映画のターミネーター2 

T2を久しぶりに見ていました。

 

今更説明不要なほど
名作と呼ばれる映画の一つであるT2ですが

 

 

数あるT2の名シーンの中でも 

特に感動的な部分と言えば 

ターミネーターことT800と

未来の人類を導く名指揮官

そして希望である少年ジョンコナーとの

 

別れのシーンですよね。 

 

 

久々に涙腺を刺激されました(;∀;) 

 

 

ここのシーンだけは 

吹替版と字幕版両方を見たいという気持ちがあって 

両方のシーンを見ていました。

 

コナーが
少年役として、観衆を泣かせるほどの屈指の演技
最愛とも呼べる仲間との
別れを嘆き、そして受け入れるシーンを 

肉声で聞きたくなるんですね。 

 

ここは吹き替えよりも字幕が好きです。

 

 

そんな少年コナーのT800との別れ際で 

涙を流すシーンがありますが

 

 

ふと思い出した事がありました。

 

 

 

私が少年だった頃 

 

夏休みに田舎の祖父と祖母の家に
数週間遊びに行った時の事 

 

 

地元に戻る日の前日
車で迎えに来た家族と一緒に 

翌日、地元へ帰る際に

 

 

私は泣きながら 

「帰りたくない、ずっとここに居たい」

最後まで両親に反抗していたのを思い出しました。

 

 

帰りの車の後部座席でも

祖父達との別れを惜しみ
一人でずっと泣いたままでした。 

 

その時の事を

映画を見て思い出したわけです。

 

 

そしてその一年後に 

また夏休みに祖父達の家に遊びに行き 

同じように両親が迎えに来て 

車に乗って帰る時には 

 

助手席に座り 

笑顔で祖父達に

 

 

「じゃあねー!」

 

と元気よく手を振ったのを覚えています。

 

 

心なしかどこかで 

 

成長した自分を実感できていたような 

子供ながらに
少し大人になれたような
そんな気もしてたんですね。 

 

 

その後も出会いや別れを何度も繰り返す中で 

色々な人間的成長もあるかと思いますが
いつの間にか別れというものに 

心動かされる事が無くなってしまった自分に 

少しの寂しさを感じる事もあります。

 

 

誰かと別れて涙を流せるほどの 

または深い悲しみがこみ上げるほどの 

別れがあるという事は

 

素敵な出会いがあった事の裏返しだなと。 

 

大人になれば 

社交場に顔を出すこともあれば

多くの人と関わる事もあると思いますけど 

 

今更泣くことは無いにせよ

別れを嘆くほどの思いを感じれるように

出会いは大切にすべきだなと

T2を見て痛感しました。 

 

関わる人の数もコミュニケーション力を養う上で
大切だとは思いますが

どれだけ濃密な時間を過ごせるかという事も

大切にしないといけませんよね。

 

 

そんなわけで 唐突ですが

 

 

 

 

 

 

前に私が描いた鉛筆画のT800がこちらですw

 

描くのに12時間くらいかかりました。

 

部品のとこが特に大変でしてね。。。 

まじで描くのがしんどかったです(^_^;) 

金属のメタリックな部分や凹凸を鉛筆で表現するもの 

大変なんですが

やりがいも感じるところです。

 

ここ最近はしばらく鉛筆画を描いていませんでしたので 

たまにはまた描きたいですね♪

 

 

 

 

デデンデンデデン♡ 

 

ちゃらら~♪

 

 

 

 

 

終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は頻繁に瞑想します。 

 

何か集中して作業をしないといけない時 

いくつかの考え事をまとめないといけない時。

頭の中の漠然とした悩みや

引っかかっている事を抽出する時など 

 

そんな時は

目を閉じて長いと一時間くらいやってますw 

 

 

最近ではマインドフルネス   

と呼ばれる瞑想方法もありますが 

先日投稿したウォーキングと合わせて 

瞑想も日課の一つとして取り入れたりしています。

 

このマインドフルネスですが 

専門的な検証によって様々な

効果が証明されているようですが 

メリットもデメリットもあるようです。

 

 

私が一番マインドフルネスを行う場面というのは 

動画編集を行う前です。

 

 

 

私はR18のポルノ映像を自主制作し、販売をしているのですが 

最も大変なのが映像編集で箇所にモザイクをあてる作業です。

 

どのくらい時間がかかるかといいますと

 

カメラワークが激しく、映像画面が良く動く場合ですと
5分間小さなモザイクをあてるのに 

およそ一時間かかります。 

 

つまり単純計算で
1時間の動画の場合は 

12時間ほどかかります。

 

これに、加えて 

文字起こしや各種エフェクト、タイトルや宣伝文なども

作業に追加されて 

実質的な作業時間は一時間の動画に対して 

20時間程度かかります。

 

平日仕事をこなしながら

映像制作をしていた頃は

やれても一日3時間 

 

毎日編集をやったとしても一週間はかかっていました。 

 

今は仕事と副業が逆転しているため 

編集作業を行える時間が増えましたが 

 

 

私は動画編集を一日二日で終わらせます。 

大手メーカーにはし難く

自主制作者だからこそできる
利点が、このスピード感だと思っているのですが 

 

 

 

実際やってみると 

とんでもなくしんどく、長く 

そして退屈な作業です。

 

