目覚めれば君のこと | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、ルシファーです。


◼️10/3の件

いよいよ迫ってまいりましたね。

我が機動六弦のお誕生日を祝う日です。

ゲストの御二方、御両名ともぼくは超リスペクトしています。

なかなか無い(観たらわかるけど本当になかなか無い)組み合わせと演目になりますから、是非とも目撃者になっていただきたい。

よろしくお願いします。


◼️御礼とお詫びと願いと覚悟

名古屋をツーデイズでやらせていただきました。

そもそもが、このイベントに我々が出られたことは、様々な方々の尽力があってのことです。

そのことに、ものすごく感謝しています。

受けた期待を裏切らないよう、いつも通り全力で、且つ種類の違う気合いの入り方もありつつで臨みました。


結果、音楽的にもアクト的にもスタンス的にも、様々な課題が見えた二日間になりましたし、色々な反応を頂きました。

ちなみに、ぼくらとしてもぼく個人としても、演奏していて楽しかったし、他のバンドさんの演奏や楽屋での会話なんかも含めて、出られて本当に良かったと思ってます。


含めて、色々なことがあったけれど、客観的に振り返ってみて、一旦色々書き出してみて、そのうえで改めて痛感したのは、誤解というのは能動的に事象を発する側が負うべき責であって、受け手側に責は無い、ということです。


今回だと、例えば1日目にかみむらくんが予定よりだいぶ早くステージから(しかも直立不動ポーズで)滑り落ちた挙句、戻ってくるタイミングを失うという大変マヌケなアクシデントなんかも含め、頂いた反応の中で異口同音に触れられていたのは、ぼくが過去に「わからないなら来なくていい」と発言したことについてです。


これについては、ぼくが言葉を発した結果、誤解を招いたと思っています。

ごめんなさい。

ただ、それでもぼくは誤解されることがとても嫌なので、ぼくなりの責任の認識に基づいて、改めて言葉を尽くします。


「わからなければ来なくていい」が指すのは、「我々が根っこにもっているスタンス」についてであって、不測の事態や失敗や判断ミスについてはまた別です。

さらにこれは「"意図"の有無には関わらず」です。


またくだらない例え話ですが、牛丼屋に入って「寿司が無いだと?ふざけんな!」とか「高級霜降り和牛じゃないだと?ふざけんな!」というのはお門違いだと思ってます。

「すみません、ウチは牛丼屋なんです」という説明を尽くしても理解できないなら、もしくは看板すら見てないとかだったら、もう来なくていいですよ、と思います。ぼくは。


他方で、牛丼を食べに来て「明らかに味がしなくてまずかった」だったり、「厨房から皿が飛んできて怪我をした」という場合は、店が責を負うべきだと思います。

その原因が、わざと調味料を入れなかったとか、ミスで皿が飛んでったとかは、店側の都合なので関係ないと思ってます。

いずれにせよ結果としてお客さんが減るのは、お客さんのせいではなく店のせいであって、それについてお客さんに「見る目がねえ」「味がわかってねえ」なんてのたまう店はとっとと潰れて然るべきです。むしろ、ほっとけば自然に潰れます。


但し、ちょっと脱線しますが「能動的に潰しにかかる」となると話は別です。

自然淘汰に任せるか、任せないなら私刑を下すのではなく然るべき機関の力を借りるべきです。

この問題はこれだけで長くなるのでまたの機会に。


話を戻しますと、ぼくらはバンドなので、飲食店とは単純比較できないけれど、ぜったいに誤解されたくないのは、我々なりに「いつもお腹いっぱいになって美味しかったと思って帰ってほしいと思ってる」ということです。

これが、前述の"根っこにあるスタンス"を指します。


これはメンバー全員そうです。

少なくともぼくは、そうじゃない奴とは一緒にやりたくないです。

一緒にやっているのは、少なくともその点においては、目的が一緒だからです。

単純に、目的地が違う人とは相乗りできないのと同じです。

方法論や、「楽しいこと」の定義や、それを決める感性は、実際バラバラでも目的が一緒だからメンバーとしてやっていけるわけです。


でも、もちろん失敗することも多々あります。

我々なんか失敗ばっかりです。失敗してなかったら洒落でもなんでもなく紅白に出てると思います。

ただ、失敗の原因がオーディエンスにあると思ったことなんて一度もないし、今後も一切ありません。


また、難しいところだけれど、ある人にとっては失敗でも、また別の人からすると良かった点になることも多々あります。逆も然りで、手応えを感じたことが実は駄目だったことも多々あります。

