【終戦の日:戦後から80年目】
〜節目の年だからこそ、伝えないといけない言葉〜
広島の原爆犠牲者・戦没者・戦死者の方々から託された言葉
本日は戦後80年目の終戦記念日になります。このような特別な節目だからこそ、私が広島の原爆犠牲者や戦没者・戦死者の方々から託された言葉を皆さんにお伝えしようと思います。
この言葉を託されたのは今から2年前の2023年の2月23日です。
この日は広島の三越で『日本のおもてなし トークショー』というイベントがあり、主催者のN.Tさんのご好意で広島に招待されて私は前日の2月22日から広島に来ておりました。
2月23日はトークショーが行われる三越デパートと宿泊ホテルが近かったためトークショーが始まる30分くらい前までホテルの室内でのんびりテレビを見ていました。そのテレビの内容は祇園一力茶屋の段(京都の祇園のお茶屋さんが舞台となる物語=舞妓・芸妓)についてでした。
本当に驚きました。なんという偶然でしょう。
なぜならこれから行われる『日本の粋 おもてなし』のトークショーをされる片山さんは過去に京都で舞妓さん(芸妓さん)をされていた方だったからです。
《当時、京都の祇園で舞妓(芸妓)さんをされていた頃の片山さんの写真》
2月23日15:00。場所は広島の三越百貨店の2階の特別会場。
普段目にすることができない百貨店ならではの貴重な展示品にたくさん囲まれながら、片山さんと岩田さんお二人のトークショーが始まりました。
たくさんの方がお二人のお話を楽しみながら聞いてらっしゃいました。話の内容は片山さんの舞妓さん(芸妓さん)時代の思い出や京都の歴史や江戸時代の文化や風習。岩田さんからも色々なお話を聞かせていただきましたが、お二人の共通した話の内容は江戸時代から近年、現代における服装や装飾品についての歴史でしたが、服装や装飾品、食べるもの、言葉や作法、教育にいたるまで当時の庶民がどれだけ日常生活で制限をされていたか、差別されていたかというお話でした。しかし、その制限や差別の中でも当時の人たちは自分たちなりに工夫を凝らして生活を少しでも豊かにしようという逞しさがあったことも同時に教えてくださいました。
トークショーも終わりに近づいてきた頃です。
それは突然の出来事でした。いきなり「上から言葉が降りてきた」のです。
〜上から降りてきた言葉〜《広島の原爆犠牲者の方々からのメッセージ》
広島や長崎の原爆や東京大空襲などで多くの日本人が亡くなりました。同時に日本の植民地にされてしまった琉球(沖縄戦)やアイヌの方々、その他の日本にいらっしゃった様々な民族の方々を含め、国や民族や人種関係なくその当時の人々は全員戦争の犠牲者です。
そんな当時の人たちから、現代の人たちへメッセージを伝えて欲しいと頼まれました。
「今のあなたたちは私たちが望んだもの全てを持っている。あなたの目の前にあるたくさんの物や人・・・。自分の努力や選択次第で進学も就職も住む場所も結婚相手も物も人も、そして『不幸さえも』自分で選べるのだから。
私たちは不幸さえも選ぶことができなかった。あなたたちのいる世界は私たちが待ち望んでいた未来。だからこそだから自分の人生を人任せにしないで、自分の意思で自分の人生を選択し、選んだことに自信と責任を持ってもらいたい。
そして戦争で犠牲になった私達に対してかわいそうと言わないでほしい。私達はかわいそうではなくありがとうと言ってもらいたい。広島にいる人たち、そして広島を訪れた人達が、私達に対して感謝してありがとうと言ってくれると私達の犠牲や努力が無駄ではなかったと報われるから。広島をありがとうの言葉で満たしてほしい。」
衝撃的すぎる『不幸さえも自分で選べる』という言葉・・・。
この言葉を伝えられた時、私は思いっきり頭をガッッーーンと殴られた感覚に陥りました。
そう。この時代の人々からすれば今の時代がどれほど豊かか。幸せなのか。
まさに今の現代は『不幸さえも自分で選べる時代』
その当時は絶対に選べなかった進学も就職も、離婚も結婚も、子供を産む産まないも、結婚相手(パートナー)も、住む場所も生活レベルも健康も所有する物も付き合う人も、幸せも不幸も、今の時代であれば自分の選択と努力、決断次第でいくらでもたくさんの可能性があるのだから!!!