まるで出口のないトンネルを 

走り続けるが如くです。

 

しかし、やらなければ販売できないので 

チャチャっと終わらせるのですが

チャチャって言うレベルじゃないですw

 

上記の20時間というのは 

一定のペースで作業を行う事ができた場合の話しで 

どうしても作業に集中できなかったり 

他の事に気が行ってしまったりで 

実際はもっと時間がかかります。

 

そこで行うのがマインドフルネス。 

 

 

 

 

最低30分やるようにしています。

集中力が増すとはいわれていますが 

 

人間、同じ作業を15分継続させると

集中状態

いわゆるゾーンと呼ばれる

状態を作り出せる様です。

 

スポーツ選手やアスリートには 

ゾーン状態を自ら作り出す事が 

最低条件のようになっていますね。

 

 

物事に集中して取り組める事と 

注意散漫で取り組む事では 

結果は見えていますが 

 

私はこのゾーン状態を維持して

編集に取り組む事で 

およそ20時間の作業を 

一日二日で終わらせるようにしているのですが 

 

やっている事が箇所へのモザイクです。

かっこいいのか悪いのかよくわかりませんw 

 

別に人から「すげーーー!!」と呼ばれるほど 

目立った能力でもありません。 

せいぜい同業者が驚く程度です。

 

 

しかしながら私は 

この能力、ゾーンモザイクによって

大手メーカーと同人メーカーの数作品に出演した女優♂さんを

ゲストとして誘致し 

私との撮影が順番的に一番最後の撮影だったのですが 

ぶっちぎり最速で動画編集し

一番最初に配信してしまった事があります。

 

 

いずれにせよ

このマインドフルネス効果だと思っているのですが 

普通の瞑想と何が違うかといいますと

 

普通の瞑想の種類の中には
目を閉じて頭の中で何かを唱え続けるなど 

種類がありますが 

 

マインドフルネスは目を閉じてても開けてても大丈夫のようです。

 

私は目を閉じる派ですが 

目を閉じると 

色々な事が脳をめぐります。

 

いわゆる雑念と呼ばれるものですが

通常はこの雑念を排除し 

何か一つに集中するのですが

 

マインドフルネスは

自分が雑念を感じている事に

 

気づく事

つまりは客観視できる事が大切で 

 

無理に頭で排除するのではなく 

むしろ受け入れた上で

その雑念をそっと忘れていく。

 

 

それを数十分繰り返すと 

何か、脳が熱を帯びたような

感覚になり

5感が研ぎ澄まされたようになります。

 

その状態こそがいわゆるゾーン状態であると

私は認識しています。

 

編集以外にも 

何か考えをまとめる前などにも 

応用しているため 

とても役立つ行為だと思っていますが

 

念のためにマインドフルネスのデメリットも

最後に書いておきます。

 

研究によれば

 

心が疲れている時や

ネガティブな気持ちでいる時に

マインドフルネスを行う事は

良くないようです。

 

なぜなら、考えすぎてしまい

ネガティブな気持ち、記憶など

深い部分まで到達し

それらが呼び起されて
なおさら落ち込んでしまう効果も

報告されているらしいです。

 

 

 

 

 

 

瞑想が現実逃避の手段のようになってしまうと

瞑想依存の様になってしまうらしいので 

 

自分の心身のバランスを考えながら

行うのが良いという事ですね。

 

ですが

 

瞑想でゾーン状態となり 

数十時間、箇所へモザイクをあてる行為が 

そもそも心身に良いのかと聞かれたら。。

 

 

なんだか本末転倒な事してるなと思う昨今なのであります。

 

 

終わり。

 

 

 

 

 

 

おはようございます(*・∀・*)

 

メタルギアソリッド5オンライン

 

元世界ランキング52位の雪季です。

 

対戦ではなく

オンラインプレイヤーの基地に潜入する方ですが。

 

 

メタルギアシリーズは

ほとんどやったくらい

メタルギアファンの私なのですが 

 

今日は私が大好きなゲームであります

 

メタルギアソリッドのお話しをさせていただきます。 

 

 

 

各シリーズごとの

ファンも多い作品かと思われますが 

 

私が一番愛したメタルギアは

 

プレイステーション1のMGS1です。

 

やりこみとゲーム自体の面白さで

はまったという意味では

 

MGS3と5でしたが

 

 

ストーリー、キャラクター 

舞台設定やゲームの持つ緊張感 

 

全てにおいてやはり

1が好きなんですね。

 

 

なぜ1が好きかと言いますと 

 

 

敵、味方それぞれの個性やキャラクター性と立ち位置
先の読めない展開など 

最も印象深く、
登場人物の演出がかっこよく
そしてシリアスな作品だと思うからです。

 

 

 

主人公であるソリッドスネークは 

伝説的な傭兵にして 

ハイテク特殊部隊フォックスハウンドの 

元隊員でもあります。 

 

そして相対するは 

ソリッドスネークと同じコードネームを持つ 

リキッドスネークと 

5人の現役フォックスハウンド部隊。

そしてスネークの前に現れる

敵か味方かよくわからない謎の忍者。

スネークを攻撃したかと思えば 

スネークにとっての敵兵も大量に倒していたり 

 

無差別的な狂人のように描かれています。

 

 

