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The Sence of Wonder

呼吸器医として、喘息・結核の診療の傍ら、卒煙支援もしています。
二児の母として、妻として、医師として・・・
日常のほんのちょっとした Sense of wonder を発信しています。

今年の夏は、森の中ですごす機会がとても多かったですが、
キャンプやバーベキューが中心。

連休後半、久しぶりに山歩きをしてきました。
先頭を行かせて、うしろから褒めどおしたせいか、
娘の登りのスピードの速さに驚き。
赤ちゃん抱っこのパパは、追いつくのに必死。
なんと、コースタイムを上回って登頂です。

しかし、さすがに子どもですね~。
ペース配分ができず、くだりはバテバテで足が止まってました・・。
もうちょっとゆっくり登って、花や景色を楽しみたかったなあ。

夏のような日差しでしたが、もう蝉の鳴く声も少なく、
山中はしっかりと秋の気配。コスモスも揺れていましたよ~。

さて、今日は924日、今年も始まりました「結核予防週間」。
ビートたけしさんのポスター、見かけた方もいらっしゃるかと思います。

女医・ゆきみんと先生の診察室から

私にとって、今年は、結核との関わりに大きな変化があった年。
前回の日記にも書きましたが、ある方との出会いを通じて、
社会的弱者の方の結核診療に携わる事になったからです。
仕事も、住む場所も、家族もなく、
その日食べるものにも苦労している人たち。
おそらく、日本で最も結核罹患率が高く、治療導入も難しい・・・。

もともと、私は、海外での医療支援を志し、
主に、感染症の勉強をしていました。

WHO
の推計によると、世界の総人口(65億人)の約3分の1が
結核に感染していて、およそ170万人が結核で命を落としています。
私もいつか、結核対策プロジェクトの技術支援で国際協力を・・。
その夢は今も持ち続けています。

海外はさておき、日本において、いまどき結核で亡くなるなんて、
と思う方も多いでしょう。
けれど、今回、私が関わるようになった地域では、
1999
年から2000年までの一年間に、220名の結核患者のうち、
32
名(14.5%)が亡くなっていました。
彼らの置かれている社会環境は、途上国の人たちと同じように
とても厳しいのだと実感するデータです。

入院や服薬の自己中断も多く、治療の完遂もままならない。
人間関係にも不信があり、信頼を築くのに時間がかかる。

このような地域で、医療支援をしていく事は、
私にとって、挑戦であり、勉強であり、
夢をかなえるための大きなステップになる予感がします。

最近、とても嬉しかった言葉。

「自分の夢を、かわりに実現してくれているね」

この地域に以前から関心を持って、なにか関わりたいと思っていた
夫からの言葉です。

そして、私にとって、
仕事以外のもう一つの大事な夢は、
家族を一番大切にして、人生を送ること。

休みごとに、大好きな自然の中に家族を連れ出して、
楽しい経験をたくさんさせてくれる・・・
私の夢をかなえてくれている、我が夫に感謝です!

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月の夏休みの様子は、また、後日ご報告したいなーと思います。
まめに更新しようと思いつつ、最近月1ペースで長文続き・・。
しばらくは、気楽に書いてアップしようっと。

