今夜は一人でお疲れさまの静かな夜を過ごしています。


基本的に夫も子どもも9時には寝てしまうので、夜は静かなんですが(笑)金曜日はやっぱり何となく自分のなかにあるものを整理したくてこうしてBlogを書いているわけです。

今日のSHANTI HOUSE もとても楽しくて、皆さんがくつろいで優しい顔で笑っているのを見ているだけで私はとっても満たされるのでした。。

そしてヨガの忘年会やSHANTI HOUSE のおでん忘年会なども計画しつつ(笑)でも2014年の二度と来ない一日一日を最後まで味わって今に心を置き続けて生きようと思う次第です。



このBlogをアップすると、Facebookではいつもいいね、やコメントを頂いてとても嬉しく、Blogだけではわからない反響があることに救われたり、沢山優しさをもらっています。

でもきっとBlogでは目には見えないけれど読んで下さる方がいるのだろうなぁ、私の想いに寄り添って下さる方がいるのだろうなぁと思うと、目に見えることだけにとらわれ過ぎないように、と思ったりします。

目に見えないものの方がずっと大きい、と時々書いていますが、見える世界に生きている私は時々忘れそうになることもあります。



私が家族の中の母という役割を生きていること。

湘南に住んでいること。

SHANTI HOUSE をやっていること。

それだって「わたし」のほんのほんの一部分。


私は宇宙の中の一粒の光。どれだけ大きなものと一体となっているのかもわからないくらい広い世界に生きている。

何もかも全て自分で選んでいるからここにいるのだ。

そんなことを思うと、日常の悩みは本当に消えてなくなる。

この見えている範囲の日常の中で、こなさななければいけないと思い込んでいる時間と役割はなんなんだろうな~と思ったりする。


でも、だから目に見えることが大切ではないかというと全くそんなことはなくて。

身体を持ち、足で歩いて、手で創り出し、心で感じて、命を経験するために今を生きている。

だからどの瞬間をとっても必要なことが起きていて・・そうやって私はわたしを生きていることを知るのだから。


人はみんな生きたいと思うから生まれてくる。それを思い出せずに生きている人もいると思うけれど・・。または強く願うからこそ、命を捨ててしまうこともあるのかもしれないけれど・・。

私の中にずっとある無価値観、生きていても仕方ないという思いは、やっぱり私が本当のわたしを生きたいと強く願うからこその反作用なのだと思う。




ふと気付けば「生きる」ということのBlogばかりを書いていた今月。

私のテーマだったのだなぁと思います。



自分のために紡ぐ言葉たちがほんの少しでも読んで下さる方の中に響いてくれるといいなぁと、やっぱりこれも自分のためですが(笑)そんなことを想いながら。

最後に、生きるシリーズの中の一番世界に届けたい記事を再掲します。


生きる意味リンクはこちら★

私がこの命を通して一生かけて伝えていきたいことです。来年本にもなる予定ですが、一人でも多くの方に届きますように。



今日の湘南は数日振りの青空。

朝起きてカーテンを開けると雨に洗われた澄んだ空が広がっていました。

何とも言えず、心が躍る感じ。

まずはちょっとさぼっていた掃除をしっかりとして、家の中だけでなく自分の内側も整える時間。

余分な物を整理して、溜まっている埃をはらい、普段届かない所も椅子に乗って拭き掃除、そうしているうちに本当に心が整ってくる。

そして準備ができたら海へ!