スネークへ無線でサポートする

各分野の専門家がいますが 

中には裏切り者くさい人間がいたり 

スネークにとって一番付き合いが長く
信頼が厚いはずの大佐も

何かをスネークに隠しているようで

疑心暗鬼な展開に。

 

同じコードネームのボス

元隊員と現役

謎の忍者

裏切者がいるサポートメンバー

 

極寒の地、アラスカが舞台
敵側のテロリスト達が核発射まで
18時間を切っているという

極限状態での潜入ミッション。

 

それがMGS1なのですが 

 

 

この主人公であるスネークが

とにかくかっこいいわけです。

 

伝説の傭兵と呼ばれるだけあって

 

どんなに自分が不利な状況に追い込まれていても

軽口を叩き、決して敵側に
スキや弱みを見せず 

相手有利な状況の中でも 

常にクールで相手を称賛する余裕すら見せます。

 

そんなスネークも

仲間の前では

時々、弱みや本音を見せたりもするんですね。 

 

「好きな人はいないのか?」という問いかけに対しても

「他人の人生に関心を持った事は無い」と

 

冷徹にふるまう一方で 

 

戦場で愛は芽生えるか?という

仲間の悩みに対して

 

「例えどんな時代でもどんな状況であっても

人は人を愛する事ができるはずだ。 

その愛を教授したくばその人を守り抜く事」

 

とも言っていて

愛を語るシーンもあるわけです。

 

愛に無関心な男が愛を語るという

若干矛盾を感じる部分に

スネークの人間的な優しさが垣間見れます。

 

そんな所がかっこいいんです。

 

スネークは現役のフォックスハウンド隊員を 

倒していくわけですが 

戦う前は言葉で煽り合いこそしますが

 

相手を倒し、死にゆく強敵の最後の話を 

肯定的に受け答えながら聞いて

最期をやさしく看取る様子も見せます。

 

そんなスネークをよく知る大佐も言います。

 

「スネークは多くの人間を殺してきたが

殺人鬼ではないよ」

 

この一言に尽きます。

 

傭兵という過酷な任務をこなしながらも

人間性と良心を失っていないという事ですね。

 

 

1を語る上で外せない話しが

敵役のフォックスハウンド隊員達なのですが

 

隊員それぞれがテロに参加した理由と

そのバックボーンが明確に描写されていて 

そこにドラマ性を生み出しているのですが

 

 

2や3のフォックスハウンドに代わる隊員達

デッドセルやコブラ部隊は

 

1の主要の敵キャラと比較すると 

ちょっと対話が難しく 

自己完結してしまっている感が否めないんですね。 

 

何より、1のキャラクターはみな超人的かもしれませんが

2.3は本当に超人なんですねw

 

特に3のコブラ部隊は 

会話ではなく一方通行な主張に終始してしまっていて
そのキャラの内面的な描写が物足りなかった感を

感じてしまうわけです。

 

 

そして2のデッドセル隊員であるヴァンプは 

額に銃弾が貫通しても生きていて 

海上を走って渡ってしまうほどの超人っぷりなんですね。

 

 

ヴァンプとスネークが初めて対峙し
戦闘するシーンにおいても

ヴァンプに先手を取られて

腕をナイフで切られ、負傷してしまいます。 

 

 

スネークのファンである私としましては

このシーンはあまり見たくは無かった部分です。

 

伝説の傭兵ならば 

負けの美学や

負傷せざる負えない理由を作った上で

ダメージを受ける描写にしてもらわないと 

 

敵の方が力量で上回っている描写になってしまって 

ちょっとショックを受けますw 

 

 

せめて、スネークとヴァンプのそばにいた
新米隊員という設定である
2の主人公雷電がヘタレで 

スネークが庇おうとして負傷したくらいの 

負けの美学を作ってくれないと 

 

スネークの格というものが下がってしまうじゃないかと

私は当時よく抗議してましたw

 

さらに終盤においては 

特別戦いが強いわけではない

女性キャラ隊員のフォーチュンに

スネークは拘束されてしまいます。

 

つまり 

2のスネークは主要敵キャラ二人に 

ほぼ完封負けしてるという事です。

 

ゲームとしては2も相当やりこみましたし

名作だと思っていますが

ストーリーシーンとして 

そこが個人的に本当に残念だと思ってしまいました。 

 

3のコブラ部隊も

説明もなくいきなりスネーク(ジャック)の前に現れては

いきなり戦い、こちらが勝ったらいきなり爆発四散してしまうので 

 

なんで、戦っているのかも
よくわからない状況にも見えます。

はっきりとジャックと敵対する構図を

作ってほしい部分だとは思いました。

 

 

主役級のキャラ達はともかく
各ボスの内面描写が3は前述のとおり少なかったため 

キャラの見栄え自体は個性的でも
ある意味で没個性的な演出にも

見えてしまっていました。 

 

 

そういったキャラクターの味付けという意味において

 

私はダントツに

メタルギアソリッド1のキャラクター達と

緊張感のあるストーリーという部分で

 

メタルギアソリッド1が 

一番印象に残る 

好きな作品なんですね。 

 

まあ、メタルギアシリーズは 

主役が多少変わったりもしますが 

少なくともソリッドスネークにおいては

 

「伝説の傭兵」

「元フォックスハウンド隊員」

「不可能を可能にする男」

 

このスネークの象徴する
いくつかの通り名というブランドを

保ち続けているMGS1が 

 

