文章を書くのが好きです。

子どもの頃からノートに色々と書き溜めてたりしていました。

読み返してみると小さい頃から見ていたビジョンは今と同じで、愛に生きることがずっと綴られていました。

そういえば中学生の時に同級生の男の子から、「~さんはこんなに人に愛を渡しているからきっと自分に返ってきて幸せになるよ」と言われたことを思い出します。そんな素敵な台詞を言えた彼こそ愛の人ですね・・。


文章を書いている時は、書いているという作業と矛盾するようですが、意外と頭は使っていなくて感覚に合わせて手を動かしているという感じです。

だから自分の中にあることを整理したい時も、想いを伝えたい時も文章を書きます。

今年に入り、本当にいろいろとめまぐるしい変化がありました。

毎日、毎日、自分が新しく生まれ変わるように、ステージが少しずつ変化していきました。

それも全て書いて記録してきました。


前回の記事に書きましたが、優大と初めて耳では聞こえない言葉を通して話した時から、私の中で魂との対話が始まりました。

自分自身の魂の声を聞くのにも書くことが役立ちます。

自分で書いているけれど思考のスイッチは切っているので自分でも驚くようなことも書いていて不思議な感覚です。



私は子どもの頃からこの宇宙のこと、命のこと、創造のこと、そんなことについての真実を知りたいと思っていました。

何故、唯一死ぬことだけが決まっているこの人生を生きるのか?

このことについては子どもの頃からずっと考えてきました。


そしてかなり早い段階で大体の仕組みについてはすでに知っているという感覚を得ていたように思います。

でもそれを大人に話す機会はなかったので、ノートに書くくらいしかしていませんでした。

理由や理屈はないけれど、こうに違いない、という感覚なので人に説明するのも難しかったのですが・・。

なので、夫と出会ったこと、優大を授かったこと、全ては必然だと感じてきました。

人に運不運などどいうものは存在しないし、必要なことが用意され与えられる。

それをどう感じるかは自分で全て選択しているし、自分が見ている世界も自分で創り出しているから。

私の場合は既に知っていると感じていることを、その後に体験する様々な出来事で確認するように生きてきました。

知るということには段階があって知識として知ってからそれが身体に染み渡るように魂で知るまでには少しのタイムラグがあります。

このタイムラグは人によって違うし、一生をかけて一つの経験をする人もいると思います。

私の魂が知りたいと望んだことは、愛とそれを許していく力についてでした。

でも自分がどこに向かって歩いているのかわかっていますが、その道の先で何が起こるかは知りません。

それを知っていたら自分で生きる必要はないから。

だから未来のことが何となくわかっているからこそ、どうにも逃げようがない、ということにとても苦しむことも多かったのです。

私は何か信仰するものも持っていないし、答えを知りたいと外に求める度に、自分の内側をみるように促されているように感じて、結局は逃げずにひたすらに自分に向き合い続けて、愛に生きたいと願い続けてここまできました。

そして今思うのは、私の人生はとても順調に進んでいるということ。

愛して愛して苦しみ抜いて初めて本当の愛について知ることができたからです。

そんな自分のことをもう認めてもいいんだと今やっと思うのです。長かったなぁ・・・苦笑。

だから修行は終えて、喜びと共に生きよう、そう思っています。

これからの私の人生の後半はもう苦しむことを選ばなくてもいい。

愛はどの命も疎外しないし否定しません。ただいつも命を受け入れてくれるだけです。

私がわたしらしくあることを自分に許しても大丈夫。そんな気持ちです。


私の創りたい世界は、全ての人が心と魂とを一つにしてありのままに輝いている世界。

認め合って暖かく手をつなぎ合っている世界。

ジョンレノンじゃないけれど、想像してみるのです。

そして想像から創造へ、まずはわたしから。


{F5B3112A-145C-41DC-8B4E-E07BEC8BA188:01}