【勝手にシリーズ】奇跡再来か?CHAQLA.徹底解説! | 君を殺しても

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THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、真夜中のルシファーです。

本日は、先日名古屋でご一緒したCHAQLA.があまりにもかっこよかったので、音楽ファンの目線から、僭越ながらガチのマジで勝手に分析解説させていただきます。
あくまでバンドマンというよりファン目線なので、誰かしらが何かしら嫌だったらすみません。

だってもさ!誰も傷つけずに生きることなんかできねえんだってば!だったら!大人に見つかって怒られる前に書いとく!

ガチで考えて書くのでよろしくお願いします。


■ キミは「CHAQLA.」というバンドを知っているか?



2023年結成、Vo.ANNIE Aさん、Gt.のあかさん、Gt.kaiさん、Ba.鷹乃助さん、Dr.Bikkyさんによる5人組のV系バンドです。
これを書いている時点で結成して1年ちょっとというところですが、既にバージョンやリリース形態違いも含めると8タイトルもリリースしています。
まずは聴いていただき、もしピンと来たらライブに足を運んでいただけたら幸いです。


ちなみにぼくを完全にノックアウトしたのは、こちらのシングル「SINK SPIDER」でした。

その他、詳細は是非検索してみてください。WEBサイトもWikipediaもSNSもあるので、何より一次情報をご確認いただけたら。
良いコンテンツというのは、問答無用でコンテンツそのものが素晴らしいものですから、まずは直接触れてみるのが一番です。

ぼく自身、まず聴いて「良い!!!!」と感じ、ライブを見てさらに「本当に良い!!!!」と思ったので、なぜCHAQLA.がそれほどまでに素晴らしいコンテンツなのか、自分のために、自分なりに分析してみたいと思った次第です。
そして、もしこの文章によって、彼らに出会わなかった方が、彼らを知るきっかけになれたら、大変嬉しく思います。

■ 「V系」のトレンドとCHAQLA.

近年のV系のトレンドとしては、「メタルコア」と呼ばれる音楽性にルーツを持つバンドが多い印象です。
諸説ありますが、ハードロックからブラックサバスやジューダスプリーストを経て進化した伝統的なヘヴィメタルと、パンクの派生形であるハードコア、その両方の要素がミックスされた音楽だと解釈しておけば、大きくは外れていないかと思います。

V系が冬の時代と言われていた2000年代後半、ロックミュージック全体としては「エモ」という大きな動きがありました。派生として「スクリーモ」と呼ばれる動きもあり、エモ/スクリーモとまとめて語られることも多かったように思います。当時の言葉で言うなら、叙情系〇〇や激情系〇〇と形容されていたものとほぼ同義なのではないかと考えています。
そして、2010年代に入るとスクリーモの流れからまた新たなサウンドが登場したように感じました。個人的な印象ですが、国内ではFear,and Loathing in Las Vegas、海外ではBring Me The Horizonの登場が、シーンの流れを大きく変えたように思います。




当時、ぼくは特にFear,and Loathing in Las Vegasが(おそらく同世代で当時)若手日本人バンドだったことに衝撃を受けました。なんせ、それまで聴いたことのないサウンドだったから。中田ヤスタカさんがJPOPシーンにいわゆるケロケロボイスとEDMサウンドを大胆に広めた印象があって、ぼくは元々daftpunkが好きだった流れもあってこの頃特にcapsuleをよく聴いていましたが、同時にメタルやハードコアも好きだったので、この組み合わせとバランス感覚に衝撃を受けたのです。

そして、だんだんとこの流れがV系シーンにも自然と持ち込まれ、反映されてきいます。
つまりは「派手な同期モノ」「デス/ガテラル/グロウルボイス」「メタルコアサウンド」といった要素です。
そもそもの下地として、DIR EN GREYの存在もかなり大きいと考えています。



彼らが「鬼葬」を転換点として、「VULGER」以降、エクストリームミュージックの日本代表格になっていった影響がそもそもあった上に、Fear,and〜やBring me〜の方法論が取り入れられていって今に至る、という歴史認識です。

ぼく自身も、いわゆるメタルコアやデスコアと呼ばれる音楽は好きですし、よく聴きます。
しかしながら、良し悪しや個人の好みは別として、ことV系シーンにおいては、この流れを汲むバンドが現在まででかなり飽和状態になりつつあるのではないかと思っています。中には、元々はメタルやハードコアシーンで活動していたバンドが、化粧をしてV系シーンに進出するケースも珍しくなくなりました。