一番好きです(〃∀〃) 

 

 

いつか新作出してほしいですが 

MGS1の最新リメイクとかも

ぜひやってみたいなと思います。

 

 

終わり。

 

 

 

 

 

 

 

10月下旬から緊急事態宣言の解除に伴い

街も店舗も活性化を取り戻しつつありますね。

飲食店ではアルコール提供も再開 

ありがたい話しです(*´ω`*) 

 

私も 

去年の一月に女装イベントを行って

その後には大規模なイベントを行う予定ではあったのですが

 


 

ほどなくしてコロナ蔓延、感染拡大という時期に入ったため 

ワクチン普及、または緊急事態宣言が解除されるまでは

一切イベントを行わないという判断を下しました。 

 

 

一時的なメンバー解散という事になりましたが

 

また復活できる時が来たようで

今からとても楽しみです。 

 

 

イベント以外にも

映像やらオフ会やら 

やる事、やりたい事が一気に増えたため 

頭の中で整理がつかない事があります(;´・ω・)

 

そんな時は外を散歩するようにしています。

いわゆるウォーキングですね。

 

 

 

どこかの記事で

歩きながら物事を考えると整理がつきやすいという

話を見かけたので 

迷ったらウォーキングをしていたのですが

 

なぜ、歩きながら考えると良いのか

詳しく知りたくて調べていて

わかりました。

 

 

 

歩く事を勧める5つの理由。

https://www.canva.com/ja_jp/learn/taking-long-walks/

 

 

 

こちらの記事によりますと 

アイデアを創造する時に

座って考える場合と歩いて考える場合とで 

どちらが創造性が増すかという実験を

2014年にスタンフォード大学で行ったようで

 

歩いている時の方が 

座っている時に対して

 

60パーセントほど

創造性が増したという研究結果があるようです。

 

 

どんな実験だったかと言いますと

記事によれば

例えばナイフを渡して 

思いつく限りの使い方を考えるという課題を

座っている時と歩いている時で

 

被験者にやらせてみたら 

座っている時よりも
歩いている時の方が6割ほど

アイデアを思いつく数が多かったという事のようです。

 

ですがなぜ歩いている時の方が

創造性が増すのか?という疑問もありますね。

 

 

 

 

先ほどのとは別のサイトですが

こちらの記事によれば 

 

歩く事で血液が体中のあらゆる器官をめぐり 

脳に送られる酸素の量が増えて 

脳のパフォーマンスが向上するかららしいです。

 

 

これは納得ですね♪ 

 

 

私は思いついた事を 

座った状態でパソコンの付箋にひたすら

書きまくってそれを眺めて考える事が多いのですが

 

最近では迷ったら歩くようにしています。

 

 

何より 

パソコンでの編集作業が主な仕事ですので 

とにかく体を動かさない日も多いため 

健康という意味でも

 

歩くようにしています。

 

 

何かアイデアで詰まった時に 

閃いた時って

爽快な気分になりますよね。

 

ずっとつっかえてたものがとれるような

感覚になれます。

 

その感覚が欲しくて 

ウォーキングを続けてる部分もあるかもですね♪ 

 

 

あわよくば 

ダイエットに繋がれば良いとは思うのですがw 

まだ走るには至っておりませんm(__)m 

 

 

終わり。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この鉛筆画は 

以前、代表的な竜虎図のひとつを
練習のために模写してみたものだが 

 

私は竜虎図が昔から好きだった。 

 

古来より強さや威厳の象徴として描かれてきた

竜と虎が睨み合い相対する。

 

転じて 

日本では時代ごとに活躍した人物達の
ライバルや両雄を

竜虎と表現されてきた。 

 

竜と虎にまつわる諺(ことわざ)は 

いくつもあるが 

 

特に私が一番好きな言葉は 

 

雲従竜 風従虎。

 

正式には 

 

雲は竜に従い、風は虎に従う。

 

 

 

 

意味としては 

 

力を持つ者同士はおのずと惹かれあう。

立派な君主の下には優れた家臣が現れる。

 

と、諺辞典には書かれている。

 

 

諺が生まれた時代を調べてみると 

すでに平安時代、千年前には諺があったという記述もあるが
 

この言葉自体
私の私見も入るが

戦乱の時代に意識されてきたものではないかと 

考えている。

 

私はこの言葉が特に好きだ。 

 

 

だが

この諺の何が好きかと言われたら

言葉の裏の意味だ。

 

 

 

なぜ雲と風なのかを考察してみると

 

雲とは偉大な存在を 

風とは自由な存在を現し 

 

そして
それらを従える者には

相応な度量と器が試される。

といった所だろう。

 


女装で活動している今
そしてそれ以前から 

色々な事にチャレンジしてきたわけだが

物事を達成するためにも 

自力だけではどうしても進展しないという時

 

私はとにかく人を頼りまくってきた。 

 

様々な出会いと
色々な才能に助けられて 

ここまでやってこれたわけだが 

 

 

この

人を頼る、お願い、オファーやスカウトをする時に 

頼まれた側がそのオファーを引き受けるための
快諾するに足る要素は 

いくつかあると思う。

 

自分へのメリットや企画そのものの魅力
その後の展望 

そして特に比重が大きいものは

やはり頼ってきた者の人間性や素性と

その者の過去に行った事や実績。

 

