とうだいもとくらし!百八があった弘法山 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 
 
 
運動不足なので
近くの弘法山(243メートル)
に登ってきました。

 

 

秦野市に引っ越してから
何回かは登ってますが、
昨年のお正月以来だわ汗うさぎ
 
 
 
でね
なぜ記事にアップするかというと
このたび
また、気づいたことがあったのです!
 
 
東の方向には
江ノ島!
 
 
西の方向には
富士山!
 
 
富士山と江ノ島は
地下でつながってる
という話
聞いたことありますか?
 
この秦野市の弘法山
東の江の島から西の富士山
その、
ライン上にあるじゃないですか〜キラキラ
両方、しっかり見えるなんて
素敵な場所なんだなラブラブ
 
 
なんで弘法山っていうのか
というと
もちろん!
弘法大師・空海が
なにかを感じて
お籠りになった山なんですキラキラ
 
弘法山の麓には
水無川というのが流れていて
お籠りを終えて
里へ降りてきた弘法大師空海が
おなかをすかせていたので
川で野菜を洗ってる老婆に
一つくれぬか
と、お願いしたところ
おめ〜に食わせる野菜はねえ!
と断られ
錫杖をドン!と地面に突くと
みるみる川の水が少なくなってしまった
という伝説の川。
 
そんな伝説、あちこちにありますが
 
空海さんは、そんな心の狭いお人じゃねえですわ
そんなの作り話だっぺ
 
その川のそばには
錫杖をドン!と突いて
湧水を出したという
弘法の湧水があるんだから
話が矛盾してるんだわ
 
 
そしてな
北には
大山!
大山の左側の
二ノ塔、三ノ塔とか
あのへんには
雨乞いする祈祷場があるそうな。
 
 
大山阿夫利神社は
雨乞いの神社
ということだけど、
今まで
あっちこっちの神さまのお山
行って来たけど
祈る場所は中腹にあったりするのよ。
てっぺんまでは行かないっぽいのよね。
 
 
 
弘法山といってますが
ここは、八角堂ならぬ
八角の造りの展望台がある場所で
権現山なのだ。
 
 
 
またの名を、千畳敷とは、なんなのだ?
 
白山権現が祀られていた権現堂があったとな。
 
千畳敷と呼ばれていたのは
大小十四箇所もの平場がある
からではないかな?
そこに、何があったのか・・・
 
のちほど・・・
 
 
 
この日は↑、夕方に用事があったので
とりあえず
権現山だけで引き返す。
 
そういや、弘法山まで行ったことなかったなぁ~
と、後ろ髪をひかれながら・・・
 
(秦野市に引っ越してきて、15年くらいですが、シングルマザーで働きづくめで秦野市内のこと、よく知りませんのです)
 
 
 
翌日の朝
弘法山山頂に近い方の駐車場に車を停めて
弘法山へ行ってきた。
 
これな!
上で、『のちほど』と書いたのはコレ
百八松明と書いて
ひゃくはったい
と読ませている。

 

百八体とは、

百八観音のことでしょう!

 

上に書かれていた

山の斜面に14か所の平場がある

というのは、

そこに、

108体の観音様を

お祀りなさっていたのでしょう!!

秦野市街を見下ろすように!!

 

 

おいおいおいおい
灯台下暗し

とはこのこと

 

 

プーさんに

あなたは108

と言われてから

なんのこっちゃ?

と、探ってきた。

 

 

 

それより前に

弘法山の中腹にある

白山神社に行った時、

待ってたよ

と、心に入ってきたドキドキ

ずっと見守ってた

と、伝わってきて

涙を流したえーん

 

 

 

どうして私は

ココ(秦野)に住んでるのか?

 

平将門が、秦野を京都みたいにしようとしたから?

 

徳川家康から信頼されていた秦氏族が住んでたところだから?

