まだ見ぬ世界に
待ったなしで
飛び込む
これから何が
待っていようとも
それを体験するために
私は生まれた
燃やせ
照らせ
見せてくれ
命を燃やし尽くして
知りたかった
この世界を
灰になるまで
燃やせ
照らせ
少しのためらいなく
***
10月1日、新月の日に。
私がわたしであることに。
これまで出会った
すべての人に。
体験することができた
すべてのことに。
感謝。
まだ見ぬ世界に
待ったなしで
飛び込む
これから何が
待っていようとも
それを体験するために
私は生まれた
燃やせ
照らせ
見せてくれ
命を燃やし尽くして
知りたかった
この世界を
灰になるまで
燃やせ
照らせ
少しのためらいなく
***
10月1日、新月の日に。
私がわたしであることに。
これまで出会った
すべての人に。
体験することができた
すべてのことに。
感謝。
昨日の記事で浮かんだことを少し。
自分の信じたことを体験する。
それがこの世界の仕組み。
逆から言うならば、
今自分がいる世界に
今自分が本当に信じていること
を見るでしょう。
信じるというのは、
願い事のようなものではなくて
むしろその全く対極にある本音。
足りていないと思うから
もっと幸せになりたくて。。
自分はひとりきりだ
自分は認められることはない
私なんて、まだまだ、、
そう信じているからこそ
今の自分でなくなることを
望み願い行動する。
だから、
世界は願いの方ではなくて、
信じていることを叶える。
不足感から逃れられない。
不足している現実を見る。
これを引き寄せの法則
という人もいるけれど、
頭でどんなにわかっても
どんなに努力して、
思考を整理しようとしても、
この法則をマスターすること
なんてできないと思う。
そこそこの望む現実が
やってくるけれど、
何かまだ足りないから
また行動して、、
この世界に、
「私は満ち足りていません!」
と高らかに宣言し続ける
ようなものですからね。笑。
だから思うのです。
どんな教えも法則も思想も
ほんのとっかかりに過ぎない。
一つの通過点に過ぎない。
法則を生きて
自分を生きていなければ
どれだけもがいても
自分は心から満ち足りていると
感じることがない。
でも、
そこからの歩みがあるから
知ることができる。
その歩み自体が宝だから、
だから、どんな道も結局
それでいいのだけど。
私が心から信じていることは
なんだろう?
それを今とってもシンプルに
見てあげる時が来ています。
あなたが信じていることは
何ですか?
私が、あなたが、
今見ている世界が教えて
くれています。
私の場合、
心から素直に思いを伝えることって
ずっと難しいことでした。
特に
弱音を吐くこと
願いを放つこと
助けを求めること
必ずそんな思いの後に
「ま、いいけどね」
という声にならない
一言が付いてくるのです、笑。
そして大抵は
そのまま飲み込んでしまう。
もし受け入れてくれなくても
もし思い通りにならなくても
もし怖いことがあっても
「私は大丈夫なんだ」
っていう保険ですね。
自分を自分でしか守れない
と思い続けてきた、
習慣、信念
のようなもの。
そしてその言葉は、
「最初から私は一人なんだから。」
そんな奥深くからの思いの
裏返しだったのかもしれません。
だからどこかでいつも寂しくて
怖くて、絶対的な無条件の愛を
求めていました。
優大を授かり、見送り、
シャンティハウスのことを
やり始めて。。
いつも、いつも、
「あなたは一人じゃないよ。」
「あなたはそのままでいいよ。」
そんなメッセージをもらうたびに
ハッとしました。
私にはまるで、奇跡のように
魔法のように感じられました。
そして、私の心をふわりと
緩め暖めてくれました。
私はいつしか、
泣きながら、笑いながら、
照れながら、
目の前の人に真っ直ぐな心の声を
届けられるようになって
いったような気がします。
自分が信じているものを、
世界に向けて放つ時、
巡りまた自分にかえってくる。
そうやってこの世界は
できている。
どんなに苦しくても
愛はいつもここにある。
そう信じたから
愛したくて仕方なくて、
いつも愛はここにあることを
伝えたかった。
そうして、それが自分に
かえってきた時に、
あぁ、私はこれを
誰でもない、無条件に愛され
たいと願った私に、
伝えたかったのだなぁと気付く。
自分のみたい世界を
自分で創っていることに気付く。
私たちは自分の信じている世界を
体験するということなのですよね。
それならば。。。
素直になったらいいことしかない!
