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https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_38.html
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《救世主はタクシーの運転手さん》
戦場の琉球語 間諜を警戒し使用禁ず
「方言」論争と沖縄戦
《この言葉、理解できますか?》
【奄美大島 ラジオ体操】
【沖縄 ラジオ体操】
《最後に伝えたいこと》
結喜です。長い間、ご無沙汰しておりまして申し訳ございませんでした。
この空白の一年、生き死にに関わるような状態になっておりました。
下記は2022年5月8日に私のFacebookで書いたものになります。
《2022年5月8日記載》
★ お久しぶりです。ご無沙汰しております。結喜です。半年以上ぶりのご挨拶、近況報告になります。
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《これまでの経緯》
私は障害者です。周りの方からは「障害者にまったく見えない。」とよく言われますが、実は皆さんが思っているよりはるかに重度な障害を患っています。
昨年2021年7月。
私の障害特性、病状がどんどん悪化していきました。その3ヶ月後の2021年10月後半には若年性アルツハイマーの症状が顕著に現れて自分の住所も書けない、名前さえも忘れ、自分自身が誰であるかさえわからなくなっていきました。
目線を移動した瞬間に、今自分が何でここにいるか、何をしていたのかさえわからなくなります。「あれ?どこだっけ?」「何していたっけ?」と言う言葉は日を追うごとに増えていき、ついに日にちや時間の感覚さえもなくなり、一週間お風呂に入らないという日も続き、自分が人間であることさえもわからなくなり、記憶が退化するごとに自分の感情や思考のコントロールが難しくなっていきどんどん本能だけで動く動物のような状態になっていきました。
このように完全に頭が狂った状態だったのでブログを書く、SNSで発信するといった理性を使う高等技術は当然無理なわけで、結果半年以上放置ということになりました。
特に酷かったのは昨年末〜今年の2月までの間です。当時は生き死にを彷徨うぐらいの状態で一時は現場復帰を本気で諦めていましたが、2月以降から徐々に持ち直して病状も緩和してきております。
現在は現場復帰に向けて、障害者就労移行支援で訓練中です。訓練のおかげでこれまで出来なかったものが出来るようになったりと能力や技術が向上しているのを日々体感しております。
訓練のお陰様でこの文章を書けるぐらいの状態まで回復し、当時「あ、い、う、え、お」すら認識できなかったことがまるで嘘のようです。今では現場復帰できるくらいまで元気になって今後の予定では2022年8月、遅くても9月には本業を再稼働できそうです。
※ これまでの闘病生活の経緯を時系列でお詳しく話しするとめちゃくちゃ長くなるので、この内容はブログでお伝えいたします。
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《お知らせ・ご報告》
★ 今年は個人事業主として結喜の屋号を持って 10年目、プロ占い師としての鑑定歴が20年目という節目の年になります。これもひとえにお客様並びに関係者や同業者の皆様の温かいご支援・ご協力のおかげでございます。本当に本当にありがとうございます。
現場復帰までもう少しお時間いただきますが、完全復帰後の活躍を楽しみにしていただけますと幸いです。
昨年から今日まで死に物狂いで1日1日を過ごしてきましたが、経験しなければわからなかったこと、気づけなかったこと、ものすごくたくさんありました。当事者だから伝えられることや教えられることもたくさんあるかと思っています。このような私ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
7年以上かかった約束を、ようやく果たしました!
2014年から開始した全国各地で行ってきた追善供養・追善供養行脚。7年以上かけてようやく終了いたしました。
移動範囲が全国規模になったのは2014年〜2015年の47都道府県全国行脚ですが、実はそれ以降も毎年テーマを決めて一人で細々とご供養を行っておりました。
2016年からは移動範囲はピンポイントですが、テーマごとのご供養を行うために数年がかりで歴史等の勉強してご供養を行っておりましたので、知識量・専門性という点では正直47都道府県全国行脚のほうがはるかに楽でした。
そして先週6月12日、ついについに7年以上かかったご供養が終了いたしました。
最後のご供養になったものの、今回のご供養ででさらなる課題がたくさん見つかり、この内容は一生かけて勉強していかなければならないものになります。一生勉強・一生精進と改めて思いました。
特に今回のご供養の内容は、私が死ぬ前に皆さんに絶対にお伝えしなければならないと思った内容ですのでぜひ次回のご供養総集編をご覧ください。とてもとても大切な内容なので絶対に記事を書きます。
前回のブログからすでに9日が過ぎました。この期間にオリンピックが始まりましたが、オリンピック開始とともに前回の小山田圭吾さんの「障害者いじめ問題」は少しづつ下火になってきたようですね。
今回はわざと時間をずらしてこのブログを書いています。それは皆さんの「記憶の風化」を防ぐためです。
これだけ毎日毎日様々な情報が目まぐるしく入ってくると、小山田さんのような国際レベルの問題が起こったとしても、時間と共に皆さんの記憶から「障害者いじめ問題」が少しづつ薄れてきてしまっているのではないでしょうか?
