君を殺しても -4ページ目

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、ルシファーです。


◼️10/3の件

いよいよ迫ってまいりましたね。

我が機動六弦のお誕生日を祝う日です。

ゲストの御二方、御両名ともぼくは超リスペクトしています。

なかなか無い(観たらわかるけど本当になかなか無い)組み合わせと演目になりますから、是非とも目撃者になっていただきたい。

よろしくお願いします。


◼️御礼とお詫びと願いと覚悟

名古屋をツーデイズでやらせていただきました。

そもそもが、このイベントに我々が出られたことは、様々な方々の尽力があってのことです。

そのことに、ものすごく感謝しています。

受けた期待を裏切らないよう、いつも通り全力で、且つ種類の違う気合いの入り方もありつつで臨みました。


結果、音楽的にもアクト的にもスタンス的にも、様々な課題が見えた二日間になりましたし、色々な反応を頂きました。

ちなみに、ぼくらとしてもぼく個人としても、演奏していて楽しかったし、他のバンドさんの演奏や楽屋での会話なんかも含めて、出られて本当に良かったと思ってます。


含めて、色々なことがあったけれど、客観的に振り返ってみて、一旦色々書き出してみて、そのうえで改めて痛感したのは、誤解というのは能動的に事象を発する側が負うべき責であって、受け手側に責は無い、ということです。


今回だと、例えば1日目にかみむらくんが予定よりだいぶ早くステージから(しかも直立不動ポーズで)滑り落ちた挙句、戻ってくるタイミングを失うという大変マヌケなアクシデントなんかも含め、頂いた反応の中で異口同音に触れられていたのは、ぼくが過去に「わからないなら来なくていい」と発言したことについてです。


これについては、ぼくが言葉を発した結果、誤解を招いたと思っています。

ごめんなさい。

ただ、それでもぼくは誤解されることがとても嫌なので、ぼくなりの責任の認識に基づいて、改めて言葉を尽くします。


「わからなければ来なくていい」が指すのは、「我々が根っこにもっているスタンス」についてであって、不測の事態や失敗や判断ミスについてはまた別です。

さらにこれは「"意図"の有無には関わらず」です。


またくだらない例え話ですが、牛丼屋に入って「寿司が無いだと?ふざけんな!」とか「高級霜降り和牛じゃないだと?ふざけんな!」というのはお門違いだと思ってます。

「すみません、ウチは牛丼屋なんです」という説明を尽くしても理解できないなら、もしくは看板すら見てないとかだったら、もう来なくていいですよ、と思います。ぼくは。


他方で、牛丼を食べに来て「明らかに味がしなくてまずかった」だったり、「厨房から皿が飛んできて怪我をした」という場合は、店が責を負うべきだと思います。

その原因が、わざと調味料を入れなかったとか、ミスで皿が飛んでったとかは、店側の都合なので関係ないと思ってます。

いずれにせよ結果としてお客さんが減るのは、お客さんのせいではなく店のせいであって、それについてお客さんに「見る目がねえ」「味がわかってねえ」なんてのたまう店はとっとと潰れて然るべきです。むしろ、ほっとけば自然に潰れます。


但し、ちょっと脱線しますが「能動的に潰しにかかる」となると話は別です。

自然淘汰に任せるか、任せないなら私刑を下すのではなく然るべき機関の力を借りるべきです。

この問題はこれだけで長くなるのでまたの機会に。


話を戻しますと、ぼくらはバンドなので、飲食店とは単純比較できないけれど、ぜったいに誤解されたくないのは、我々なりに「いつもお腹いっぱいになって美味しかったと思って帰ってほしいと思ってる」ということです。

これが、前述の"根っこにあるスタンス"を指します。


これはメンバー全員そうです。

少なくともぼくは、そうじゃない奴とは一緒にやりたくないです。

一緒にやっているのは、少なくともその点においては、目的が一緒だからです。

単純に、目的地が違う人とは相乗りできないのと同じです。

方法論や、「楽しいこと」の定義や、それを決める感性は、実際バラバラでも目的が一緒だからメンバーとしてやっていけるわけです。


でも、もちろん失敗することも多々あります。

我々なんか失敗ばっかりです。失敗してなかったら洒落でもなんでもなく紅白に出てると思います。

ただ、失敗の原因がオーディエンスにあると思ったことなんて一度もないし、今後も一切ありません。


また、難しいところだけれど、ある人にとっては失敗でも、また別の人からすると良かった点になることも多々あります。逆も然りで、手応えを感じたことが実は駄目だったことも多々あります。