ですよね、笑。
過去の信念からできた保険を
かけずに、
素直に、ただそのままに。
やっぱり今でもちょっと
いやいやでも。。って声が
聞こえますけどね、笑。
わたしに還ろう
そんなことを思うように
なってからの日々。。
わたしに還るのは
本当にシンプルで
ただ、楽になるだけだと
知れたのに、
私の中の今までの色んな
考え方や習慣が
私を引き止めました。
もし本当に私が手放しで
ありのまま、楽に心地よく
生きたら。。
生きていく意味がなくなる
のではないか?
そんな恐れが心の奥の方
で渦巻いていました。
もしかしてこれは、
人間だけが持つ、
命への根源的な恐れ、
「畏れ」なのではないかなと
感じたりします。
何かを果たしてからでないと
死ねない。
何を果たしたら満足するのかは
みんな覚えてはいないけれど、
だからこそ、人は人生の旅を
続ける。
私はまだ未熟だ。
私はまだ学ぶことがある。
私には責任がある。
生まれる葛藤や苦しさも
知りたいことに辿り着く
チケットのようなもの。
だから人は目標を持ち
努力し、戦い、
今でないどこかを目指す
のかもしれません。
そしていつか、
この一度限りのいのちから
離れる時に知るのでしょう。
わたしから遠く離れたこと
なんて一度もなかったことを。
いつでもわたしはわたし
でしかありえなかったことを。
それでも旅したかったから、
知りたいことがあったから、
「身をもって」
「いのちをもって」
体験したいことがあったから、
私は人生の旅を続けた。
そんなことすべてを思い出す。
どんな道を通っても、いつも
そこには「いのち」はあり
全ての人が許されていることに
違いはないのです。
どんなに茨の道を歩もうとも
どんなに明るく軽い心で歩もうとも
たどり着くところは同じなのだから。
わたしに還ろう
そう思うまでの日々
そう思えてからの日々
すべての苦しみや葛藤
すべての深い深い喜びや気づきが
生きている意味そのもの
だったのですね。
先日、ふと思い出したのです。
いのちを離れる時の私は
とてつもない安心感に
包まれている。
あぁ、そうか、いつも
全部、完璧だったのだ。。
何一つ足りないものなんて
なかったのだ。
すべてが暖かい光の中に。。
そんな光景が浮かんできて
大きな大きな愛の安心感の中で
今この瞬間のいのちを生きればいい。
そんなことを心奥深く感じたのでした。
長くなりましたが、
今日も、読んでいただいて、
ありがとうございます♡
愛を込めて。
バンコクは雨の毎日です。
タイの雨季はこれからが
本番だそう。
初めての雨季がどんな季節
なのかドキドキです、笑。
雨あしが強まるとすぐに
外の水のたまり具合を
チェックです。。
先日、少し先の駅まで
お買い物に、と書きました。
結局、お店がクローズして
いたので、買いたいものは
買えず、食べたいものも
食べられず。。苦笑。
でも、いつも混んでいて
入れないタイレストランで
ランチをしてきました。
バンコクでの初めての
一人ランチに少しドギマギ、笑、
こちらでは、あまり一人で
ランチしている人がいないので。
子どもと一緒だと食べない
グリーンカレーを注文。
作りたてのスイカジュースも♪
タイで食べるグリーンカレー
には、生のタイバジルが
入っていると知り、
冷蔵庫に常備して生で
むしゃむしゃ食べるくらい
タイバジル大好きの私、
いつか食べたいなぁと思って
いたのですが、
こちらのグリーンカレーに
沢山入っていました。
ココナツミルクの甘さと
生唐辛子の辛味に
ハーブの香りがふわっとして、
本当に美味しくて感動。
タイ料理には様々な
スパイスとハーブと
薬効成分のある野菜が
入っています。
我が家でも大定番で
タイ東北料理の有名店
「サバイジャイ」の
ガイヤーンという鳥の丸焼きにも
ハーブが詰め込んであり、
香ばしさと相まって
本当に美味。
もともと大好きなタイ料理、
引っ越してから、
ますますその魅力を
知る毎日です。
外食大好きな我が家。
鎌倉は本当に美味しいお店が
いろいろあって幸せだったけど、
タイもなかなか良いです。
お休みの昨晩は日本でも
有名なのかな
「てっぺん」という日本食
のバンコク店に。
日本人はもちろん西洋人の
お客さんも沢山でほぼ満席
の大変な賑わいでした。
日本食もグローバルに
なってきているのでしょうね。
なんでもお美味しくて
まるで日本でした〜。
駐在中にお金を貯めるのが
一般的かと思いますが、
外食貧乏の道が加速する
我が家なのでした、、笑。