「人の噂も七十五日」という諺もあるくらいですから、世間でどんなに大問題になって大騒ぎしてもそれは一時的なことで二、三ヶ月すれば皆さんの記憶の中から次第に消えていき、話題にのぼらなくなってきます。英語では似たような言葉で、"A wonder lasts but nine days.(驚きも九日しか続かない)” というものがあるようですが、情報の流行り廃れも激しい時代で連日似たような問題が起きると、だんだん感覚が麻痺して「ああ、またか。」と驚きも九日どころか一週間も続かなくなってきています・・・。
実際、今回のブログを書くまでの数日間の間に様々な人権問題が起こっています。
小山田さんの過去の「障害者いじめ」が公に拡散されたために7月19日に辞任(オリンピック開催4日前)、翌日7月20日には東京2020 NIPPOフェスティバルに参加予定だった絵本作家 のぶみさんが辞退(オリンピック開催3日前)、7月22日には五輪開会式ディレクターであった小林賢太郎さんのユダヤ人大量虐殺ごっこ発言の「ホロコースト揶揄問題」で解任(オリンピック開催前日)という前代未聞の不祥事が次々と噴出しました。
これは全て「人権」に関する問題です。
実際オリンピックが開催され日本で金メダルラッシュが続くと、あれだけ騒いでいた小山田さんの問題もさほど気に留めなくなるだろうな。というタイミングを狙って今回は「オリンピック憲章」について、次回は「戒律と法律」について私なりの意見を書いていこうと思っています。
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オリンピック憲章 より抜粋
(最新のものは2020年7月17日から有効)
(↑ こちらをクリックすると移動します)
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【国際オリンピック委員会】
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【国際競技連盟】
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【国内オリンピック委員会】(日本)
今回の小山田さんの問題は実は他人事ではありません。なぜならこのような「いじめ」や「差別」は日本では障害者・健常者関係なく当たり前のように行われているからです。
小山田さんの過去における「障害者いじめ」は到底許されるものではないと思います。ですが、いじめや差別の気持ちはどんな方であれ大なり小なり持っていると思います。疲れやストレス・体調や精神不調、環境の悪さなど様々な要因でイラッとくる時もあるだろうし、ついつい言葉がキツくなってしまうことだってあるかもしれません。理不尽で不合理・無理解で有害な環境に居続けると「朱に交われば赤くなる」という言葉もあるように、その時は自分がそう思っていなくても知らず知らずのうちにそれが当たり前だと思うようになってくるのかもしれません。
様々な要因や問題が重なって結果的にいじめや差別をしてしまうこともあるかもしれませんが、一番問題なのがそのような行動に対して罪の意識もなく、その行動を「そのくらい」とか「誰でもやっている」とか「大したことはない」「むしろ障害者は迷惑をかけているから、いじめられて当たり前」と一蹴してしまうことが問題なのです。
そして今回の小山田さんの「障害者いじめ」の核となる部分が、その行動を武勇伝のように悪びれずに自慢するという「倫理・道徳観の欠如」が国際社会において問題視され批判される状況を引き起こしてしまったと私は考えています。
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【倫理】
人として守るべき道。
人として望ましい行動。
道徳。モラル。
人と人とが仲良くするためのルール。
(道徳規範・認識論・美学=哲学)
