留学中に探していたもの
昼に、友人に来てといわれ、カンファレンスルームにいってみると、随分大勢の人が集まっていること。もちろん神経生理の外来のスタッフから、ビデオ脳波の病棟のナース、そして大学のPhD研究者など総勢50名くらい。昼からワインを飲み始め、サラダやらチーズやらいろいろと素晴らしいものがならんでいました。何のお祝いだろって思うと、そこにショーベル教授がやってきました。今日は僕のためのパーティーだと。そんなことを全く知らず、あせっていると、みんなニコニコしています。ショーベル先生が、いろいろと話し始めました。もちろんフランス語ですが、3カ月のフランス語の授業のためか、少しずつ理解できるようになってきました。
まずは、日本から初めてこの神経生理に勉強しにきてくれたことを大変誇りに思っていること。また、脳神経外科医でありながら、神経生理を勉強するということは大変大切だということ。そして、日本に帰ったら、日本の復興のため頑張ってほしいとのこと。以上を話しておりました。途中からあまりに感激して、うつむいてしまいました。そして、最後に私たちは、あなたとあなたの施設とずっといい関係でいるし、いつでももどってきてもいいんだ。ともいわれました。最後に私たちはもう家族になったんだからっいっていただき、おもわず思わず涙ぐんでしまいました 。
留学の目的、それは各個人いろいろとあると思います。誰もしえない研究をすることはもちろん、日本でまだまだ分野の浅い臨床分野を極めるそれもそうかもしれません。もちろん僕自身も留学中に一言では言えないほどの新しい研究テーマや、臨床のアイデアなどを得ることができました。でもそれ以上に留学中に探してきたもの、その一つがようやく見つかったような気がします。
世の中にはいろいろな上司や後輩との関係があると思います。ここもたしかに仕事は大変厳しいのではありますが、やはり厳しさとともに、その一方、家族であり、いつでも協力していただけるといっていただけることがなんとも頼れることか。この言葉によって自分の診断や治療にもっと確信を持てるようになった気がします。今後は、ショーベルやバルトロイ先生のように患者、後輩に対してもそうなりたいと思います。
短い間でしたが、ティモンで働くことができて幸せだったと感じております。
まずは、日本から初めてこの神経生理に勉強しにきてくれたことを大変誇りに思っていること。また、脳神経外科医でありながら、神経生理を勉強するということは大変大切だということ。そして、日本に帰ったら、日本の復興のため頑張ってほしいとのこと。以上を話しておりました。途中からあまりに感激して、うつむいてしまいました。そして、最後に私たちは、あなたとあなたの施設とずっといい関係でいるし、いつでももどってきてもいいんだ。ともいわれました。最後に私たちはもう家族になったんだからっいっていただき、おもわず思わず涙ぐんでしまいました 。
留学の目的、それは各個人いろいろとあると思います。誰もしえない研究をすることはもちろん、日本でまだまだ分野の浅い臨床分野を極めるそれもそうかもしれません。もちろん僕自身も留学中に一言では言えないほどの新しい研究テーマや、臨床のアイデアなどを得ることができました。でもそれ以上に留学中に探してきたもの、その一つがようやく見つかったような気がします。
世の中にはいろいろな上司や後輩との関係があると思います。ここもたしかに仕事は大変厳しいのではありますが、やはり厳しさとともに、その一方、家族であり、いつでも協力していただけるといっていただけることがなんとも頼れることか。この言葉によって自分の診断や治療にもっと確信を持てるようになった気がします。今後は、ショーベルやバルトロイ先生のように患者、後輩に対してもそうなりたいと思います。
短い間でしたが、ティモンで働くことができて幸せだったと感じております。
贈り物
こちらにきて、多くの友人ができました。フランス人は、日本人と通じるところがあります。たとえば、形式は違いますが、文化だとか、歴史の古さとかそれのみならず、笑いのセンスとか、人のもてなし方だとか、ちょっとした振る舞い方が似ていると思うときがあります。