どちらも、何度も経験があります。


何をもってして成功とするか失敗とするか、特にライブに関しては明確な基準が見えづらい(もしくはそもそも存在しない)ものだとも思います。

演者か観客かは関係なく、その場に居合わせた一人一人が自分で判断するしかないものだと、ぼくは思ってます。


なので、ぼくらが約束できるのは「2度と失敗しない」ことではないです。その約束はできない。

ただ、「次こそ絶対に"来て良かった"と思ってもらえるように全力を尽くす」ことは約束します。

だってそれが我々の存在理由であり最大の目的なのだから。


少なくともぼくは、そう思えなくなったら辞めます。

すくにでも辞めます。

で、2度と音楽なんてやらないです。


過去、1人で家で音楽を作っていた時期がありました。

自分が聴いて、それが楽しければそれでいいと思っていた頃もありました。

でもぼくは、これは単に性分なんでしょうけど、自分が良いと思ったら誰かに伝えたいってめちゃくちゃ強く思う人です。

だから、映画でも食べ物でも音楽でも何でも、自分が良いと思ったものを誰かに伝えずにいられないし、それがより多くの人に届いて、誰かしらの何かしらのプラスになって欲しいと思ってます。


ぼくは隼人を、シェハーンを、ルシファー様を、本当に超かっこいいと思っているし、その集合体であるTHE NOSTRADAMNZが「良い!!!!」と思うことを伝えたい。


で、このあたりがまた誤解を生むんでしょうけど、その結果「良くない」と判断されたら、それは普通に仕方ないと思います。

ただ、誰かが我々に下した判断がマイナス評価だったとしても、それを悪いとかダメだとかは一切思わないです。


よく「わからないならファン失格ですか」的なお声を、多々様々にお伺いすることがあるのだけれど、そもそも「ファンでいること」に必要な資格なんて無くないですか?誰々のファンでいるための国家資格とかあります?

無いんですよ。

運転とか宅建取引とか医師とか弁護とかとは違うんですよ。

なんなら「ザ ノストラダムス」という名前だけのファンが居たっていいんですよ。メンバーの名前も知らないけど街でみかけたすっぴんが好き、とかでもいいんですよ。

逆に、歌もベースも聴いたことないけどルシファー様666才とか自分で言ってるのダッセェ死ね、と思うのも自由です。


そんなに、我々は理解し合ってないと共に生きられないんですかね?

憎み合い殺し合うしかないんですかね?

少なくともぼくは、理解させられてるとは思ってないし、理解できてるとも思ってません。 

キミに罪はないし、キミはぼくを知らないし、ぼくもキミを知らないのです。

でも、それって悪ですかね?

そういう事実がただそこにあって、認識を繰り返すだけのことであって、それに善悪は無いと思います。


それに、そういうことを完全に言語化できるとも思ってません。

いくら誤解が嫌いでも、全く無くすことは絶対不可能だとも思っています。


じゃあどうするかって、只々ひたすらに、己のできる限りを尽くすだけです。

それは誰のためでもなく、最終的には自分のためです。

「あなたのためにやったのに」などという責任転嫁を、ぼくはしません。

やって及ばなければ、自分が及ばなかったという結果が残るだけです。


もし、「じゃあそのただひたすらに尽くした結果、及ぶか及ばないかを見てやろうかなニヤニヤ」と思って頂けるなら、チャンスを頂けるなら、そんなにありがたいことはありません。