善悪の基準は国や文化・時代によってどんどん変化していきます。当時正しい・常識とされた考え方も時代の変化とともに変わっていきます。そして善悪の基準となる倫理観や道徳観は、生まれて生きているうちに自然に備わるものではなく、教育によって後天的に身につくものです。
もっとも重要なのは幼少期にどのような家庭環境で育ったかです。子供が悪いわけではありません。善悪の基準は各家庭・家族関係によって作られていき、その基準に沿って子供の正しさの価値基準が刷り込まれていくからです。
子供にとっては親は絶対です。親が教えたことは子供にとっては「正しい」のです。子供が問題を起こすと「親の顔を見てみたいものだ」という言葉が出てきますが、まさにその通りです。(親の教育=子供の価値観)
ですが問題を起こす子供の親もしかすると幼少期の家庭環境が適切な教育や道徳・倫理を教えてくれるような状況でなければ、その親だって何が正しくて何が間違っているのか「知らない」のです。
ですので、まず子供を責めるよりも問題を起こしてしまう子供の家庭環境や親の精神衛生状態や生活環境を改善し、その上で親だけではなく子供の周りにいる大人たちも一緒に善悪の基準をしっかり教えることがとても大切だと私は思っています。
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そしてその「善悪」の価値基準や社会秩序を作っているのが実は「宗教」です。
海外の方から見れば、宗教を持たない=モラルのない人・道徳のない人。と見なされ軽蔑される対象となります。
日本人の行動が海外でよく問題視されるのは日本人が宗教を持たない(無宗教)からではなく、宗教の中で本来学ぶべき倫理観や道徳観に則った善悪の基準を理解していないからです。
人によっては「日本人はお正月には神社(神道)に行き、お盆にはお墓参り(仏教)に行き、結婚式はキリスト教で多様な宗教を認めていて素晴らしい!!!」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、実家が寺院で元尼僧の現場の人間から言わせていただきますと全く違います。
日本にはたくさんの宗教が入り混じっています。ですが現在の日本においてはそれは信仰や信心ではなく単なるイベントと化してしまっています。
それはハロウィンなどを見れば一目瞭然です。宗教が神聖なものではなくウェーイとパリピ張りのお祭りになっています。すでに宗教ですらありません。仮装パーティーやら飲み会です。
クリスマスやバレンタインだってそうです。宗教的な祈りや感謝すらありません。宗教を商売繁盛のための道具として利用されているだけです。(神への冒涜どころじゃありません。なぜなら信者ですらないので。信仰や信心すらないのに他宗の大切にしている聖なる記念日をお金儲けのために土足で踏み込んで穢して喜んでいるのですから。)
神社仏閣に行く=開運のため(信仰ではない)
お遍路参りに行く=開運のため(信仰ではない)
パワースポットに行く=開運のため(信仰ではない)
これは信仰ではありません。イベントです。日本では「開運ツアー」なるものが盛況ですが、イベントツアーなので神様や仏様に手を合わせたら終了です。イベントなので継続することはありません。一瞬で終わりです。
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私の家は仏教です。
私の家は神道です。
家系で代々その宗派で先祖を祀っていただけで実際どのくらいの方が自分の宗派の経典や経本を開いて唱えた(読経)ことがあるでしょうか?
信仰・信心=家系の宗派のお坊さんが自宅でお経を上げることではありません。
本来信仰や信心というものは各個人個人が毎日継続して自発的に続けていくものです。それをどの宗派も「在家信者のお勤め」と言っています。
宗教=悪徳商法・霊感商法と思われる方が多いと思いますが、そのようなことをおっしゃっている皆さんは一度でも自分の宗派の経典や経本をきちんと全部読まれてことがありますか?
この経典や経本と言われているものの中に、人としてのあり方を示す倫理や道徳の基準、(規律や戒律・作法など)が書かれているのをご存知でしょうか?