さて、いつものようにお昼をみんなで食べていると、突然、ジュリアンが、レッツゴーというと、いっせいにみんなからいろいろ物がでてきました。何、何って思うと。それは、僕への贈り物でした。ジュリアンからは、OPINELのナイフ、クリスティンからは、ワインオープナー、アナイスから、マルセイユの写真集、メルディックからはワインの本、フランシスカからは、フランス料理の本。どれもすばらしいフランスの贈り物でした。考えてもそうたいしたことをした記憶もないですし、ただみんなで何気なくランチを食べたり、たまに夜食事にいったり、でも本当の友人として、表面的でなく、人を大切にする、これもなんか日本人に通じる暖かさ、humanityを感じました。決して友人のこと忘れません。また会うことはあるのかないのか分かりませんが。大切にしていきたいと思います。
さて、いつものようにお昼をみんなで食べていると、突然、ジュリアンが、レッツゴーというと、いっせいにみんなからいろいろ物がでてきました。何、何って思うと。それは、僕への贈り物でした。ジュリアンからは、OPINELのナイフ、クリスティンからは、ワインオープナー、アナイスから、マルセイユの写真集、メルディックからはワインの本、フランシスカからは、フランス料理の本。どれもすばらしいフランスの贈り物でした。考えてもそうたいしたことをした記憶もないですし、ただみんなで何気なくランチを食べたり、たまに夜食事にいったり、でも本当の友人として、表面的でなく、人を大切にする、これもなんか日本人に通じる暖かさ、humanityを感じました。決して友人のこと忘れません。また会うことはあるのかないのか分かりませんが。大切にしていきたいと思います。
ショーベル教授宅で
昨日は、ショーベル教授のお宅によばれました。
場所は、マルセイユの旧港よりちょっと南カタランの近く、家から広大な地中海が見渡すことのできる高台にありました。
話題は、もちろん日本の地震のこと。特にショーベル先生は、大の日本好きで、過去10回以上行ったことがあり、また義理の娘も日本人ということもあって、本当に地震、津波のことを心配されておりました。
犠牲者の冥福と日本の早期復興を祈り、それから乾杯をしました。
その後、彼がご自慢の自宅を案内してくれました。驚くにあちこちに、日本の絵が飾られてあります。東海道五十三次、水墨画などなど。日本に行ったとき必ず買って帰ってくるとか、またこれがプロバンスの家にまた合うこと。
やはり、はじめはアペリティフから始まり、前菜、プレート、プレート2、フロマージュ、菓子と相変わらずの量です。これにもだいぶなれましたが、必ずといっていいほど翌日胃もたれします。ただ、BGMのバッハの平均律が妙に食事を勧めてしまいます。
そして、話題、やはり政治のこと、歴史のこと、とてもショーベル先生もフランスの事のみならず、世界のことをよくご存知でして、自分の周りだけでなく、常に世界に目を向けていないとと考えさせられます。
あっという間に、1時を過ぎていて、翌日もカンファレンスがあるのに、誰一人帰ろうともいわず、私がそろそろってたどたどしいフランス語で話すとようやく皆さんが席を立ってくれました。
とにかく貴重な時間でした。ショーベル先生の業績、名前は、間違いなく、てんかん学の歴史に残りますし、そのような先生と一緒に仕事ができている、そしてゆっくり話すことができるということ自体が最高な名誉なことです。さらに、ショーベル先生にいわれました。君が始めて、僕の下に来てくれた日本人だよ、僕はとてもうれしい。引き続き、関係をもっていこう。SEEGの勉強会をマルセイユと東京でやっていこう。
こんなうれしいことをいっていただけ、最高の名誉でした。
左は奥さんのクリスチーヌもまたティモンで神経科学の先生をされております。彼女は聴覚研究の第一人者です。
場所は、マルセイユの旧港よりちょっと南カタランの近く、家から広大な地中海が見渡すことのできる高台にありました。
話題は、もちろん日本の地震のこと。特にショーベル先生は、大の日本好きで、過去10回以上行ったことがあり、また義理の娘も日本人ということもあって、本当に地震、津波のことを心配されておりました。
犠牲者の冥福と日本の早期復興を祈り、それから乾杯をしました。
その後、彼がご自慢の自宅を案内してくれました。驚くにあちこちに、日本の絵が飾られてあります。東海道五十三次、水墨画などなど。日本に行ったとき必ず買って帰ってくるとか、またこれがプロバンスの家にまた合うこと。
