奈良のキトラ古墳,檜隈寺跡と豊葦原 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
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虹12月14日(土)

ミナパドメ

東京でのキラキラ作成会ですキラキラ

癒しとキラキラで陽氣になりましょうアップ

★くわしくはこちらの記事から★

遊びに来てね~ラブラブ

 
 
~*~*~*~*~*~*~
 
 
からの
後半の後半です。
 
 
の記事で
シバの女王は
東方のキトルから来た
という記述があったことで
 
もしかして
キトルは
キトラじゃね?
と、思ったので
来てみました。
 
 
この↑写真を撮っていたら
晴れているのに
キラキラとお天気雨がキラキラ
 

 
 
とうとう来たぞ~~~ラブラブ
 
自撮り(笑)↓
 
 
さて
何を感じたか・・・
 
墓にいたのは
女性だなぁ~
と感じました。
 
弥生族よりも
ずっと先に
倭国(日本)に来ていた
シュメールからの
渡来人の子孫
身分の高い女性でした。
 
 
セキセイインコ黄余談というか、説明セキセイインコ黄
 
弥生族も、渡来人です。
その
弥生族より
ずっとずっと前に
日本に来ていた渡来人は
秦氏だと思ってます。
『はた』と読むようになったのは
だいぶあとだと思います。
当時は、『シン族』だったと思う。
 
秦は、シンとも読みます。
シンは、シュメールの月神三日月
月を読み、星を読む一族だから
シン族。
(中国の秦(シン)時代があり、その字を当てはめたのちに、『はた』と読むようになったのでは?)
 
 
弥生族のが後に来た
のに
シン族は弥生族にとっては
都合の悪い存在だから
後から来た渡来人
に仕立てあげ
居住地も限定したのです。
 
古事記の中で
そこ(日本)はもともと
わたしの土地だ
と、アマテラス(弥生族)が
横暴なことを言ってますね。
(どっかの大陸の国の言い方ですよね)
 
歴史は
勝者に都合よく
書き変えられる
 
(私のブログを読んでる、学生のお子さんをお持ちのお母さまたちは、『その歴史はまちがっている』と子供の勉強をみながら苦悶してるそうですw)
 
だからね
ヤマト朝廷が発足して
まだ間もないのに
秦氏が豪族で力があり
聖徳太子を支援するって、
違和感あるでしょ?
もともと日本にいるからなのよ。
倭人と仲良く暮らしていたのよ。
 
こちら
読んでみてね↓
 
 
 
そもそも
縄文時代の倭国は
神さまがウヨウヨいた
と、思っています。
半神半人も
ウヨウヨいたと思ってます。
 
シバの女王は
女神(大黒天)なのだろう
と思います。
シバは、地名ではなく名前。
Queen Shivaね。
シバ神は、半分男性・半分女性
合体したり分離したり自由さ~
これ↓読んでね
日本の海辺に
芝や、柴があるのは
シバ神を祀っていたと思われる。
(だからといって、シバ神がインドから伝わった神とは思えない。インドから日本に修行僧が3千年も前に来ていたんだから)
 
 
 
さて
キト・ラ
として
シュメール語辞典で見たら
葦のマット・豊か
になしました。
 
葦のマット?
葦で編んだマットのことよね?
それが豊富にあるってこと?
 
 
豊葦原じゃんね爆  笑
 
豊葦原(とよあしはら)とは、
古事記・日本書紀に出てくる
葦原中国(あしはらなかつくに)で、
高天原(たかまがはら:神様の世界)
黄泉(よみ)の国(死後の世界)
間にあるとされる世界。
要するに『この世』
 
葦原中国は
この世のどこなのか
は、不明だったのです。
 
奈良のキトラ古墳周辺が
豊葦原だったんだね!
 
地名って
そこに住んでる人たちが
呼びなれた名前が残るので
いくら政府が変えようとしても
代々そう呼んでるんだからって
残っちゃうのよね!
大事大事!!
 