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私は宗派は違いますが、曹洞宗の「修証義」というお経が好きです。
修証義
・第一章 総序
・第二章 懺悔滅罪
・第三章 受戒入位
・第四章 発願利生
・第五章 行持報恩
構成としてはこのようになっていますが、特に第四章は人としてのあり方や生き方(倫理行動)が示されており、全くその通りだと思っています。
日本人の映像を使用したかったのですが、映像がなかったため海外の方の映像を使いましたがこれが現状の日本です。日本は海外のような支援や助け合いの精神があまり発達していません。これは良い悪いではなく宗教の教えの違いによるものだと私は思っています。(このような状況になっている原因を⑷の戒律と法律で説明してきます。)
〜第四章 発願利生〜
衆生を利益すというは四枚の般若あり、
一者布施、二者愛語、三者利行、四者同時、
是れ即ち薩埵の行願なり、
【布施】
其布施という貪らざるなり、
我物に非ざれども布施を障えざる道理あり、
其物の軽きを嫌わず、
其功の實なるべきなり、
然あれば即ち一句一偈の法をも布施すべし、
此生佗生の善種となる、
一銭一草の財をも布施すべし、
此世佗世の善根を兆す、
法も財なるべし、財も法なるべし、
但彼が報謝を貪らず、
自からが力をわかつなり、
舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、
治生産業固より布施に非ざること無し。
★【愛語】★
愛語というは、衆生を見るに、
先ず慈愛の心を発し、
顧愛の言語を施すなり、
慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて
言語するは愛語なり、
徳あるは讃むべし、
徳なきは憐れむべし、
怨敵を降伏し、
君子を和睦ならしむること
愛語を根本とするなり、
面いて愛語を聞くは
面を喜ばしめ、心を楽しくす、
面わずして愛語を聞くは
肝に銘じ魂に銘ず、
愛語能く廻天の力あることを学すべきなり、
【利行】
利行というは貴賎の衆生に於きて
利益の善巧を廻らすなり、
窮亀を見病雀を見しとき、
彼が報謝を求めず、
唯単に利行に催さるるなり、
愚人謂わくは利他を先とせば
自らが利省れぬべしと、爾に非ざるなり。
利行は一法なり、普く自佗を利するなり。
【同時】
同時というは不違なり、
自にも不違なり、佗にも不違なり、
譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、
佗をして自に同ぜしめて
後に自をして佗を同ぜしむる道理あるべし、
自佗は時に随うて無窮なり、
海の水を辞せざるは同事なり。
是故に能く水聚りて海となるなり。
大凡菩提心の行願には
是の如くの道理静かに思惟すべし、
卒爾にすること勿れ、
済度摂受に一切衆生皆化を被ぶらん
功徳を礼拝恭敬すべし。
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私は小山田さんの過去を知っているわけでもありませんし直接関わっているわけでもありません。ですので私が小山田さんの人生にとやかくいう権利はありません。
ですが今回の問題がこれだけ国際社会問題になっている以上、何かしらの意見を発信しなければいけないと思い今回の記事を書きました。
もし、小山田さんが上記のような「布施」や「愛語」「利生」などの倫理観や道徳観を誰かに教えてもらっていたり学ぶ機会があれば、きっと今回のような「障害者いじめ問題」なんて起こらなかったはずです。
このように本来の宗教というものは「経典や教本の教えに則って人としてのあり方を学ぶもの=倫理・品性」であり、このような教えや学び日常生活の中で実践し、日々の訓練(勤行)を通して、人としてのあり方や倫理・品性を少しづつ身につけていくものです。
※ キリスト教=クリスチャンにとってこの日々の勤行が「日曜礼拝」(ミサ)であり、毎週日曜日には家族と共に教会で祈りを捧げるのです。ですので同じ信仰でも「実践」しているかどうかが非常に重要になってくると私は思っています。
次回:
本日:令和3年(2021年)/7月20日(火曜日)
あと3日でついにコロナ禍真っ最中での1年越しの東京オリンピック・パラリンピックが開催される。
★令和3年(2021年)7月23日《祝日・スポーツの日》★
東京オリンピック•パラリンピック開催されるまでに様々な問題が噴出してきたが、開催まであと10日を切った令和3年7月14日。東京オリンピック・パラリンピック開会式に作曲担当として選ばれていた小山田圭吾さんの「障害者いじめ問題」が発覚した。
1994年・1995年に発行された某雑誌に小山田さんが小学生〜高校生の学生時代に率先して障害者をいじめていたというインタビュー記事が発掘されてしまったのだ。小山田さんが告白している過去の障害者いじめの内容はいじめで済むようなレベルではなく現在の法律に則れば完全に「犯罪」に該当する。さらに問題なのは小山田さんが障害者いじめを武勇伝のように自慢げに話していることだ。そこには罪の意識はまったくなく、むしろ障害者は社会的敗者・虐められて当たり前。インタビューをした記者も小山田さんの発言に対して同意している。