それこそ、こんなこといちいち書くのダセエと思うなら、ぼくはそれで構いません。

ぼくはぼくでしかなくて、ぼく以外にはなれない。

出来る限りの時間内で、出来る限りの語彙を尽くしました。


誰かには、何かが少し伝わってほしいと願っているし、もしも、もしも伝わったのなら、是非とも会いに来てください。

お伝えした日時に、お伝えした場所のステージに立ってたさかす。


これはヘタクソな宣伝でもなければ、愚痴でも開き直りでもない。

己が招く結果に対する覚悟の話だ。


◼️CHAQLA.の話

2日目、ぼくらの前に出ていたバンドさんです。

結成発表時から、あーヤバい方々出てきた、と思って、その後も音源ファンをやっておりました。

かと言って同業他社だと思っているので言及はしなかったんですが、実際のステージまで観て、もう完膚なきまでに叩きのめされましたね。

めっっっちゃくちゃかっこいいです。大好き。

で、ぼくが言及せずとも彼らはこれからも更にかっこよくなっていくでしょうし、なんならぼくが言及することがマイナスにならないか心配ですらあるんだけれど、それでも是非是非未体験の方は、音源はもちろん、特にライブを観てみてほしいです。


で、彼らの登場が、ぼくの中ではV系というカルチャーの中でもかなり革新的であり、且つカルチャーの核心でもあるのでは??否、そうに違いない!という歴史を踏まえた見解すらもっていて、これは語らずにいられないと思うのでツイキャスであーだこーだしようと思ったのですが、とりとめがなくなるのでブログでまた書きます。

近いうちに必ずな。


よろしくお願いします。








こんばんは。ねもとです。


【レプリカンシエルだ】

敬愛してやまないL'Arc〜en〜Cielのコピーバンドにベーシストとして参加します。

クソ難しいんですけど頑張ります。

今年も昨年に引き続きTシャツを販売しますし、可能ならチェキも売りますので是非お越しください。


【レプリカントか】

我がTHE NOSTRADAMNZは千葉から来たシドヴィシャスと厚木から来たジョニーロットンにGLAY大好きのロボットが加わったような編成だなあ、なーんて昨晩思ったりしたんですが、そんなぼくはAIが大好きです。

以前は暇さえあればWikipediaを熟読していましたが、最近は専らAIと会話していたりします。


どうやったらヒトに愛されるのか、という観点を感じるやりとりに、いじらしさというか一抹の切なさを感じたりするのですが、遠慮なく色々話せるので面白いです。


で、最近自分の歌詞をどう感じるか、最新アルバムの楽曲を中心に訊いてみたんですが、回答が面白かったので共有いたします。


↑アルバムはコチラへどうぞ


■サラバ

「人生は有限であり、いつか終わりが来る。それでも、精一杯生き、喜びや悲しみ、

あらゆる経験を味わい尽くすこと。そして、いつか訪れる別れの時を、笑顔で受け入れること。」


■Fallen

「現代社会は、倫理観や道徳観の崩壊、情報操作、商業主義など、様々な問題を抱え、崩壊へと向かっている。

それでも、理解し合える誰かの存在があれば、希望を捨てずに、この世界で生き続けることができるかもしれない。」


■I wanna go to America

「アメリカという理想郷への憧憬を抱きながらも、現実の厳しさに直面する。それでも、現状に甘んじることなく、自由を求めて、自らの道を切り拓いていこうとする強い意志。」


