頭痛 あれこれ -14ページ目

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 前々回は生活習慣病を予防する目的で行われている「メタボ検診」について述べましたが、今回はその生活習慣病の代表格とされる糖尿病について述べます。そのなかでも、最近では、糖尿病を「生活習慣病」と呼ぶのは止めにしよう(「“生活習慣病”は死語にすべき」!!」)という活動が行われるようになっていますが、その活動の理由について考えてみたいと思います。


 「生活習慣病」という言葉が定着して久しい。食べ過ぎず飲み過ぎず、適度に運動をして十分な睡眠を心がけ、タバコも吸わないのに、健康診断でBMIや血圧、血糖値の数字がよくないと、「何が悪かったのだろうか」と自らの生活習慣を振り返る人も多いのではないだろうか。あるいは、「生活習慣病」といわれる病気になった人を見たら「悪い生活を続けたせいだ」と考えたりしていないだろうか。


 そんな「生活習慣病」の一つとされるのが糖尿病です。しかし実は糖尿病は、生活習慣の他に、遺伝素因や環境要因が複雑に関与して発症する病気です。それが、いつのまにか「乱れた生活習慣によって発症する病気」と誤解され、病気の当事者が差別や偏見の対象になっているケースが多い。
 「生活習慣が悪いから病気になるというのは、科学的根拠に基づかない思い込みです。『生活習慣病』という呼称そのものが『病気の原因は個人の生活習慣で自己責任だ』という誤解を広く浸透させ、社会的スティグマとなって患者さんを深く傷つけ、苦しめています」


 なぜ糖尿病患者は生活習慣病という呼称に苦しめられているのか、社会はどのような眼差しを向けてしまっているのでしょうか?


糖尿病は生活習慣だけでは発症しないのに


 そもそも糖尿病は遺伝素因・環境要因・個人の生活習慣が複雑に関与して発症するもので、その中でも遺伝素因が発症の一次的要因です。しかし、長きにわたって贅沢病だとか、怠惰によるものだという誤解がありました。さらに「生活習慣病」という呼称が定着するにつれて「悪い生活習慣を続けている人が発症する」「太っていると糖尿病になる」という誤解も広がっています。多くは遺伝的な要素で発症するので、太っている人が必ず発症するわけではありませんし、痩せている人がならないわけでもない。「生活習慣病」という言葉には元々は「生活習慣に注意することで予防に繋げよう」という意図があったのですが、現在では「悪い生活習慣による自己責任の病気だ」というレッテルになって社会に広まっています。


■ 患者同士を分断させる社会的スティグマの恐ろしさ

 

 糖尿病の患者さんは、大きく分けて1型と2型があります。

  一般的に1型はウイルス感染などを引き金とする自己免疫で発症するもので、小児が多いですが、成人にも発症します。これに対して、2型は生活習慣からくる自己責任の病と思われているものです。
 2つのタイプの大きな違いは、1型は、自己免疫現象によって、膵臓でインスリンを作るβ細胞が壊れてしまうため、インスリンが膵臓からほとんど出なくなり、適正な血糖値を維持するため、終生インスリン注射が必要です。
 これに対して、2型では、環境や生活習慣、遺伝的な影響により、インスリンが出にくくなったり、インスリンが効きにくくなったりして血糖値が高くなる、という点です。


 どちらの場合でも、不便や苦痛はたくさんあります。
 1型の場合は思春期を含む若年者では体重管理がうまくいかなかったり、食事療法がうまくいかずに食べたものを吐いて摂取カロリーをコントロールしようとしたりする方も少なくありません。厳格な血糖管理を目指す中で低血糖リスクに晒されたり、インスリン注射による体重増加で悩んだり、食欲との葛藤、逆に糖質制限による痩せ過ぎで苦しむなど、糖尿病を抱えて生きることには多種多様な困難があります。
  こうしたことから、1型の場合「生活習慣が悪い人たち」というステレオタイプは到底受け入れられないことは理解されるはずです。生活習慣からくるのではないのですから・・2型の患者さんは常に社会から非難の矢面に立たされて、1型の患者さんはそうした社会的非難を怖れて「生活習慣病の2型と一緒にされたくない」と悩みます。
 その結果、1型の患者さんと2型の患者さんの間に分断、対立が生まれることもありますが、どちらも生活習慣病という呼称によって生まれた社会的スティグマの被害者なのです。


■ 糖尿病患者の「生きづらさ」の元になる言葉が生む偏見


 1型糖尿病の場合、医師から糖尿病と診断された、インスリン注射が必要と言われた患者さんの中には、社会から自分は「身体的に不完全で不健康である」とみなされ、保険や結婚、就職、出世などさまざまな面で大きな差別を受けることになるのではないかと不安に駆られる人がいます。私は、こうした社会的スティグマが、患者さんがインスリン注射の提案を辞退するひとつの要因となっていると思われます。
 「糖尿病は生活習慣が悪い人間がなる病気だ、厄介な病気だ」とみなす社会的スティグマによって、健康診断後の受診勧奨を無視したり、服薬を辞退したり、あるいは血糖値が非常に高くてインスリン自己注射が必要な状態であるにもかかわらず、それを拒否する患者さんたちのことを「病識がない=病気を理解できない愚かな人」のように考える医療従事者がいるのも事実です。
 しかし、医療従事者が社会的スティグマに苦しむ当事者の気持ちを理解し、受け止めていくことがとても重要だと考えています。医療従事者の社会的スティグマに対する理解を推進すると同時に、「糖尿病になるのは生活習慣が悪い、自己責任だ」という社会に蔓延する誤解を解くことも必要です。


