各地での大変な被害に胸が痛む。どうぞ東北の方にこれ以上被害がでませんように。

我が家も凄まじい風で建物が振動する程だった。中庭の木も折れて倒れているのがあった。


外に出てみたら空がとても澄んでいて、空気もきれい。

あんなに強い台風が過ぎて行き、今はとても静かな夜が訪れた。

自然の中に生かされている人間。

地球からすればアリンコの様に這いつくばって生きている人間も自然の一部に過ぎない。

小学生の頃、好きだった先生が、登山家は山を制覇すると言うが、登らせてもらっている
に過ぎないと言っていて妙に納得した。


文明がどんなに進歩しても、住まわせてもらっている土地や自然への敬意と畏れを忘れ
たら、きっと人間は違う方向に進んでしまう。

もともと日本人が深く持っているものなのに失うのはもったいない。

でも、今パワースポットや登山が流行っているのも、必要なものを取り戻そうとしている
ってことなのかな。


与えられている命。自然の中に生かされていること。

忘れずにいたい。

夫が持って帰ってきた英語のビジネス本。

読まなきゃってブルーになっている夫。冷やかしでちょっと読んでみる。

内容自体がわからないしビジネスに全く興味もないけど、久々に長文を読んでると
何だか楽しくなってくる。

脳が英語に切り替わっていく感じが楽しいのもとなんだろうな。

やらされるのは嫌いだけど、やっぱり語学が好き。


それにしも、普通に仕事をしながら、疲れて帰ってきてからそんな本を読んで勉強
したりしないといけないなんて、ビジネスマンって大変ね・・・。

あ、でも夫1ページ読んだ後、いつもの様に10時前には寝てしまったけど。


この前、全く手を付けてないこのブログのプロフィールってとこの質問みたいのに
答えてみた。

直感的に答えて行くと、チャレンジしたい事に大学院に行くって書いていた。

語学と心理学、深めたいな~と思ってるから。

やっぱり大学の時にちゃんと勉強してないからかな・・・フフ。


英語読みながら思った。楽しいって人生には必要だな~。と。


チャレンジしてみる?!わたし?

まあ手の届く所から。









リビングの横の和室。そこがゆうだいの部屋でした。

九州から遺骨を持ち帰って、この部屋に入った時の悲しみは本当に言葉では言えない。

あれからずっとゆうだいのいないゆうだいの部屋を何度見つめて泣いただろう。


昨日、飾ってあった思い出の品や沢山の電報や写真を少し片付けて、ゆうだいの誕生記念樹の
幸福の木を持ってきたりして部屋を整理してきれいに掃除した。

時々泣いたりして片付けているうちに、何だか心が落ち着いてきて、ゆうだいのことをとても
近くに感じた。


ゆうだいが亡くなったことよりゆうだいが生きたことを思っていたい。

だから、ゆうだいがいなくなった部屋からゆうだいがいてくれた幸せの部屋を取り戻すような
気持ちで片付けていた。

そうしたら、本当にゆうだいがそこにいるような暖かい気持ちに包まれていることに気付いた。



世界は自分が作っているという人がいるけど、時々それを実感するようになった。

心が反映される世界。

恐れて悲しんでいる時、世界は怖いことばかりが起こり不安に満ちているように思える。


全ての命がはかないからこそきらめいていることに気付く時、世界は美しい。

愛を感じて生きる時、世界は暖かい。


ゆうだいに、みんなにありがとう。
今日は、ゆうだいがとてもお世話になっていた方と久しぶりにお会いしてランチしました。


家族もみんな日常に戻って行く中で、私にはまだこの日常が非日常のまま。

もっとゆうだいのことを考えたり、誰かと話したり、寂しいと言ってみたりしていたい。

早く元気になりなさいなんて、私の友達は誰も言わなかったのに、私は一人で葛藤して
グルグル考えては行ったり戻ったり。


死別の苦しみから少しずつ落ち着いてきて、新たに感じ始めたことがある。


自分の全てで守りたくて、朝も夜もなく必死で守って来た日々だった。

私の10年間はなんだったの?

どうして私からゆうだいを奪ったの?

そんなことを心が叫んでいて、私は今までこの声を聞かないようにしてきたのかもしれない。

だって、ゆうだいが精一杯に生ききったこと、与えられた命を全力で全うしたことを私が一番
わかっているから。

だからそんなことは思っちゃいけない。

私はゆうだいのお母さんだから。


でも、私が聞こえないふりをしている間、ずっと心は叫んでいるのでしょう。


弱い私、それも私。


今日その方とお会いして、思い出しました。

ゆうだいが生きている時だって私は完璧なお母さんなんかじゃなかった。

いつも弱音を吐いて、疲れた顔を見せて、それでも何とかやっていた私を知ってくれている人
に会えてホッとしました。

ありがとうございました。


またボチボチ。

この苦しみも認めてあげたらいつかは段々と昇華されていくことでしょう。



あ~~明日から連休だぜ!イエイ!








ゆうだいがいた時、24時間体制の介護でとっても疲れていたし、緊張感がとれない
ストレスは本当に大きかった。

だから、看護師さんに任せて週に2日一日に正味2時間くらい外に出る時間がすごく
貴重だった。

帰ってくる時には少し軽く明るくなって、ゆうだいにただいまを言える。


今は、一人で外に出て帰ってくる時には少し気が重くなる。

ゆうだいがいない家に帰ると思うとドアの前で泣けてくる。

ただいまって言ってみる。

やっぱりゆうだいはいない。


私の心の帰る場所はずっとゆうだいだったんだなぁって思う。

ただいてくれることで、私の心はいつも豊かで愛に満ちて、どんなに疲れても暖かく
守られていた。

今はどこに帰ればいいのか、何を目指して進めばいいのかわからない、母親を捜して
泣いている迷子の子供みたいに心細くて無力・・。

ゆうだい、ゆうだい・・って毎日毎日呼んでいる。



手を握ることも、頭をなでることも、抱っこすることももう二度と叶わないけど、
ゆうだいがくれる光、道しるべ、形には見えなくても、決して見失わないでいよう。

本当に大切なものは形のないものばかり。

光のほうへ進もう。