前々回は生活習慣病を予防する目的で行われている「メタボ検診」について述べましたが、今回はその生活習慣病の代表格とされる糖尿病について述べます。そのなかでも、最近では、糖尿病を「生活習慣病」と呼ぶのは止めにしよう(「“生活習慣病”は死語にすべき」!!」)という活動が行われるようになっていますが、その活動の理由について考えてみたいと思います。
「生活習慣病」という言葉が定着して久しい。食べ過ぎず飲み過ぎず、適度に運動をして十分な睡眠を心がけ、タバコも吸わないのに、健康診断でBMIや血圧、血糖値の数字がよくないと、「何が悪かったのだろうか」と自らの生活習慣を振り返る人も多いのではないだろうか。あるいは、「生活習慣病」といわれる病気になった人を見たら「悪い生活を続けたせいだ」と考えたりしていないだろうか。
そんな「生活習慣病」の一つとされるのが糖尿病です。しかし実は糖尿病は、生活習慣の他に、遺伝素因や環境要因が複雑に関与して発症する病気です。それが、いつのまにか「乱れた生活習慣によって発症する病気」と誤解され、病気の当事者が差別や偏見の対象になっているケースが多い。
「生活習慣が悪いから病気になるというのは、科学的根拠に基づかない思い込みです。『生活習慣病』という呼称そのものが『病気の原因は個人の生活習慣で自己責任だ』という誤解を広く浸透させ、社会的スティグマとなって患者さんを深く傷つけ、苦しめています」
なぜ糖尿病患者は生活習慣病という呼称に苦しめられているのか、社会はどのような眼差しを向けてしまっているのでしょうか?
糖尿病は生活習慣だけでは発症しないのに
そもそも糖尿病は遺伝素因・環境要因・個人の生活習慣が複雑に関与して発症するもので、その中でも遺伝素因が発症の一次的要因です。しかし、長きにわたって贅沢病だとか、怠惰によるものだという誤解がありました。さらに「生活習慣病」という呼称が定着するにつれて「悪い生活習慣を続けている人が発症する」「太っていると糖尿病になる」という誤解も広がっています。多くは遺伝的な要素で発症するので、太っている人が必ず発症するわけではありませんし、痩せている人がならないわけでもない。「生活習慣病」という言葉には元々は「生活習慣に注意することで予防に繋げよう」という意図があったのですが、現在では「悪い生活習慣による自己責任の病気だ」というレッテルになって社会に広まっています。
■ 患者同士を分断させる社会的スティグマの恐ろしさ
糖尿病の患者さんは、大きく分けて1型と2型があります。
一般的に1型はウイルス感染などを引き金とする自己免疫で発症するもので、小児が多いですが、成人にも発症します。これに対して、2型は生活習慣からくる自己責任の病と思われているものです。
2つのタイプの大きな違いは、1型は、自己免疫現象によって、膵臓でインスリンを作るβ細胞が壊れてしまうため、インスリンが膵臓からほとんど出なくなり、適正な血糖値を維持するため、終生インスリン注射が必要です。
これに対して、2型では、環境や生活習慣、遺伝的な影響により、インスリンが出にくくなったり、インスリンが効きにくくなったりして血糖値が高くなる、という点です。
どちらの場合でも、不便や苦痛はたくさんあります。
1型の場合は思春期を含む若年者では体重管理がうまくいかなかったり、食事療法がうまくいかずに食べたものを吐いて摂取カロリーをコントロールしようとしたりする方も少なくありません。厳格な血糖管理を目指す中で低血糖リスクに晒されたり、インスリン注射による体重増加で悩んだり、食欲との葛藤、逆に糖質制限による痩せ過ぎで苦しむなど、糖尿病を抱えて生きることには多種多様な困難があります。
こうしたことから、1型の場合「生活習慣が悪い人たち」というステレオタイプは到底受け入れられないことは理解されるはずです。生活習慣からくるのではないのですから・・2型の患者さんは常に社会から非難の矢面に立たされて、1型の患者さんはそうした社会的非難を怖れて「生活習慣病の2型と一緒にされたくない」と悩みます。
その結果、1型の患者さんと2型の患者さんの間に分断、対立が生まれることもありますが、どちらも生活習慣病という呼称によって生まれた社会的スティグマの被害者なのです。
■ 糖尿病患者の「生きづらさ」の元になる言葉が生む偏見
1型糖尿病の場合、医師から糖尿病と診断された、インスリン注射が必要と言われた患者さんの中には、社会から自分は「身体的に不完全で不健康である」とみなされ、保険や結婚、就職、出世などさまざまな面で大きな差別を受けることになるのではないかと不安に駆られる人がいます。私は、こうした社会的スティグマが、患者さんがインスリン注射の提案を辞退するひとつの要因となっていると思われます。