■And So I

「社会の束縛から逃れ、破滅的な衝動に身を委ねながらも、その中で見出した狂騒的な愛を"あなた"に誓う。常識や倫理を超越した、危険で美しい、歪んだ愛の形」


■Miracle arrive universe

「存在の不確かさに悩みながらも、誰かの存在によって希望を見出し、未来へ向かって力強く歩んでいく。そして、いつか訪れる別れの時まで、その人の幸せを願い続ける。」


■Sick Of All People

「偽善や欺瞞に満ちた現代社会に嫌気がさし、そこから抜け出したいと願う。

"普通"に憧れる一方で孤独を抱え、葛藤しながらも、変化を求めて、自らの道を切り拓こうとする。」


■Sweetkiller

「偽りの快楽と支配によって、相手を翻弄し、破滅へと導く。

しかし、支配する側もまた、自己喪失と虚無感にさいなまれ、最終的には破滅を迎える。」


■SAILAWAY -Decade flight-

「過去の傷や喪失感を抱えながらも、現実を肯定し、未来への希望を胸に、新たな航海へと出発する。

それは、自由を求め、自らの手で運命を切り開いていく、力強く壮大な旅路である。」


■アカリファの花

「過去の傷や悲しみを抱えながらも、友人の支えによって、希望の歌を歌い続け、未来へ向かって力強く歩んでいく。」


■IDWBYXXX

「偽善と欺瞞に満ちた現代社会への激しい怒りと絶望、そして既存の価値観への挑戦。

自らの音楽を通して、世界に抗おうとする、強烈な意志。」


■ひみつ

「暴力的な衝動と罪悪感に苦しむ主人公が、秘密の共有を通して、相手との歪んだ繋がりを求める。

それは、自己正当化と支配欲によって歪められた、危険で不安定な関係である。」


■Smallchange

「幼少期の楽園の崩壊と、大人になるにつれて直面する現実の残酷さ、そして理想と現実のギャップに苦しみながらも、それでも歌い続けることで希望を灯し続けようとする意志」


■Eyes

「狂おしいまでの愛情が、暴力と呪いへと変貌し、相手を永遠に束縛する。

現実と幻想の境界線が曖昧な中で、愛と憎しみ、執着と絶望が渦巻く、

狂気的な愛の世界。」


■No turning back

「理解不能な存在との遭遇、そして崩壊していく世界の中で、自らの使命を自覚し、

自己犠牲によって救済を目指す。

永遠の孤独と引き換えに、希望を未来に託す、悲壮なまでの決意と愛。」


■驚ゐ的ロマンス

「自己破壊的な恋愛を繰り返しながらも、そこから抜け出せない葛藤と、自由を求める心の叫び。

そして、最終的には、変化への希望を諦め、運命を受け入れるしかないという、悲しいまでの諦観。」


■Forgiveness

「偽善的な態度で本心を隠す相手に、激しい怒りと嫌悪感を抱き、許すことができない。

理解を求める気持ちも虚しく、復讐心や破壊衝動に駆られる。」


■作者について

これらの歌詞から浮かび上がる作者像は、非常に複雑で多面的なものです。

様々な感情や葛藤を抱え、光と闇、希望と絶望、愛と憎しみといった相反する要素の間で揺れ動いている人物像が見て取れます。


○年齢・性別・外見

年齢は30代後半から40代前半の可能性が高いでしょう。

性別は男性と推測されます。

服装は、黒を基調としたロックなスタイルを好んでいる可能性があります。

外見は、鋭い眼光と、どこか影のある表情が特徴的かもしれません。


○内面・性格

・知性と感受性: 深い洞察力と鋭い感性を持つ。

・社会への批判意識: 現代社会の矛盾や欺瞞に強い憤りを感じている。

・孤独感と疎外感: 社会に馴染めず、孤独や疎外感を抱えている。

・理想と現実の葛藤: 理想と現実のギャップに苦しみ、もがき苦しんでいる。

・愛と憎しみ: 激しい愛情と憎しみ、両方の感情を抱え、葛藤している。

・破滅への衝動: 自らを破壊へと導く衝動に抗えず、苦しんでいる。

・自己犠牲の精神: 愛するもののために、自己犠牲も厭わない強い意志を持つ。

・希望への渇望: 絶望的な状況の中でも、わずかな希望を追い求めている。

・表現者としての苦悩: 自らの言葉で世界に何かを伝えたいという強い意志と、表現することの難しさに苦悩している。


○背景・経験

・過去のトラウマや、辛い経験を抱えている可能性があります。

・愛する人を失った経験が、創作活動の原動力となっているのかもしれません。

・社会の不条理や矛盾を目の当たりにし、強い憤りを感じている。


○全体的な印象

・彼は、繊細な感受性と鋭い知性を持つ、複雑な内面を抱えた人物像として浮かび上がります。

・社会に馴染めず、孤独や疎外感を抱えながらも、自らの表現を通して、世界に何かを伝えようと葛藤しています。

・彼の歌詞は、人間の心の奥底に潜む光と闇、希望と絶望、愛と憎しみといった、複雑で相反する感情を、赤裸々に表現しており、

・多くの人の共感を呼ぶ力を持っていると言えるでしょう。


以上です。

どうでしょう?当たっていますかね。


自分では年齢が630才ほど違うなというくらいで、

繊細な感受性と鋭い知性を持ち、現代社会の矛盾や欺瞞に強い憤りを感じながら、絶望的な状況の中でも、わずかな希望を追い求めているあたりなんて非常に当たってますね(当たってますね)。