やはり、はじめはアペリティフから始まり、前菜、プレート、プレート2、フロマージュ、菓子と相変わらずの量です。これにもだいぶなれましたが、必ずといっていいほど翌日胃もたれします。ただ、BGMのバッハの平均律が妙に食事を勧めてしまいます。
そして、話題、やはり政治のこと、歴史のこと、とてもショーベル先生もフランスの事のみならず、世界のことをよくご存知でして、自分の周りだけでなく、常に世界に目を向けていないとと考えさせられます。
あっという間に、1時を過ぎていて、翌日もカンファレンスがあるのに、誰一人帰ろうともいわず、私がそろそろってたどたどしいフランス語で話すとようやく皆さんが席を立ってくれました。
とにかく貴重な時間でした。ショーベル先生の業績、名前は、間違いなく、てんかん学の歴史に残りますし、そのような先生と一緒に仕事ができている、そしてゆっくり話すことができるということ自体が最高な名誉なことです。さらに、ショーベル先生にいわれました。君が始めて、僕の下に来てくれた日本人だよ、僕はとてもうれしい。引き続き、関係をもっていこう。SEEGの勉強会をマルセイユと東京でやっていこう。
こんなうれしいことをいっていただけ、最高の名誉でした。
左は奥さんのクリスチーヌもまたティモンで神経科学の先生をされております。彼女は聴覚研究の第一人者です。
地震その影響
被災地の方の状況は、ここフランスのテレビでも連日ほぼ24時間に渡って放送されております。ですので非常に詳細に知ることができます。日に日に被害の状況が拡大しているようで、心が痛む限りです。マルセイユでもあちこちでジャポン大丈夫か?と見知らぬ方からも声をかけられ、その災害が地球規模で伝えられていることを物語っています。私も知り合いの東北地方の方々に連絡をしました。幸い連絡をいただきほっとしましたが、まだまだ多くの方が行方不明だと思うと決してほっとできません。
東北地方太平洋沖地震
大変なことが起こってしまいました。こんな大惨事とても想像できません。ここマルセイユにおいても大々的に報道されております。 たまたま私はマルセイユいただけで、いつこのような大惨事に巻き込まれても不思議ではなかったのです。本当に被災地の早期の回復と、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。
SPM
SPM, statistical Parametric Mappingという有用なソフトについて紹介させていただきます。もちろん多くの研究者たち、特に脳機能イメージングの研究者が普通につかっているツールです。昨日、fMRIの研究をしている友人にいろいろと教えていただきました。このソフトはオープンソフトで、ロンドンの大学より発表されたソフトで、すでに最新でバージョン8まで出ております。このソフトのいいところは、Matlab上にて(こちらは購入してください)さまざまな患者さんの脳のデータ(たとえば、fMRIやPETなど)を標準化することができ、さらに統計解析することができることができます。もちろん人の脳はさまざまですので、その誤差を最小限にし、比べることができるのです。これによって多くの画像データがより正確に比較することができるようになりました。もちろん神経科学の分野のみならず、脳神経外科への応用もいろいろとありえるかと思います。ご興味のあるかたは、こちら
を参考に。
研究、そして発見
なぜ研究が必要かといえば、やはり真実の探求、そして発見だと思います。特に私が行っている研究というものは、ほとんどが、生の患者さんの脳からの生きた声、脳波から何かを発見することです。これは神経科学の分野にとってとても大切だと思っております。動物実験でもないですし、MRIや他のいわゆる画像検査なども一線を画します。まあこういえば、かっこよく、そしてもっともらしく聞こえるかと思いますが、ただ一方、実はただただ本当のことを知りたいという欲求、新しいことを発見したときの感動を味わいたい、これに尽きるのかもしれません。
今日も新たな発見がありました。私の今やっている研究のほとんどが過去とられた脳波をあらためて見直す、それらは、以前他の先生方によって見られたものであり、すでに評価も終わっているものです。その脳波や誘発電位を改めてみると、そのとき誰も気づかなかったようなことに気づいてしまいます。今回も意識に関係する誘発電位の非常に興味深い結果を得ることができました。さっそく上司にそのデータを見せると、大変驚かれ、以前のデータからすべて見直してくれないかと、言われました。これ もまた大変な作業になります。大変うれしいことなのですが、終わることやら。