ふう、残暑が続きますね。

我が家はようやく今週末から夏休み。北国で涼んできます。


最近感動的な出来事があったので、記憶が薄れないうちに・・と

思って書いています。

長文なので、お時間のある方はどうぞ。

彼がI氏の名前を知ったのは、

まだ山に登り始める前の、高校生のとき。

偶然書店で手にとった一冊の本。



「北の山の栄光と悲劇」滝本幸夫



昭和初期、北の山の未踏のピークを極めた北大山岳部。

本は、その9名が昭和1515日に日高のペテガリ岳へ挑戦し、

雪崩によって8名を失うという悲劇から、始められています。

悲しみを乗り越えて、昭和1815日、くしくも雪崩のあったその日に

部員のI氏とS氏が、とうとう厳冬期のペテガリ岳初登頂を果たします。

http://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=338


その後、登山に夢中になり、とりわけ北の山、日高に魅せられた彼にとって

ペテガリ厳冬期初登頂者の名前は深く刻まれました。

その頃、私は大学を卒業後、熱帯医学の専門施設に入り、

国際医療協力を夢見て、主に呼吸器感染症と結核を勉強していました。

結核患者は少なくなりましたが、感染者の多くが

社会的サポートを必要とする弱者であり、

さまざまな分野のスタッフと協力して、彼らを社会復帰させる仕事に

私はとてもやりがいを感じて、海外の医療過疎地での支援に

通じるところがあるように思っていました。



その後、人生の転機が訪れて故郷の北海道に戻り、

北の山を愛する彼と出会いました。

私たちは家族となり、私はふたたび東京で、

結核を専門とする施設で働く事になりました。

数年前のこと、彼は北大構内にある北大山岳館を訪れていました。

ちょうどその日は、山岳館の大掃除の日だったようで

数名の山岳部OBが集まっていて、彼らと話していたところ、

ペテガリ初登頂者のI氏が90歳近くながらご存命で、いまなお現役で

東京で医師として働いているという驚くべき事実がわかったのです。


I氏は卒業後、結核に携わる仕事を生涯続けており、

90歳を過ぎてなお、社会的弱者の結核診療を行なう

現役医師として活躍中でした。

I先生の所属する機関が、私の勤める施設と直接関連があることは

すぐにわかりました。


高齢になり後継を育成したいI先生と、

以前より社会的弱者の結核診療に興味を抱いていた私は、

こうして、この夏、初めて会うことになりました。

それからの事は、本当にこの一ヶ月の間に起こったことです。

I先生とお会いした際、別れ際に、彼の北の山への想いと

ペテガリ厳冬期初登頂者として、以前から先生のお名前を

存じ上げていた事を告げたところ、

その数週間後にI先生の山荘で開かれる予定の

北大山岳部OB山の会の集まりに、お誘いいただいたのです。

彼は本当に喜んで、コレクションの北大山岳部部報や

山の古書を持ち出しては、当日までそわそわと落ち着かない様子でした。


そして、先週末、晴れ渡る空の下、八ヶ岳の麓にある、

素敵な山荘に家族でお邪魔しました。


30年前は膝丈ぐらいだったカラマツの木々の間から、

山並みが美しく見えていたそうです。

そのカラマツもいまや首を曲げて天を仰ぐほどの高さとなり、

森の中の静かな佇まいは、とても涼しく快適でした。



彼がI先生を知ってから20年以上たった今、

二人はとうとう出会うことができ、

山荘の片隅で静かに山への想いを語り合ったようです。

その二人をみていて、私は心のそこから幸せを感じました。


その後、続々と山の仲間たちが集まり、フランクな雰囲気の中、

他大学の山岳部出身である彼を暖かく迎え入れて、

私たちを「仲間」としてくださいました。

20年来の想いが届いたのでしょうか。


彼とI先生を結びつけたのは、私。

このような感動は人生において、そう何度も味わう事はできないでしょう。

私にとっても、彼にとっても、「想えば遂げられる」という言葉が

脳裏に浮かんだ出来事でした。


写真は北大山岳館に展示されているI氏のピッケル。

画像は北大山岳部HPより。



女医・ゆきみんと先生の診察室から


























明日は、いよいよ、日食。

娘の保育園でも専用レンズを購入し屋上で観察会だそうです。
新月の明日、月が覆い隠す太陽の美しい姿が見られるでしょうか。

先日、「MOON」という映画を見ました。
http://themoon.asmik-ace.co.jp/
月に降り立った宇宙飛行士たちの
言葉と映像の数々は・・・素晴らしかった。

ニール・アームストロングの有名すぎる台詞。
「小さいが、人類にとっては偉大な一歩」を踏み出したのは
1969
年の720日、昨日のこと。

一説によると、皆既日食で月のパワーが爆発的に増大し、
新しい出会いが導かれるそうです。

数日前にバーベキューの集いに誘われ、参加してきました。
誘ってくださった方は、熱心な開業歯科医のドクター。


http://ameblo.jp/nabedc/


禁煙関連の講習で、たまたまご一緒したご縁です。
その後、メールを通じてやり取りをする中で、
今回の再会となりました。

バーベキューには、他にもたくさん素敵な方が参加され、
またまた新しい出会いをいただきました。

勤務医しか経験したことのない私にとって、かつては、
開業のドクターは、左うちわでゴルフ三昧というイメージでした。
それがまったく覆されたのは、二年前の事。

2007
年の春、禁煙の仕事を通じて、
多くの開業小児科の先生と知りあうことができ、
それをきっかけに、公私とも広がりのある
素晴らしい出会いが生まれました。

そして、今年、また新しい出会いが。
おいでになられた方々は、歯科医、スタッフ、コンサルタントなど
さまざまでしたが、皆さん、仕事に情熱をもってらっしゃる
本当に熱い方ばかり。

いまでは、開業ドクターの方が、勤務医の私なんかよりも
ずっとずっと勉強熱心だということを、実感しています。

禁煙支援から、こんな風に仲間が広がっていくのって
とても不思議・・・・・。
このような素敵な集いに声をかけていただき、本当に感謝です。

これも、月のパワーのおかげかしら・・・。

今回の皆既日食、家族それぞれ別の場所で見ます。
でも見ている太陽はひとつ。家族の心も一つです。

次回の2012年の金環食は、
どこで、だれと、見ているかな・・・。
どうか、明日、晴れますように。



女医・ゆきみんと先生の診察室から


(寮 美千子さん 「黒い太陽のおはなし」)