先日も少し書いたのですが、
「自分の言葉が見つからない」
来泰のタイミングで、
そんな時期を2ヶ月ほど
過ごしました。
それは紛れもなく
私が私の感情に蓋をしていた
からで、
感じることが怖いから
言葉にすることが怖いから
私は言葉を紡ぐことが
できませんでした。
幼い頃から、
「書くこと」は私にとって
いつも救いでした。
逃げ場のような、、
自分が自分で居られる場所。
引越し荷物の整理をしていて
たくさんのノートが出てきました。
読み返すと、
実はもう何十年も前から
私は同じことに気づいては
自分の歩みを一歩一歩と
進めてきていました。
「私はわたしでいていい」
それを確かめるための時間が
長く続いたことに、
この引っ越しであらためて
気づく機会になりました。
自分の中に全てがあると
わかっていたけれど、、
人と同じ正しさでいなさい。
人に優しくありなさい。
人に恥ずかしくない人間でありなさい。
人より勝っていなさい。
そんな「人」の声を
嫌という程聞いてきました。
多分、日本の中に一番
多く占める「常識」という声。
その声が聞こえるところに
わたしの居場所はないように
思えました。
ここから出たい、
自由に生きたい、
私はわたしであっていい。
そんな心の声を確かめるために
必要なことが起こっていきました。
長い道のりを歩いて、
私は心底知りました。
主語を「わたし」にしない
ことの不自然さを。
わたしに還ると、
わたし以外のどこかに探し物を
する日々が終わりました。
そうして、いつしか、
「わたし」を主語にしたら
それは人を傷つけるどころか、
同じ「わたし」である全てを
愛することなのだ、と知りました。
「わたしでありたい」
という願いさえも、
大きな一つの愛の中に
溶けていきました。
とはいえ、人生の旅に終わりは
ないのです。
私はわたしであることを
味わい続けます。
書くことを仕事にする
という幼い頃からの夢は
もう叶っているのだなと
思います。
いつしか、書くことが、
人目につかない場所で
わたしがわたしでいるための
避難場所ではなくて、
つながりの場所に変わって
いきました。
「わたし」
それは時にあなたであり誰か。
そんな大きな大きな
わたしとのつながりの場所に。
きっとまた書きたくない
日も来るのでしょうが、
最近はまた私に言葉が
戻ってきました。
毎日、書きたいな、書きたいな、
とソワソワしています、笑。
我が家で一番好きな場所。