「糖尿病は生活習慣が悪い人間がなる病気だ、厄介な病気だ」とみなす社会的スティグマによって、健康診断後の受診勧奨を無視したり、服薬を辞退したり、あるいは血糖値が非常に高くてインスリン自己注射が必要な状態であるにもかかわらず、それを拒否する患者さんたちのことを「病識がない=病気を理解できない愚かな人」のように考える医療従事者がいるのも事実です。
しかし、医療従事者が社会的スティグマに苦しむ当事者の気持ちを理解し、受け止めていくことがとても重要だと考えています。医療従事者の社会的スティグマに対する理解を推進すると同時に、「糖尿病になるのは生活習慣が悪い、自己責任だ」という社会に蔓延する誤解を解くことも必要です。
■ 「生活習慣病」がバッシングにお墨付きを与える
自民党副総裁時代の麻生太郎氏は、財務大臣時代に「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない、無性に腹が立つ」と発言しました。
実際には、日本の糖尿病患者を対象とした研究でカロリー摂取量とBMIには相関がみられないと報告され、肥満に関する最新の科学的エビデンスにおいても、生物学的、遺伝的、環境的因子が肥満に強く影響していることを示しています。
糖尿病をはじめ、生活習慣病と括られるさまざまな病気や症状を有する人々は、決して身体的に不完全で不健康な落伍者でも怠惰な人間でもないのに、この呼称がバッシングや差別をする加害者にお墨付きを与えています。
こうしたことから、2019年10月に日本糖尿病学会・日本糖尿病協会がアドボカシー委員会を立ち上げ、糖尿病に対するスティグマの弊害と患者さんが受ける不利益について、社会の意識や仕組みを変革しようと宣言しました。
残念ながら、医療従事者の中にも偏見的な意識を持つ人はまだいらっしゃいます。世の中には「太っていたらダメ、糖尿病になったら終わりだ」というような空気が存在していて、患者さんはいつもそうした無言の非難に晒されていることを医療従事者が配慮できるようになったら医師-患者関係は大きく変わると思います。
患者さんの苦痛は減り、幸福感の増加にも繋がるでしょう。そして、おそらく血糖管理や体重管理などのアウトカムの改善にも繋がると思うのです。
生活習慣を切り口にして「良い/悪い」と言うこと自体が非常にジャッジメンタルです。運動不足やカロリー摂取の過剰・不足はファクトであって、価値付けではありません。人それぞれに必要なカロリーも運動量も違います。数値的にはカロリーオーバーでも太らない人もいるし、逆もある。統計的にみれば普遍的な真実ではないはずなのに、総じて病気の原因になると一般化することが問題なのです。「生活習慣を改善する」は、科学で人の生き様を数値化して守らせるという個体差を認めないやり方で、医師としても実行可能な治療法とは思えません。
”すべてに当てはまる”勧告は集団に対しては適応しても良い。しかし、診察に訪れる患者はいずれもユニークな存在であることを忘れてはなりません。
■ スティグマを知り、多様性を認められる社会を目指す
糖尿病の患者さんは食べることを筆頭として、日常生活に多くの制限があります。コロナ禍で外食ができない、人と会えないなどの制限は多くの人にとってつらい経験だったでしょう。もちろん苦にならない人もいるでしょうが、できない人や苦しむ人のことを一方的に否定しバッシングするのは、多様性を認めないことに繋がりかねません。「生活習慣を改善しなさい」という指示も、多様性を認めないことになっていないでしょうか。
「生活習慣病を死語にしよう」という目標は、糖尿病を持ちながら生きる人たちの多様性を尊重することです。そして、多様性を認める社会へと進む第一歩になり得る活動だとも考えています。
知らず知らずのうちにバッシングや加害に加担しているかもしれない、一般の人にも糖尿病当事者が受けている社会的スティグマについて、まずは知ってもらいたい。そしてすっかり定着した生活習慣病という呼称についても、一度立ち止まって考えてみていただければと思います。
以上のように問題は、1型糖尿病と2型糖尿病を混同させることが問題にされなくてはなりません。起こり方が全く異なるものを、同一に扱うこと、要はスタートからまずいということです。専門家はこのことを、世間の皆さんに徹底して教え込まなくてはならないはずです。そして、糖尿病治療でまず重要視されるのがカロリー計算です。食事療法はもとより運動療法にまで及びカロリー計算で雁字搦めになっています。
このようなこともありますが、栄養学の歴史的な考え方を思い起こす必要があります。
工業化にともなう「食の欧米化」
マクガバン・レポートは、私たち現代人の間違った食生活が、ガン・心臓病・脳卒中・糖尿病などの生活習慣病を引き起こしていることを明らかにしました。間違った食事とは、一言で言えば「欧米型の食事」のことです。工業化に成功し、経済的に豊かになった国々においては、必ずこうした欧米型の食事が普及するようになります。