何もなく通り過ぎてしまっている毎日にも、あらためて見直してみるといろいろな発見があると思います。有名雑誌に載るような内容かどうか分かりませんが、常にこのようなベクトルを持っていることは医師としてそして科学者として大切なんだなとあらためてて気づきました。
今日も新たな発見がありました。私の今やっている研究のほとんどが過去とられた脳波をあらためて見直す、それらは、以前他の先生方によって見られたものであり、すでに評価も終わっているものです。その脳波や誘発電位を改めてみると、そのとき誰も気づかなかったようなことに気づいてしまいます。今回も意識に関係する誘発電位の非常に興味深い結果を得ることができました。さっそく上司にそのデータを見せると、大変驚かれ、以前のデータからすべて見直してくれないかと、言われました。これ もまた大変な作業になります。大変うれしいことなのですが、終わることやら。
何もなく通り過ぎてしまっている毎日にも、あらためて見直してみるといろいろな発見があると思います。有名雑誌に載るような内容かどうか分かりませんが、常にこのようなベクトルを持っていることは医師としてそして科学者として大切なんだなとあらためてて気づきました。
ベルリン滞在記(2)
ベルリンといえば、忘れてはならないのは、ベルリンフィルです。ヨーロッパにおいて、ウイーンフィル、ロンドンフィルと主に世界のクラッシックの先導となってきた交響楽団です。その中でも私は一番好きなフィルハーモニーです。演奏は、きわめて厳格で、リズムも他のどのフィルよりもその曲に一番あったリズムで演奏しています。歴代、フルトヴェングラー、カラヤンと名指揮者がここベルリンの地で数々の名演奏をしてきました。その地で生のオーケストラを聴けることは本当に感極まります。今日は、ブルックナーメサ曲3番。なんとも荘厳であり、緊張がずっと継続する曲。およそ1時間だったと思いますが、手に汗にぎり、最後まで生唾も飲むことなく終わってしまいました。友人のフェリックスに聞いたらベルリンの人にとってクラッシック音楽をきくことは若者にとっても一般的だそうで、会場をみたら多くが若者だったのには驚きました。
下こちらがベルリンフィルのホールです。やはり第二次世界大戦の時には完全に破壊されたようです。
こちらがホール。今日も満席でした。
下こちらがベルリンフィルのホールです。やはり第二次世界大戦の時には完全に破壊されたようです。
こちらがホール。今日も満席でした。
ベルリン滞在記(1)
今週末、強行スケジュールでベルリンに行ってきました。
ヨーロッパでどうしても行きたかった場所であります。アメリカにおけるニューヨーク。そして、ヨーロッパのベルリン。もちろん首都であるという共通点はありますが、日本における広島・長崎と同様やはり人類の残虐な出来事があった場所であります。
ベルリンは、第二次世界大戦までは、ヨーロッパで大変文化的な町でした。あちこちにある宮殿や庭園はプロセイン時代の栄華を物語っています。そしてやはり芸術。バッハ、ワーグナーとドイツを代表する作曲家がかかわり、またベルリンフィルという世界最高のオーケストラを有する街です。しかし残念なことにヒトラーを中心としたナチス政権により第二次世界大戦のときにこの街、この国はすべてがくるってしまい、すべてを失ってしまいました。この舞台になった街です。
また、クリーブランド時代に一緒にフェローをしていたフェリックスがベルリン出身ということもあり、今回彼に案内をしてもらいました。
街の印象、、第二次世界大戦により街は壊滅的な状態となったそうです。軍事的な場所のみならず、教会、宮殿なども一部破壊されてしまったようです。またみなさんもご存知ベルリンの壁もまだ一部存在しています。このベルリンが東西に分かれていたときには、大変複雑だったようで、いわゆる冷戦時代の象徴でもあります。街の雰囲気がいまだに東(ソ連側)、西(仏、英、米)とによってちがいます。壊滅的な破壊を受けたため、街は、かなり近代的な部分と古い部分が混在しています。非常に特徴がある街だと思います。東京もそうだとおもいますが。
