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北側の台所に近い部屋だったのだけど
夜遅くに
外で
チュン
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
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元々あった場所は
西武池袋線の
飯能駅から南東に3Km。
埼玉県道195号線で
飯能市と青梅市の境界付近に南下すると、
岩井観音堂がある。
観音堂入口の看板に
「浅草寺観音発祥の地」
の文字が書かれている。
また観音堂横に設置された説明板には
「浅草観音生誕地」
の文言も見える。
東京浅草の浅草寺の本尊・聖観音像は、
ここ飯能市の岩井観音堂に安置されていたものであるという言い伝えがあり、この地は「浅草寺観音発祥の地」と言われている。
岩井堂観音と浅草寺に伝えられる伝承は
おおよそ次のようなものである。
今から1400年ほど昔の話。
一人の旅の僧が当地に堂を起こし
観音像を安置した。
ある年に大暴風雨が起こり堂が押し流され、
尊像とともに崖下の激流に流され、
行方不明になってしまった。
それから100年の後、
宮戸川(隅田川の古称)の
浅草浦付近で漁をしていた
3人の兄弟の網に
1寸8分(5.5cm)の大きさの
金色に輝く仏像が掛かった。
兄弟は土地の識者であった
仲知土師真
に相談し、
その薦めに従い
堂を設け
像を安置した。
たしかに
大陽寺の由来の仏像も
ちっちゃかったです!
これが東京浅草の
金龍山浅草寺の起こりと伝えられる。
この話を伝え聞いた郷人は
この仏像は岩井堂観音であると信じ、
その返還を求めたが
かなわなかった。
時代が変わって、
1923(大正12)年の関東大震災の後、
浅草寺より岩井堂へ
本尊の観音像の分身として
一体の聖観音立像を奉還したい
との申入れがあり、
地元岩淵村をはじめ
近隣町村全てを挙げて
歓迎する中を入仏式が行われた。
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6月23日(土)
新宿にて
対面ヒーリング
ストレス抜けますよ~
玉ゆき庵とはちがい、
お手軽なかんじです
7月14日(土)
今後の決まっているイベント予定
6/30㈯ ミナ・パドメ
男性さまもご来場いただけます!
7/21㈯ 名古屋でブレスレット作成会
7/24㈫ 対面ヒーリング
7/28㈯ 対面ヒーリング
7/31㈫ 平日のミナ・パドメ
8/4㈯ 玉ゆき庵
8/11㈯ 玉ゆき庵
8/21㈫ 玉ゆき庵
8/22㈬ 玉ゆき庵
8/26㈰ はだのYYコラボ