高天原という地名も
あっちこっちにあったらしい。
明治維新で改名された。
 
みなさま
おじいちゃん
おばあちゃんに
昔の土地の名前を
聞いておいてね!!
 
 
 
いろいろ
話がそれましたが
キトラ古墳に埋葬されていたのは
シュメールからの最初の移民の
シン族の子孫
巫者(ミシャ)の女性で
占星術もしていたのでしょう。
だから
星図が描かれているんだと思う。
 
 
弥生族が侵略を始めると
神々は姿を消してしまった。
肉体をもつ半神半人は
次々に殺された。
異形の神たち・・・
 
なにが平定だ・・・
どこが国ゆずりだ・・・
 
殺戮の歴史なのに・・・
 
もちろん
戦った者もいる。
天津甕星(あまつみかぼし)である
星神香香背男(ほしのかがせお)
は、改ざん神話にも出て来る。
(そうとう手こずったのでしょう)
カガセオについて昔
調べました。
カガとは、蛇のこと。
背中は蛇のウロコの
半神半人だったのでしょうね。
ケンタウロスみたいなのもいたと思うよ。
 
エジプトも
頭が動物の神様がいっぱいいるよね。
きっと
それって
神さまの姿では
定番だったんだろうね。
そしてそれは
日本では
八部衆や
十二神将などで残ってる。
 
 
 
キトラ古墳の体験館で
こちらを発見しまして↓
 
 
 
行ってみました。
 
檜隈寺は今は
寺じゃなくなって
おみあし神社
という名前。
それって
荒脛巾(アラハバキ)じゃね?爆  笑
 
金比羅さん↓
 
この中を覗いたら↓
関西にはめずらしく!!
青面金剛尊の像があった!
青面金剛尊=庚申は
天武天皇が禁止した古代からの神。
だから関西では朝廷の目が厳しく
姿のものは皆無。
『庚申塔』と字で書いたものしかない。
(関東から北には残っている)
 
こちらは
名前が記されてなかったけど
きっと、女神ラブラブ
 
なにかが建てられていた跡↓
 
 
檜隈寺とその周辺の檜隈は
秦氏と並ぶ有力な豪族の
東漢氏(やまとのあやうじ)の拠点だったとされている。
この『東』を、『倭』とも書くらしい。
じゃ、この人、
オリジナルの倭人なんじゃないの?
渡来人ばっかりが豪族なわけじゃないと思うし。
 
日本の歴史は
弥生族(天皇族)が来るまでは
日本人はみんな
原始的で野蛮人だった
としてるので
東漢氏は百済から来たらしい
とか書いてあるけど
じゃあ
『倭』って付けるかな?
『やまと』って言っちゃうかな?
 
記紀などの記録から
土木建築技術や織物の技術者がいたことをうかがい知れる。
と説明に書いてある。
そういう特別な技術に長けている者は
みんな、大陸から来た人にされる。
本当は
もともと、あったんだよ。
すんばらしい文明が!!
神とともに生きる
ユートピアがキラキラ
 
 
 
せっかくなので
そばにある
高松古墳へも行きました。
 
お宅の近所の神社の裏に
こんな、こんもり山
ございませんか?↓
もしかしたら
それ、古墳かもよグラサン
 
ご参考までに↓
 
高松古墳の資料館へ行こうとして
うっそうとした道を通ったら
こんなの発見↓
なんだろう?
と思ったら
どうやら、狐塚みたい。
 
こっちは
天皇の古墳とされている↓
 
 
ほんとかなぁ?爆  笑
 
 
 
帰り道
夕陽がすごく綺麗だったキラキラ
関東(東)へ向かってるから
バックミラーで(笑)
 
サービスエリアに着いた頃↓
 
肉眼では
ラベンダー色の空で
とっても綺麗だったんだけど
写真じゃ伝わらないなぁ~↓
 
 
 
 
 
 
 
虹12月25日に
南の島から
戦没者の慰霊
をいたしますキラキラ
「うちもお願いします」
という方
「私の祈りも届けてほしい」
という方
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メラメラ12月28日(土)
深川不動尊
納め不動
 
 
 
 
 

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