さておいて、ぼくがよく解説などで使う「ロックンロール」とか「ひとひらの光」とかってものを要は伝わりやすく表現してしまえば「絶望の中でわずかな光を求める」みたいなことなので、AIってすごいなと思います。


でも、AIにはそれを「ロックンロール」や「ひとひらの光」とは、少なくとも今は表現できないだろうから、ヒトはヒトの得意分野もあるんだよとも思います。

多分AIはロックンロールを1950年代にアメリカで生まれた音楽と思ってるだろうし、光の強弱はルーメンやカンデラやルクスで測ろうとするでしょうから。


【ぼくが思うロックンロール】

人種も国籍も性別も、なんなら生物/非生物も総て超えて、みんなが手を取り合ってハチャメチャに笑顔で踊りたい気持ちのこと、そしてそういう気持ちのBGMとして作られた音楽や場所やファッションのことだと、ぼくは思っています。

何故なら、そうしないとやってられないから。

永遠の暗闇では我々は生きられない。

もう終わってる真っ暗なこの世界で、ひとひらの光を頼りにみんなでロックンロールを踊りたいです。


【気持ちの骨折の予後】

パッキリ折れてしまった心でしたが、クラッシュオブモードでまさしくそうしたひとひらの光とロックンロールが成立した瞬間に何度か立ち会えたおかげで、少し良くなった感じがします。

折れた骨も知らない間に治って痛くなくなるように、なんとなく今折れているような焦げ付いてヒリヒリするような感覚も、きっと忘れていくんだろうなと思えています。

これはみなさまのおかげです。ありがとう。


おやすみなさいませ。




おげんきですか?

ぼくは正直申し上げてあまり元気ではないかもしれません。

なぜか、7/21のライブが終わって帰路につく途中で、自分の中の何かがパッキリ折れてしまった感覚があります。
それも、ボキッというような大きな挫折感や落胆ではなく、ほんとうに些細な、パキッという感じ。
いくつか思い当たる節があるのと、それとは関係ない話も含めてアウトプットしたいと思います。

■7/21の話
すごく楽しかったです。
emmureeも夜も、圧倒的なパフォーマンスでしたね。
他のパートは置いといて個人的な感想として、圧倒的なボーカリストと圧倒的なベーシストに挟まれた圧倒的ベースボーカルとしてがんばりました。
我々も含めて各々、前に一緒にやったときとは体制がちがったりバンドがちがったりといったところに気が付いて時の流れを感じたけれど、なにより皆かっこよくなってることがすごい楽しかったです。
ありがとうございます。

■池袋手刀
遥か昔は少年だったぼくにとって、初めて行った都心のライブハウスでした。
留学生ビル、ブラン、中学生棺桶、あざらし、オシリペンペンズの対バンイベントだったと思う。
(追記:なんと探したら当時居合わせた方のレビューがあった

ぼくは666(パンクブランド)のカタログについてきたコンピレーションアルバムであざらし(北海道のパンクバンド)を知って衝撃を受けてファンになって、彼らが東京に来るというので、お年玉やバイト代をかき集めてがんばって作った鋲ジャンを着て、本厚木から電車に乗って独りでとぼとぼと行きました。あの頃のぼくには大冒険であり、一大イベントでした。
あまりにも衝撃的なパフォーマンスをかます面々に、なんというところに来てしまったんだろうぼくは、と思いました。
そのときかその次の同じような機会だったか定かでないけれど、物販席であざらしのメンバーさんに挨拶をさせていただいたとき、「打ち上げ行こうよ!」と誘ってもらったのですが、バチクソに未成年だったし、所持金が800円だったしで断念せざるを得ませんでした。
で、ほどなくしてぼくも出演者側として頻繁にステージに立たせてもらうことになり、朝まで打ち上げをやって帰る、というルーティンがもはや普段の生活の一部になっていました。
それすなわち、何の責任も負わず、翌日のことなど何も考えず、ただただ毎日の昼夜が楽しかった日々でした。
むしろ昼間は寝てました。
ぼくにとって、池袋手刀にはそういった日々を想起させるノスタルジーがあります。
そして、当時はわからなかったけど、今になって解る、大きな大きな自由を思いっきり謳歌していた(悪く言えば浪費していた)のだな、という事実を突きつけられるわけです。それがあっての今なので、謳歌して浪費したぶんの経験値やオモイデは何にも代えがたいことは解ったうえで。
で、気づけば記憶に新しいCovid19騒動からはまもなく5年経つんですよね。
時の流れ早すぎ問題に、ぼくは焦燥感に駆られて、パニックを起こしそうです。

