメントでふと書かれた下記の一言である。
「一番依存性があるのは正義を振りかざして相手を滅多打ちにすることなのかもしれない」
尚、そのブロガーさんご自身が、正義を振りかざすようなコメントをしていたという話ではない。
そういう類のコメントの方が依存性は高いかもしれないという、ご本人の客観的な分析である。
これは、私がテレビで見た、アメリカの論文と同じだ!と思った。
説教で快楽を得るには「自己開示」というものが必要らしいからだ。
つまり、何を言っているかよく分からない滅茶苦茶なことを書くよりも、自分の主義主張を正確に相手へぶつける「内面吐露型」の方が、ドーパミンがドバッと出るわけだ。
正義を振りかざして滅多打ち、というやり方がまさにこれだと思った。
理路整然系のアンチコメントが無くならないのも、このドーパミンのせいだろう。
中毒症状のせい、もしくは中毒症状に至らざるを得なかった環境が悪いのであって、書いているその人のせいというわけではないのかもしれない。
そして「本能」的な快楽により発生するアンチコメントを、「理性」に訴えて止めることは不可能であると、割り切る必要もあるかもしれない。
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