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前回すこし書き足りなかったので、ぼっちのミッドナイトスイーパーの頃のことをもう少し。
ユッコこと岡田有希子さんが、突然いなくなった翌年の春。
それを意識することもないわたしは、北関東にある高校を卒業して進学も就職もしない宙ぶらりん状態。なくなってしまった身分証明書のかわりに、校則のせいで取得していなかった原付免許を取ることにしました。
でも周囲の連中はなぜかみんな、しれっとバイクに乗っていたような。そして高卒後はこぞってクルマを転がしてたなあ…。18歳だけど原付免許の理由は、ひとえにクルマの免許取得にかかる、まとまったおカネがなかったことに尽きます(泣)。
通っていた小学校の近所にあった自動車学校で受けた学科試験。高齢の教官が注意事項の説明をしたのですが、開口一番「原付だからって試験をなめんじゃないですよ!」とカマされました。「この春に東大に受かったけど、原付の試験は落ちた子だっているんだから」と。それは風の便りに聞いた、小学校でダントツの秀才だった同級生のことかしら?天は二物を与えずというのはホントらしいや。
と笑ってたら、天から一物も与えられないわたしも見事に落ちました。
落ちて悔しかったのは、もう一回受験料を払わなければならないことでしたね…。
ユッコさんだったら、絶対失敗しなかったんだろうなあ。
免許を取ったからにはバイクに乗ってみたくなり、長期在庫車とかで安く買えたホンダのスクーター、スペイシー50カスタム後期型。小さなふたつの翼(タイヤ)がついたそれのおかげで、家から遠く離れた街中のマクドナルドへ通うことができました。
マックでのバイト初日に仕事を教えてもらった、地元国立大の学生さん。家庭の事情で行かなかったけど、力試しで受けた早稲田の理工に合格したときは仲間とコーラで祝杯したよ、という話をしてくれました。
来年の春、自分も祝杯をあげたいな。模試を受けるごとに偏差値が下がっていく日々はすこし先のこと。まだ能天気にそんなことを考えていられた、夏の日のわたしでした。
メンテのバイトは、吐く息が白くなる頃までしてました。わたしのスランプ克服法は、勉強したくなるまで勉強をしないこと。いま振り返っても、浪人生活を一年で終え、大東京ビンボー生活をはじめることができたのはホントに奇跡だったと思います。
わたしに翼をくれた原付免許。その後大型自動二輪免許までステップアップしたのですが、先ごろうっかり転回専用レーンで右折してしまい、ゴールド免許を失いました。久しぶりの青い帯の免許証は、18歳の初心を思い出せてよかった…というのは単なる負け惜しみです。
「北海道が大好きな奴は北大へ」といわれて、憧れたこの路。
夢破れましたが、わたしはいまでも北海道が大好きな〝北大生〟なのです(笑)
photo by yukikostarlight
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