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※モビリティリゾートもてぎ(旧ツインリンクもてぎ、栃木県茂木町)で毎年夏に開催される、世界最大級のバイク草レース「もてぎ7時間耐久ロードレース〝もて耐〟」と、以下の文章は一切関係ありません。
わたしは小さな頃から友達を作るのが下手で、生きにくさを感じながら育った。容姿や性格、両親のいいところを妹にみんな持っていかれたのもあるだろう。思えばこれまでの人生、目標に向かって努力を続けるモチベーションは「モテたい」一心だった。モテるためなら、どんな試練にも耐えられたように思う。
19歳の頃。模試の結果が最後までE判定だったけど、宅浪一年の末に憧れの難関を突破できた。そうなれば人生バラ色、きっとモテると信じていた。でも実際に入ってみたら周囲は同じ大学の学生ばかり(←あたりまえ)で、1ミリもモテなかった。
20代半ば。バイクを原付から250ccにステップアップしたのは、「女の子とタンデムしたい」一心だった。
バイクはクルマと違って、乗り手が隙をみせればすぐに倒れる。ほんとは立っているのも面倒な、怠けたくてしかたない乗りものなんだ。
そんなバイクとわたしに命を預けて、秋の夕暮れに海まで付き合ってくれた子はいまのツレさん。元来バイクみたいに怠けものなわたしと、いまも人生耐久ロードレースを一緒に走ってくれている。
たったひとりの「モテ」をもたらしてくれたバイクから、わたしは未だに降りられない。
40代半ば。不規則勤務のストレスで暴飲暴食に走った結果、メタボ健診に引っかかった。
それをきっかけに体重を20キロ減量し、ツライ筋トレを続けられたのは、幼いわが子に「かっこいいパパと思われたい」一心からだった。高校生になったわが子には、うざがられるばかりだけど。
人生第三コーナーの50代に突入後はそんな「モテたい」気持ちもすっかり失せ、まさしく枯れていた。そんなわたしがいきなりユッコこと岡田有希子さんのファンになったのは、弔い上げの三十三回忌も過ぎた後。
去年の秋に勢いで始めてしまったこのブログを、枯れた怠けものが投げ出さずに続けていること。
我ながら驚きなのである。
今回#200の大台を迎えることができました。いいねやコメントで反応くださる読者のみなさまのおかげです。心から感謝します。
最近ネタ切れ気味で、いまのペースで更新するのが正直厳しいかも試練のですが、もうしばらくは続けようと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
photo by yukikostarlight