いつもは娘と二人で行くヨットハーバーのお散歩だけど、今日はお友達と合流して楽しい時間。

子どもとの時間を過ごして、帰りの車で寝てくれた娘をお布団に下ろしたら、私にとっては同じくらい大切な一人の時間。

書き物をしたり、こうしてBlogを書いたり。

子どもにどう育って欲しいか、よりももっと大事なことは、私がどうありたいか。

短くても一人の時間も持つことは、私がわたしらしくいられるための必要不可欠なチャージの時間だから、母としての仕事というくらいに大切、笑。


母親なのに、子どもより自分が大事なのはもってのほか・・なんてどっかでずっと思っていた。

それを意識するよりも前に、自然と自分は後回しに、本当のわたしにはいつも我慢させるのがいつしか習慣になり。

一人になりたいけれど、やらなくてはいけないことがあるから・・。

ゆるーくのんびりしていたいけど、子どもにさせなくてはいけないことがあるから・・。

そして自分にしているぶんだけ、子どもにも我慢させるし、アルベキを押し付けてしまう。

子どもが自由にしていると腹が立って、訳もなく冷たくしたりしてしまう。


自分に我慢させて、自分を大切に扱っていない時、私はどんなかと言うと・・

固まってしまい上手く笑えず作り笑いで、イライラしていて怒りが湧いてくるのにそんな自分が嫌になり勝手に落ち込む、もはや自分でもニュートラルな自分への戻し方がわからない・・そんな感じだと思います、苦笑。


そうなっちゃうのも当たり前のことだったんだなぁとやっと気付けた今。

私がわたしらしく輝いていないのに、無理して自分を大切にもせずデキル母親を演じてる、というのは本当に自分のエゴでしかなかったわけです。

結局、私をグルグルさせるのは、私が親としてちゃんとしていないと認められないのではないか、という恐れ。

それから根拠のない、子どもを自由にさせたら大変なことになる、という恐れも。

子どもは躾けて初めて一人前になり、何もわかっていない動物的状態から教育をうけてまともな人間になる、という一般的な常識に対して、私は疑問を持っています。

子どもは生まれたその時から一つの確立した人格を持っていて、大人と同等のとても尊い存在で、一人の人間としての全ての素質を備えた状態で生まれてくる、と子ども達に教えてもらったからです。

だから私は子どものことを根本的に信じているし、敬意を持って見ています。


それなのに、今でもまだまだ、アルベキに振り回されてグルグルなっていることもある。


全ては自分の問題なのですね。

私がどうありたいか、私はやっぱり笑っていたい、緩んだ暖かい自由な空気の中で子どもと笑い合っていたい。

家庭もそんな場所でありたい。

恐れを手放す時、今を生きることができ、その時には私が親としてアルベキ姿もなくなるんだと思います。

握った手の平を開いたりまた握ったりを繰り返しながら、気付けば手の中には何もない、そんな風でもいいのかもしれない。

私はただわたしとして子どものできないところを補い、楽しんで生きる姿を見せ、家族の中に生まれてくる新しい瞬間を共に味わっていきたい。

運転しながら帰る道でそんなことを考えていたら息子の笑顔が浮かんできて、何故だか涙が溢れてきて。

アルベキはいらない、ただただ私は子ども達がかわいくて仕方ないんだなぁ、そんなことを思いながら・・。


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全てのことは今ここにある。

これは私がこれまでの人生を通して知ったことでもあり、人生を根本的に支えている真実だと思っています。

私は今を生きています。

過去を生きることも、未来を生きることもできません。

それなのに気付けば、巻き戻し再生、早送り再生、していることがあります。

いつかの時間に自分を迷い込ませて仮想の現実を生きている。

私の場合、この仮想現実を生きてしまう癖がとても酷かったと思います。

今を生きたいと願い、もがいて苦しんで、また過去と未来を彷徨ってしまう。

今の自分をありのままに愛することができなかったから。いつももっと完璧にならなければ愛されないと思っていたから。


過去は記憶の中にあるだけで、実際には触ることも取り戻すこともできません。

もちろん過去は実際にあったことだけど、そこに生きていた私を記憶の中で再生する時、必ず今の私の心を反映しながらしか、観ることができないのです。

今の私が満ち足りて喜んでいる時には、過去の出来事にも喜びを探すことができるし、今の私が人生のどん底にいて恨みに満ちていれば、過去の私も出来事も悲しみと恨みの中を生きているように観えます。