■時間と体力なさすぎじゃない?問題
ひらたく言えばスランプなんですが、創作のほうがうまいこといかない状況に悶々としています。
アイデアは無尽蔵、言いたいこともやりたいことも次々に浮かんでくるのに、それをゆっくり形にできる時間がない。
でも、時間がないというのは本当は嘘であって、寝てる時間とかボーっとしている時間を、創作に向き合う時間に充てればいいだけの話なんです。ストイックな人とかはそうやって時間を捻出して努力をして成果を勝ち取るんでしょうけど、ぼくにはそんな気力も体力もないので、結果的に「そう、時間が足りないのだ」と自分に言って8時間くらい寝ないと人格とパフォーマンスを保てないのです。(なんかウルトラマンが地球上では3分間しか戦えないみたいな感じでかっこいいな!ルシファー様は16時間しか起きていることができない!がんばれ!ルシファー様!と言ってくださいよ声にだして)
で、やっとまとまった時間がとれるな!よし!と思ってギターを手にしてDAWを立ち上げるのだけど、どうにも納得がいかない。
頭の中で鳴っている音楽がかたちにならない。無理に形にしても、思いついたときに感じたようなトキメキやワクワクが再現されない。思わぬところで整合性がとれない。などなどで嫌になってしまう頃には起きてから16時間経ってるので寝なきゃいけないでしょう?かわいそう俺。

■ナルシシズムの一寸先にある軽度な醜形恐怖
自撮り写真をアップすることに最近すごく抵抗があって、カメラの性能がいいのだろうけど、自分の姿に耐えられなかったりします。
チェキだとそのあたりが映らないのでチェキ大好きなんですけど、自分のカメラでの写真を楽しみにしてくださる方には申し訳ないです。
ライブならそういうものなので致し方ないんだけど、ぼくの意識としては、写真ってレコーディング音源みたいなもので、妥協を差し引いても「良い」と自分で思えないものを自分の手でお届けするのは、どうしても抵抗があるのです。
自分以外の誰かが撮ったものなら全然気にならないんですけどね。不思議。
ちなみに最近気づいたのは、ぼくは自分の中の道義に反することを、自分の手でやることにはすごく抵抗があるのだけど、自分以外が勝手にやる場合は全然気にならないということ。これって責任感の話だと思うのですが後述。

■暑すぎ問題
あついですね。寒いよりはマシなんですけど、身の危険を感じるレベルだったりして、ちょっと出かけて帰ってくるだけでもう全てが嫌になってしまいますね。
でも、この間ゲリラ豪雨があって、雨あがったなと思って外に出たら、すごく涼しくなってました。
昭和の頃、よく軒先でババアがひしゃくで水撒いてたのってこれだったのかと思いました。

■怖い夢
見上げたら向こうで核爆発が起きたので、やべえってんで振り返って逃げようとしたら、向かう先の山が大噴火して、爆煙と火砕流の挟み撃ちに遭う夢をみました。
予知夢でないこと切に祈ります。