 

浅間山(弘法山の西側)に飛来する

UMA的なものを目撃した。

(空飛ぶマンタみたい)

 

その前を通ると

けっこうな頻度で電波障害が起きる。

(わたしだけか?)

 

弘法山に穴をあけて、トンネルを作る計画が

10年くらい前からあるが

頓挫してる。

なにか、埋まってると思う・・・

 

 

 

明治の神仏分離で

弘法山にあった寺は消えたのでしょう。

それほど、徹底的に

潰さねばならない寺だった・・・

 

弘法山は
百八観音霊場

だったんだ!!

 

 

だいぶ前になるが、秦野市内での
藁で作った松明に火をつけて

町内を練り歩くお祭りを見に行った。

日にちは、弘法山の説明とは違うけど

『ひゃくはったい』の祭に関連するのかな?

 

 
 
さて、弘法山です。
今まで、来なくてすんませんでした。
でも、これがタイミングなんだろうなぁ~ 
 
 
弘法大師・空海がこの山を訪れたのは
まだ無名の修行僧の頃だったと、
上のリンクの昔話に書いてあります。
 
空海が来た頃はまだ、
縄文から続く山岳信仰の僧侶たちが
このあたりの山々にいたでしょう。
このあたりには、独特の信仰があったそうだ。

『天社神』と書かれた石碑がポツポツあって

なんだろうと調べたら
丹沢山脈にあった独自の信仰
だと出てきたけど
どんなものかは不明。
 
空海が修得した真言密教
これは、縄文の信仰を継ぐ
山岳信仰の僧侶たちから教わったのだと
私は感じているのですよ。
空海は中国の唐に、もちろん行ったけど
それは修行のためではない。
それよりもっと前に、
日本のあちこちの山々へ行き
山岳信仰の僧侶たちをたずねては
修行させてもらっていたんだろう
と思うのです。
空海がどんどん出世したのは
密教のスゴさを示したからだと思う。
 
 
江戸時代は、
けっこう有名な寺だったんだろうなぁ~
 
 
 
 
乳の井戸
らしい・・・
 
水が枯れてきたので、
今はここだけのようです。
 
奥の景色には、相模湾が見えますラブラブ
 
 
達筆で読めない↓
 
1800年代に、大勢の人の喜捨により、
寺を復興させたそうなので、
その記念碑かしらね?
文化年間↓なので
 
相模湾です↓
 
横浜のビル群
 
はじっこの方に、
猟犬の碑しっぽフリフリ
 
 
そして、ここには、しゃかん堂がありました。
 
明治三年にお寺を潰したのね。
 
釈迦堂の後ろには、
鎌倉時代の経塚があったそうだ。
どこかに文献が残ってるんだろうな。
 
釈迦堂だけど↓
弘法大師像が祀られてます。
 
後ろには、イミシンなかんじの大木
根元がすごいのよ↑
 
 
こんなのも作ってあって素敵ラブラブ
 
 
弘法山公園は
(東)弘法山~権現山~浅間山(西)の
三山からなる。
 
浅間山は、おととしのお正月に祈祷した場所
日本じゅうに、三山がある。
出羽三山は有名だよねウインク
三山とは
男神・大神・女神
で、絶対なる三神。
でも、それすら一体になる。
役割分担するために
分身するかんじ。
だから
神様の名前なんて覚えなくていい爆  笑
古事記の神名なんて
コジツケで作ったような名前だから
ど~でもいい爆  笑
 
ただ、
神様いつもありがとうラブラブ
だけで充分ですラブ
 
ヘタに神名を言っちゃうと
本物の神様のところに
祈りが届かないのでね!
神社庁は
それが狙い。
本物の神様が来ちゃうと
平等な世の中になっちゃうから
来てほしくないんだもん爆  笑
 
だから
大きな神社ほど
本物の神様に通じる末社を
境内の外に出してるよ
よ~く見てごらん音譜
 
 
というわけで
キラキラとうだいもとくらしキラキラ
びっくり仰天な
近所の弘法山でした~てへぺろ