どーぉもっ!
毎晩誰がママのとなりで寝るかで
3兄弟ケンカがたえません。
ので、ケンカ中に隣に来た子には
2700のネタ、「へそ探してる」をしてあげると、
なごみます。いや、笑い死にものです。
時間ない人は1分16秒あたりを見て
テッテッテーレテーレッへそーさーがーしーてーるー
ゆかりんです(怪しい人感満載)
逆に興奮して寝れんわいっ
最初から何の話やねんってのでごめんなさいね。
ネタが豊富すぎましてね
来週最終日を迎える、
初級講座の準備をしていて思ったこと。
私は平均を出ることが怖い。
上に入らなくていい、
中の上あたりで嬉しい
下はいや
出来すぎも
出来なさすぎも嫌ってね
小学生くらいから、そう思ってきた。
だからそれなりに、頑張りはするけども
なるべく平均的におさまるように。
ほめられたら、謙遜して
「こっちはいいかもだけど、
こっちはてんでダメだから~
合わせるとトントンや~」
なーんて言ったりして。
ありがとうって素直に受け取ることができなかった。
全体で見て平均ぐらいになれば十分。
とにかく周りの評価が一番。
自分の価値を人から見出してた
平均から上にはみ出ても、
下にはみ出ても嫌なんだよね。
逆に、
平均から出る
って何が怖いかというと…
仲間から外れたくないんだよね。
一人になりたくない
皆で一緒にいるときの自分に価値があると思ってる
そういえば昔、母が言ってた。
「何か一つでも秀でるものがあれば良いわいね」
逆に捉えてしまった私。
「秀でるものがなければ価値がない」
今思えばそんなこと言うとらんしと分かるけどね。
秀でるものがない(と思い込んだ)から
平均を求め始めたのかもしれないね。
いや、まぁ平均どころか結構な人生を送ってきてますけども(笑)
でも、他人の評価を気にして平均ばかりを求めてた自分に、
怖かったよね。
と心の中で声をかけてみる。
小学生時代のちっちゃいゆかりんに。
大人になってみて分かる。
平均の面白みのなさ。
なんでもできることがいいわけでもない。
なんせ、黄レンジャーでもともとは注目されたいはずなのに(笑)
(中級講座 参照)
そりゃモヤモヤするわけだ~。
そして同時にガッツリ
マウンティングしてる自分にも気づいたよね。
人を上とか中とか下とか
しかも自分は中の所にいると信じてるところとか(イタイ…)
今は、
平均でいなきゃいけないとか、
人並みにできなきゃいけないとか。
そんなことはどっちでもいいと少しずつ思えてきてる。
あっでもPTAとか、できる人に見られたくないってあるな。
重要な役割とか任されたくないし、めんどくさいし(笑)
秀でているところがなくても、私には価値がある。
平均を選んでもいい。
自分のしたいようにしてもいい。
どれを選んでも、正解・不正解はない。
良いか悪いか、正解か不正解か等の
二極化はだめなわけではないけど、
それが強いと息苦しいね。
学校時代は授業で正解・不正解を出しながら、
心には正解・不正解はないんだよって学んでくる
その葛藤に悶えながら
私も大人になったんだなぁ~~~と
自分の子どもの頃を思い返してみてわかる。
平均を好んだ私だから、
子どもも目立つ行動はやめてほしかったし
何でも人並みにできてほしかった。
長男の赤ちゃんの頃なんか、発達段階に添った成長してるか気にして、
早いものは喜んでたけど…早すぎることにもザワザワした。
それだと子どもが(いや、自分だな)嫌われるかもしれない、
自慢だと思われて周りから浮くかもしれない、と思うから。
子どもにもほめた後調子こいてるか見張ってたわぁ~。
今は、
平均という言葉に縛られて苦しかった
そんな自分をみつけたら
子どもが目立ってもいい。
上でも中でも下でもいい。
そんな風に思えたのよね。
だって子どもたちが生まれてきたばかりのときは
きっとママたち
そんなこと考えもしなかったはずだから。ね。
以前の私と同じように、平均でいることを好んでいるあなた。
子どもにも周りにもそういう目で見ていること、
気づいちゃったかしらん
人は、見たいように見て聞きたいように聞くんだよ。