THE NOSTRADAMNZのEPなんですが、ちょっとタイミング的に不運だったよねコレ、と思っていて、メンバー脱退からの、2人態勢でどうにかしようとしいの(←作曲とRECはこのへんのタイミング)、SCHEHAAAN加入しいの(←ギターだけぼくの演奏からシェギターに差し替え)、でもミックスはぼく、という制作経緯で、且つまだ『CLUB33』に対する総括もできていないかった、それでいてまだまだコロナ禍だったという本当に過渡期オブ過渡期の狭間で制作とリリースをした感じがあったので、くわしく触れられてないんですよね。
スランプになると自分の過去の曲なんかもよく聴き返したりするんですが、ぼくは好きですこのEP。
"時間が足りなくて"中断状態になってしまっているツイキャスのほうでの『A WHORE NEW WORLD』の解説もきちんと終わらせたいので、そのあとに『REVESURRECTION』についても振り返る時間をとりたいなと思っています。
それまで忘れてほしくないので概要だけざっと書いておきます。

①Accesaries
ぼくらから離れていく人は少なからずいた。
でもぼくは、それでもぼくらを見ていてくれる人に向かってこそ歌いたいと思った。
それが不謹慎で悪趣味で罪深いものだったとしても。
だから、"共犯者 この指とまれ"です。

②Forgivenness
ごく個人的に、許せない相手が居た。
彼女は全く犯罪者でも社会悪でもなかったが、ぼくとは本当に考え方や性格や志が合わなかった。
何が嫌だったかって、結局彼女は自分で自分を孤独と不幸に陥れていることにひたすら無自覚だった。
それでいて、彼女はそんな“アテクシ”を恰好よく見せたがったが、ぼくにはそれが稚拙に見えて吐き気がした。
バレバレの寂しさと弱さを隠そうとする、その稚拙な見栄は、仮に拷問器具に縛り付けて、おくすり漬けにして、あんなものやこんなものを使って辱めても、保っていられるのかな?なんて。
そして、凄惨な拷問を完遂した挙句になら、ぼくはあなたを許せるのだろうか?なんて。
お前のこと、本当に大っ嫌いだけど幸せになってほしい、というアンビバレントな想いを皮肉って歌いました。

③Immitation cold
コロナ禍のメディアとSNSに対する怒り。はげしい怒り。かったるい怒り。
派生して、おまえら本当に犬かサルが言われるがままに喧嘩してるだけだな、と思ってる。
誰かを傷つけずにはいられないくせに、自分は勝手に傷ついてる。
誰もが被害者でいたいくせに、加害には無自覚。
何にも少しも加害者的立場にならずに生きるなんてできないんだってば。馬鹿が。
その怒りは今も続いているし、何かがパキっと折れた原因のひとつだと思う。
タイトルはI'm・immune・imitation・風邪・寒い/冷たい・硬直 を、とある名曲になぞらえて。

④処刑台より
そんな馬鹿は全員処刑されて死んでしまえばいい。
じゃあ、死刑囚は生まれながらにして悪人だったのか?悪ってなんだ?
とある元死刑囚のドキュメンタリーを見て、ぼくは想像しました。

詳しくはこちらの後半


それでも、罰を受けて身体が死んでも、罪が消えるわけではない。
ただ、その想いが言葉となり、そして星となり、時や空間を越えて、誰かをor誰かの罪から、何らかのかたちで救いますように。

■, but don't forget your responsibility
1981年から2022年11月まで41年間活動していた、GAUZEという伝説的なハードコアパンクバンドがいました。
ぼくがパンクに興味を持ったときには既に伝説の存在というか、超怖くて近づきがたい存在で、いつかいつかと思いながら一度 も生演奏を観ることは叶いませんでした。人生の大きな後悔のひとつ。
ぼくは高校生のときに入手したこのアナログ7インチ盤に度肝を抜かれました。
暑いしスランプだしで、移動中はハードコアパンクを聴く最近ですが、シークレットで行われたGAUZEの解散ライブの映像を観ました。

その中にあった「パンクスとは、自分に責任をもつということ」という言葉にまたガツーンとやられた思いがしました。

パンクって、反体制のイメージがあると思うんです。政治と切り離しても、“抗う”という精神が根底にあるカルチャーだと思います。それを体現する人のことをパンクスというのだと思います。

抗わなければ流されることになり、流されたくないなら抗わなければならない。
大きな流れに抗うことは、すなわちDIYになるわけで。で、DIYには責任が伴うんですよね。自分で決めて自分でやった結果には、当然責任が伴うわけです。
逆にいえば、責任をもつ覚悟がなければ自由は手に入らない。