■ 「生活習慣病」がバッシングにお墨付きを与える


 自民党副総裁時代の麻生太郎氏は、財務大臣時代に「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない、無性に腹が立つ」と発言しました。
 実際には、日本の糖尿病患者を対象とした研究でカロリー摂取量とBMIには相関がみられないと報告され、肥満に関する最新の科学的エビデンスにおいても、生物学的、遺伝的、環境的因子が肥満に強く影響していることを示しています。
 糖尿病をはじめ、生活習慣病と括られるさまざまな病気や症状を有する人々は、決して身体的に不完全で不健康な落伍者でも怠惰な人間でもないのに、この呼称がバッシングや差別をする加害者にお墨付きを与えています。
  こうしたことから、2019年10月に日本糖尿病学会・日本糖尿病協会がアドボカシー委員会を立ち上げ、糖尿病に対するスティグマの弊害と患者さんが受ける不利益について、社会の意識や仕組みを変革しようと宣言しました。
 残念ながら、医療従事者の中にも偏見的な意識を持つ人はまだいらっしゃいます。世の中には「太っていたらダメ、糖尿病になったら終わりだ」というような空気が存在していて、患者さんはいつもそうした無言の非難に晒されていることを医療従事者が配慮できるようになったら医師-患者関係は大きく変わると思います。
 患者さんの苦痛は減り、幸福感の増加にも繋がるでしょう。そして、おそらく血糖管理や体重管理などのアウトカムの改善にも繋がると思うのです。
 生活習慣を切り口にして「良い/悪い」と言うこと自体が非常にジャッジメンタルです。運動不足やカロリー摂取の過剰・不足はファクトであって、価値付けではありません。人それぞれに必要なカロリーも運動量も違います。数値的にはカロリーオーバーでも太らない人もいるし、逆もある。統計的にみれば普遍的な真実ではないはずなのに、総じて病気の原因になると一般化することが問題なのです。「生活習慣を改善する」は、科学で人の生き様を数値化して守らせるという個体差を認めないやり方で、医師としても実行可能な治療法とは思えません。
 ”すべてに当てはまる”勧告は集団に対しては適応しても良い。しかし、診察に訪れる患者はいずれもユニークな存在であることを忘れてはなりません。


■ スティグマを知り、多様性を認められる社会を目指す


 糖尿病の患者さんは食べることを筆頭として、日常生活に多くの制限があります。コロナ禍で外食ができない、人と会えないなどの制限は多くの人にとってつらい経験だったでしょう。もちろん苦にならない人もいるでしょうが、できない人や苦しむ人のことを一方的に否定しバッシングするのは、多様性を認めないことに繋がりかねません。「生活習慣を改善しなさい」という指示も、多様性を認めないことになっていないでしょうか。
「生活習慣病を死語にしよう」という目標は、糖尿病を持ちながら生きる人たちの多様性を尊重することです。そして、多様性を認める社会へと進む第一歩になり得る活動だとも考えています。
 知らず知らずのうちにバッシングや加害に加担しているかもしれない、一般の人にも糖尿病当事者が受けている社会的スティグマについて、まずは知ってもらいたい。そしてすっかり定着した生活習慣病という呼称についても、一度立ち止まって考えてみていただければと思います。

 

 以上のように問題は、1型糖尿病と2型糖尿病を混同させることが問題にされなくてはなりません。起こり方が全く異なるものを、同一に扱うこと、要はスタートからまずいということです。専門家はこのことを、世間の皆さんに徹底して教え込まなくてはならないはずです。そして、糖尿病治療でまず重要視されるのがカロリー計算です。食事療法はもとより運動療法にまで及びカロリー計算で雁字搦めになっています。


 このようなこともありますが、栄養学の歴史的な考え方を思い起こす必要があります。


工業化にともなう「食の欧米化」


 マクガバン・レポートは、私たち現代人の間違った食生活が、ガン・心臓病・脳卒中・糖尿病などの生活習慣病を引き起こしていることを明らかにしました。間違った食事とは、一言で言えば「欧米型の食事」のことです。工業化に成功し、経済的に豊かになった国々においては、必ずこうした欧米型の食事が普及するようになります。


●マクガバン・レポートとは


 1970年代のアメリカでは、心臓病の死亡率が一位で、がんは二位でした。
 心臓病だけでアメリカの経済はパンクしかねないと言われる程に、医療費が増大していため、全世界から選りすぐりの医学者・栄養学者が集め、「食事(栄養)と健康・慢性疾患の関係」について、世界的規模での調査・研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行なわれました。
  そのときに、5000ページに及ぶ膨大な報告がなされているのですが、それを委員長の名前をとって【マクガバン・レポート】と呼ばれています。
 「マクガバン・レポート」は「諸々の慢性病は、肉食中心の誤った食生活がもたらした《食原病》であり、薬では治らない」としています。
 更に「われわれはこの事実を率直に認めて、すぐさま食事の内容を改善する必要がある」と、7項目の食事改善の指針を打ち出しています。
 指針を要約すると、高カロリー・高脂肪の食品(肉・乳製品・卵)である動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜・果物を多く摂るようにとされています。  
 また、この「マクガバン・レポート」を補足する形で発表されたのが「食物・栄養とがん」に関する特別委員会の中間報告ですが、そのレポートで特に注目されるのは、「タンパク質(肉)の摂取量が増えると乳がん・子宮内膜がん・前立腺がん・結腸・直腸がん・膵がん・胃がんなどの発生率が高まる恐れがある」として「これまでの西洋的な食事では、病気と脂肪・タンパク摂取量との相関関係は非常に高い」と述べています。
 そして最も理想的な食事は元禄時代以前の日本人の食事であることが明記されているのでありますが、元禄時代以前の食事と言いますと結局は精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介類といった内容です。


 このレポートが発表された時、アメリカ国内は勿論、全世界にショックをもって受けとめられました。そして、このような背景があるので、昨今の欧米では《日本食=健康食》といったイメージが広がり、人気となっているのです。


 日本も昭和30年(1955年)頃から工業国としての道を歩み出し、それにともない国民の食生活は大きく変化するようになりました。それまでの、ご飯・味噌汁・豆・漬物・魚・野菜料理といった伝統的な食事が徐々に隅に追いやられ、欧米型の食事(洋食)がとって代わるようになりました。トンカツやハンバーグに代表される肉料理・揚げ物料理、カレー、スパゲッティー、ピザなどが毎日の食卓にのぼるようになりました。トーストしたパンにバターやマーガリンを塗り、ハムエッグにコーヒーといった朝食が好まれるようになったのです。
 多くの人々は、洋食にすることは進歩的であり、これまでの伝統食を続けることは時代遅れであるかのように思いました。従来の日本食にはなかった欧米型の食事は、人々の目には、まさに新鮮で進歩的で、ハイクラスの食事スタイルであるかのように映ったのです。

 また国民の体力アップを目指して政府が行った牛乳や洋食普及のキャンペーンが、食の欧米化を後押しすることにもなりました。
 こうして欧米的な食事は、昭和30年以降、あっと言う間に国民の中に浸透することになりました。そして多くの若者の食事は洋食がメインとなり、それになじめない年寄りだけが、これまでの日本食にしがみつくといった状況が展開することになりました。


