先日、一人で電車に乗って

少しだけ遠くの駅まで

足を伸ばしてお買い物に。

 

幼稚園のお迎えまでに

帰ってこれるかな?

 

またスコールがありそうだから

降られたら嫌だな。。

 

しばらくモヤモヤした後に

「とりあえずやってみよう」

という自分の記事がパッと

目に入り思わず、ぷっと

笑えてきました。

 

で、すぐさま支度して街に

出ました。

 

いつもと変わらない

バンコクの街。

 

屋台からタイ料理のスパイス

の匂い、

おばちゃんが魚を揚げる煙。

 

あちこち壊れたデコボコ道に

水たまり。

 

屋根に溜まった雨水が頭に

ポタポタ落ちてくる。

 

猛スピードで走る車に

道路の水をかけられないように

気をつけながら歩く。

 

少し歩いただけでも刺激が

いっぱいの街並み。

 

正直疲れる日もある。

 

けれど、その日、

「とりあえず」街に出てみた

私の心はウキウキと踊って

いました。

 

わたしが喜んでいるな、

と感じながら雨上がりの

バンコクの街を歩きました。

 

 

 

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「喜びと共に生きる」

 

そんなテーマをもらったのは

 

優大を見送り、

鎌倉に引っ越して、

娘を出産し、

 

自分と向き合って、

ありのままの自分で

生きていきたい!と

思い始めた頃でした。

 

それからの日々は、

一つ一つの感情、体験を

思う存分に味わって、

泣いたり笑ったり悩んだり。。

 

そうするうちに、

たとえ嬉しい出来事でなくても

それらのすべてが、

私がわたしを生きていること、

 

つまりそれは「喜び」なんだ、

と感じるようになったのでした。

 

そして、あれから4年の月日が

教えてくれました。

 

 

 

もともと、

 

この「いのち」そのものが

喜びでできているということ、を。

 

 

陰と陽、清と濁、

全ての感情をも内服した「いのち」

は、ここにあることをいつも

喜んでいる。

 

 

 

喜び生きる、ことは

 

私がわたしといういのちに還ること

 

 

 

バンコクの街を歩きながら

そんなことを感じていました。

 

 

心に素直に生きる時、

喜んでいるいのちとは

まるでパートナー。

 

そして、そうでないことの

ほうがとても不自然。

 

 

空が空であるように。

 

私がわたしであるように。

 

他の何にもならなくていい。

 

 

怒ったって、落ち込んだって

それでいい。

 

そんな全てがいのちの喜び。

 

ただわたしを生きるだけ、

 

ですね。。

 

 

日本は秋分の日ですね。

 

あの世とこの世を結ぶ日に

わたしの喜びを感じて

手を合わせたいと思います。

 

いつも読んでいただいて

ありがとうございます♡

 

 

 

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日々いろんなことを感じる毎日。

 

感じる心に蓋をしていないと

ささやかなことにも感動したり。

 

その分、

 

もちろん嫌なことも感じるし

恐れている気持ちなんかにも

気づくけれど、笑。

 

どんな感情も、感じた後は

ただ流れていく。

 

次の感情が湧いて、

また次の感情がやってきて。。

 

それが自然なのですね。

 

 

 

気づかないふりで押し込めた

感情が溜まって心が淀むと

 

「器」である身体の声が

聴こえてきます。

 

「ちょっとちょっと!

いい加減掃除してくれる?

もう仕舞いきれませんわ〜」

みたいな感じかな、笑。

 

そんな声なき声は、

体調不良となって現れます。

 

 

だから、瞑想やヨガで

ただただ内側の声に向き合って

みたり、

 

静かなところで感じることを

そのまま書いてみたり、

 

そんな時間を持つのが元気で

いる秘訣かもしれませんね。

 

やたらと何かをやらなくても

優しい気分でほっこり過ごす

だけでもね。

 

 

さて、また元気に登校した

息子に、これから何が

できるかしら?

と考えたりします。

 

何がどうなってもそれでいい、

「大丈夫」なのだけどね。

 

 

夫曰く、

「学校は嫌じゃないって

言ってるんだから、

変に意識させない方が

いいよ。」

 

う〜む、私とは反対の意見

なのでありました、笑。

 

それも一理あり。

 

感情に敏感なのに

我慢しすぎて大体いつも

ちょっと辛かった私。。

 

感情に鈍感で

おおむね元気だけど、

突然ひどく体調を崩す夫。。

 

笑。

 

息子は全く違う人間なわけ

ですから、

参考までに経験談を話す

くらいですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜からお腹の調子が

いまいちと言っていた息子。

 

早朝、登校のために5時起きで

真っ青な顔で苦しんでいる。

 

吐き気もあって

お腹がすごく痛そう。

 

で、今日は学校はお休み。

 

胃腸炎かなぁと様子を

見ていたら、、

 

どうもストレス性なのかな。

 

新しい環境への適応、

今が息子の頑張りどころ

なんだろうなぁと思いつつも、

切なくなる。。

 

今日は1日一緒にいて色々

話したり。

 

 

 

 

「ママも小さい頃は

とにかくなんでも我慢

することで切り抜けていたよ。

 