どちらも、何度も経験があります。


何をもってして成功とするか失敗とするか、特にライブに関しては明確な基準が見えづらい(もしくはそもそも存在しない)ものだとも思います。

演者か観客かは関係なく、その場に居合わせた一人一人が自分で判断するしかないものだと、ぼくは思ってます。


なので、ぼくらが約束できるのは「2度と失敗しない」ことではないです。その約束はできない。

ただ、「次こそ絶対に"来て良かった"と思ってもらえるように全力を尽くす」ことは約束します。

だってそれが我々の存在理由であり最大の目的なのだから。


少なくともぼくは、そう思えなくなったら辞めます。

すくにでも辞めます。

で、2度と音楽なんてやらないです。


過去、1人で家で音楽を作っていた時期がありました。

自分が聴いて、それが楽しければそれでいいと思っていた頃もありました。

でもぼくは、これは単に性分なんでしょうけど、自分が良いと思ったら誰かに伝えたいってめちゃくちゃ強く思う人です。

だから、映画でも食べ物でも音楽でも何でも、自分が良いと思ったものを誰かに伝えずにいられないし、それがより多くの人に届いて、誰かしらの何かしらのプラスになって欲しいと思ってます。


ぼくは隼人を、シェハーンを、ルシファー様を、本当に超かっこいいと思っているし、その集合体であるTHE NOSTRADAMNZが「良い!!!!」と思うことを伝えたい。


で、このあたりがまた誤解を生むんでしょうけど、その結果「良くない」と判断されたら、それは普通に仕方ないと思います。

ただ、誰かが我々に下した判断がマイナス評価だったとしても、それを悪いとかダメだとかは一切思わないです。


よく「わからないならファン失格ですか」的なお声を、多々様々にお伺いすることがあるのだけれど、そもそも「ファンでいること」に必要な資格なんて無くないですか?誰々のファンでいるための国家資格とかあります?

無いんですよ。

運転とか宅建取引とか医師とか弁護とかとは違うんですよ。

なんなら「ザ ノストラダムス」という名前だけのファンが居たっていいんですよ。メンバーの名前も知らないけど街でみかけたすっぴんが好き、とかでもいいんですよ。

逆に、歌もベースも聴いたことないけどルシファー様666才とか自分で言ってるのダッセェ死ね、と思うのも自由です。


そんなに、我々は理解し合ってないと共に生きられないんですかね?

憎み合い殺し合うしかないんですかね?

少なくともぼくは、理解させられてるとは思ってないし、理解できてるとも思ってません。 

キミに罪はないし、キミはぼくを知らないし、ぼくもキミを知らないのです。

でも、それって悪ですかね?

そういう事実がただそこにあって、認識を繰り返すだけのことであって、それに善悪は無いと思います。


それに、そういうことを完全に言語化できるとも思ってません。

いくら誤解が嫌いでも、全く無くすことは絶対不可能だとも思っています。


じゃあどうするかって、只々ひたすらに、己のできる限りを尽くすだけです。

それは誰のためでもなく、最終的には自分のためです。

「あなたのためにやったのに」などという責任転嫁を、ぼくはしません。

やって及ばなければ、自分が及ばなかったという結果が残るだけです。


もし、「じゃあそのただひたすらに尽くした結果、及ぶか及ばないかを見てやろうかなニヤニヤ」と思って頂けるなら、チャンスを頂けるなら、そんなにありがたいことはありません。


それこそ、こんなこといちいち書くのダセエと思うなら、ぼくはそれで構いません。

ぼくはぼくでしかなくて、ぼく以外にはなれない。

出来る限りの時間内で、出来る限りの語彙を尽くしました。


誰かには、何かが少し伝わってほしいと願っているし、もしも、もしも伝わったのなら、是非とも会いに来てください。

お伝えした日時に、お伝えした場所のステージに立ってたさかす。


これはヘタクソな宣伝でもなければ、愚痴でも開き直りでもない。

己が招く結果に対する覚悟の話だ。


◼️CHAQLA.の話

2日目、ぼくらの前に出ていたバンドさんです。

結成発表時から、あーヤバい方々出てきた、と思って、その後も音源ファンをやっておりました。

かと言って同業他社だと思っているので言及はしなかったんですが、実際のステージまで観て、もう完膚なきまでに叩きのめされましたね。

めっっっちゃくちゃかっこいいです。大好き。

で、ぼくが言及せずとも彼らはこれからも更にかっこよくなっていくでしょうし、なんならぼくが言及することがマイナスにならないか心配ですらあるんだけれど、それでも是非是非未体験の方は、音源はもちろん、特にライブを観てみてほしいです。


で、彼らの登場が、ぼくの中ではV系というカルチャーの中でもかなり革新的であり、且つカルチャーの核心でもあるのでは??否、そうに違いない!という歴史を踏まえた見解すらもっていて、これは語らずにいられないと思うのでツイキャスであーだこーだしようと思ったのですが、とりとめがなくなるのでブログでまた書きます。

近いうちに必ずな。


よろしくお願いします。