令和の清少納言 幸坂 ゆうあです。
※こちらは2019年10月29日に掲載した記事を加筆修正したものです。
☆2011年に起きた出来事の自分史☆26年勤続した保育士辞めました【退職への道 その7】
「行かなくてよくなった」職場。
これからどうすればいいのかとは思うものの
思うだけでゴロゴロ横たわっているだけでは
どんどん身体が重くなっていくだけなのでした。
職場はというと・・・・・
かなりの心配をかけたようです。
そりゃそうだよね。
今までたしかにいろんなトラブルがあったとしても
仕事に来なくなるなんてことなかったからね。
それでも本当にありがたいことに
「元気になったら戻ってきてくれたらいい」ということを
申し出ていただいて、
「三ヶ月間お給料が出て休職」という
「いいのか?」な特別温情措置がとられ
9月~12月までは生活に支障なくなりましたが、
年があけてからは当然「無給」の日々がやってきました。
このころの旦那はお給料がでないことを知っているはずなのに
なにひとつ言ってくれません。
とたんにお財布はカラッカラです。
どうしよう・・・・
このときは
私の「養老保険」を解約という手段をとりました。
やはり、自分で決めました。
よかった、数ヶ月はなんとかなる。
数か月の間ぜんぜん動かず
でも、コンビニには行けていて(勝手よね)
食べたり飲んだりしていたので
さらに重い身体になっていましたが
これはわかりました。
お金がなかったらいっぱい食べられません。
生活できません。
なので、手続きはサクサクとしました。
当時は老後どうすんねんなんて思うこともありませんでした。
ただただ今いっぱい食べれないと困るじゃない。
これはまっずいなあ・・・・って思ってました。
次なる問題は
家のローン。
支払いできないので
また銀行で泣いて
当分の間減額する措置をとってもらいました。
このころはおかしくなったのか一回泣いてみたら
ずうっと、どんなときでも泣いてました。
アレは病気だったのか、違ったのか、今もよくわかりません。
だって、思いかえしたら
鬱なのに結構自分でやっているやんか?
・・・と思います(苦笑)
いつもテレビの横で、敷いたままの布団で
テレビがつけっぱなし。
でも、こんなんなってましたけど、
結構、色々気丈にやってたところもあったんだと今は思います。
なんだったんでしょうね?
とにかく半年ほどの間
手続きなども寝転がって電話して
終わったらそのまま布団で寝るとか。
グダグダとジャージみたいなものをほぼ洗濯しないまま着続けて。
食べ物買うときも、その恰好。
このころは体重計も乗っていないので、
このころが過去最高レベルだったかもしれません。
ところでなんですけど
食べれるって・・・・鬱?
そんなわたしは
旦那に家の中で会うことを
必死で拒絶して
家の中を
転がって逃げ回っていました
転がって逃げてテーブルの下(隠れられへん大きさですが)で
息をひそめてるとか異常だわ。
できるだけ、会いたくなかったのは
長男が学校に行かないことを
責められてると思っていたから。
もうこのころはね、正直な話
ぶっちゃけ
仕事行けないない私が長男に学校行けって言えるかー
と思ってました。
そしてもうひとつは
「仕事いかへんのか」
「もう行けんのちゃうのんか」
を聞きたくなかったのです。
で、当時の私といえば
自分の思い云々なんてどうせわかってくれないだろうと
決めてかかっていたので
ひたすら旦那から逃げまくっていました。
それがなんの解決にもならないこと
わかってたけどわかりたくなかったし、
自分がどんなにかわいそうだというアピール以外、
人とコミュニケーションをとることをひたすら避け続けた日々だったのです。
2011年3月。
仕事に行けなくなってから半年後
休職期間の停止が迫っていました。
仕事を再開なんてできるはずもなく。
退職するしかありません。
というよりは、このころ
仕事に行く気持ちなんてすっかり折れちゃってました。
お金のことは深刻すぎて
正直考えたくなくなってました。
もうほんとに「どーでもよかった」のです。
休日の誰もいない保育園に出向き
退職届けをだしてきました。
再就職年齢をとうに過ぎている私のために
復帰できるように就業規則まで変えて舞っててくれるという
ありがたい職場。
でも、それでも
もう、これっぽっちも
私謝りたくなかったんです!っていう傲慢さで
100%被害者ヅラで退職したのでした。
帰って退職したことを旦那に報告しました。
旦那は
「ほんまに辞めたんや」と言いました。
そしてそのあと
「どうなんの?」と聞く長男に
そう、わたしでなく
長男に向かって言いました。
「もう破綻や」
バカじゃないのこいつ。
あんたがいるのになにが破綻やねん。
こんな「かわいそうな私」が仕事できるわけないでしょ。
こんな風になっても旦那は本当に私の気持ちをわかってくれないんだろう。
・・・って思ってました。
どうしようもない状況になってるのに
どうかしようと思うのももう、完全に放棄した時間でしたね。
こっちが聞きたいわ!なんとかしろよって
勝手に暴投気味に投げ返してやりたい気分でしたが
太ってたので転がってました。
そして
その「破綻」の本当の意味は
そのちょうど一週間後に幕を開けることになります。
とにもかくにも
2011年3月7日
私26年の保育士生活に幕。なのでした。
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