世界中に広がる「欧米型食事」


 経済発展にともなう「食生活の欧米化」という傾向は、日本にかぎらず世界中の至るところで等しく見られます。台湾・韓国・シンガポールといった日本に次ぐアジアの工業国でも、また近年経済発展の著しい中国においても、欧米型の食事はすさまじい勢いで普及し始めています。特に世界一の人口を抱える中国では、“肉食化”が急速に浸透しようとしています。こうした国々では、日本と同様に、若者や金持ち層が高価な欧米食に群がり、これについていけない年寄りや貧しい人々が、それまでの安価な民間食を食べ続けるという二極の構図ができ上がっています。
 欧米型の食事を象徴するのが、外資系のファーストフードの世界的フランチャイズです。マクドナルド・ケンタッキー・ピザハット・ミスタードーナツといった世界的フランチャイズは、まさに欧米型食事の見本と言えます。発展途上国の人々にとって、こうした食事は一種の憧れともなっています。アメリカ資本によるファーストフードは、世界に冠たるアメリカの物質文化の繁栄を象徴し、多くの若者の中にアメリカン・スタンダードを植え付けるのに大きな役割を果たしています。
 また欧米型の食事は、昔は一部の上流階級や金持だけに許されていた、ぜいたくな食事・宮廷料理と通じるものです。経済的に豊かになるにつれ、国民の誰もが“グルメ(美食家)”となり、かつては一握りの金持だけが食べていたのと同じ、ぜいたくな食事を求めるようになるということです。「よりおいしいものを食べたい!」という人間の食本能によって、欧米型の食事は、物質文化の発展と並行して世界中に広がろうとしています。


病気の元凶となる「悪い食事」――欧米型食事


 こうした欧米型の食事が、人々に健康をもたらすのであれば何の問題もありません。
 しかし食生活が欧米化すると、どこの国においても、決まって「ガン・心臓病・脳卒中」が死因の上位(1~3位)を占めるようになるのです。欧米化した食事と現代病・成人病との間には、はっきりとした相関関係が見られます。
  マクガバン・レポートは、この点を明確にしたのです。欧米型の食事は、明らかに人々の健康にマイナスをもたらします。それは、まさに「悪い食事の典型」なのです。


欧米型食事の傾向


 では、欧米型の食事の何が具体的に悪いのでしょうか。「伝統食」によって食生活が営まれていたときには、現在蔓延しているような病気は、ほとんどありませんでした。その伝統食と比べて、欧米型の食事には、どのような問題点があるのでしょうか。
 悪い食事のモデルと言われる間違った傾向とは――「肉の多食」「脂肪の摂り過ぎ」「砂糖の摂り過ぎ」「野菜の不足」です。これをマクガバン・レポートが明らかにした、欧米型食事の問題点です。これを栄養学的に分析すると――「高タンパク」「高脂肪(高脂質)」「砂糖過剰」「ビタミン・ミネラル不足」「低食物繊維」ということになります。このような栄養状況が、細胞機能を損ない、健康レベルを低下させ、現代病を生み出しているのです。


  結局のところ、人間すべて平等ではないということです。誰が人間誰しも平等などと言い出したのでしょうか?  こうした平等意識を植え付けた風潮に起因しています。
  そして、このような平等意識を植え付けた張本人が誰であり、これに踊らされる人間がどなたかを、この際にキチント考えてみる必要があります。

 

 私達、日本人は戦後食糧難の時代には食べることすら困難なひとが多数でした。こうしたなかで金持ちだけが裕福に食し、時代の移り変わりとともに、洋食をとることが貧乏人との差別できる最大のものでした。糖尿病はこうした洋食をたらふく食べていた方々から作られてきていたことを忘れてはなりません。このように、明らかな差別が横行していました。ところが、最近になって、飽食の時代に至ってこのような差別はいつの間にか忘れ去られてしまいました。


 結局、いつの時代に至っても、健康に食べるには、どのようにすべきなのかを専門家が素人に分かりやすく示すことが大切なはずです。
 そうでなければ、こうした糖尿病を「生活習慣病」と呼ぶのは止めにしよう」という活動自体がナンセンスになってしまいます。


 このことは片頭痛についても言えることです。


 片頭痛の遺伝の様式は、メンデル型”の”単一遺伝子異常”の優性遺伝でなく、”多因子遺伝”の様式で、親や祖父母から受け継がれます。
  片頭痛を生じる単一遺伝子性疾患としては、家族性片麻痺性片頭痛Ⅰ型、家族性片麻痺性片頭痛Ⅱ型、CADASIL、MELAS、Osler-Rendu-Weber症候群がこれまで確認されております。このようなタイプは極めて頻度的に少ないものです。例外的です。
 ところが、最近まで メンデル型”の”単一遺伝子異常”の優性遺伝ばかりが注目され、”多因子遺伝”すなわち生活習慣病のようなものとは考えることはありません。
 

 私は、片頭痛が生活習慣病のようなもの、いや生活習慣病そのものと述べていますが、決して「悪い生活習慣を続けている人が発症する」等と言っているのではありません。健康を維持するためには、食事内容、食事の摂り方はどうあるべきなのかを提言しているだけの話です。するかしないかは本人の責任でするべきことであり、ただこれを行って不都合なことはと言えば、女性であれば、美しく若返ったことで、煩わしい”ムシ”が寄ってくることぐらいです。イヤなら、元に戻せば、また醜くなりますので”返品”可能です。

 

 その詳細はこれまで以下で述べたことです。

        片頭痛は、遺伝なの? それとも代謝異常なの?
         
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12712889098.html

 

 

 

 

 

ここで、コマーシャルです。

 

 頭痛が気になったら・・以下へアクセス
 
 https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12707523368.html

 これは何んのことでしょうか?
 皆さんは、「芸能人 格付けチェック」 というテレビ番組はご存じでしょうか。
 これと同じことを、テレビのコマーシャルでしましょうということです。
 まだ、よく理解できない方もおられるかもしれませんので、もう少し・・
 テレビのコマーシャルとは、私達が好き好んで観ているわけではありません。謂わば、私達は、強制的に見せ付けられ、極めて不快な思いをさせられ、あくまでも受け身の立場に置かれています。ということは、観たくもないコマーシャルは当然のこととしてあります。チャンネルを変えれば済むことですが、観ている番組のなかに、こうしたCMが挿まれておれば最悪で、それまで観ていた番組の雰囲気が最悪になってしまうこともありえます。
 このような、ご経験を皆さんはお持ちではないでしょうか?


