夢の願い方 | 私のしおり

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日記・雑感。
専業主夫になった夫と、家事全部しなくなってみてわかったこと。
謎な夫の生態とともに綴っていきたいと思います。

お久しぶりです。夕海です。

 

最近少し仕事が忙しくブログどころじゃない感じだったのですが、

 

ふと、過去記事を読み返しておりました。

 

ちょうど1年くらい前ですね。


 

読んでびっくり。

 

書いてあること、一部かなってる。

 

 


子供と接する仕事、してるし、

 

夫もすることになった。

 

しかも、放課後の子供相手の仕事。(民間の学童)

 

 

 

根本の

 

 

子供と触れ合う仕事がしたい。夫と。

 

子供大好きな夫に、子供達と触れ合う機会を沢山作りたい。

 

 

ってことは、見事に叶ってる。

 

 

 

 

実は、Bachmenさんのライブでの予祝で、この夢のことを言ってるんですよね。

※「予祝」については、↑リンク先の記事をごらんください。

 

 

 

 

そうか、願いって…

 

 

具体的な部分よりも、どうしてそうなりたいか

って部分が叶うんだなー…。

 

 

Bachmenの李果さんも

 

 

『「大金持ちになりたーい!」よりも、「大金持ちになって、○○して、どう思ったー!」』

 

まで言うといいっておっしゃられてて。

 

 

それってきっと、

 

叶うのは「○○して、どう思った」の部分だからなんだろうな。

 

 

確かに、夫と一緒に子供と接する仕事をしたいという「目的」を叶えるために、

 

駄菓子カフェという「手段」を思いついた。

 

 

いつの間にか駄菓子カフェ自体が目的だと思い込んで最近迷走していたけど、

 

なるほどー……。違ったのかも。

 

(別に駄菓子カフェやりたくなくなった訳ではないが。)

 

 

 

なるほどなるほど。

 

 

 

 

 

 

 

実はこの夢を閃いたのにはきっかけがありまして。

 

 

 

ある日、夫と一緒に近くの商業ビルに行った帰り。

 

下りエスカレーターの前に数名の大人が溜まって戸惑っていました。

 

なんだろう?と進んでみると、小さな女の子がエスカレーターに乗れなくて立ち尽くしている。

 

 

さらに先を見るとお母さんがエスカレーターにすでに乗ってしまっていて、

娘さんの方に行こうと一生懸命下りエスカレーターを逆走して登っているんだけど、

畳んだベビーカーを持っていたのでままならず、ずっとエスカレーターの中ほどから上がれない形となってました。

 

 

あ、これどうにかせんといかんやつだ。

 

 

娘ちゃんに近づいた私は問答無用でその子を抱き上げ、下りエスカレーターに乗り、

お母さんには無理に登らずそのまま降りてもらうようお願いし。

 

 

半分降りたところで、なぜお母さんがこんなリスク抱えてエスカレーター乗ったのかわかりました。

 

幼稚園年中くらいのお兄ちゃんが、エスカレーターの下で待っていました。

 

 

このエスカレーターは、大きなお店の出口のすぐ前にあります。

勝手な推測ですが、お店を出てすぐお兄ちゃんはお母さんの制止を聞かずエスカレーターに乗っちゃったのではないかと。

 

仕方なく、お母さんはベビーカーを畳んで娘ちゃんと手を繋いでエスカレーターに乗ろうとした。

 

でも娘ちゃんが踏み出せず、お母さんだけが乗ってしまい、結果手が離れてしまった……。

 

 

そんな事情だったのではないかと。(空想)

 

 

 

でも正直そんな事情はどうでもよくて

 

 

私に問答無用で抱き上げられた娘ちゃん。

ギャン泣きも覚悟していたのに

 

ずっと大人しく抱かれていてくれました。

 

その時の フワフワ感と、多幸感。

 

なにこれ。めっちゃ幸せ。

 

 

 

何せ息子はすでに中学生でしたので、こんなフワフワ感も従順さも全て脱皮済み。

 

 

 

あまりに幸せすぎてその日1日反芻。

 

 

それでも飽き足らず、次の日の午前中も仕事しながらひとり反芻。

 

 

はぁ〜〜💕 幸せだったなぁ💖

 

あの幸せ、ずっと感じてたいなぁ。

 

 

……って思ってたら、あの夢が降ってきたのです。

 

 

あの幸せを、夫と共有したい。

 

 

そこが原点。

 

 

だから、そこが叶ったんだなと。

 

 

大前提として、夫には基本的に好きなことをしていてもらいたいので、

夫の夢が同じ方向を向いているならば、という前提ですが😄

 

 

 

 

なんとなく、夢の願い方がわかってきました。

 

 

 

 

願い事を思う時、なぜそれを願うのかって根本を、見失ってはいけないのだ。

 

 

 

写真提供:akizouさん(写真AC)