これこそ最も大きい要素だと私は考えている。 

 

 

私はこれまでも、これからも 

人を渡り、頼りにし続ける限り

頭の中で唱え続けるだろう。

 

偉大な雲や自由な風と共に往く必要があるのなら

 

自らが竜や虎になるしかない。 

 

 

 

難しいようで簡単だ。 

それに全力で取り組める気概があれば。

 

有言実行する行動力と

何かを失う覚悟と 

何かを手にする成功のビジョン

 

これらがあればきっと達成できるだろう。 

 

そして

それらを手にした時に

私が何をするかはもう最初から決まっている。 

 

手にしたものを

然るべき人達へ様々な形で表現し
還元する事だ。 

 

 

終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が女装家として活動を開始したのが

今から5年前。

 

これまで幾多の女装さんと女装好きな男性 

ニューハーフさん
または、この女装業界に特別関心が強いわけではない方々との

出会いや交流があったわけだが 

 

あまり詳しくない方々に説明すると

この女装業界というのは狭いコミュニティーである。 

 

この業界で商売をする事や
イベントを開くという事は 

店舗を立地する駅が違っていたとしても


商店街で店を出すことや 

デパートのテナントとして出店する事と相違ない部分がある。 

皆ある程度、共通の目的をもってやってくるため
 

顔なじみと会う確率がとても高い。

または、話した事は無いが

見た事があるという人といった具合に

顔を合わせる機会が

よその業界と比べて格段に多いのが特徴だ。

 

 

それが故に起こった珍事とでもいうべきなのか

変わった出来事があった。 

 

 

 

 

 

もう4年くらい前の事。

 

 

 

 

 

私がかつて女装デリヘル嬢をしていた頃 

デリ嬢として使っていたTwitterアカウントのdmに

 

「会いたい」という 

誘いのメールを送ってきた男性がいたのだが 

 

この業界での会いたいとは 

ほとんどがネットナンパである。

 

加えて、その内容は 

女装コミュニティースペース内でセックスをしたい。

という事だった。

 

 

だが私は当時デリヘル嬢であり

セックスをするサービスの対価として 

金銭を受け取る仕事をしていたため 

 

特別な理由なく、プライべートで

赤の他人とはセックスはしなかった。

 

なのでその誘いを丁重に断ったうえで

「お店をご利用下さい」と

在籍しているお店のURLを紹介したのだが

 

そのdmを送った男性は 

お金を支払いたくないのか 

ただでセックスがしたいとの事で

 

あまりに誘いがしつこかったため 

その男性のTwitterアカウントをブロックした。

 

 

その出来事から半年以上が過ぎた。

その頃の私はすでにデリヘルをやめていて 

女装AV監督となっていた。

 

私は女装の集まる飲み屋さんで 

一人で飲んでいた。 

 

男性と女装が来店し
談話を楽しむ場所。

互いに良い相手が見つかれば 

そのまま外でホテルにでも行くのも

 

楽しみの一つでもあるのだが

 

飲んでる私に、数名の方が話しかけてくれて

軽い挨拶から始まり
楽しい痴話話をしてくれた。

 

談話の最中

私の横のカウンター席に座った男性は 

どこかの会社の社長だという。

 

稼ぎも良いらしく業績が上々だと 

店員や私に語っていた。

 

それだけなら良かったのだが 

少々自分語りが過ぎたようで 

 

「今日も部下を叱ってやった」

「従業員はろくに仕事ができない」

 

など、不満というよりは

自分の会社での立場をアピールするような

会話が数十分続き 

 

会話がつまらなすぎて
私は退屈していた。

 

私の返事も適当になり始め 

ただ相槌を打つだけになってしまったが

社長の自慢話は一向に終わらない。

 

 

私は退屈のあまり 

スマホを手に取り 

自分のTwitterのタイムラインを眺めていたら 

社長はその画面を見てこうつぶやいた。

 

社長「君もTwitterやってるんだね? 

僕もやってるんだ。結構フォロワー数多い方だよ

良かったら交換してみる?」

 

 

そう言われて 

 

そのアカウントの名前とプロフ画像を見てみたら 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がブロックしたそのユーザーだったwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑いが止まらなかった。 

 

私も意地が悪いのかもしれないが

 

「社長さん!私社長さんブロックしてるよw
結構前にデリヘルやってる私にdmで

ただでやらせろって何度もdmするからブロックしたんだよww」

 

 

 

 

そういうと社長の顔はどんどん青ざめていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして核心的な一言を私は言ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「ところで、稼ぎのいい会社の
社長やってんのに 

デリヘルすら頼めないんですか?