過去が~だから今の私が~なのではなくて、今の私が~だから過去も~、ということですね。


誰にでも過去の中に癒し切れていない傷や、ずっと引きずっている思考の癖があると思います。

私にももちろんあって、小さい頃家族がとても大好きで大切だった私は、その自分の居場所を守りたいと強く思っていたような気がします。

そしてその居場所を守るためには、自分が家族の役に立ち、理想に叶った子どもであることが条件だと思っていました。

だから自分の気持ちは後回しにしても家族を優先して、家族が幸せであるように行動しようとしました。

ただ家族が大好きで大切だったから。それだけの理由でした。




私はそんな幼い頃の経験から、私の中にいるのはただいつも寂しくて、愛を求めている、不安で仕方ない、それでも愛そうともがいている、そんな子だと思っていました。

でも、今私は様々な新しい経験を経て、これまで育ててくれた家族や、出会えた全ての大切な人たちに与えてもらった沢山の愛の中で生きてきたことを素直に感じられるようになりました。

居場所はいつもあったし、私はいつもありのままでいることができた。

ただ失うことを恐れていただけだった。

本当はいつもそこには愛があったのです。


今の私が見る過去の私は・・・

かなりストイックで完璧主義です。

信じることをなんとしてもやり遂げる強い意志があります。

自分を捧げてでも、想いを遂げたいという深い祈りがあります。

そしてその子の中には人に対する揺るぎない愛が溢れています。



この過去の私と今の私に流れるものが同じだったことを改めて感じています。

今こんな風にどの時の自分も大切な存在だと愛を持って認めることができるようになるまで、苦しい時間も多くありました。

でも、私はこの一生を通して今を生きることしかできません。

そして今の私が変われば、過去も未来も同時に変わることができると知りました。

今の私をありのままに愛そうと決めてから、自分の内側がどんどんシンプルになっていく度に、絡まった糸が解けていく度に、自分の人生と私の中にあるのはただ愛だけだなぁと感じるようになりました。


必要なことが起こり生きている意味を知り、今の私がいる。


今ここを生きている私を愛する、ただそれだけで、人生は変わり始めます。

愛することは私を知ること。生きることは私を知ること。

生きているだけで愛なのだと感じています。


これからも彷徨ってしまうことはあるかもしれない。

でもどんな時も今ここに立っていること、今ここに全てがあることを忘れずにいようと思っています。




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今ママのためのヨガは毎回来て下さる生徒さんが多いので、まるで部活のようです、笑。

みなさんがどんどん上達してきて、ご自分らしいスタイルでヨガに集中して取り組んでいる様子に私も刺激を受けています。

私の方はいろいろと思うところがあり講師になるのはやめたのですが、ヨガは一生の友達として続けていくつもりです。

そうなると、毎日2時間近くも取り組んでいたのを続けることまではやらないので、頻度が下がり、クラスで関節とか筋とかピキッとなりますね・・苦笑。

でも不思議なもので身体の芯にしっかりとヨガスピリットが染み込んでいるようで、1回のクラスでもとても濃く身体と魂に沁みていくのがわかります。

ヨガをする度にもらえる充足感と、BODY MIND SPIRIT この3つの足並みが揃う感覚。

自分に帰り、自分を受け入れ、自分を癒していく。自分を生きることを教えてくれるヨガ。

私にとってなくてはならないものです。


ということで?!SHANTI HOUSE ヨガ部の忘年会を開催したいと思いま~す!

今までヨガに参加された方ならどなたでも大丈夫なので、お気軽にご参加下さい。

そして、その日初めてヨガに参加される新入部員方も大歓迎です(笑)ほんとに楽しくて満たされる時間ですので、どうぞお気軽にご参加下さいね♡

通常通りのヨガの時間の後、ランチしながら、プロジェクターでまりさんおすすめのDVDを観たりしながら楽しい時間を過ごしたいと思います。

昼間っから・・も、もちろん。忘年会ですもの~笑。

特に参加費はないのですが、お好きなアルコールなどの飲み物とお料理1品持ち寄りです。

お料理は何でもOKで、買ってきても大丈夫です。


ヨガのこと、人生のこと、いろいろ語り合いながら、心も身体も緩めて、2014年この1年間の毎日を生きてくれた自分にご褒美あげましょう~♡

ご参加お待ちしています。

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ヨガ部忘年会♡

日時 12月5日(金)
日程変更になりました!12月12日 10時30分~ まりさんのママのためのヨガ&忘年会
参加費 ヨガ 1500円 忘年会 繋がる料金300円のみ+お好きな飲み物とランチ一品持ち寄り