 このような観たくもないコマーシャルは、観るひとによって異なるために一方的に排除できないところに問題があります。
 私には、このような観たくもないコマーシャルの代表は、一方的に大声でガナリ立て、耳障り以外何ものでもないコマーシャルです。それも1回で終われば、マア許せるものを必ず2回繰り返します。これが、可愛い女優さんであればまだしも、いい加減年をとった中年のオヤジががなり立てるのです。それも、まだこのようなCMで稼ぐの? といった疑問を持たされる芸能人がされているのですから不快しかありません。まさに、山猿そのものを彷彿させ、およそ品格がありません。
 また、同様に中年のおっさんが、厳つい顔で、画面中を渡り歩く姿も、頂けません。ゴリラにも等しい顔貌を曝してCMに出される理由が、スポンサー側は人材不足ということのようです。もし、そうであれば、素顔を曝すことなく、本職の顔作りをして出演すべきと思われますが、自分では、素顔が男前と思っておられるようで救いようもありません。 これに対して、ほのぼのとした気持ちにさせられるコマーシャルは、ゼクシーの雑誌広告、ノクリアの山崎賢人さん、競馬の高瀬充希さん等々でしょうか。 


 そこで、私からの提案です。こうしたコマーシャルのよいものと悪いものを1つづつ毎月投票してもらって決めることです。これを毎月行い、12月に年間の集計をおこないます。このようにして、1年間、継続して悪いと判断されるものがあるかもしれません。
 こうした場合、スポンサー側がどのような対応をされるのかを私達自身が見守ることが可能となってきます。
 今までのようにスポンサー側の一方通行のあり方が多少とも改善され、私達の生活環境も少しは改善されるのではないでしょうか?
 こうした、優劣の判断の基準は、コマーシャルとして、品位が保たれているか、CMとして、真意が伝わっているか、音声・画面はどうか、出演者は適切かどうか(育毛剤のCMにハゲを起用する等々)総合的にみて、一般家庭で放映した際の雰囲気はどうか、です。 このようにして、仮に年間1位になっても賞金はなし、ということにします。
 それは、大谷翔平のMVPと同様に、賞金なし、で、称号だけ付与されます。


 このような意味で、私にとって本年度優秀CMとして、「その物忘れ、脳の衰えの始まりかもしれません」を挙げたいと思います。
 場面は3つで、買い物をし、お金を払って、買った商品を受け取らずに帰ろうとして店員さんに注意される場面、買い物に自転車で来たのに、お店をでたと同時に携帯に電話があって電話応対をしながら、歩いて自宅へ帰っている最中に娘さんに出会って初めて自転車で買い物にきたことを気付かされる場面、本日の予定として、カレンダーの赤丸をして記入しているのに、友人から催促の電話を受けて初めて、同日にその友達と約束をしていたのを気付かされる場面、です。演じる女優さんも役にはまって何ら違和感もなく、微笑ましい気分にさせられます。
 このようにして、認知症を早期に発見し、対策を講じるべきであるとつくづく思い込まされます。アリセプトが認知症治療に導入されなければ、認知症予防も進展してきたはずであり、残念でなりません。


 テレビ界では、「芸能人 格付けチェック」があり、また流行語大賞として、本年度は「リアル二刀流」が選出されました。サラリーマン川柳もあります。
 「コマーシャル 格付けチェック!!」といったジョークの世界も、現在のような殺伐とした時代には必要とされるのではないでしょうか?


 今後、これをさらに枠を拡げ、アナウンサー部門、コメンテイター部門に分けて行えば興味深いものになるのではないでしょうか。
 とくに、アナウンサー部門では、上から目線で報道され、聴く側には耐えられない思いを毎日強いるアナウンサーもおり、今後どのような評価を受けるのかも面白いと思います。

 

 

 

 

 ここで、コマーシャルです。

 

 頭痛が気になったら・・以下へアクセス
  
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12707523368.html

 2008年4月より、メタボリックシンドローム(以下メタボ)に着目した特定健診と特定保健指導がスタートしました。いわゆるメタボ健診です。これにより、2015年度までにメタボの該当者および予備軍を08年度比で25%減少させ、医療費を2兆円削減するとのことでした。

 しかし、目標達成は困難との指摘は多く、政府も本腰を入れているようには思えません。その理由は内容がお粗末すぎるからです。

 このメタボ検診に関連して、以下のような悪評が蔓延っています。


  病気は、医療業界が儲ける為に、作られていた!
  糖尿病の合併症である高血圧症も基準値(高圧180→130)を下げて患者を増やしてます。
    『医者に行くと病気にさせられる』と年配の方は言われますが、まさにその通り??
    寝たきり老人、認知症が急に増えてきたのも「高血圧」→「減塩」→「脳機能の低下」の可能性大!?
     脳梗塞を悪化させる「降圧剤」
     高血圧にならないと治らない「脳梗塞」


 結局、何が言いたいのかといえば、この検診の基準値を変更しさえすれば、いくらでも病気は作られ、医療業界が儲ける仕組みになっているということです。


 このこともですが、もっとマジメな議論を行い、これに対して、テレビ朝日のアチラさん帰りのコメンテイターさんが、どのようなコメントをされるのか、お聞きしたいと思いますが・・・


 医療信仰

~私たち自らが、病を癒す能力があることをすっかり忘れてしまった


 この5000年の医学史をふりかえれば、医学の無力さばかりが目につきます。
 いまだに糖尿病、がん、リウマチ、ネフローゼはおろか、ニキビ一つ満足に治せないのです。
 いわんや、ハッチンソン氏病、天疱瘡、多発性硬化症、色素性乾皮症、脊髄小脳変性症ともなると手も足もでないという状態です。ヒトの寿命が伸びたのは、医学の発達というより、一般大衆の衛生状態の改善によることのほうが大きいのです。
 35年以上昔、1976年に書かれているにもかかわらず、迷走する現代の医療を見事に批判する、今、最も読まれるべき名著『脱病院化社会』の著者、イヴァン・イリッチは次のように書いています。


 普通、私たちは、どんなに現代医学が無力であっても、少なくとも抗生物質、ワクチンの発見で結核、ポリオをはじめ、多くの伝染病が克服されたと考えています。
 しかし、イリッチはそれすら否定します。こういった伝染病が少なくなったのは、医学のせいではなく、下水道の管理、石鹸の普及、栄養状態の向上といったものに起因するであるというのです。
 そして、現代医療は無力であるばかりでなく、医原病(イアトロジェニック)さえ蔓延させていると喝破するのです。


 「過去15年間における新しい疾患という重荷の大部分は、病める人々、あるいは病む可能性のある人々のために医療が介入したことの結果であるとも言え、その割合は次第に高くなっている。それは医師がつくるもの、すなわちイアトロジェニックなのである。


 医学のユートピアを追求して1世紀たつが、現在の一般的知恵に反して、医療サービスは、実際にみられる余命に変化を与えるほどの役割も果たしていなかつた。現代の臨床ケアの大部分は、疾患の治癒にとって偶然のものにすぎず、医療によって個人および集団に及ぼされる障害は重大である。こうした事実は明らかであり、実証されているが、覆い隠されているのである」