だからいつも色々な

ところが痛いし、

しょっちゅう熱が出て

大変だった。」

 

 

 

「君も今、

パパと一緒にタイに来て、

インターに入学して、

かなり苦労をしているよね。

 

鎌倉に帰りたい。

みんなに会いたい。

外で友達と自由に遊びたい。

 

ママの気持ちも同じ、笑。」

 

 

「でもね、私たちは

 

これしかできない

これをすべき

 

そんながんじがらめの

我慢をするために

タイに来たわけ

じゃないんだよ。」

 

 

 

「こんな経験も君の人生を

豊かにするだろう。

 

同じくママの人生も。」

 

 

「考えすぎて、

深刻になりそうな時には、

 

とりあえずやってみれば

いいんじゃない?」

 

 

 

「人生はいつでも新しい。

 

ずっと続くことなんて

一つもないよ。

 

せっかくだから

やってみようよ。

 

一期一会の旅だからね。

 

君は今、行きつ戻りつ、

大人になる旅の途中

なんだね。」

 

 

 

 

息子「僕はまだ子供で

いたいんだよ〜」

 

笑。

 

母「ま、どうでもいっか。」

 

笑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パパ不在の週末。

 

近所のカフェにご飯を

食べに行ってみました。

 

ここもおしゃれカフェ。

 

 

 

 

これシンハービール。

 

タイでは一番メジャーで、

みんな氷を入れて飲みます。

 

東南アジアのビールは

どれもアサッリしているけど

シンハーもそう。

 

アルコール度数はしっかり

あるのに、なぜかほとんど

酔わない。

 

最初はビールに氷??と

しっくりこず、拒んでいたけど、

入れて飲んでみたら、、

美味しいんです、笑。

 

こちらの気候に合ってるんだ

ろうなぁと。

 

そんなに酔わないけれど

ホッとリラックスムード

にはしてくれます、笑。

 

ビアシン大好き。

 

 

 

ビールだから。。。とか

日本だから。。。とか

タイだから。。。とか

 

そういうの、いらないの

かもしれません。

 

 

 

引っ越しが決まってから

ずっと自分を縛っていた

いろんな気負いが

随分抜けてきました。

 

 

 

今のわたしの「好き」「心地よさ」

を選んでいくだけでいい。

 

 

 

タイに来ても変わらず大好きな

ノラ・ジョーンズを聴きながら

そんなことを思います。

 

外は少し雷鳴が、でも静かな夜。

 

先日も少し書いたのですが、

 

「自分の言葉が見つからない」

 

来泰のタイミングで、

そんな時期を2ヶ月ほど

過ごしました。

 

それは紛れもなく

私が私の感情に蓋をしていた

からで、

感じることが怖いから

言葉にすることが怖いから

私は言葉を紡ぐことが

できませんでした。

 

 

 

 

幼い頃から、

「書くこと」は私にとって

いつも救いでした。

 

逃げ場のような、、

自分が自分で居られる場所。

 

 

 

引越し荷物の整理をしていて

たくさんのノートが出てきました。

 

読み返すと、

実はもう何十年も前から

私は同じことに気づいては

自分の歩みを一歩一歩と

進めてきていました。

 

 

 

「私はわたしでいていい」

 

 

 

それを確かめるための時間が

長く続いたことに、

この引っ越しであらためて

気づく機会になりました。

 

自分の中に全てがあると

わかっていたけれど、、

 

 

人と同じ正しさでいなさい。

人に優しくありなさい。

人に恥ずかしくない人間でありなさい。

人より勝っていなさい。

 

 

そんな「人」の声を

嫌という程聞いてきました。

 

多分、日本の中に一番

多く占める「常識」という声。

 

その声が聞こえるところに

わたしの居場所はないように

思えました。

 

ここから出たい、

自由に生きたい、

私はわたしであっていい。

 

そんな心の声を確かめるために

必要なことが起こっていきました。

 

 

 

長い道のりを歩いて、

私は心底知りました。

主語を「わたし」にしない

ことの不自然さを。

 

 

わたしに還ると、

わたし以外のどこかに探し物を

する日々が終わりました。

 

そうして、いつしか、

 

「わたし」を主語にしたら

それは人を傷つけるどころか、

 

同じ「わたし」である全てを

愛することなのだ、と知りました。

 

「わたしでありたい」

という願いさえも、

大きな一つの愛の中に

溶けていきました。

 

 

とはいえ、人生の旅に終わりは

ないのです。

 

私はわたしであることを

味わい続けます。

 

 

 

書くことを仕事にする

という幼い頃からの夢は

もう叶っているのだなと

思います。

 

いつしか、書くことが、

人目につかない場所で

わたしがわたしでいるための

避難場所ではなくて、

 

つながりの場所に変わって

いきました。

 

「わたし」

それは時にあなたであり誰か。

 

そんな大きな大きな

わたしとのつながりの場所に。

 

 

きっとまた書きたくない

日も来るのでしょうが、

 

最近はまた私に言葉が

戻ってきました。

 

毎日、書きたいな、書きたいな、

とソワソワしています、笑。

 

 


 

我が家で一番好きな場所。