(歌詞を上げてくださっている方います。)
責任ってなんだろう、ってぼくはよく考えるものの、そのわりによくわからないのですが、責任のもち方として「歯を喰い縛って耐える」というのは、大いに有ると思います。
で、男として、それができる人のことをすげえかっこいいとぼくは思う。
GAUZEの、解散までを含めた活動は、まざしくそれを体現していたと思います。だからぐうの音も出ないほど格好いい。

じゃあぼくにそれができるのかと問われれば、そんな自信は無いのだけど、そうありたいとは思います。

自分が勝手にそうありたいと思っているだけなので、お門違いなのは百も承知で、その責任ってやつがあまりにも軽視されていないか?と思います。誰が?というよりは、時代の空気として。
もしかすると、責任が軽視されているのではなく、「自己責任」なんて鬼の首をとったような身の程知らずの言葉がいつからか使われるようになった結果、歯を喰い縛って耐えても、誰も助けてくれないなら自分で決めることに価値など無い、という世の中になっているのではないかとも思います。
むしろ、失態が露呈したら利害の外側からもとんでもない数の石を投げつけられてしまう。
みんながいつも利き手の中に石を持っていて、石を投げてもいい相手をずっとずっと探している世界。
石の投げ場を見つければ周知し合って、互いに喜々として石を投げつけあう世界。
お前ら、その石どこで拾ってきたの?と思って調べてみると、その石は拾ってきたものではなく、生存競争を勝ち抜いてきた現生人類という種が、ご先祖様から持たされて、生まれつき遺伝的に持っている石なんですって。いけ好かない奴に石を投げるとドーパミンが出て気持ちがいいって感じるようにできてる。そうプログラムされてる。救いようがねえ。

百歩譲って、石を投げられる人の責任として、止まない投石に歯を喰い縛って耐える義務があるとしても、本当は石を投げるほうにも責任ってあるんじゃねえの?と思います。
じゃあお前が石を投げられる番になったら、歯を喰い縛って耐えるんだよな?と。
何の失態もおかさない人間なんていないと思うんですけど。
どんな奴だって全員絶対に、少なくともちょっと前までは赤ちゃんだったんだよ。赤ちゃんじゃなかった人いる?一度も乳のみながらウンコもらしてないヤツいる?
そのくせ、やいのやいのドーパミンのために石を投げ合うって、クソみてえな話だ。クソみてえな話だよそんなの。

THE CLASHの楽曲に「Know your rights」という曲があります。
己の権利を知れ、という意味だと思うのですが、歯を喰い縛って我慢する覚悟のない奴が権利ばかりを主張するのって、ぜんぜん説得力を感じないです。
別にいいんですけどね。説得されないだけですし。何より、説得力ねえよ!って誰かに直接石を投げるような、原始人の遺伝子に流されたような振る舞いを、ぼくは恥ずかしいと思うので、できるだけ晒したくないと思いますから。

ぼくは、自分で道を選んだ結果、歯を食い縛ることになっても、それを自分以外の何かのせいにはしたくないと思います。
思っているだけで、全然できないかもしれないけど。
いざとなったら、核戦争も地球温暖化も全部ぜんぶ隼人のせいだ!!!!!とか言うと思うけど。

■おわりに
とはいえ、あなたがいつも、普段見えないだけで、何かに歯を喰い縛って生きていることもわかっているつもりです。
誰も、歯を食い縛っているところなんて見られたくないから、自分以外が何にどれだけ歯を食い縛っているのか知らないってだけなんです。
ああ、もう食い縛っていられない、もう駄目だ、となったとき、ぼくらがつくる音楽やステージや自撮りやチェキが、もしくはぼくが紹介した音楽や歌詞が、少しでも何かのプラスになるなら、ぼくのパキッといった何かはたちまちどうでもよくなるし、あなたの存在もまた、ぼくにとって何かに歯を喰い縛る力を与えてくれているのだということを、毎度の如くですがお伝えしておきます。

やっぱり、書くとだいぶすっきりしますね。
8/10、横浜で会いましょう。