【感想&レビュー】TVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』はカルチャー好きの必携書だった! | とかげ日記

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本書は‪70年代から10年代までのサブカルチャーを計15組のアーティストの各論を通して振り返っている。

 

その人選がまず面白い。矢沢永吉、沢田研二、坂本龍一、ビートたけし、戸川純、江戸アケミ、フリッパーズ・ギター、電気グルーヴ、X JAPAN、椎名林檎、KREVA、バンプ・オブ・チキン、星野源、秋元康、大森靖子。マイナーからメジャーまでバラエティに富んだラインナップで、ポップ、ロック、テクノ、ラップ、ヴィジュアル系、アイドルと扱うジャンルも幅広い。これらのアーティストにピンと来た方はぜひ手に取ってほしい。

 

筆者の二人の主観のガンガン入った視点が面白い。左派的な立場から見ているのだけど、論理に客観性があるので、中立・ニュートラルや右派の方も楽しめるだろう。‬ 

 

僕は小林よしのりも高橋源一郎も楽しんで読むタイプの人間なので、著者の二人の鋭い切り口や見立てを大変面白く読んだ。‬ 

 

例えば、椎名林檎の文語体使用や和風ビジュアルは、右翼的イデオロギーではなく、サンプリング主義的な日本国家のイメージの表層を切り取る態度という見立てには膝を打った。‬ 

 

また、バンプ・オブ・チキンの項で「社会に接続されることへ大きな苦痛があるからこそ、政治性の無い表現にのめり込むことを必要としている」という見立ても面白かった。僕はそんな理由でバンプを好きになった訳ではないけど。‬ ‪

 

60年代までの政治の季節が終わり、80年代以降のサブカルは作品から政治を切り離す姿勢が顕著になった。ゼロ年代以降の"セカイ系"カルチャーの隆盛は、その一端だ。本書はその過程を丁寧かつ誠実に追っている。‬

 

しかし、政治に関心がなくても、サブカル音楽の通史として読んでも面白いと思う。 

 

注釈にも著者の解釈が入って愉しい。そのアーティストや作品への入口を作ってくれている。それは、違う世界への扉だ。‬そして、膨大な数の注釈がある。巻末の詳細な年表も合わせると、これはもはやサブカル一大叙事詩だ。‬ 

 

本書はサブカル通史を描くと同時に、著者のコメカとパンスの文化受容の個人史でもある。83年生まれの僕は84年生まれの彼らと同世代であり、二人がこれまでに見てきたもの、聴いてきたものを興味深く読んだ。そして、彼らの文化摂取の幅広さと深度に驚嘆した。

 

テレビなどのマスなカルチャーの影響力が弱くなり、カルチャーを消費する小さな集団がいくつもあってカルチャーが成り立っている現在、サブカルチャーという概念も変容しているだろう。しかし、サブカルチャーにおける"人間がキャラクターとして消費される文化"は、ツイッターなどのSNSが盛んな時代に大衆レベルまで浸透しつつある。 そのポスト・サブカル焼け跡時代にカルチャーの理想を描くTVODの二人の姿に感銘を受ける本だった。

 

また、その理想を描く際、最後の項に大森靖子を置いているのも僕得だった。リスナーを"ALL"として向き合うのではなく、バラバラな個人として向き合う大森さんの姿勢に僕も強く共感しているから。人間にはキャラクターに収まらない実存が一人一人にあるはずなんですよ。

 

TVODの見立ては大森靖子は「コミュニティ内部の関係性が自分に与えてくれる『キャラクター』を受け入れるのではなく、『私が認めた私』=自分自身の手で作り上げた『私』の『キャラクター』をコミュニティ、ひいては社会に対して認めさせるぞ、という反抗」をしているというものだった。TVODの見識の深さに半ば感動までする。

 

僕もいつかTVODの二人のようにカルチャーを語れるようになりたい。この書評も本書の表層のところまでしか迫れていない。より鋭く深い見立てと切り口でカルチャーを語れるようになったら、とても楽しいし素敵なことだと思う。

 

本書はカルチャー好きの必携書だ。カルチャーが好きなら、どんな人でも楽しめるはず。僕も勉強になった。この本を片手に2020年代のカルチャーの理想を僕も『とかげ日記』上で書き描いて行こうと思う。 

 

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