「シーンの飽和」と聞いて思い出すのは、1990年代にLUNA SEA風のバンドが大量発生して飽和状態に陥っていたことです。当時から、ハードロックやメタルのシーンで活動していたバンドが、事務所の意向で売れるためにV系に寄せたパッケージングで活動するという、ある種ステレオタイプな現象がありました。そういったバンドは「魂を売った」と揶揄されることもありました。現在ではそういった風潮も薄れ、ある意味では、ロック界の被差別民であったV系の勝利と言えるかもしれません。

しかし、「LUNA SEA風バンド」と「メタルコア」には、大きな違いがあります。それは、前者が音楽性のみを表す言葉ではないという点です。「メタルコア」はV系以外のバンドにも演奏できますが、「LUNA SEA風」のバンドはV系以外では成立しないのです。(例えば、凛として時雨は楽曲やフレーズにLUNA SEA的な要素を感じさせますが、「LUNA SEA風バンド」ではありませんよね。)同じ「シーンの飽和」でも、そこには決定的な違いがあると言えるでしょう。

それでいうと、そう遠くない未来に「CHAQLA.風」と形容されるバンドが複数出てくる状況が発生するのではないかと、ぼくは思っています。

誤解を恐れずに言えば、CHAQLA.というコンテンツは、V系シーンにおいて「LUNA SEAの再来」になり得る可能性を秘めているとぼくは考えています。

そう考える根拠として、以下の5つが挙げられます。

①イメージとキーワードの構造

②元ネタ配分の絶妙なバランス

③それを表現できる力量をメンバー全員が備えている

④5人が音を重ねたときのタイトさ

⑤それらが「彼らにしかできない」というオリジナリティに高い次元で結実している

ここだけは絶対誤解されたくないのですが、ぼくは決して「古臭い」とか「LUNA SEAっぽい」とか言いたいのではありません。
彼らが「あの奇跡に匹敵するほどのポテンシャルを秘めている」ということをお伝えしたいのです。

◼️ イメージとキーワードの構造

LUNA SEAのイメージコンセプトを敢えてキーワードで表すと、「ゴス」「ハードコアパンク」「モダンアート」の3つが軸になっているとぼくは考えます。特に初期の「LUNACY」名義で活動していた頃は、CRASSやDISCHARGEに代表される、今で言うCRUST系の影響を感じさせるアートワークでした。これは当時のゴス(ポジパン)やアメリカのMISFITSにも共通する美意識であり、並べてみると興味深いものがあります。


↑LUNACY

↑クラストコアの祖 DISCHARGE

↑ゴス/ポジパンの中でもパンク気質なAlien sex fiend


V系はジャパメタの派生と言われることもありますが、ぼくはV系の源流はメタル/ハードロックではなく、パンク/ハードコアにあると考えています。LUNA SEAは特に、音楽性の面ではハードコアパンクを土台として、そこにNEW WAVE/ゴスを経由したファンクの要素を加えたギターワーク、そして日本人の心に響く歌謡曲的なメロディーが乗っている構造だと分析しています。初期の段階からアートワークにおいても、彼らの音楽性と世界観が見事に表現されていることが伺えます。
もう一つ重要なのは、「ゴス」というキーワードの中に「オカルト」の要素が含まれていることです。V系以前のバンド、例えばGASTUNKやDEAD END、BOØWYやDER ZIBETなども同様のキーワードを持っていましたが、LUNA SEAは「美と恐怖の融合」を完璧なまでに成立させたという点で、革新的でした。もちろん、BUCK-TICK、X、デランジェなども共通点を持つバンドですが、「完全な融合」という点において、LUNA SEAはターニングポイントだったと言えるでしょう。
また、時代が下るにつれて、彼らのジャケット写真やステージセット、フライヤーのデザインには「モダンアート」を感じさせるものが多くなっていき、「パンク」という本来カウンターカルチャーであるものが、芸術というハイカルチャーに食い込んでいく様を彷彿とさせます。



↑モダンアートってこんなんのイメージ



↑ LUNA SEAのジャケ


実際、ゴスやハードコアパンクをルーツに持ちながら、彼らはテレビに出演し、小室ファミリーやビーイング系アーティストと肩を並べてヒット曲を連発していました。まさに、カウンターカルチャーがメインストリームに躍り出ていった現象だったと言えるでしょう。これが、LUNA SEAというバンドのイメージだとぼくは考えています。