ご予約は下記アドレスまで★
◎◎◎ shantihouse33@gmail.com ◎◎◎





文章を書くのが好きです。

子どもの頃からノートに色々と書き溜めてたりしていました。

読み返してみると小さい頃から見ていたビジョンは今と同じで、愛に生きることがずっと綴られていました。

そういえば中学生の時に同級生の男の子から、「~さんはこんなに人に愛を渡しているからきっと自分に返ってきて幸せになるよ」と言われたことを思い出します。そんな素敵な台詞を言えた彼こそ愛の人ですね・・。


文章を書いている時は、書いているという作業と矛盾するようですが、意外と頭は使っていなくて感覚に合わせて手を動かしているという感じです。

だから自分の中にあることを整理したい時も、想いを伝えたい時も文章を書きます。

今年に入り、本当にいろいろとめまぐるしい変化がありました。

毎日、毎日、自分が新しく生まれ変わるように、ステージが少しずつ変化していきました。

それも全て書いて記録してきました。


前回の記事に書きましたが、優大と初めて耳では聞こえない言葉を通して話した時から、私の中で魂との対話が始まりました。

自分自身の魂の声を聞くのにも書くことが役立ちます。

自分で書いているけれど思考のスイッチは切っているので自分でも驚くようなことも書いていて不思議な感覚です。



私は子どもの頃からこの宇宙のこと、命のこと、創造のこと、そんなことについての真実を知りたいと思っていました。

何故、唯一死ぬことだけが決まっているこの人生を生きるのか?

このことについては子どもの頃からずっと考えてきました。


そしてかなり早い段階で大体の仕組みについてはすでに知っているという感覚を得ていたように思います。

でもそれを大人に話す機会はなかったので、ノートに書くくらいしかしていませんでした。

理由や理屈はないけれど、こうに違いない、という感覚なので人に説明するのも難しかったのですが・・。

なので、夫と出会ったこと、優大を授かったこと、全ては必然だと感じてきました。

人に運不運などどいうものは存在しないし、必要なことが用意され与えられる。

それをどう感じるかは自分で全て選択しているし、自分が見ている世界も自分で創り出しているから。

私の場合は既に知っていると感じていることを、その後に体験する様々な出来事で確認するように生きてきました。

知るということには段階があって知識として知ってからそれが身体に染み渡るように魂で知るまでには少しのタイムラグがあります。

このタイムラグは人によって違うし、一生をかけて一つの経験をする人もいると思います。

私の魂が知りたいと望んだことは、愛とそれを許していく力についてでした。

でも自分がどこに向かって歩いているのかわかっていますが、その道の先で何が起こるかは知りません。

それを知っていたら自分で生きる必要はないから。

だから未来のことが何となくわかっているからこそ、どうにも逃げようがない、ということにとても苦しむことも多かったのです。

私は何か信仰するものも持っていないし、答えを知りたいと外に求める度に、自分の内側をみるように促されているように感じて、結局は逃げずにひたすらに自分に向き合い続けて、愛に生きたいと願い続けてここまできました。

そして今思うのは、私の人生はとても順調に進んでいるということ。

愛して愛して苦しみ抜いて初めて本当の愛について知ることができたからです。

そんな自分のことをもう認めてもいいんだと今やっと思うのです。長かったなぁ・・・苦笑。

だから修行は終えて、喜びと共に生きよう、そう思っています。

これからの私の人生の後半はもう苦しむことを選ばなくてもいい。

愛はどの命も疎外しないし否定しません。ただいつも命を受け入れてくれるだけです。

私がわたしらしくあることを自分に許しても大丈夫。そんな気持ちです。


私の創りたい世界は、全ての人が心と魂とを一つにしてありのままに輝いている世界。

認め合って暖かく手をつなぎ合っている世界。

ジョンレノンじゃないけれど、想像してみるのです。

そして想像から創造へ、まずはわたしから。


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