2万ぽっち渋るんですか??」

 


女装の業界とは一種の仮想空間のようなものだ。
関わるもの同士
幾度がその人の本名も知らないし
職業も本当の事を言わない事も多い。 



身バレを防ぐ意味でも 
匿名性が強い業界なのだ。







その仮想空間内で
必死に作り上げてきたキャラなのか
本当に社長なのか
実に気になる所ではあるが 





私のその問いかけに対し 





長い沈黙が続いた。



シャチョーからすれば

凍り付くような気まずい時間
私にとってはこれ以上ない笑いの時間の到来である。




すると自称社長は 

「トイレに行ってくる」





そういって席から外れた。





数分して戻ってくるかと思えば

私からかなり離れた場所の席に座り

また他の女装の横で 

私に話していた自慢話をリピートしている声が聞こえてきた。

シャチョー本人からすれば

自分のすごさを誇示するエピソードであっても

私からすれば

すべらない話しをしている様にしか聞こえてこない。


正直これはもう笑うしかなかった。
だがもうこれ以上いじってしまっては

シャチョーもメンツ丸つぶれなので 

何も言わずに静観することにしていた。 










狭い業界がゆえに起こった珍事ともいうべき出来事。



多少自分を偽るのは

どの世界でもあっても
あり得る事で、別にかまわないとは思うが







そのシャチョーは少々やりすぎたようだ。



それ以来、シャチョーとは不思議なくらい
この業界で出会わないし

新規アカウント等で再度交流をはかられた事もないが
もしもいつかどこかで出会ったら 
こういってやりたい。





「シャチョー!!!
部下の教育、ご苦労様であります(∀`*)ゞ」





終わり。
 

 


 

 

 

 

最近見たニュースによると

メモを書くという行為のメリットを最大化させるための

いわゆる「メモ術」をとりまとめた本が売れているらしい。 

 

仕事や日常においても 

メモを取る行為をする人は

当たり前の様にいるとは思うが 

 

かく言う私も 

どちらかといえばメモを書く事に前向きな方ではある。 

 

というのも 

最近物忘れが多く 

撮影やイベントを行う時などは

チェックリストを作らないと 

何かを忘れていそうで不安にもなるし 

仕事においても

一度言われた事を人にまた聞きなおす事に

多少の罪悪感も感じるからだ。 

 

それ以外に 

ふと閃いた事はすぐに

パソコンのブラウザに張り付けられる

ウィンドウズに備え付けの付箋の機能を使って

すぐに箇条書きにするのが

もはや習慣となりつつある。 

 

何はともあれ

昨今のメモ術ブームに対し
懐疑的な主張を 

ネット上で展開したのが 

実業家であるホリエモンこと 

堀江貴文氏。

 

 

堀江氏曰く 

 

メモは基本的に取らないらしい。 

メモを取らないと覚えられない程度の事は

自分が必要としている情報では無いため 

忘れて良し。 

むしろ 

一度覚えたら忘れないほど 

目先の事に集中すればずっと記憶できる。

だからメモはいらない。

 

ざっというとこのような主張である。

 

私はこれを聞いた時 

部分的にとても賛同できた。 

 

仕事を例とするのであれば

なぜメモを取るのかと聞かれたら 

当然忘れないためではあるが

 

そもそも、その事柄に特別な興味が薄いゆえに

メモをしないと忘れると自分が思い込んでいるからこそ

メモを取ろうとする。

おまけに 

 

言われた事を忘れている

あまりやる気のない人間だと思われるのも

ちょっと嫌だという体裁も含んでいる。 

 

だからこそ、堀江氏のこの主張が
私にはものすごく刺さるのだ。 

 

もちろん 

会社内で立場が上にして 

重要な責任の一端を担う人が 

ミスのリスクを軽減するために

メモを取る行為も

私は正しい選択ではあると思っている。

 

だが堀江氏のいう事は

それとは少し違う。 

 

目先の事に一生懸命であれば 

忘れたくても忘れないという事。 

 

これは誰にでも経験する事だと思う。

 

とある人の何気ない一言 

著名人が発した名言。 

書物に書かれた格言。 

音楽の詩一文。

赤の他人の痴話ばなしのワンフレーズ。 

 

ずっと忘れる事の無い事柄というのは

確かに存在する。

 

結論 

堀江氏が主張したい事とは 

今やっている事に全力で取り組む事の重要性なのだと思う。

 

 

無難にミスなく、及第点を目指し 

可もなく不可もない事や体裁のために 

及び腰になってはならない。

 

そう言いたいのだと私は解釈した。 

 

私自身、好きな事には 

とことん熱中するタイプである。

動画編集を気づいたら20時間くらい 

ほとんどぶっ通しでやる事も珍しくない。

その最中は一種のランナーズハイのように

何か研ぎ澄まされた感覚になる。

 

 

その編集作業の最中に自分がした事や
思いついた事は

ほとんど記憶しているし

段階的に何をしていくかも 

すでに頭の中で直感的に

段取りを組めている。 

 

もしもこのくらいの集中力を 

好きになった事柄全てに発揮できれば 

今以上にクリエイティブな部分において
高みを目指せる人間になれるだろうと 

 

堀江氏の主張を聞いて痛感させられた。 

 

願わくば、そのような人間でありたいと思う。 

 

だが、それでも

全く関心の無い事や好きでない事を 

やらなくてはならない事があるのも事実。 

メモでも取らなきゃ光の速度で忘れてしまうような 

事もやらなくてはならない時があるのも 

生きてく上では仕方ない。 

 

 

だからメモ術を活かす事に何も否定的にはなれないが

 

メモを取らずに記憶できるほどに
夢中になれるなにかと出会えたのなら

 

それは本当に素敵な事だと思う。

 

 

終わり。 

 

 

 

私が都内の女装デリヘルに勤務していた時期が

2016年の10月から翌年1月の三ヶ月の期間だった。 

 