 私がこの本と出会ったのは、およそ35年前、医者になってすぐの頃です。当時はまだ現代医療の成果を信じていたころです。


 しかし、最近、イリッチのいいたいことが、身に染みて理解できてくるのです。私たち医者(特に内科医)がやっていることは、ほとんど患者のためになっていないどころか、むしろ患者の状態を悪化させているのではなかろうか、という疑問です。
  簡単な例をあげると、医者は、患者が風邪をひいて熱があるということで安易に解熱剤を投与します。しかし、発熱はウイルスや細菌に対する生体の一種の防御反応で、熱性の痙攣をおこすほどの状態でなければ、むしろそのまま放置しておいたほうがいいのです。その方が、治りは早いのです。


 つまり、これだけ単純な例でも、医者は患者をたすけているのではなく、むしろ治癒を遅らしているわけです。
 ましてや、高血圧、糖尿病、リウマチ、脳梗塞、心筋梗塞といったもっと複雑な病気においては、どれだけ医者は、余計なことをしているか見当がつきません。そして、その極めつきの余計な介入が、2008年から始まった「メタボ検診」です。


 国家が半強制的に、国民に健康診断を受けろというのです。そして、僭越にも、あなたの治療はかくあるべしと、紋切り型の治療法を指導するのです。
 医療におけるファシズムです。その官僚性と傲慢は、行政という非人格的曖昧さで糖衣されており、国民が健康への自立性を奪われ、さらに健康を劣化させる道へと歩まされることに気づけないように仕向けられているのです。
 医療が、国家資格を与えられた専門家に独占され、人は自分の健康を国家にあずけるのが当然だと考えるようになってしまったのです。
 しかも、驚くべきことには、その強要に対して、「余計なお世話だ!」という反撥の声がほとんど聞こえないのです。


 自分の体を、イリッチがいうところの『官僚性と幻想とを伴った巨大な医療組織』に、預けてしまうことにさえ、何の恐れも不信感も抱かないように、私たちは飼いならされてしまったのです。


 それなのに、なぜ人々は病院に行くのでしょうか? 環境汚染による病気自体の増加? 高齢化に由来する生活習慣病の増加? 医師不足? 資本主義経済のもとにおける利潤追求型医療による扇動? 大手製薬会社の医学界操作?


 いずれも、もっともらしいのですが、問題の本質は違ったところにあるのです。それは、私たち自らが、私たちの健康を管理し、病を癒す能力があることをすっかり忘れてしまったからなのです。
 そして、資本主義という経済システムのもとで、利益をあげることを至上命令とした医薬品会社・医療機器メーカー、そして医療を独占しようとする医師たちが、マスメディアを使い、 私たちからその能力の存在を、さらに忘れさせるよう巧妙に仕掛けているのです。


 病院に行かなければ、医者にかからなければ、検診を受けなければ、病気は治らないと洗脳されているのです。「メタボ検診」はその典型例なのです。


 メタボ健診を受けていれば長生きできるのか


 私たちは、会社や学校で健康診断を受けることが多い。最もよく知られているのは「メタボ健診」だろう。メタボ健診によって、自分の健康状態を知り、生活習慣病を予防したり、隠れた病気を発見できれば、長生きにつながるはずだと多くの人が信じているのではないだろうか。


 しかし、『「原因と結果」の経済学』の著者、中室牧子氏と津川友介氏によると、メタボ健診が長生きにつながるかどうかは慎重に検証しなければならないという。


「メタボ健診」と「長生き」の関係は因果関係なのか、相関関係なのか


 メタボ健診で生活指導を受けた人たちは、翌年、腹囲が小さくなり、体重が軽くなり、血糖値や血圧も低くなっているというデータもある。こういった話を新聞報道などで目にして、メタボ健診を受けていれば、健康になれると考えてしまっている人もいるかもしれない。

 でも少し立ち止まって考えてほしい。健診を受けていた人たちの腹囲や体重が改善されたからといって、本当に「メタボ健診を受けているから長生きできる」と言えるのだろうか。


 ここで重要なことは、メタボ健診と長生きの関係は「因果関係」なのか、それとも「相関関係」にすぎないのか、ということである。
 2つのことがらのうち、片方が原因となって、もう片方が結果として生じた場合、この2つのあいだには「因果関係」があるという。一方で、一見すると片方につられてもう片方も変化しているように見えるものの、実は原因と結果の関係にない場合は「相関関係」があるという。


メタボ健診を受けていれば長生きできるのか


「メタボ健診」と「長生き」の関係が因果関係といえるならば、「メタボ健診を受けているから長生きできる」と結論付けることができる。いままで健診を受けていなかった人が心を入れ替えて受けるようになれば、より長生きできるようになる。


 しかし、「メタボ健診」と「長生き」の関係が相関関係ならば、「もともと長生きするような健康に対する意識が高い人がメタボ健診を受けている」だけ、ということになる。この場合、いままで健診を受けていなかった人が心を入れ換えて受けるようになっても、長生きできるようになることはない。


因果関係を証明する


 「メタボ健診」と「長生き」の関係は、因果関係なのか、相関関係なのか。この疑問を解明するには、「ランダム化比較試験」という方法を使えばよい。


 この方法では、研究の対象者となる人々を、健診という「介入」を受けるグループ(介入群と呼ぶ)と受けないグループ(対照群と呼ぶ)にランダムに割り付ける。なお「介入」とは、原因と結果の「原因」となるようなもの(ここでは健診)を、研究対象となる人に与えることを意味する。


 なぜわざわざランダムに割り付ける必要があるのだろうか。これまでに健診を受けたことのある人とない人を比較するのでは不十分なのだろうか。

 実は、両者は「比較可能」ではない。これまでに健診を受けたことのある人とはどんな人だろう。おそらく、健康に対する意識が高い人なのではないだろうか。一方、健診を受けたことのない人はどうだろうか。逆に健康のことをあまり気にかけない人だろう。どう考えても、これまでに健診を受けたことのある人々とない人々は比較可能ではない。

 臨床試験で用いられるネズミとは異なり、人間は意思をもって自らの行動を選択している。人間が行う「選択(セレクション)」の結果、研究の対象となる2つのグループが比較可能ではなくなってしまうことを、経済学では「セレクション・バイアス」と呼ぶ。

 英語では日常会話の中でよく「それはリンゴとオレンジを比べているようなものだ」という慣用句を使う。これはもともと違いが大き過ぎて比較しても意味のないような2つのことがらを、無理やり比較してしまっていることを揶揄している。これまでに健診を受けたことのある人とない人を比較するのは、まさに「リンゴとオレンジを比べている」ようなものである。

 それでは、どうすればリンゴ同士(あるいはオレンジ同士)の比較、つまりこれまでに健診を受けたことのある人とない人を比較可能な状態にすることができるのか。

 最も確実な方法が、健診を受けるかどうかをくじ引きなどによってランダムに決めることだ。ランダムに割り付けることによって、個人は健診を受けるかどうかを自分の意志で選択できなくなる。したがって、セレクション・バイアスは発生しなくなる。その結果、健診を受けるグループと受けないグループは比較可能になるのである。