●マクガバン・レポートとは
1970年代のアメリカでは、心臓病の死亡率が一位で、がんは二位でした。
心臓病だけでアメリカの経済はパンクしかねないと言われる程に、医療費が増大していため、全世界から選りすぐりの医学者・栄養学者が集め、「食事(栄養)と健康・慢性疾患の関係」について、世界的規模での調査・研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行なわれました。
そのときに、5000ページに及ぶ膨大な報告がなされているのですが、それを委員長の名前をとって【マクガバン・レポート】と呼ばれています。
「マクガバン・レポート」は「諸々の慢性病は、肉食中心の誤った食生活がもたらした《食原病》であり、薬では治らない」としています。
更に「われわれはこの事実を率直に認めて、すぐさま食事の内容を改善する必要がある」と、7項目の食事改善の指針を打ち出しています。
指針を要約すると、高カロリー・高脂肪の食品(肉・乳製品・卵)である動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜・果物を多く摂るようにとされています。
また、この「マクガバン・レポート」を補足する形で発表されたのが「食物・栄養とがん」に関する特別委員会の中間報告ですが、そのレポートで特に注目されるのは、「タンパク質(肉)の摂取量が増えると乳がん・子宮内膜がん・前立腺がん・結腸・直腸がん・膵がん・胃がんなどの発生率が高まる恐れがある」として「これまでの西洋的な食事では、病気と脂肪・タンパク摂取量との相関関係は非常に高い」と述べています。
そして最も理想的な食事は元禄時代以前の日本人の食事であることが明記されているのでありますが、元禄時代以前の食事と言いますと結局は精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介類といった内容です。
このレポートが発表された時、アメリカ国内は勿論、全世界にショックをもって受けとめられました。そして、このような背景があるので、昨今の欧米では《日本食=健康食》といったイメージが広がり、人気となっているのです。
日本も昭和30年(1955年)頃から工業国としての道を歩み出し、それにともない国民の食生活は大きく変化するようになりました。それまでの、ご飯・味噌汁・豆・漬物・魚・野菜料理といった伝統的な食事が徐々に隅に追いやられ、欧米型の食事(洋食)がとって代わるようになりました。トンカツやハンバーグに代表される肉料理・揚げ物料理、カレー、スパゲッティー、ピザなどが毎日の食卓にのぼるようになりました。トーストしたパンにバターやマーガリンを塗り、ハムエッグにコーヒーといった朝食が好まれるようになったのです。
多くの人々は、洋食にすることは進歩的であり、これまでの伝統食を続けることは時代遅れであるかのように思いました。従来の日本食にはなかった欧米型の食事は、人々の目には、まさに新鮮で進歩的で、ハイクラスの食事スタイルであるかのように映ったのです。
また国民の体力アップを目指して政府が行った牛乳や洋食普及のキャンペーンが、食の欧米化を後押しすることにもなりました。
こうして欧米的な食事は、昭和30年以降、あっと言う間に国民の中に浸透することになりました。そして多くの若者の食事は洋食がメインとなり、それになじめない年寄りだけが、これまでの日本食にしがみつくといった状況が展開することになりました。
世界中に広がる「欧米型食事」
経済発展にともなう「食生活の欧米化」という傾向は、日本にかぎらず世界中の至るところで等しく見られます。台湾・韓国・シンガポールといった日本に次ぐアジアの工業国でも、また近年経済発展の著しい中国においても、欧米型の食事はすさまじい勢いで普及し始めています。特に世界一の人口を抱える中国では、“肉食化”が急速に浸透しようとしています。こうした国々では、日本と同様に、若者や金持ち層が高価な欧米食に群がり、これについていけない年寄りや貧しい人々が、それまでの安価な民間食を食べ続けるという二極の構図ができ上がっています。
欧米型の食事を象徴するのが、外資系のファーストフードの世界的フランチャイズです。マクドナルド・ケンタッキー・ピザハット・ミスタードーナツといった世界的フランチャイズは、まさに欧米型食事の見本と言えます。発展途上国の人々にとって、こうした食事は一種の憧れともなっています。アメリカ資本によるファーストフードは、世界に冠たるアメリカの物質文化の繁栄を象徴し、多くの若者の中にアメリカン・スタンダードを植え付けるのに大きな役割を果たしています。
