言葉には
言霊コトダマ
というのがありますから
やさしい言葉を
使いましょう
と
巷ではよく言いますが
いくら
美しい言葉
やさしい言葉を
使ってたって
心が伴わなければ
なーーーんにも意味ないっすよ
うわべは
お上品にして
微笑みをうかべて
言葉使いを
穏やかにやさしく
してたって
人の悪口言いふらしてたり
仲間はずれにしようとしてたり
妬んだり憎んだり
怒ったり蔑んだり
なにか売りつけようとして
目が(¥_¥)になってたり
自分中心に
人を思い通りにしようとしてたり
心の中が
穢れていれば
なーーーんにも
意味ないっす。
神様は
心の中しか
見てないのでね
どんなに
ソトヅラを装っても
心の中を
まるっと!
ご存知です😀
だから
昔っからずっと
ブログに書いてる↓
信心深いふりして
これをわかってない人が多すぎ
お見通しだってこと信じてないなら
ぜんぜん信心深くないやん
スピリチュアルなピープルも
神様とつながってんなら
なんでソコわからんの?
それより
言葉使いは悪くても
裏表がなく
愛あるからこその叱咤や
愛あるからこその指摘など
ちゃんと言う人のほうが
よっぽど思いやりが深い
情が深いよ
べらんめえのオジサンとかのが
よっぽど愛がある。
よっぽど愛がある。
ちょいとデリカシーには欠けても
本当のことしか言わない人のが
よっぽど信頼できる。
裏表がないから!
人によって態度が変わる人とか
裏だらけで
マジで信用ならんのでね。
そういうとこ、観察しましょうね
澄んだ心を
目指そうね!
もうね
ほんとに
それだけなのよ!
炭治郎の心を目指すのよっ