一方、CHAQLA.のイメージをぼくなりにキーワードで表すと、「アジア」「ニューメタル」「ハイパーポップ」という言葉が浮かびます。「チャクラ」とは、インドのサンスクリット語で「車輪」「回る」という意味で、人体の背骨に沿って存在するとされる7つのエネルギーセンターのことだそうです。ヨガやアーユルヴェーダで使われる用語です。この時点で既に「アジア」が表明されているわけですが、アーティスト写真やその背景、アートワークにも、鳥居や漢字、合掌など、東洋のオカルトを想起させるモチーフが散りばめられています。ぼく個人としては、“台湾ホラー”映画の「呪詛」や、X初期のhideさんが持っていたアジア×アヴァンギャルドなイメージを連想します。





音楽的には、「ニューメタル」の要素を取り入れた楽曲が多い印象です。KORNやレイジアゲインストザマシーンを始祖とし、Limp BizkitやLINKIN PARKが牽引した、HIPHOP的なノリのビートにディストーションギターを効かせたヘヴィなリフ、そこにラップを交えたボーカルが乗るスタイルです。ぼくらの世代ではモダン・ヘヴィとかミクスチャーロックと呼ばれていた音楽性ですが、彼らはさらに時代を経てアップデートされた「ニューメタル」の雰囲気を纏っています。
そして、ニューメタルを起源の一つとした「ハイパーポップ」と呼ばれるジャンルというかムーブメントがありますが、個人的にはハイパーポップはジャンルというよりは方法論であり、なんなら「令和感」という言葉で表現できるのではないかと考えています。つまり、音楽的にこうであると定義するものではなく、ニューメタル、エモ、HIPHOP、TRAP、Chillwave、Vaporwaveなどを、音楽だけでなく、ノリや言葉遣い、アートワーク、ファッションも含めて、2020年代≒令和特有の感覚でミックスし、最終的にポップなかたちでアウトプットする手法のことだと思います。
ちなみにぼく自身、THE NOSTRADAMNZで「REVESURRECTION」を制作していた頃、ハイパーポップのエッセンスを取り入れようとしたことがありました。しかし、それは不可能でした。なぜなら、ハイパーポップは「世代の感覚」であり、ぼくの世代は持ち合わせていない感覚に根差したものだからです。無いものは出せません。(その代わり、ぼくの世代にしかないものも確かに存在しますが、それはまた別のお話です。)
しかし、彼らにはその感覚が備わっている。
それらが、CHAQLA.からぼくが感じるイメージです。

両者を分解して比べてみると、「ゴス」も「アジア」も「地域文化に根差したオカルティックなイメージ」であり、「ハードコアパンク」も「ニューメタル」も「攻撃的なエクストリームミュージック」であり、「モダンアート」も「ハイパーポップ」も「時代をどのように解釈し、向き合っていくか」という姿勢を表しているものと言えるでしょう。つまり、味付けは全く異なるものの、構造は相似関係あるとも言えるのではないでしょうか。

■ 元ネタ配分の絶妙なバランス

これはLUNA SEAとCHAQLA.の両方に共通して言えることですが、どちらも「わかる人にはわかる」という絶妙なバランスで先に挙げた元ネタが配分されています。
それでいて、元ネタを知らない人にも響くように作られており、その「響く部分」こそが、単なるパロディーではないオリジナリティなのです。
例えば、「メロディー」や「リフ」といった楽曲の核となる部分は、一部のパロディーフレーズを除いて、基本的にはオリジナルです。LUNA SEAもCHAQLA.も、エクストリームミュージックにルーツを持ちながら、「ポップス」としても成立している点は特筆すべきでしょう。
両者とも、仮にギター1本で演奏したとしても、「良い曲だな」と思わせるだけの、そもそもの楽曲の良さがあります。

■ メンバーの力量

「メンバー全員が高い演奏技術を持っている」という点も共通しています。音を鳴らした瞬間に「うわ、上手い」とわかるレベルの高さです。
特にリズム隊の技術力の高さは、ことライブにおいて非常に重要な要素だとぼくは考えていますが、CHAQLA.はドラムとベースがまず非常にしっかりと屋台骨を支えているような印象を受けました。
Bikkyさんは、V系ではなかなかお目にかかれない「HIPHOP的なグルーヴ」をちゃんと出しているドラマーだと感じました。例えば、古くはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムのように、大小の三連符の存在を奥に感じるようなグルーヴを生み出しています。簡単に言えば、ドラムだけを聴いていても体が自然とノッてしまうような、そんなリズムを叩き出すドラマーは、特にV系のシーンだとそうそういません。メタルコア系全盛期にある今は特に、手数やスピードに価値の重きが置かれているバンドのほうが多数派です。
さらに、ドラムがしっかりとグルーヴを生み出していても、ベースがそれを邪魔してしまうケースが少なくないのですが、CHAQLA.はドラムとベースが絶妙に支え合っている印象を受けました。鷹乃助さんのベースラインは、ロックの文脈で考えるとかなり独特な動きをしていると感じますし、それとシームレスにシンセまで弾いてしまうとは驚きでした。そして、それらが楽曲の中でしっかりと役割を果たしながら、時には飛び道具としても機能している。これはなかなかできることではありません。
このような強固な土台の上でも、ギターが素っ頓狂なプレイをしてしまったり、ボーカルが弱かったり音痴だったりしたら台無しになってしまいます。
しかし、のあかさんもkaiさんもそれぞれめちゃくちゃ上手いですし、ANNIE Aさんのボーカルも正確で力強い。しかも、ANNIE Aさんはラップまで上手いんです。ラッパーとして活動してもやっていけるんじゃないかと思えるほど、かっこいいです。