また欧米型の食事は、昔は一部の上流階級や金持だけに許されていた、ぜいたくな食事・宮廷料理と通じるものです。経済的に豊かになるにつれ、国民の誰もが“グルメ(美食家)”となり、かつては一握りの金持だけが食べていたのと同じ、ぜいたくな食事を求めるようになるということです。「よりおいしいものを食べたい!」という人間の食本能によって、欧米型の食事は、物質文化の発展と並行して世界中に広がろうとしています。
病気の元凶となる「悪い食事」――欧米型食事
こうした欧米型の食事が、人々に健康をもたらすのであれば何の問題もありません。
しかし食生活が欧米化すると、どこの国においても、決まって「ガン・心臓病・脳卒中」が死因の上位(1~3位)を占めるようになるのです。欧米化した食事と現代病・成人病との間には、はっきりとした相関関係が見られます。
マクガバン・レポートは、この点を明確にしたのです。欧米型の食事は、明らかに人々の健康にマイナスをもたらします。それは、まさに「悪い食事の典型」なのです。
欧米型食事の傾向
では、欧米型の食事の何が具体的に悪いのでしょうか。「伝統食」によって食生活が営まれていたときには、現在蔓延しているような病気は、ほとんどありませんでした。その伝統食と比べて、欧米型の食事には、どのような問題点があるのでしょうか。
悪い食事のモデルと言われる間違った傾向とは――「肉の多食」「脂肪の摂り過ぎ」「砂糖の摂り過ぎ」「野菜の不足」です。これをマクガバン・レポートが明らかにした、欧米型食事の問題点です。これを栄養学的に分析すると――「高タンパク」「高脂肪(高脂質)」「砂糖過剰」「ビタミン・ミネラル不足」「低食物繊維」ということになります。このような栄養状況が、細胞機能を損ない、健康レベルを低下させ、現代病を生み出しているのです。
結局のところ、人間すべて平等ではないということです。誰が人間誰しも平等などと言い出したのでしょうか? こうした平等意識を植え付けた風潮に起因しています。
そして、このような平等意識を植え付けた張本人が誰であり、これに踊らされる人間がどなたかを、この際にキチント考えてみる必要があります。
私達、日本人は戦後食糧難の時代には食べることすら困難なひとが多数でした。こうしたなかで金持ちだけが裕福に食し、時代の移り変わりとともに、洋食をとることが貧乏人との差別できる最大のものでした。糖尿病はこうした洋食をたらふく食べていた方々から作られてきていたことを忘れてはなりません。このように、明らかな差別が横行していました。ところが、最近になって、飽食の時代に至ってこのような差別はいつの間にか忘れ去られてしまいました。
結局、いつの時代に至っても、健康に食べるには、どのようにすべきなのかを専門家が素人に分かりやすく示すことが大切なはずです。
そうでなければ、こうした糖尿病を「生活習慣病」と呼ぶのは止めにしよう」という活動自体がナンセンスになってしまいます。
このことは片頭痛についても言えることです。
片頭痛の遺伝の様式は、メンデル型”の”単一遺伝子異常”の優性遺伝でなく、”多因子遺伝”の様式で、親や祖父母から受け継がれます。
片頭痛を生じる単一遺伝子性疾患としては、家族性片麻痺性片頭痛Ⅰ型、家族性片麻痺性片頭痛Ⅱ型、CADASIL、MELAS、Osler-Rendu-Weber症候群がこれまで確認されております。このようなタイプは極めて頻度的に少ないものです。例外的です。
ところが、最近まで メンデル型”の”単一遺伝子異常”の優性遺伝ばかりが注目され、”多因子遺伝”すなわち生活習慣病のようなものとは考えることはありません。
私は、片頭痛が生活習慣病のようなもの、いや生活習慣病そのものと述べていますが、決して「悪い生活習慣を続けている人が発症する」等と言っているのではありません。健康を維持するためには、食事内容、食事の摂り方はどうあるべきなのかを提言しているだけの話です。するかしないかは本人の責任でするべきことであり、ただこれを行って不都合なことはと言えば、女性であれば、美しく若返ったことで、煩わしい”ムシ”が寄ってくることぐらいです。イヤなら、元に戻せば、また醜くなりますので”返品”可能です。
その詳細はこれまで以下で述べたことです。
片頭痛は、遺伝なの? それとも代謝異常なの?
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12712889098.html
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頭痛が気になったら・・以下へアクセス
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