まずは、ブランデンブルグ協奏曲でも有名なブランデンブルグ門。この門の向こう側は西ベルリンでした。
このようなガラス張りの高層ビルもありものすごく近代的です。
一部下の写真のようにベルリンの壁がいまだなお残っております。
ここが、ベルリン中心部、ホロコーストモニュメントの近くです。この空き地で最後、自殺したヒトラーが彼の運転手によって焼却されたようです。この地下には彼の隠れていたトンネルもあるようです。今は埋められております。
なんも変哲もない駐車場になり、子供たちが遊んでいたのが印象的でした。
ヨーロッパでどうしても行きたかった場所であります。アメリカにおけるニューヨーク。そして、ヨーロッパのベルリン。もちろん首都であるという共通点はありますが、日本における広島・長崎と同様やはり人類の残虐な出来事があった場所であります。
ベルリンは、第二次世界大戦までは、ヨーロッパで大変文化的な町でした。あちこちにある宮殿や庭園はプロセイン時代の栄華を物語っています。そしてやはり芸術。バッハ、ワーグナーとドイツを代表する作曲家がかかわり、またベルリンフィルという世界最高のオーケストラを有する街です。しかし残念なことにヒトラーを中心としたナチス政権により第二次世界大戦のときにこの街、この国はすべてがくるってしまい、すべてを失ってしまいました。この舞台になった街です。
また、クリーブランド時代に一緒にフェローをしていたフェリックスがベルリン出身ということもあり、今回彼に案内をしてもらいました。
街の印象、、第二次世界大戦により街は壊滅的な状態となったそうです。軍事的な場所のみならず、教会、宮殿なども一部破壊されてしまったようです。またみなさんもご存知ベルリンの壁もまだ一部存在しています。このベルリンが東西に分かれていたときには、大変複雑だったようで、いわゆる冷戦時代の象徴でもあります。街の雰囲気がいまだに東(ソ連側)、西(仏、英、米)とによってちがいます。壊滅的な破壊を受けたため、街は、かなり近代的な部分と古い部分が混在しています。非常に特徴がある街だと思います。東京もそうだとおもいますが。
まずは、ブランデンブルグ協奏曲でも有名なブランデンブルグ門。この門の向こう側は西ベルリンでした。
このようなガラス張りの高層ビルもありものすごく近代的です。
一部下の写真のようにベルリンの壁がいまだなお残っております。
ここが、ベルリン中心部、ホロコーストモニュメントの近くです。この空き地で最後、自殺したヒトラーが彼の運転手によって焼却されたようです。この地下には彼の隠れていたトンネルもあるようです。今は埋められております。
なんも変哲もない駐車場になり、子供たちが遊んでいたのが印象的でした。
フランス人の食卓
昨日は、fMRIの研究をしているメデリックからご自宅へお食事のお誘いを受けました。フランス人の典型的な家庭料理を見せたいとのこと。仕事が終わり、なんと夜9時からの夕食です。しかもはじめは、やはりアペリティフ。彼は、ボルドーの出身で、ワインには、造詣が深い方です。はじめは、Monbazillacという甘めの白。それとともにトマト、サラミなどと一緒にでした。彼は彼女と遠距離をしているらしく、普段も一人ですべて料理もしているとのこと。ワイングラスを片手にぺらぺら話しながらさっさと準備をしていきます。
次にサラダ、そしてメインはアヒルと生のフォアグラを使ったグリルでした。アヒルはこちらでcanardというようですが、表面だけグリルされ、中はほぼ生の状態でした。これは大変美味しいと思いますが、人によって食べれる方とそうでない方がいるかもしれません。本当に彼の料理の腕はたいしたものです。そしてワインは、もちろんSaint Emilion。彼が直接ドメインから購入しているとのこと。このワインがとても料理に合いました。
これで料理が終わりと思いきや、さらにフロマージュ、ショコラのデザートと続き、本当におなかいっぱいになりました。
料理と一緒に大事なのが、会話です。文化のこと、歴史とのこと、政治のことなど。本当に多様な話題には驚かされます。私たち、日本人は食事の会話でこんなことはなしますでしょうか?とてもいろいろと勉強になりました。
翌日も仕事があるのにもかかわらず、結局深夜3時まで話しがとまりませんでした。