■ 5人が音を重ねたときのタイトさ

上記の「メンバーの力量」と地続きになる話ですが、演奏における「タイトさ」とは、「休符」にこそ現れるとぼくは考えています。
演奏を合わせようとする時、どうしても「音を出すタイミングを合わせる」ことに意識が向きがちです(THE NOSTRADAMNZはそもそもそういう意識すら無いと言えますが)。
しかし、本当に重要なのは「音が鳴っていないタイミングを合わせる」ことなのです。こちらのほうが遥かに難しいですが、その効果は絶大です。
よく「緩急をつけろ」と安易に言う人がいますが、「緩急」はすなわち休符の取り方によって決まると思っています。演奏者の間では、これを「縦の線」とか呼んだりしますが、CHAQLA.は縦の線が非常にタイトなバンドだと思います。生演奏を聴いていて「ハッとする瞬間」は、音楽的にはそういった部分から生まれてくるのだとぼくは感じています。
さらに、この「縦の線」、つまり休符を効果的に使ってしっかり合わせることは、人数が増えるほど難しくなるものでもあります。5人組のバンドで、ここまでのタイトさを感じさせてくれるバンドは滅多にいません。
しかも、CHAQLA.は音の情報量自体は多い音楽性なので、それを実現するのは至難の業です。
メンバー同士がお互いを信頼し、何度も何度も合わせていかなければ、あのようなパフォーマンスをしながらタイトさを保つことは不可能でしょう。

■ それらが「彼らにしかできない」というオリジナリティに高い次元で結実している

ここまで長々と語ってきましたが、結局のところ、CHAQLA.の魅力は「彼らにしか出せないオリジナリティ」に集約されます。それは楽曲や演奏面だけではなく、5人がステージに並んだときのアイコンタクトやバイブス、キャラクター同士のアンサンブルが確かにあります。そして、それは実際に観て、聴いて判断していただくしかありません。ぼくは特にここが、いわゆる「箱推し」をしたくなる最大のポイントでした。
LUNA SEAと比較する形で論を進めてきましたが、彼らが「誰かのジェネリックではなく、紛れもないオリジナルである」という点に異論を唱える人はいないでしょう。
そして、ぼくはそこにこそ、「V系」というシーンが本来持っていた芯の部分を感じずにはいられないのです。本来は、パンクでもメタルでもゴスでもなかった先人たちが、新しい価値観を創出し、それが道になり、今に至った結果が昨今のシーンです。
しかし、「V系」という一つのムーブメントとして確立されていく過程で、「ジェネリックLUNA SEA」「ジェネリックDir en grey」「ジェネリックGazette」といったバンドが多々生まれては消え、「誰かのジェネリックではなく、オリジナルでありたい」という価値観は薄れていってしまったように思います。
もちろん、これはV系に限った話ではなく、どんなムーブメントにも起こり得ることです。パンクでもヒップホップでもハードコアでも、映画でもファッションでも飲食店でも起こり得ます。そして、それはある意味「世界に受け入れられた」という証拠でもあり、本来目指すべき結果であるとも言えるので、非常に難しい問題です。
しかし、CHAQLA.は、彼ら自身が意識しているかどうかはわかりませんが、「V系だからこそ俺たちはオリジナルである」という気概を持った上での表現をしているように感じます。そして、それはぼくにとって非常に喜ばしいことであり、本当にかっこいいと思います。V系は未だカウンターカルチャーであり、むしろ様々なカウンターカルチャーの集合体であり、最新型なのだと、彼らは体現してくれているように思えるのです。

■ おわりに(CHAQLA.にピンときた方へのオススメ)