この小山田さんの「障害者害者いじめ」が発覚した2日後の7月16日。
小山田さんは障害者いじめに対しての謝罪文をツイッターで発表したが、東京オリンピック・パラリンピックの作曲担当はそのまま続行することを表明。小山田さんの「障害者いじめ」・「継続して参加表明」に対し、「罪の意識がない」と世間からの批判はどんどんエスカレートしていきネット上では大炎上。
この大炎上を収めるべく翌日7月17日。
小山田さんを起用した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会がついに重い腰をあげて謝罪したが、五輪組織委員会は小山田さんの問題発覚後もこのまま東京オリンピック・パラリンピック開会式に小山田圭吾さんを継続して参加させる予定だった。
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しかし突然その流れが
ガラッと変わり始めた。
小山田さんや五輪組織委員会からすれば、
それはまさに晴天の霹靂だっただろう。
障害者・障害者家族で構成する
「全国手をつなぐ育成会連合会」の
当事者団体が動いたからである。
さらにそれを援護射撃をするように
国際社会もこの団体の主張を
全面的に賛同・後押ししたことにより、
ようやく小山田さんと五輪組織委員会は
7月19日付で東京オリンピック・
パラリンピックの参加を辞退したのである。
(国際社会から小山田さんの行為と五輪組織委員会が批判されたので)
この批判がなければ罪の意識もなく
やる気満々だったってわけだな。
このような問題を問題とも思わない、また問題となっても「過去のことだから」とか「このくらいで何を大騒ぎしているんだ」といって謝罪すれば問題なしと事実有ったことを自己都合で勝手に無かったことにする倫理観の欠如している人間たちが作った大会だから、そりゃうまくいくわけないと思ってしまうのは私だけでしょうか?
ーーーーーーーーーー
これがオリンピック・パラリンピック主催国である
「美しい日本」
「お・も・て・な・し」の
現在の日本の実態である。
国際社会と日本の倫理観が
どれだけズレているか
この事件のおかげで
ようやくわかっただろう。
(だから日本は先進国どころか衰退国と言われるだ。)
つまり日本という国は
内側(国内)からの批判は
屁ともしないが
外側(国外)からの批判には
すぐに対応するということだ。
しかし私からすればこのような状態は別に特別なことでもなんでもない。
それは昔から日本特有の文化として根付いている「村社会制度」(同調圧力)が関係しているからだ。
たまたま東京オリンピック・パラリンピックによりいつも以上に日本国内の内情が露呈しやすい状態になっていただけであり、東京オリンピック・パラリンピックが終了すればすぐに元の村社会制度(同調圧力)の締め付けが始まるだろう。
それこそ
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だ。
世界から今この瞬間注目されるから下手なことが出来ないだけであり、このような倫理観が欠如した陰湿ないじめ体質は今現在も当たり前のように日本人の文化の中に存在している。
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次回:
に続く
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毎回毎回なんでこうなってしまうのだろうといつも後悔しながら、当日の告知をしています結喜です。
発達障害特有の『先延ばし』のせいで小さい頃から人生詰んでいますが、努力してどうにかなっていればそもそも病気じゃないよなと思いながらの告知です。
しかも本日どころがあと1時間半で初めての店舗での出演時間になり、めちゃくちゃ慌てて電車の中で告知連絡しています。どなたかご縁がありご来店いただけますと激しく喜びます。
本日もよろしくお願いいたします。
【本日の鑑定場所】
マリフォーチュン高円寺
出演時間/16:00〜21:00
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お久しぶりです。最近SNSやブログ恐怖症になっていて、ブログを書かなければいけない。告知しなければいけないとわかっていながらも、実際の行動としてなかなか出来ないストレスとプレッシャーでかなり精神的にやられている結喜です。
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本当は4月1日に新しい出演店舗に入ったのですが、告知すら出来ずに1週間過ぎてしまいました。
もう泣きそうです・・・。
【4/1から出演】
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