令和の清少納言 幸坂 ゆうあです。
ゆうあ誕生~50円玉2枚になるまで〖幼少期⑦〗
祖父母に大事にされた事と「母はほったらかし」は誤解やった。
私、幸坂ゆうあの誕生~2011年までの自分史を綴っています。
さて
幼い頃、私はよく三重県にある、母親の実家に預けられていました。
ひとりで(笑)。
1Kの狭いおうちの中で、毎度息詰まる「母との攻防戦」を繰り広げてるので(誰がやってるのよ)
母と離れられる生活で泣いた記憶はないです。
記憶からたどるとたぶん
引っ越し、水害、妹の妊娠初期など
いろいろ大変なときに長期で預けられたんだろうけど
当時も間違いなく
「母親といなくても別によかった」のだと思います。
祖母宅で撮ってもらった写真は今見ても本当に
ほのぼのするなあ。
祖父は中国で会社を経営し、戦後家族で引きあげ。
お酒の好きな、でも、昔乍らの厳格な人。
実は祖母もまた結構はっきり物事言う人。
私も幼心に「貧乏臭い」やら「もう、大阪帰り~」やら
はっきり言われておりました。
が、
たぶん家でも田舎でも「私」というものは
変わらなかったはずで。
かわいい孫とはいえ、
その強情さも腹に据えかねたのでしょう、きっと。
勝手に祖母と一緒にいくスーパーに
黙って一人で行っちゃったり、
(また行方不明かい)
庭の池にいる金魚に
乾物いれに入ってるお麩を袋全部いれてみたり。
勝手に110番したり。
(家に電話がなかったので黒電話の使い方を教えてもらった)
もうこいつどうしようもないわ。
(自分やけど)
大工だった祖父が作業場に
砂場やブランコをつくってくれていました。
退屈するとなにしでかすかわかんないから。
いやいや
きっと私が寂しがらないようにと、
いろいろ思ってやってくれてたんだなあ。
ばあちゃんと一緒にえんどう豆むき。
祖母もまた「おちょけ」な人でした。
(おふざけが好きでかわいい)
この葉っぱを頭に乗せると化けれると聞いて
まじで「もうテクマクマヤコンはいらん、これや」
と思った4歳。
(わかる人笑って)
あるときは手ぬぐい巻いてもらったり
よくわかんないんだけど、拷問ではない。
大分嬉しそうなわたし。
母はできあがってきたこんな写真をみながら、
苦い顔して「なにやってんの」
って言ってたけど
それを横で聞きながら「なんでだめなんだろ」「ほんまにたのしいのに」
と思ってました(笑)
そして
「お母さんとはなにしてもおもしろくないわ、怒ってばっかりで」
確かにそう思ってました。
実はそんな母も実は結構おちょけたことをする人で
父が随分あきれてたなあって
随分後に思い出したんだけどね。
…
ちょっとまって!
っていうことは
やっぱりそういう(どういう)家系なんじゃ(汗)
△▼△▼△▼△▼
祖父母の家の近くには養鶏場があってね。
早朝から「コケ~~コッコッコッコ」の声で起きて(笑)
生んだばかりの卵がニワトリさんの前にコロンと転がってるまだ生暖かい卵をオズオズとらせてもらってた事を思い出します。
なぜかシースルーの家(中まるみえ)の
養鶏場のおうちもおもしろくて
それはそれでものすごくたのしかったんだけど
朝からその卵のはいっているお味噌汁の飲むことがわたしには朝一番の苦痛で苦悩で
まさに「拷問」だったというね・・・・。
ほんと毎朝泣きべそかきながら黙って座ってる祖父のま正面で食べきるまで正座で食べてましたねー。
わかめと玉ねぎと生み立て卵。
今なら大喜びなんだけどな。
ある日の朝、たまたま口からポロッてでた卵を
祖母が「ちょっと待って、拭いてあげる」というのを聞い
たのに
それを拾って
思い切り
なぜか手で握りつぶし
はじめて祖父に叩かれたのでした。
「食べ物粗末にするやつは、ごっきらいじゃ」って。
(ごっきらい=大嫌いね)
思い出したよ。
あーあ。
「もう食べたくないねん」やねんけど
怖くて言われへんねんけど
でも、その講義の行為でやること「これ」やねん…
ストレートじゃない。
なんやねんあたし、めんどいわー
海がちかいのでよく連れて行ってもらいました。
泳げるのはここで叔父に教えてもらったおかげ。
生まれたときに母に「死なすなよ」と言ったほど
虚弱だったわたしを心配してくれていた祖父母。
そんな私は幼少期は
「食べる」ことが本当に本当に「つらかった」人だったのです。
食べさせるものも、食べるものへの感謝も
いろいろちゃんと大切にしてくれたし
教わってたんだなあって思いますね。
なんでここで
「いつも祖父母に預けられっぱなしでかわいそうな私」
っていう記憶にしてたんだろうね…。
さて、
こんなふうに預けられているうちに
加納苑から近所への引っ越し、
そして、保育所の入所が決まっていたようです。
大変なときには「預かるよ~」というスタンスだったのだろうなあ。
叔父がはるばる迎えに来てくれることもあったから
母は恐縮していた雰囲気も
「大人に興味津々のあたし」は確かに
感じてはおりました。
ほったらかしちゃうやん!(笑)
罪なき笑顔だけどすでにややこしいわ…。
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