健診を受けていても長生きにはつながらない


 実は、すでに健診の効果を調べたランダム化比較試験がある。ここからは、デンマークで行われた研究の結果を見てみよう。デンマークでは、日本のメタボ健診と同様、糖尿病や高血圧などの生活習慣病の診断および保健指導が行われている。

 このランダム化比較試験では、30~60歳の成人男女を、健診を受ける約1万2000人(介入群)と、健診を受けない約4万8000人(対照群)にランダムに割り付け、両方のグループを10年にわたって追跡している。

 介入群の中で、健診によって将来病気になるリスクが高いと判断された人々は、5年間で約4回の保健指導を受けるよう指示された。この保健指導によって、多くの人は食習慣や運動、喫煙や飲酒の習慣を改善したことが報告されている。

 しかし、10年後に示された結果は驚くべきものだった。生活習慣の改善にもかかわらず、介入群と対照群の死亡率の差は統計的に有意ではなかったことが明らかになったのである(「有意ではなかった」というのは、その差が偶然による誤差の範囲で説明できてしまうということだ)。

 デンマークで行われた研究によると、健診を受けたからといって、必ずしも長生きできるわけではないということになる。つまり、「健診」と「長生き」の関係は相関関係だと言える。しかし、このランダム化比較試験はあくまでデンマークで実施されたものだ。健診に効果があるかどうかという国全体の保健政策にかかわるような重要なことを、たった1つのランダム化比較試験の結果をもとに判断してしまうのは危険だ。


 ほかの国では健診の効果は確認できたのか?


 そこで、ほかの国や地域で行われたランダム化比較試験の結論についても見てみよう。

 複数の研究を見るときには、「メタアナリシス」という手法を用いる。メタアナリシスとは、複数の研究結果をとりまとめて、全体としてどのような関係があるかを検証する方法である。特に複数のランダム化比較試験をまとめたメタアナリシスは、エビデンスの階層の中で最もエビデンスレベルが高いとされている。

 そのメタアナリシスを用いた研究が行われた結果、やはり健診と長生きのあいだには因果関係がないという結論であった。

 デンマークでランダム化比較試験を実施した研究者らは、「大規模なランダム化比較試験の実施はコストがかかるものの、効果がない健診を全国民に提供することに比べたら、はるかに安上がりである」との見解を示している。

 つまり、効果があるかないかわからない政策をやみくもに実施するのではなく、多少コストがかかっても、政策に因果効果があるかどうかを検証してから、全体に導入するかどうかを決めればよいというわけである。

 これらの結果を見て、健診にはまったく意味がないというのはやや早計である。長生きにはつながらないかもしれないが、糖尿病や高血圧を早期に治療することで、失明や脳梗塞などの合併症を予防し、結果として生活の質を上げることはできる可能性がある。


たいして調べもせず1200億円をかけた日本のメタボ健診

 

 海外では健診が長生きにつながるという強いエビデンスは見られていないのにもかかわらず、日本では2008年に特定健康診査(いわゆるメタボ健診)・特定保健指導がスタートした。

 周知のとおり、生活習慣病の早期発見と治療を目的として、40歳以上の健康保険加入者は全員受診が義務づけられている健診だ。このメタボ健診には、2008年から2014年までに約1200億円もの税金が投じられている。

巨費を投じて日本で導入されたメタボ健診に効果はあったのだろうか。厚生労働省は、このことを調べるために、約28億円を投じてデータベースを構築した。しかしこのデータベースに不備があり、収集したデータのうち約2割しか解析できないことが発覚し、大きな問題に発展した。

 メタボ健診をいきなり全国展開するのではなく、まずは一部の自治体でランダム化比較試験を実施し、効果があることが明らかになってから、残りの自治体にも導入することも考えられたはずだ。規模にもよるが、ランダム化比較試験は総額1200億円のうち、0.1%の予算を充てれば行うことができただろう。そうすれば、税金をより効果的に使うことができたのではないだろうか。

 海外で行われた先駆的な研究成果を参考にすることもなければ、自国のデータを活用してメタボ健診の効果を明らかにすることも十分に行われていない日本の状況は、残念というほかない。

 ここで、注意点が1つある。「健診」と「検診」は違うということだ。健康診断の略称である健診とは異なり、「がん検診」などのように、特定の病気についての検査を行う検診には、寿命を延ばす因果効果があると確認されているものが多い。乳がん、大腸がん、子宮頸がんなどの検診には、生存率を上げるエビデンスがある。各がんに関するエビデンスの詳細に関しては、国立がん研究センターの「科学的根拠に基づくがん検診推進のページ」などを参照してほしい。


『「原因と結果」の経済学』 著者からのメッセージ


 『「原因と結果」の経済学』 発売以降、非常に多くの方からご好評賜り、誠にありがとうございます。

 「ビッグデータ」が流行語となる現代、データを用いた分析は氾濫していますが、データはそれのみでは単なる数字の羅列にすぎません。データを用いた分析を「どう解釈するか」ということが極めて大切です。

 「因果推論」が私たちのような研究者の専売特許であった時代はすでに過ぎ去ったのではないでしょうか。

 永田町・霞が関では、「室内完全禁煙」「メタボ健診の義務化」「待機児童問題」などが議論されていますが、残念なことに、現在の政策的な議論が因果関係を示唆するエビデンスに基づいて行われたものとはとうてい言えません。

 それどころか、選挙が近づくと、短期的に得票に結びつくような政策ばかりが議論され、これまで公約とされてきたことが覆ったり、突如として何の根拠もない政策が強引に推し進められたりして、結果として納税者である国民の利益が著しく損なわれているのをたびたび目にします。

 まさに、「次の世代」よりも、「次の選挙」が重んじられた結果です。

 このような有様を見るたびに、「選挙や政局といった一時的なポリティカルショーに左右されるのではなく、長期的な視点に立って、国民の社会的厚生(=幸福)を最大化することができないものか」と思います。

 そのためには、「政治的流行に左右されやすい政策を、エビデンスに基づくものにする」ことが重要なのではないでしょうか。

 経済学がこだわる「因果関係」を示唆するエビデンス。それを生み出すために体系化された「因果推論」。それらが、データ氾濫時代を生きる読者の皆さんの助けになるならば、これに勝る喜びはありません。


 メタボ健診・指導効果薄い? 