比較的短い在籍期間。

その理由は最後に書くとして
様々な趣味嗜好を持つお客さんがいたが 

私が今になっても忘れない人がいる。

 

それはデリヘル勤務最後のお客さんとなる人であった。

 

新年が明けて間もない
1月の冬。

都内から離れた県外からの指名であった。

指定されたプレイ時間は三時間。

 

出勤時間的にその日に
いくつかのお仕事をした後での
最後の出勤で三時間は

本音を言えばなかなか大変だという気持ちと

3時間のプレイ時間は

稼ぎにもなるため嬉しい気持ちと半々であった。

 

 

仕事帰りの人々で溢れる
電車に揺られて県外の指定されたホテルに到着し

部屋のドアを叩いた。 

 

お相手は中年の男性であったが

ひどく酔っ払っていた。

 

呂律がちょっと回っていない感じであった。 

 

 

「ご指名ありがとうございます、雪季です」

 

そのまま部屋に入るとお客さんの
テーブルにある給料袋からは

いくらかの紙幣がはみ出ていて

そこからプレイ料金分を取り出して

渡してもらったが

 

その5分後には

またプレイ料金をお客さんは支払おうとしていた。 

酔っていたので支払った事を覚えていなかったようで

私は少し慌てながら伝えた。

 

「○○さん!さっき料金をいただいたので
もう大丈夫ですよ(;´∀`)」

 

テーブルには大量の空き缶が放置してあった。 

お客さんがソファからベッドに移動しようとしていたが 

足元がおぼつかないため 

手を取り、腰に手を回してベッドまで誘導した。

 

ちょっとした介護に近い感覚を覚えた。

 

プレイ前にシャワーを浴びないといけない決まりだが

先に休ませたほうが良いと判断して 

ベッドで横になってもらう事にした。

 

私も横に寝そべる形で 

しばしの談笑をしていた。

 

お客さんは呂律こそ怪しいが 

話したい事は色々あったようで

その口からでる一言一言

私も熱心に聞いて、答えていた。

 

長年やっている仕事が大変な事 

上司や同僚にとても腹がたっている事。

 

酔いとはまた別に
言葉にはできないほどの

不平不満を持っている事は十分伝わった。 

 

「大変だったんだね」

 

私がそう言うと

 

お客さんはいった。

 

抱きしめてくれないかと。

 

私は寝そべっていた体を起こして

お客さんの横にくっついて

体を両手で抱きしめたら 

 

男性は一言漏らした。

 

 

「もう死にたいんだ」と。

 

私は片手をお客さんの頭に添えて

お客さんの顔を自分の顔に寄せ、くっつけてつぶやいた。

 

「ずっと一人で抱えていたんだね。

よく頑張ってきたね」

 

そういうと

お客さんの男性は

 

大粒の涙を流した。

 

 

私の顔にも伝っていたが 

それを拭き取る事はしなかった。

 

顔が濡れてメイクが取れる事も気にならなかった。

お客さんの気が済むまで抱きしめ続けていたら 

 

そのままお客さんは眠ってしまった。

プレイ時間が終わる30分前まで

私はずっとそのまま寄り添っていた。

 

目が冷めたお客さんに

 

「もうエッチできる時間がすくないけどどうしようか」

 

と訪ねたら 

お客さんは

 

もう十分だと答えた。

 

その日最後の出勤だったので

私も勧められた余っている缶ビールを
一本いただく事にした。

 

時間が迫り 

ホテルを出る準備をしながら

 

「また良かったら指名してね」

 

 

そういうとお客さんは

 

多分、二度と君と会うことはないと思う。 

そう一言漏らした。

 

私は会話の沈黙を破るかように
矢継ぎ早に答えた。

 

 

「次は〇〇さんの家までいくよ

ホテルはお金かかっちゃうもんね」 

 

二人でホテルを出て 

手を繋ぎながら歩いて

そのまま駅の入り口近くまで送ってくれた。

少し大きめで
力を使う仕事特有の少しゴツゴツとした
男らしい手の感触。

 

 

途中、夜の商店街を眺めながら

「いい街だね、あそこのお店でご飯食べてみたい」

そんな話をしていた。 

お客さんにとってこの場所は地元らしく
突然饒舌となった。

もっと色んな店や場所を知っているようだ。 

 

「ならぜひ連れて行ってほしい」

 

 

書く必要もない事だが
私が常に次の予定を話すかのような口ぶりだったのは

お客さんにリピートしてほしかったからではない。 

 

 

 

また会おうね」

 

私はそう言うと

 

 

黙って頷いた後

手を振ってくれて

私もそれに答えた。

 

 

終電も近い帰りの電車の中

この時間、上り電車に乗る人など

ほとんどいない。

広々とした車両に

少しの解放感も感じつつ
暖かい車両の中で眠気に襲われた。


目を閉じながら

私は、ある人の言葉を思い出していた。

 

私の一族で

私より年下の女性の言葉である。

今は県外に住むその女性は

かつて伝説的な新宿の風俗嬢であった。

 

 

風俗嬢が使う写メ日記のアクセスランキングにおいて

常に全国一位の実績を持つ人だった。

 

私が女装してデリヘル嬢をしている事が
ネットを通してバレたときに

その女性も自分が過去に風俗嬢をしていた時代の
話しをしてくれて

 

性サービスを行う仕事において
最も大切な事は何かを

教えてくれた。

 

