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今回は、↓この話の顛末を書こうと思います…

 

 

去る3月某日の19時。名幹事による飲み会が決行された。

 

お店は駅至近の場所にありながら隠れ家っぽいロケーション、そして天井が高く日本離れした荘重な内装。テーブルの照明は、電気仕掛けではない蝋燭の炎が揺れる。

食事は前菜からデザートまで5皿のコース料理。美味しいバゲットはおかわり自由で、質量ともに満足のいく味わい。

そして、グラスが空けばこちらが頼むより先に、素敵な笑顔のスタッフがドリンクのオーダーを取ってくれる。

それなのにお会計は掛け値無しの、おひとりさま消費税込み5000円(90分飲み放題付き)。

 

こんな良いお店を世間が放っておくわけがなく、半月前の予約で平日にもかかわらずテラス席しか取れなかったとのこと。でもよく考えたらいまは歓送迎会のハイシーズンだった、そりゃそうだ。

当日は生憎の雨。店内のテーブルにキャンセルが出たとのことで、寒いテラスから移動できたのは幸いだった。

 

大切なことなので、もう一度書こう。

〝グラスが空けばこちらが頼むより先に、素敵な笑顔のスタッフがドリンクのオーダーを取ってくれる〟

まさに、夢のようなひと時であった。

スパークリングワインから赤ワイン、目の前でボトルの封を切ってくれる一杯が美味くないわけがない。

いったい何度、グラスを空けたことだろう。

 

久々に会った同期入社のふたりは、いまはそれぞれ別の道を歩んでいる

積もる話は尽きず、いろんなことを喋って聞いて。

 

幼かった名幹事のお嬢さんも、いつのまにか大学生に。中学時代は吹奏楽に夢中だったそう。

でも高校生になって演劇部にはいった彼女は、大学生のいまは漫画を描くのが楽しくて仕方ないのだとか。

そしていつのまにか、麻雀の腕をメキメキ上げているらしい…。

〝親の知らない世界、親にできないこと。自分の子どもが知っている、できるのは不思議にも思うけど、やっぱり頼もしいよ〟

 

そんな話を聞きながら、ふとユッコこと岡田有希子さんを思い浮かべていたわたし。

ユッコさんの父親は、彼女がなくなったあと「おれたちの子にしては出来すぎた子だった」と母親に呟いたという。30年前の新社会人は父親の立場でこの言葉を実感しつつあるのだった、いつのまにか。

 

二軒目のBARで、生ビールを空けたあとわたしがふと口にした「ウイスキーって学生時代はよく飲んだけど、この30年数える程しか飲んでないよ」のせりふのお陰?で、このBARの常連である名幹事が白州(はくしゅう)をご馳走してくれた。すごく美味しかった。

名幹事ありがとう、拍手〜!

 

楽しかった夜が明け、

翌朝はスグにやって来た。

布団から這い出るのが、たいへんにツラかった。

自転車でクリニックまで、片道30分の道のりがキツかった。

朝9時からのリハビリが、これまたものすごくイタかった

昼から夜勤に入って、何しろネムかった。

おわり。

 

 

いつも午後に通っていたクリニックに朝行って初めて気付いた、途中にあるここはこの時間開かずの踏切になるのだと。

二日酔いで半端な写真になっちゃった…

photo by yukikostarlight