完全にぼくの趣味になってしまいますが、併せて聴いてみると面白い発見があるかもしれません。

・Zilch



絶対好きでしょこれ。
「SINK SPIDER」というタイトルを聞いて、我々世代はピンと来るものがあると思いますが、hideさんのプロジェクト「Zilch」は、日本でいち早く「ニューメタル」の領域に足を踏み入れていました。「V系とニューメタル」という接点において、これ以上のものはないと言えるでしょう。
もちろんhide名義の「Ja,zoo」も併せてチェックをお願いします。

・4s4ki



「ハイパーポップ」と「平成レトロ」は、Vaporwaveを介して地続きになっていると考えていますが、デビュー当時からハイパーポップの旗手として活躍する4s4kiさんもまた、「アジアとオカルト」の要素を強く感じさせます。
普通の女の子の中に、正と負のエネルギがぎゅうぎゅうに混在する状態、すなわち(日本神道的な)神性を感じさせて、まさに巫女の如し。
ゴスやV系、ウィッチハウスはどちらかと言うと「悪魔と魔女と吸血鬼」といった西洋的な世界観を持つのに対し、CHAQLA.や4s4kiは「呪詛と経文と物の怪」といった東洋的なエッセンスの世界観を持っている点が興味深いです。あとは、新興宗教や都市伝説の文脈や雰囲気も感じさせます。これはおそらく、オウム真理教事件などをリアルタイムでは経由していない世代だからこその感性なのかもしれません。

・(sic)boy



「エモ」「ラウドロック」「ヒップホップ」を独自のバランスでポップに昇華させている点で、CHAQLA.とは収斂進化的な関係にあると言えるかもしれません。(sic)boyさんは、hydeさんがルーツなんだそうですが、シーンとしてのV系にいるわけではなく、ぼく自身、特に初期はラッパーとして認識していました。
ANNIE Aさんは逆に、服装などを見る限り根っからのパンクスですが、様々な好きを実現しようとする中で、結果的にV系シーンで活動している、といった印象を受けます。

・LEX



とんでもない国際感覚を持った、今をときめくラッパーですが、このブログを読んでいる方にはあまり馴染みがないかもしれませんので、この機会にぜひチェックしてみてください。この曲は明らかにNIRVANAを意識したトラックですが、ヒップホップアーティストの楽曲だと(特にオッサンオバサン方は)すぐには理解できないかもしれません。このような、ジャンルを超越した感覚やスタンスは、CHAQLA.にも通ずるものを感じます。

(あんま関係ないけど新作のこちらめっちゃ好き。)↓


・DJ CHARI



先ほど紹介した(sic)boyさんやLEXさんも楽曲に参加していますが、ぼくがイメージする「令和感」というものを決定づけたのは、DJ CHARIさん周辺なのではないかと思います。現代社会に失望しながらも、希望を見つけ出そうともがく姿を、キッチュなユーモアで覆い隠しているようでいて、実は逆説的に浮き彫りにしている点が、非常に「令和らしい」と感じます。ぼくはその危うさに惹かれます。

・KjとJESSE




ぼくは「ニューメタル」ではなく「ミクスチャーロック」と呼んでしまう世代なのですが、この手の音楽を日本で広めたのは、紛れもなくDragon AshとRIZEです。そのフロントマンであるこの2人は、もはやウルトラマンと仮面ライダー、ガンダムとマクロス、ジャンプとマガジン、コロコロとボンボン、りぼんとなかよし、UFOと一平ちゃん、つまり2大巨頭なわけです。
そんな彼らが、長年あった溝をのりこえ、今ここに来て同名曲で互いのバンドにフィーチャリングで参加し、ツーマンツアーを行うというイベントが発生しています。
これはあくまでぼくの推測ですが、若手世代がハイパーポップや平成レトロといったムーブメントの中で、ロックやヒップホップの感覚を縦横無尽に跨ぎ合った結果、その源流である「ミクスチャーロック」が再評価されているのではないかと考えています。BADHOPとRIZEのコラボも記憶に新しいです。
かつて、Kjがキングギドラにdisられた事件や、「エモ」の登場によって、「ミクスチャーロック」は一度終焉を迎えた感がありました。
Dragon Ashもラップをやめてラテン音楽を取り入れたり、The BONEZもミクスチャーの空気感はありつつも、どちらかというとSUM41やNAMBA69に近い、「ヘヴィー/ラウドロックを経由したメロディックパンク」という印象でした。
しかし、ここに来てこのような動きが出てきたということは、まさに「ミクスチャー」「ニューメタル」「モダンヘヴィー」の復活/復権の兆候と言えるのではないでしょうか。
CHAQLA.にはぜひ、その波に乗り、「ヴィジュアル系なめんなよ」と、陽キャたちに言ってやってくれよ。たのむよ。

以上でございます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。