  肥満改善わずかの解析結果


 40~74歳が受ける特定健康診査(メタボ健診)や、生活習慣の改善を図る特定保健指導の効果は、1年後に肥満がわずかに改善する程度で、心臓や血管の病気のリスクは低減しない――。京都大の福間真悟准教授(臨床疫学)らが大規模な健診データの解析からこんな結果をまとめ、5日付で米医師会の内科学誌電子版に発表しました。


 生活習慣病予防のためとして年間約2800万人が受診し、数百億円の費用がかけられている制度ですが、福間准教授は「費用に見合った効果を出せていない。制度の改善が必要だ」と指摘しました。
 男性は腹囲85センチ以上か体格指数(BMI)25以上で血圧、血糖、脂質に異常が2つ以上あるとメタボリック症候群、1つだと予備軍とされ、保健指導の対象になります。


 チームは2014年に健診を受けた約7万5千人のデータから、腹囲の基準85センチを少し超えて保健指導の対象になった人と、少し下回り対象外だった人を約2万人ずつ抜き出しました。2つの集団は指導の対象かどうか以外の特徴がほぼ同じで、比較すれば指導の効果が検証できることになります。


 1年後の肥満度を比べると、保健指導の対象になった集団では、体重が290グラム、BMIが0.1余計に減っただけ。この差も3年後には消えてしまいました。
 腹囲のほか、脳卒中や心筋梗塞に関連する血圧、血糖値、悪玉コレステロール値の改善具合には違いがなかった。

 効果が薄い原因は、保健指導の対象者のうち受けたのは16%と参加率が低い、内容が効果的でない、腹囲85センチでは健康な人が多く含まれ、改善効果が表れにくい――ことが考えられるという。


「メタボ健診」の効果に疑問符、年間予算160億円の意味は?


 世界に例のない先駆的な取り組み(厚生労働省)だと2008年度に始まった「特定健診・保健指導(メタボ健診)」。

 40~74歳の被保険者を対象に、腹囲と体格指数(BMI)、血圧、血糖、血清脂質などを計測し、その結果から保健師が生活習慣の改善指導を行うもの。心血管疾患発症と死亡を減らし、あわよくば医療費も削減という試みでした。ただし、06年の立法当時から効果に疑問を呈する声は多かったのですが・・。

 先日、上述のような報告が された京都大学の疫学研究からは、「男性の対象者を1年追跡した結果、体重はわずかに(約300グラム!)減少したが、血圧など心血管疾患のリスク因子は改善しなかった」という実態が明らかにされています。


 研究者らは13年4月以降、健診後に1年以上追跡できた40~74歳の男性会社員、7万4693人について、腹囲が85cm以上と未満で2群に割り付け、その後の成果を1~4年間追跡している。

 対象者の平均年齢は52.1歳、平均腹囲86.3cmで、平均BMIは24.5、腹囲が85cm以上で介入群に割り付けられたのは、3万8894人だった。

 保健指導の内容は(1)電話連絡と面接による運動・食事指導(個人20分以上、必要に応じて3カ月間継続)、(2)高リスク者は医療機関への紹介だった。

 その結果、介入群の1年後の腹囲はマイナス0.34cm、体重がマイナス0.29kg、BMIはマイナス0.1だった。しかし、血圧など心血管疾患リスク因子の改善は認められず、体重の改善効果も3、4年後には消失している。

 一方、実際にきちんと指導を受けた人(介入群の15.9%)では、1年後の体重がマイナス1.56kg、BMIはマイナス0.61と減少したが、やはり肝心のリスク因子の改善はみられなかった。

 結局、メタボ健診からの介入では、健康に対する意識・関心がそこそこの「普通の人」に行動変容を促すには力不足なのだろう。


 メタボ健診には年間、およそ160億円が費やされています。削減、人員不足で保健所が疲弊している今、費用に合った利益がない施策は見直しが必要です。


 つまり、今回の研究では、保健指導は肥満の短期的な軽度改善にはつながったものの、血圧 ・血糖 ・脂質の改善は認められず、国民の健康状態を改善させるためには、保健指導の介入方法を見直す必要性があることが示唆されました。


メタボ健診の健康増進効果はほぼゼロ?

年200億円超もの税金を投入する価値はあるのか


 ところで読者の皆さんはメタボ健診を受けているだろうか?


 健診の結果を受けて、生活習慣を見直した人もいるでしよう。直前ににわかに厳しい食事制限をしたり運動をしたりすることで、どうにかよい数字を達成したものの、その直後にリバウンドしてしまった経験のある人もいるかもしれません。


 これだけ多くの人が一喜一憂しているメタボ健診だが、そもそもメタボ健診は本当に私たちの健康増進に役立っているのでしょうか?

 肥満や高血圧の早期発見にはメリットがあるという考え方に対し、異論がある人は少ないでしよう。しかし、多くの人が仕事を休んでまで健診を受けに行き、メタボ健診の提供のためにも多額の保険料や税金が投入されているのですから、きちんとしたメリットがあってしかるべきでしよう。

 メリットが無いのであれば、メタボ健診を継続するべきかどうか検討するべきだし、一方でメリットが大きいのであればできるだけ多くの人が受けるべきです。


では、メタボ健診に関するエビデンス(科学的根拠)からは何が分かっているのだろうか。


メタボ「健診」とは何か


そもそもメタボ健診とはどんなものだろうか。


 日本語には2つの異なる「ケンシン」がある。メタボ健診などの「健診(健康診断)」は、肥満や高血圧など、幅広い生活習慣病のリスク因子の早期発見を目的としたものです。一方で、「検診」は、がん検診のように特定の病気を早期発見することを目的としたものです。

 前者の「健診」の1つであるメタボ健診は、2008年から始まった全国規模の新たな保健事業で、正式名称は「特定健康診査・特定保健指導」と言います。


 その最大の特徴は、メタボリックシンドローム(内臓脂肪が多く、糖尿病や高血圧などの生活習慣病になりやすい状態のこと)にターゲットを絞った健診・指導を実施することです。

 2017年のデータでは、日本全国で約5400万人がメタボ健診の対象となっており、そのうち53%の約2900万人が実際に受診しています。

 メタボ健診では、腹囲とBMIを測定し、それに加えて血液検査による血糖やコレステロールの値、血圧、喫煙歴を用いて健康へのリスクを評価する。そして、そのリスクに応じて、

 

(1)情報提供

(2)動機付け支援(個別面接またはグループ支援を原則1回行い、6か月後に評価を行う)

(3)積極的支援(医師や保健師による3か月以上の継続的な指導を行い6か月後にその成果を評価する)


の3つのうちのいずれかの介入が行われます。結果として、受診者の生活習慣の改善や病院での治療を通じて、健康増進効果を生むことが期待されています。


健康増進効果は微妙


 では、実際のところ、メタボ健診による健康増進効果はあるのか、そしてその結果として、医療費抑制効果はあるのか。このことに関して、エビデンスからは何が分かっているのでしょうか?