 

容姿やセックステクニックも大切な要素かもしれない。

だがお客様が真に求めるのは 癒やし だ 

癒やされるための時間と空間 

そこに金銭を支払う。

だから私達はドアを開けてから出ていくその瞬間まで

振る舞いと気遣いと思いやり

その全てがお客様に向けられていなくてはならない。

そして、一切気を抜く事なく
それを演じ続けられる事。

 

 

 

そのアドバイスは今も忘れない。

わざわざメモに書く必要すらないほど

私の胸の奥にずっと刺さっている。

自分のイベントを行う際にも 

全メンバーに伝えてきた事でもある。

 

都内へ向かう静かな電車の中で

ぼんやりと考えていた。
 

私は彼女の言うそれを

できていたのか 

 

自問自答していたが

結局わからなかった。 

自分にできる事を最大限やったつもりではあったが 

ずっと気がかりであった。 

そのお客さんの今後の事。

手に残る、繋いだ手の感触。

自分の手の平を見つめて思う。

 

私は何を与える事ができたのだろうか。

 

 

都内に戻り 

その日のあがりを封筒に入れて
待機所の貯金箱のような
収納箱に収めて

帰路についた。

 

自宅について寝るための支度をし
ベッドで眠ろうとした時

店からラインの電話がなった。 

 

私に対するクビの宣告である。

 

私が出勤した後

四六時中玄関のドアが開きっぱなしにしておく事が
常である無人待機所にあった
おもちゃのような金庫が

何者かに盗まれたらしく

最後に出勤した私が容疑者候補となり

止まらぬ電話による中傷と罵倒の末

解雇された。 

 

当然ありとあらゆる反論と

私以外の可能性を訴えたが 

取り扱ってもらえずお役御免。

 

 

私が店と戦う覚悟を決めて 

裁判費用を捻出するために 

AVアマチュア製作者という領域で
映像内でマスクを取り
顔を晒した始まりであり 

 

現在まで続く活動の

原点ともなった出来事である。

 

 

あれから5年。 

 

今にして思う事だが 

私はきっとどこかで 

最後のお客さんに示したかったのかもしれない。 

 

自分の身に突如として降りかかる
理不尽や不条理

いわれのない悪い噂と広がる悪評 

 

何もせずとも勝手に

拳が震え上がるほどの激しい怒り

 

自分の中で本当に大事にしたいもの 

守りたい何かのために戦うという事の

 

その姿勢を

最後のお客様となったあの人に

見ていてほしかったのかもしれない。

 

 

終わり。 

 

追伸 

 

もうそのデリヘルは存在していません。

何より 

私の活動に火がついた出来事で
結果的に好転したため

今となってはほろ苦い思い出でもありますが
前向きに捉える事ができています。

 

 

 

雪季

 

 

 

 

どえらい事やる予定です。

 

これまでの女装としての活動履歴ですが

■女装デリヘル勤務。

■遠方のデリヘル出張

■動画配信サイトで

自主制作のアダルトビデオの配信

■生放送やPV制作から

月額会員サイト運営

■男性と女性のアダルトビデオの

カメラマン、監督

そして

■女装イベント

以上を執り行ってきました。

 

これらの活動は今後も変わらずに

行うつもりですが

 

自分のやりたい事

好きな事で生計を立てていく上で

 

何が必要か、重要かを 

考える時間が増えました。

 

そして結論がでました。

 

重要な事は大まかに2つあると。

 

一つはいわずもがな

アダルトビデオやイベント企画は 

 

常に、変化を求め、最新を目指すが如く 

視聴者、購入者を退屈させないために

コンテンツ力を上げる事。

 

これらは必然的に
やらなくてはならない事なのですが

これだけでは不十分 

女装エンターテイナーとして活動する上では
まだ半分しか満たされていない事に気づきました。

 

 

もうひとつ重要な事がありました。

 

それらを行う私そのものが面白い人間である事 

常に人を楽しませられる人間である事。

 

人間的な魅力を磨き続けるという事でした。

 

 

そういうわけでして

 

私、YouTuberになる事にしました。 

 

でもYouTuberになる事自体は珍しい事でもなんでもなく
誰にでもできますが 

まずは目標が大事ですよね。

 

 

明確な目標を作りました。

 

 

視聴再生数一千万を目指す動画を作ります。

 

そして

それらは、「女装でなくては成立しない内容である事」

この自分に課した最低限のルールをもとに

 

今めちゃくちゃYou Tubeを分析しています。

 

第一弾の企画はもうすでに考えてありますが

 

それの発表はもっと先になるかと思われます。

 

そして

動画を作る上で私が信条とする事を

ひとつだけ残して置きたいと思います。

 

その目標のために

自分の全てをかけて 

命を燃やして取り組むつもりです。 

 

 

そしてそれらを行う最大の理由も書いておきます。

 

 

女装という表現でできる限界点を突破する事

 

それがYou Tube活動における最大のテーマでもあります。 

 

ですが、そもそもなぜ 

それらを始めようと思ったかの経緯は 

長くなってしまうので

またいつか記事にしたいと思っていますが

 

現時点でお話できる事は以上です。

 

You Tube活動における記事は

またいつか書きます。

 

今日のところはこのへんで失礼いたします。

 

 

 

 

雪季