私はこれまでの人生でそんなこと一度も考えたことなかった。そんな発想すらなかった。
今の私たちはこの時代の人たちが本当に欲しかった自由と平和というものを手に入れることができている。それは先人たちの犠牲のお陰だ。後に続く私たちのために自由に選択できる未来と希望の礎を築いてくれた。これから後に続く人達が希望を持てる明るい未来を築けるように。そしてこの日本が世界に誇れるより善い国になるようにと。
【〜先人たちがこれからの日本の未来に望むこと〜】
① 私たちの時代はこんなにたくさんの多くの物や仕事、住む場所や結婚さえも自由に自分の意思で選ぶことができなかった。だけど今のあなたたちは、私たちが選べなかった多くのものを選べる時代にいる。結婚相手も離婚することも、それこそ不幸さえも自分の意思で選択することができる。だからこそ、私たちが選べなかったものを選べるようになったあなたたちには自分の選択や人生に責任を持って生きてほしい。幸せだと思える人生を歩んで欲しい。
・・・・・・・・・・・・・
② 私たちの時代は死ぬことを強要されていた時代だった。死ぬことが美徳だとされる時代だった。命をかけない人は非国民と罵られ、村八分にされていた。お国のためにとたくさん家族が戦地に赴いて死んでいった。生きて帰ってくるとお国のために役目を果たさなかったと家族を含めて恥知らず扱いをされた。天皇陛下のためにみんなが命を投げ出さないといけない時代だった。どのような教育をされるかで人生が変わっていく。歴史を語る上で、当時の常識と今の常識が違うことを知って欲しい。
・・・・・・・・・・・・・
③ 広島にたくさんの観光者が来ているが、広島の原爆被害者や戦死者・戦没者を見て可哀想と思うより、私たちの犠牲があったからこそこの平和で豊かな時代で生きていけることを感謝してほしい。ありがとうと言って欲しい。可哀想と言われてるために私たちは犠牲になったわけではない。私たちの犠牲を教訓に平和の大切さを知って欲しい。そして観光として広島を訪れた人々が「ありがとう」の言葉を言ってくれるたびに私たちは少しずつこの苦しみや怒り、痛みや悲しみや未練から解放されていく。どうか広島をみんなの「ありがとう」の言葉にあふれる街にしてほしい。
・・・・・・・・・・・・・
④ 戦争で生き残った人たちはどうか後に続く人たちの模範になってもらいたい。後に続く人たちに恥ずかしい姿を見せないで欲しい。私たちは今の時代を生きることができなかった。だけどあなたたちは私たちが夢見ていた平和の時代に生きることができている。あなたたちが模範になって、私たちが夢見ていた平和の時代を継いでくれたら私たちの死は無駄ではないのだから。
大まかに言うとこのような内容でした。特に平和のためには正しい知識と教育は欠かせないことを強く訴えられていました。
・・・・・・・・・・・・・
【ご挨拶】
皆様、お久しぶりです。結喜です。
一体何年振りのブログになるでしょうか・・・。
若年性アルツハイマーや認知症のような病状が出始めて2〜3年目になります。今でも闘病生活を続けております。もともとたくさんの障害や病気を抱えて生活しているため、いつ死んでもおかしくない状態です。
今回このような内容を書こうと思ったきっかけはアルツハイマーや認知症のような症状が進行し、私の記憶がどんどん消えていっているからです。そのため、これまでの私の経験で絶対に伝えないといけないと思ったことを残すために、またブログを再開することにいたしました。
これまでの経験をどのくらいブログに残せるかわかりませんが、私の記憶が残っているうちに書けるだけ書き残していきたいと思っています。ブログの内容に対し様々なご意見はあるかとは存じますが、ある意味遺書的な意味合いで書いていますので気に触ることがあっても寛大なお心でご容赦願います。




































