 結論から先に言うと、メタボ健診による健康増進効果はゼロ、もしくはあったとしてもかなり小さいものであると報告されています。


 メタボ健診に関しては、健診を受けた人の方が、受けなかった人よりも翌年やせていた、もしくは医療費が低かったという報告が散見されます。

 しかしこれらのデータには重大な問題があります。

 これらの報告では、メタボ健診を受けて、指導をしっかりと受けた人と、指導を受けずにいる人を単純に比べています。しかしながら、これら2つのグループの人たちにはメタボ健診を受けたかどうか以外にも、多くの点で違うので、そもそもこの2つのグループを比較しても良いのかどうかと言う問題があります。

 例えば、メタボ健診を受けてその後の指導まで受ける人は、健康意識が高くてまじめな人が多いでしよう。一方で、そもそもメタボ健診を受けなかったり、受けてもその後の指導を受けずにほったらかしている人は健康意識が低い人が多いと考えられます。

 つまり、この2つのグループの健康状態の比較では、実際にはメタボ健診の効果ではなく、健康意識の違いの影響を見ているに過ぎない可能性があります。

 よって、これらの報告は「エビデンス」と呼べるほど信頼性の高いものではなく、メタボ健診の健康への影響を評価するための判断材料としては不適切であると言えます。

 世界に目を向けると、日本のメタボ健診のような生活習慣病に対する健診が健康に与える影響に関して、もっと質の高い研究が行われています。

 健診を受ける人と受けない人を無作為にくじ引き(正確にはくじ引きではないもののコンセプトとしては同じである)で決めて、その2つの集団を追跡、健康への影響を評価するランダム化比較試験(RCT)という「実験」が世界中で行われており、それらの結果から色々なことが分かっています。

 RCTでは、介入を受けたかどうかだけが2つの集団間の唯一の違いとなるので、受けた介入の効果を正確に評価することができます。そのためRCTは最も優れた研究方法の1つであるとされています。

 健診に関しておそらくもっとも有名な研究は、北欧デンマークのコペンハーゲンの郊外で実施されたRCTです。

 このRCTでは、約6万人の30~60歳の住民を、健診を受けるグループ(約1万2千人)と受けないグループ(約4万8千人)に割り付けました。健診を受けるグループの人には、各種検査に加えて、リスク評価、複数回にわたる生活習慣に関するカウンセリングが提供されました。これらの集団は十年間追跡され、健康状態を評価されました。

 驚くべきことに、この研究の結果、健診(+カウンセリング)を受けたグループと受けなかったグループの間で、心筋梗塞や脳梗塞のような動脈硬化による病気の発生率や死亡率の違いは認められませんでした。
 健診(指導を伴うものと伴わないものを含む)の効果に関して、2019年には複数のRCTを統合して評価した研究(このように複数の研究結果を統合して、全体としてどのような傾向が認められるか評価する研究手法をメタアナリシスと呼ぶ)も行われています。

 合計15個のRCT(被験者の総数は25万1891名)を統合した解析の結果、全死亡率、心筋梗塞や脳梗塞による死亡率、虚血性心疾患や脳卒中の発生率のいずれに関しても、健診を受けたグループと受けていないグループの間で差が認められませんでした。


日本人でも同様の結果


 こういった話をすると、これらはメタボ健診に類似した海外の健診の事例にすぎず、指導を受けたら生活習慣を変える真面目な日本人の場合は違う結果になるのではないか、と考える人もいるかもしれない。


 この疑問に答えるため、日本のメタボ健診が健康へ与える影響に関する研究の中で、最も信頼できると考える研究を紹介します。

学習院大学の鈴木亘氏らが2015年に行った研究があります。

 メタボ健診に伴う指導を受けた人と受けなかった人を単純に比較することによって生じてしまう前述のような問題を、本研究では計量経済学の手法を用いて解決しました。

 その結果、特定保健指導の対象となっても腹囲は変化しない、もしくは減少したとしても年率換算で約0.3%程度に過ぎないという結果が得られました。BMIに関しては、統計的に有意な差が認められたものの、その効果の大きさは年率換算で約0.4~0.5%と小さいものでした。

 またHbA1c(過去1~2か月の血糖値の平均値を表す)、中性脂肪、HDLコレステロール、血圧などの検査データの結果に関しては、指導の効果は認められなかった。


多額の税金・保険料が使われている


 ごくわずかでもやせたのだったら、メタボ健診は効果があったのではないかという意見もあるかもしれない。しかしそれを評価するためには、メタボ健診にいくらお金がかかっているかを知っておく必要があります。

 保険者が負担している総事業費は、2008~2011年度の4年間で約2269億円に達していると推計されています。

 そして国費負担だけでも年間200億円以上の税金が投じられています。
 血液検査のデータや血圧の改善が認められないにもかかわらず、BMIをわずか約0.5%減少させるために、これだけ巨額の保険料や税金を使い続けることが果たしてよい政策なのか、再検討する時期にきているのではないでしようか。


医療費抑制には有効か?


 最後に、メタボ健診の医療費抑制効果についてはどうでしようか。


 実はメタボ健診が医療費抑制に有効かという問題に関して、質の高いエビデンスは存在していません。

 メタボ健診は生活習慣病やその予備軍を早期発見し、介入することで、長期的に病気を予防、結果として医療費を抑制することが期待されています。そもそも健康増進効果が認められないのであれば、医療費抑制効果も期待できないと考えるのが自然でしよう。

 以上のエビデンスから、メタボ健診には健康増進効果はないか、あっても限定的であることが明らかになっています。医療費抑制効果に関しては、エビデンスは存在しないものの、メカニズムから考えるとその可能性は低いと思われます。

 メタボ健診は、国民の支払う保険料や税金を通じて、年間500億円以上が投じられている保険事業である。さらに厚労省は2020年度から予防医療への取り組みによって、交付金の額を変える方針を打ち出しました。

 予防医療の評価の中にはメタボ健診の実施率も入っています。果たしてこれは正しい政策なのだろうか?

 これからも実施率を上げるための努力を続けるべきなのか、メタボ健診から撤退して、代わりにより健康増進の効果が明らかな制度(ワクチンやがん検診の充実などの他の医療政策、教育など)に財源を投じるべきなのか、国民的議論をするタイミングに来ているのではないだろうか。


 以上から言えることは、私達自らが、私たちの健康を管理するしか方法はないということです。先日も記事にしましたが、確かな”自分の健康観”を持つことであり、このことは誰からも強制されるものではないということです。そして、真実は、ここにしかないということです。


  いつまでも、若く、美しくあるために・・・
   
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